第102話 カルディ城進駐
「冗談じゃない。こんな条件、受け入れられるわけないでしょ」
イングリッドはコスモの和約について記された書類をバンと机に叩きつけた。
「途中からいきなりしゃしゃり出てきて。何よ。このふざけた講和条件は。こんなの守る必要なんてないわ。今からでもノアに講和を破るよう進言しにいきましょう」
「そう騒ぎ立てるな」
オフィーリアが制するように言った。
この部屋にはオフィーリアとイングリッドしかいない。
「我々上層部がそう荒ぶっていては下々の者達が不安を覚えるぞ」
イングリッドはキッとにらむ。
「あんたはなんでそんな落ち着いてられんのよ。あれだけ苦労してようやくナイゼルとジーフを追い詰めたっていうのに。こんな風に横槍を入れられて。本当にいいと思ってるの?」
「確かにこの講和、一見我々が一番損をしているように見える。だが、よくよく先を考えて読みを入れてみると、妙手にも思える」
「……? どういうこと?」
「ユーベルがマギア地方に介入してくるとすれば、我々はユーベルと組むか敵対するかの二者択一を迫られる。そして、その場合、どちらを選んでも新たな難題が待ち受けている。ユーベルと組めば、ナイゼルを共に叩くことになり、ナイゼルを滅ぼすことはできるが、ユーベルと境を接することとなり、マギア地方は非常に不安定な情勢に見舞われる。逆にユーベルと敵対することになれば、ユーベルはナイゼルと組んでアークロイに対抗してくるだろう。これまた厄介な事態となる。つまり、いずれの選択肢を選んでもユーベルと鎬を削る未来が待ち受けているというわけだ。それならばいっそのこと、ナイゼルを残したまま防波堤にして、ユーベルのマギア地方への進出を限定的にしておいた方がいいかもしれん」
「でも、こんな平和仮初よ。いつまでも続くはずないわ」
「その通りだ。だが……」
(それすらノア様とドロシーの読みに入っているとすれば……?)
オフィーリアは考える。
(無論、苦難の多い道のりではある。あえて一手パスすることで、敵に主導権を渡し、敵がミスすることを見越し、どっしりと構える横綱相撲。だが、ノア様の鑑定眼と胆力なら……。あるいはすべてを見通してすでに罠を張っているのかもしれない)
「とにかく今は事態の推移を見守ろう。ノア様のことを信じて……」
コスモ城では、ルドルフとその臣下達がナイゼルから預かったカルディ城の守りを誰に任せるか会議を行なっていた。
ユーベル軍をカルディ城に派遣することはすでに大公にも話を通して決まっていることだ。
「カルディ城の駐在指揮官だが……クーニグに務めさせるのがいいと思うんだが」
ルドルフがそう言うと、案の定、会議の出席者からはルドルフの人事を称える発言が相次いだ。
ヴァーノンは反対しようとして、押し止まった。
一見、妥当かつ穏当な人事だった。
クーニグは今回の講和会議の立役者。
マギア地方の情勢にも頗る詳しいし、今回の作戦の立案者でもあるからルドルフの戦略への理解度も高い……はずである。
だが、ヴァーノンはこの人事に危うさを感じていた。
ユーベル軍がカルディ城を押さえるということは、カルディの内政にも深く関与するということである。
(マギア地方は魔法院との二元体制を取っている領地がほとんど。クーニグに複雑な二元体制の内政を処理することができるのか?)
そう考えつつも、意見として発言するには及ばなかった。
では、誰が適切なのか?
マギア地方の内政と外交に対応できる人間。
一応心当たりはあった。
(アルベルト殿下なら)
アルベルトは戦はからっきしだが、良識とバランス感覚には優れている。
以前、ノアが呟いているのを聞いていた。
「兄上は内政を行えば、きっとよい為政者となるだろうに」
そういうわけで内政と良識に優れたアルベルトであれば、魔法院のある領地においても駐留軍の指揮官を務めあげることができるかもしれない。
とはいえ、これが受け入れられない案であることは分かっていた。
アルベルトは曲がりなりにも城5つ持ちのユーベル軍最高指揮官。
外国領地の駐留軍指揮官に、しかもルドルフの権限で任命されるというのは流石に格好がつかない。
また、マギア地方からの反発も予想される。
ユーベル軍最高指揮官がカルディ城に着任すれば、それは露骨な侵略の前段階だと捉えられてもおかしくはない。
では、いったい誰が適任なのか?
それはヴァーノンにも分からない。
ある人物の内政能力と外交能力、ましてや隠れたポテンシャルを判定できる人間など、このユーベルのどこにもいない。
(くっ。こんな時、ノア様がいれば)
おまけに今回の講和会議には陰謀の匂いがする。
しかし、誰が裏で糸を引いているのか、ヴァーノンには結局突き止めることができなかった。
ヴァーノンは会議で何も言うことができない。
こうしてユーベル大公国はクーニグを大将に三万の軍をカルディ城に派遣することとなった。




