サザンドラ再び②
ロイドの定めた目的地の麓まで到着した頃には、森の中は薄暗くなって来ていた。
「今日はここをキャンプ地とする!」
アリシアがそう宣言すると騎士たちが一斉にテントを張り始めた。
当のアリシアは、持って来た材料を広げて料理に取り掛かる。
それを見たロイドが不思議そうに質問して来た。
「アリシア嬢は子爵令嬢だと聞いているんだが、そのー……、気を悪くしたらすまない。料理などしたことがあるのか?」
ロイドの言うことはもっともである。
領地を持たない貧乏男爵令嬢ならいざ知らず、仮にも領地持ちの子爵である騎士団長の娘であるアリシアに料理ができるなど誰が考えるだろうか。
「正直に申し上げますと、自信はあんまり……期待せずにお待ちくださいね!」
笑顔で誤魔化すことくらいしかできない。
そもそも前世からそんなに料理は得意ではないのだ。
ただ自分で食べたいものを作っているうちに“そこそこ”上手くなっただけである。
フィーリアの頃は、初めこそ自分でなんとか作っていたが、聖女として持ち上げられ始めた頃からはコックを雇っていたので作ることは無くなった。
聖女メニューと言われるものは、大体の材料とイメージだけをコックに伝え、幾度となく試作を重ねて完成させたものなのである。
言わば聖女メニューとは『聖女が考えコックが作ったメニュー』なのである。
だがアリシア転生後に包丁さばきが上手くなったのだ。
なぜなら騎士の訓練を通して、切るための角度などを学んだことで綺麗に切れるようになったためである。
周囲もアリシアの包丁さばきを見て感動して魅入っていたほどであるが、だからと言って総勢40名ほどの人数の材料を切るのは大変でなのだ。
「だんだん腕が疲れてきましたわ。さすがに量が多すぎる。」
春先の山はまだまだ冷えるため、暖かいものが良いだろうと鍋を用意していたのだ。
大きな鍋を荷馬車につけ、具材も野菜を中心にかなりの量を持ち込んでいる。
肉は、ちょっと嫌だが倒したオークを捌いて持ってきたので量は申し分ない。
あとは味付けだけである。
せっかくなら他では食べられない味を楽しんで欲しいと考え、アリシアが記憶を取り戻してから試行錯誤して調合したカレー粉を用意してきた。
問題は果たして受け入れられるのか?と言う点なのである。
「まあ日本なら万人が好きな味だし大丈夫でしょう!」
巨大な鍋にカレー粉を投入していく。
スパイシーな香りが立ち、騎士たちがザワザワとし始める。
「なんだこの色と匂いは。一体何を入れたんだ!」
ノアが心配して見に来ると、鍋の中がドロドロとした茶色に染まっているのに気がついて毒でも盛られたような反応をしてくる。
「これはカレーという物です。煮込み料理ですので、体も温まります。スパイスは体の中から温めてくれますので食べたあとはポカポカですよ!」
ドヤ顔でアリシアが紹介する。
なぜドヤ顔かと言えば、ここで自信を示して置かないとこの見た目の悪さから食してくれない可能性もあるからである。
正直、見た目は非常に悪い!
アリシアも、もう少しシャバシャバはスープ状のカレーを想像していたのだ。
しかし目の前にあるのは完全に“田舎のおばあちゃん家の冷蔵庫に眠っていたカレー”の見た目をしている。
カレーと言う料理を知っていても、食べるのには勇気が必要な状態に完成されていた。
しかし聖女メニューにも無いカレーをこの世界初として振舞うのだから、アリシアが食わず嫌いなど許すわけが無いのだ。
『お腹を壊したら治してやるから黙って食え!』と言ってやりたい。
アリシアがここまでこだわるのには理由がある。
実は前世フィーリア時代にも、どうしてもカレーを食べたくなってスパイスをかき集めて見たのだが、スパイスの種類が足りずに断念していたのだ。
それが500年経った今、スパイスの種類も揃い、アリシアはカレー粉を完成させたのである。
「本当はライスが欲しいところだけど、野菜もゴロゴロ入れたのでボリュームはあると思いますよ!おかわりもあるのでいっぱい食べてくださいね。」
40人分を配り終えていざ実食!
騎士達は出された料理の見た目にかなり引いている。
小さい声で『色はう◯こ、見た目はゲ◯じゃねーか!』とか、『…………酔っ払って帰った次の日の朝に枕元にあったわ……。』など散々な感想が聞こえる。
しかしアリシアは野外でのカレーで小学生時代の炊事遠足を思い出していたのだ。
(懐かしいなぁ。やっぱり野外での炊事といえばこれよね!)
幸せを噛み締めているのも束の間であった。
「おかわりをください!」
騎士達が次々におかわりを貰いにくる。
見た目に反して味は大好評だったらしい。
おかわりはセルフサービスにしているため、鍋に群がっているのが見える。
(やっぱりカレーは国境どころか世界を超えるのね!)
しみじみと思っていると、隣の席からも声が聞こえて来る。
「…わたしにもおかわりを貰えるだろうか?」
ロイドが赤くなった顔を隠しながら、皿を差し出してきてついつい笑ってしまうのだった。
「アリシア嬢は一体何者なんだ?騎士としても優秀、侍女としても申し分ない程に役に立ってくれている。正直お前の護衛騎士候補というよりも、近衛騎士団の団長候補と言われても驚かないぞ。」
ロイドはこんな死地と言われる山の中で絶品料理を振舞った後に、騎士団全員分のコーヒーや紅茶を用意できる侍女など他に知らない。
もちろん一気に作ってセルフでよそってもらうバイキング形式にしたから可能なのだが、セルフサービスと言うシステムなど貴族社会ではあり得ない上に、平民社会でやれば赤字が怖く、誰も思い至らない。
そんな考え方を出せるのも、前世の記憶があるからなのだ。
その事実を知るノアは少し焦ってしまう。
いくら幼少からの付き合いだとしても、隣国の皇太子に国の弱点を教えるようなものである。
信頼していないわけではないが、教えるとしてもアリシア本人、または国王の仕事であろう。
「…優秀だろう?貸してるだけだ。やらないぞ!」
こうして冗談混じりに答えるのが精一杯なのであった。
ティータイムの片付けも終え、『保温のスクロール』の上に夜間警備用のコーヒーと紅茶を用意しておく。
魔除けのスクロールも事前に用意してきたため、大半のモンスターは野営地に近づこうとはしないだろう。
しかし絶対ではない以上、国の重要人物2人を抱えているため夜間の警備は絶対必要なのである。
アリシアは警備担当の騎士達に挨拶をして自身のテントへと戻ってくる。
「つっかれたー!お風呂に入りたいけど流石にないし、我慢するしかないわ…ね……」
そうボヤキながら寝袋に潜り込むと一瞬で寝てしまったのである。
先程まで侍女として仕事をし、昼間は騎士団と共に戦闘にも加わっていたのだ。
12歳の少女の身体には体力など残ってはいないのである。
お年頃の少女で紅一点のアリシアは1人でひとつのテントを用意してもらっている。
その隣にはロイドのテントがあったため、アリシアの寝息が聞こえてくるのである。
「さすがに体力までは化け物スペックではなかったようだな。」
アリシアの少女らしい振る舞いに少し安心してしまう。
剣筋は騎士団でもトップクラス、侍女としても完璧な対応ができるハイスペックガール。
普通の貴族の御令嬢なら戦うなどもちろんしないし皿洗いすら怪しいレベルだろう。
そこから考えれば、アリシアの異常性がわかるというものである。
「本来帝国の国母となれる人物なのだろうな………。だがわたしには譲れないものがる。………約束を…違えるなよ。……鳳凰。」
山に向かってそう呟くのであった。
翌日、朝食をとってからロイドが示す場所を目指して進んでいく。
徐々に木々が減り、ごつごつとした岩が目立つようになってきた。
「なるべく岩など落とさないように気を付けて登ってね!」
万が一岩を転がしてしまうと、坂を下るうちに運動エネルギーが増して危険なため、声を掛け合いながら進んでいく。
落石などの緊張もあるのだろうが、野ざらしの地形のため、騎士たちからは鳳凰に見付からないかと不安を口にする者も増えてきた。
しかしロイドは目的地まで止まる様子はないのである。
(一体あそこには何があるんだろう?)
ロイドがここまでしてでも目指す場所に、アリシアは興味が出てきていた。
ノアや周囲の騎士の不安もあるが、この知りたいという欲求には勝てないのだ。
キャンプ地から登り始めて約2時間、遂にロイドの示す目的の場所まで到着したのである。
「つ、着いた……か?」
ノアは足場の悪い急斜面を登り切り、倒れるように力尽きた。
到着した場所は少し平らな地面ではあるが、木も全く生えていない殺風景な場所であった。
「ロイド殿下?いったいここには何があるのでしょうか。」
アリシアは周囲に何もないこの場所に来たかった理由が分からず質問するのだが、険しい表情をしたロイドの顔に気が付いて息を呑んだ。
その顔は『あるはずのものが無い』と言っているようで、イラ立ちのような物が見えたからだ。
(本来はここに何があったのだろう………。ロイド殿下はそれをいつ見に来たのだろう。)
疑問は尽きない。
ここには何があった?
他国の皇太子がこのような危険な場所に来たことなどあるのだろうか?
来ているとしたらいつなのか?
聞きたいことは色々あるが、ひとつだけわかることがある。
それは『ロイドの求める物が無かった』ということであった。
ロイドは疲れているであろうが、この場所の至る所を見て何かを探し回っている。
それを横目にアリシアは騎士たちに紅茶を淹れて振る舞っていた。
「ロイドは一体何を探しているんだろうな。」
ノアが紅茶を飲みながらポツリと呟く。
その答えはロイドにしか分からないため、探し物を手伝うこともできないのである。
「ロゴス公爵様はここは鳳凰の棲家だとおっしゃっていたじゃないですか。それと何か関係があるのでしょうか?」
「それに関しては、アリシアが何か思い出さなければわたしが分かるはずはないだろうなぁ。この山に関しては帝国の侵攻を止めたという部分しか文献にも書かれていないんだから。」
そう言われても、アリシアはこの目の前に広がる光景を見ても何一つ思い出すことはなかったのである。
「残念ですが、前世でもこの場所は訪れていないんじゃないかと思います。現に、いつもの様に記憶が蘇る感じが全くしませんから。」
「そうか………だがそれもおかしいんだよなぁ。ここが鳳凰の巣だとするならば、ロイドが探しているものは大聖女関係のものだろう。しかしアリシアには全く身に覚えがないときている。じゃああいつはここで何を探しているんだ?」
結局謎は深まるばかりなのだ。
ロイドは1人で約2時間ほど捜索していたが暗くなってきたので、少し下山してから2泊目の準備に取り掛かる。
今日のメニューはピザだ。
すでにパンの部分は作って重ねて持ってきているため、具材をのせて焼くだけである。
ピザ窯の代わりにブロックで組み上げ、窯の様に熱を逃さない構造を作る。
こういう時に化学の知識と魔法の両方が役に立つのである。
窯に火入れをしてから1時間ほど経つと、かなり熱くなってきていた。
「好きな具材があればどんどんのせていきましょう!」
好きな具材をのせていき、各自オリジナルピザを作って焼くことにする。
腹を空かせた騎士たちは、パンが焼けるか心配になる程山盛りに具材をのせていた。
「あんまりのせすぎるとパンが焼ける前に具材が焦げちゃいますよ〜!」
みんなでわいわいしながら具材をのせて窯に入れていくと、10分ほどでいい感じにクツクツと表面が焼けてきた。
焼く窯の大きさが足りないため、焼けたらその都度どんどんと食べていくスタイルにしている。
冷えてきた身体に熱々のピザが染みるほど美味いのであった。
「ロイド殿下も気を取り直して食事をとりましょう!案外食事中に何かを見つけることもあるかもしれませんよ?」
アリシアとノアに諭される様にピザを作るロイドの顔は、どこかやつれた様にも見える。
見ていてかわいそうな気もするのだが、ここまできて手伝えることもない。
アリシアがやれることは、美味しいピザを振る舞うことだけなのだ。
「……うまい。アリシア嬢は本当にすごいな。こんな山奥でこんなに美味しい夕食にありつけるなんて……」
アリシアは、ふふふと笑いかけ。
「美味しいと笑顔になってくれるだけで頑張った甲斐があるというものです。それに今回は騎士の皆さんも頑張ってくれたのですよ!あの見事な窯を作ってくれたのです。みなさん殿下を心配して元気にしたいと頑張ってくれたのですよ。」
アリシアが指差すミスト王国騎士団のメンバーを見ると、恥ずかしそうにしている。
ロイドはその優しさに感謝しながらピザを頬張るのであった。
次の日の早朝で辺りがうっすらと明るくなり始めた頃にそれは急に訪れた。
初めにドスンドスン、という地響きが近づいてきていることに気がついて起きたのである。
「伝令!斜面向かって左より、巨大な亀がこちらに向かってやってきています。」
巨大な亀!?っとあわててテントから出て確認すると、体育館ほどの大きさの甲羅を背負ったリクガメがこちらに向かって歩いてきているのが見えたのだ。
「………あれってただの通りすがりだったりするのかしら?それとも私たちを襲ったりするのかしら?」
あのサイズでは、騎士団のメンバーが持つ剣で傷をつけられる保証はない。
もちろんアリシアの持つレイピア同じだろう。折られるのが目に見えている。
「襲ってくるかは分かりませんが、こちらに向かってきていることは間違いありません。スピードは今のところ遅いですが、一歩が大きいため、後10分ほどでここまで到達すると思われます。」
「グッ、まずいわね。両殿下を急いで起こして!ノア殿下に確認を取った後安全な場所まで撤退します!」
いつのまにか騎士団をまとめる役になってしまっていたが、本来はノアが指揮役であり団長だ。
アリシアは副団長的ポジションでしかないので、ノアへの確認は必要不可欠なのである。
全員が着の身着のままで急いで坂を登って亀と距離を取る。
「なんなんだあのデカい亀は!?この山の主と言われても驚かないぞ。」
ノアは目の前の亀の大きさに驚きを隠せないでいた。
するとロイドが今までに聞いたことがないほどの声をあげたのだ。
「見つけた!見つけたぞ!!ヤツの背中の上に。」
亀の背中には樹齢で何年なのか分からないほどの大きな木が一本だけ生えていたのだ。
「あの木を探していたのですか?……って危険ですよ!戻ってきてください!」
アリシアがロイドに話しかけたときには、すでに坂を駆け降りて亀に向かって行くのが見えた。
「クッソ、あのバカ!ロイド殿下をフォローする。亀の注意を引け!」
ノアが騎士団にそう命令するが、あの大きさの亀の注意をどう引けば良いのだろうか?っと狼狽えてしまう。
「まずは大きな声で気付いてもらいましょう!それと亀も生き物ですし、持ってきた火のスクロールを盾にして足止めする人も作りましょう。」
アリシアの指示で騎士団のメンバーは急いで散開して役割に就く。
ノアとアリシアはロイドを追いかける様に亀に突撃していった。
「亀の甲羅の上って言っていたので、このままではあの高さまで登れません。騎士団があの谷まで誘導できれば登れると思います。」
アリシアが指を刺す方向には急な谷があり、丁度亀の進行方向でもある。
少しでも注意を引くことができれば谷の方に降りていってくれそうなのであった。
「ロイドはどこにいった?まさか踏まれたりしていないよな?」
自業自得とはいえ、一国の皇太子がここで死んだとあれば、戦争に発展する可能性もある。
「ノア殿下!あのテントの上を見てください!ロイド殿下が見えます!」
中央のテントの上にロイドが見える。
あの高さから飛び移ろうと考えているのだろう。
だが甲羅までまだ5メートルほど届かない。
しかも下手をすれば潰されてしまう可能性もある。
「アイツはどこまで一直線なんだよ!絶対説明してもらうからな!」
ノアは亀の甲羅の上から魔法で水を出す。
ミスト王国の王族は、水の女神に好かれていると言われ、水魔法が得意なのである。
対してジルコニウム帝国の皇族は皆氷雪系魔法が得意なのだ。
ロイドはノアが出した滝の様に流れてくる水を利用して甲羅までの氷の階段を作ったのだった。
まるで示し合わせたかの様な連携にアリシアや他の騎士たちは驚いたが、谷にあの亀を誘導する任務を完遂しなければ甲羅の上に辿り着けない。
「アリシア様、火のスクロールを利用しているのですが、そのサイズが小さすぎて亀に気が付かれません!」
「なら何かを燃やして煙で気づかせるのよ!湿った木とか葉っぱをたくさん燃やして!」
指示通り騎士たちが燃やすと白い煙がモコモコと上がり、嫌がった亀が谷の方へと降りていったのであった。
「騎士の半分は亀の甲羅に飛び移るぞ!わたしに続け!アリシアは降りるときに下から援護できるよ、残り半分の騎士達と共に待機していてくれ。」
「分かった。気をつけて。」
ノアは颯爽と甲羅のふちに飛び移る。
動いているためかなり危険な状態だが、さすがはミスト王国の騎士団である。
次々と飛び移っていった。
「殿下達が落下しないように、亀の足止めをしましょう!スクロールでどんどん燃やすわよ!」
残ったアリシア達は、亀がこれ以上谷の下に降りて行かないように誘導をするのであった。