第210話 バカになれ!異世界将棋竜王戦(第一部)
異世界219日め、おれはいつものように王国議会から事務所に戻ってくると、三軒隣にある衣料品店のご隠居さんが玄関ドアを開けて顔を出してきた。
ご隠居「毎度。ガーラちゃんはいるかい?」
ミキオ「えっ、魔人ガーラに御用ですか?」
ガーラ目当ての客人なんて初めて聞いた。このご老人が古代文明のスーパーロボットに何の用があるというのだろう。
ご隠居「おっ今日は珍しく侯爵さんもいるね。議会の帰りかい?」
ご存知の通りおれは王国議会議員にして侯爵というなかなかに高位の貴族なわけだが、近所の人はまったく気にせず皆その辺のあんちゃんかのようにフランクに接してくる。これがガターニアの気風だとも言えるが、まあ親しまれているのだろうし実際単なる若造だから別にどうとも思わない。
ミキオ「はあ。いま予算審議で紛糾してまして」
ご隠居「いやご苦労さん。アタシャいま道場で将棋指してたんだがね、ヘボいのばっかで嫌んなっちゃってさ。ガーラちゃんは強いからちょっと貸してもらおうかと思ってね」
ミキオ「ガーラが将棋…えっ将棋?」
ガーラ「おれならここにいるぞ」
おれがご隠居と喋っていると奥からガーラが顔を出した。
ご隠居「おっいた! 悪いねガーラちゃん、隣町の強いやつが来てんだよ、今日もひと勝負頼むよ」
ガーラ「ミキオ、ちょっと出てくるぞ」
ミキオ「ああ、それは構わないが…」
ガンメタルの装甲に包まれた2m半の巨体を揺らし、ずしずしと歩いていくガーラ。
ミキオ「あいつ将棋なんてやるのか? というか、ガターニアにも将棋なんて文化があったのか…」
ザザ「てめー、隙あらば異世界マウント取ってくんじゃねーぞ。将棋くれえこっちにもあるっつーの!」
別にマウンティングしてるわけじゃないのだが、どうもこのギャルエルフの事務員ザザはガターニアと日本との文化比較について過敏気味だ。
ペギー「こっちの将棋は盤の上に駒を並べてその駒を取ったり張ったりするのです。プロの棋士とかもいて名人戦とかやったりしてるのです」
ヒッシー「へー、だいたい日本のと同じなんだニャ」
新人所員のペギーがそう言い副所長のヒッシーが頷く。なるほど結構ちゃんと根付いてる文化なのだな。
ミキオ「まあ確かにガーラは古代文明が生み出したスーパーロボットだから将棋くらいはお手の物だとは思うが…あいつが近所のお年寄りに混じって将棋をやるとはな」
永瀬「最近、ちょくちょく行ってるみたいですよ」
ミキオ「そうなのか、ふーん…永瀬、次の予定まで何分空いてる?」
永瀬「30分ほどでしょうか」
ミキオ「じゃちょっとおれも将棋道場に顔出してくる。おれは子供の頃は将棋少年だったんだ」
おれは青のアンチサモンカードを使って近所の将棋道場に転移した。お年寄りが集まって楽しく将棋を指してるのかと思っていたが、予想に反してそこは異様な熱気に包まれていた。ガーラは巨大な体を折り曲げて座っており、対面には白髪頭の爺さんが盤面を睨みつけている。それを10人ほどの爺さんたちが取り囲んで一様に眺めている格好だ。
ミキオ「おお、ガーラ。やってるな。いや実はおれは子供の頃は居飛車のミキちゃんと呼ばれていて…」
ガーラ「ミキオ、勝負の最中だ。静かに」
ミキオ「す、すまん」
すごい緊張感だ。みな固唾を飲んで盤面を見守っている。一体どうなってるんだ。おれが困惑しているとさっきのご隠居さんが話しかけてくれた。
ご隠居「よう侯爵さん、来たね」
ミキオ「いやこれは…思ったよりガチですね」
ご隠居「そらそうよ、真剣勝負なんだから。ほら、あっこの[毒蛇]が玉に効いてるだろ、もう詰むよ」
ご隠居が盤面を指差してそう解説してくれたがそう言われてもさっぱりわからない。そもそも駒数が日本の将棋と較べて倍ほどもあるし、駒の形状は正立方体のキューブで表面だけでなく全面に何か文字が書かれている。これは日本の将棋とは大いに違うぞ…おれが盤面を注視しているとガーラの対面にいる爺さんが白髪頭を下げた。
対局者「ありません。参りました」
おおーと唸るギャラリーたち。つまりこれで王手詰みというわけか。ガーラも呼吸器官なんか無いくせにふうっと安堵の息をもらす真似をした。
ガーラ「危なかったがどうにかしのいだ。特に中盤の[蝙蝠野郎]が右から入ってくる一手は見事だったな。手持ちの[反面教師]が無かったらこっちが詰んでいた」
駒の名前が独特だな。どんな動きをするんだ。
対局者「いや魔人さんには恐れ入りました。私も地元じゃ一応アマチュア四段と言われてるんですが、さすがの一言ですな」
何がなんだかわからないが、アマチュア四段は日本で言えば町の最強クラスだ。つまりガーラはそれを上回る実力者と言うことか。なかなか面白そうで昔の血が騒ぐ。おれは小学生の頃は将棋部のやつと戦っても負けたことがなく、顧問の教師にプロ棋士にならないかと声をかけられたこともあるのだ。
ミキオ「ちょっとおれもやってみたい。ガーラ、勝負しよう」
ガーラ「ミキオ、軽々しく言うんじゃない。だいいち君はルールを知らないだろう」
ノリで言ったがあっさりと断られた。なんだこいつ。うちの事務所の書生のくせに。将棋盤の前に座ってると妙に偉そうに見えるじゃないか。
ご隠居「侯爵さん! ガーラちゃんはもうこの道場の大物なんだから気軽に勝負なんて言っちゃダメだよ。初めてなんだろ? アタシが相手したげるよ。ほらここ座んな」
ミキオ「はぁ」
衣料品店のご隠居がそう言うのでおれは彼の対面に座った。並べ方もわからないが対面のご隠居の駒を見ながら並べる。駒がやたら多いし、動かし方もわからない駒ばかりで頭がクラクラする。金将・銀将まではいいとして[銅将][残念将][努力将]まである。この王将の横にいる[愛人]てのはどう動かせばいいんだ。
ミキオ「あの、駒の動かし方を書いた一覧表みたいなのがあれば」
ご隠居「ほれ。読みながらでいいよ。ゆっくりやんな」
ご隠居がそう言いながら出してきた手引には駒の動かし方がびっしり書いてある。何せ駒が23種類もあり、日本の将棋と共通するのは[王将][金将][銀将]と[歩兵]だけ。その歩兵も[歩兵(強)]と[歩兵(弱)]の2種類があるという具合だ。しかもその駒が敵陣に入ると“成る”ことができ、駒が正立方体なので6種類の役割に変化することになる。よくこんな面倒くさいのをこのじい様たちがやってるな…。
ご隠居「侯爵さんは転生者だそうだけど、もとの世界でも将棋やってたのかい?」
ミキオ「は、一応。こっちとはルールがだいぶ違いますが」
ご隠居「そーかいそーかい、ほんじゃ先手あげるよ。やりながら覚えるつもりで気軽におやり」
ミキオ「はあ」
何がなんだかわからないがおれが先手ということで、とりあえず[歩兵(弱)]を動かし、角行にあたる[狂戦士]という駒の道を開けた。
ご隠居「ほう、いっぱしなことやるじゃないの」
ミキオ「どうも」
将棋のルーツは古代インドの「チャトランガ」である。これが洋の東西に渡って中国では「象棋」、西欧ではチェスになったという。日本では平安時代頃に伝来し、鎌倉時代には縦横15マスの「大将棋」として普及していたと言われる。それに対して「中将棋」と呼ばれる現在の将棋は9マスだからだいぶ簡略化された感じだ。このガターニア将棋は縦横19マス、大将棋よりさらに複雑で覚えるのも大変なのでこんな手引があるのだろう。横で勝負しているじい様たちを見ると長年やってる筈の彼らも時おり手引を見ながらやっておりいかにルールが複雑かわかる。しかし休憩時間は30分しか無いからな、早めに終わらせねば。
ご隠居「なかなかやるね…」
駒を進めて行くうちにまあまあわかってきた。これは本質的には日本の将棋と変わらないぞ。ただひたすら駒が多くて複雑だというだけで。面倒くさいが手引を見ながらならなんとなくできる。勝負が中盤に差し掛かってくるとおれと対局しているご隠居の口数が少なくなってきた。この頃からギャラリーも増え、威張っていた魔人ガーラなども腕を組みながら真剣な眼差しで眺めている。
老人A「やるじゃねえかあの若いの。ほんとに初心者なのかい」
老人B「そう言ってたぜ。ご隠居だって弱かぁねえんだがな」
トーゴロ「ふん…まだまだなっちゃいねぇが…」
ギャラリーの中の片目に傷を付けた見知らぬ爺さんが顎髭をさすりながら唸っている。誰だこいつ。なっちゃいねぇって、当たり前だろ。今日はじめて指したんだから。
ミキオ「えーと、これで王手かな」
ぱちり。おれが駒を置くとギャラリーから低く感嘆の声が上がった。
ギャラリー「おおお」
ご隠居「うーん…参ったね、詰んでいやがる。侯爵さん、アタシの負けだ、ありませんや」
老人C「本当に詰んでんのかい?」
老人D「違えねえ」
老人A「すげえな、兄さん! 本当に初めてなのか?」
ミキオ「いや、まあ、ご隠居が手加減してくれたんでしょう」
ガーラ「うううむ…」
横で見ていたガーラが唸っている。こっちはたまたま勝っただけなのだが、彼の闘争心に火をつけてしまったようだ。考えてみればこいつはそもそも地上最強の魔導士となるべく産み出されたロボットであり、おれに敗れてからは鳴りを潜めていたが、何事にも強さにこだわる性格なのだ。
トーゴロ「おい、若ぇの。おめえ名前なんてんだ」
片目に傷の爺さんが声をかけてきた。顔もそうだが声も渋い。初代の次元大介みたいな声だ。
ミキオ「ツジムラですが」
ご隠居「よしなよトーゴロさん、この人ァこう見えてお貴族様なんだよ」
トーゴロ「へっ、貴族なんかにしとくのは勿体ねェ才能だな。どうだツジムラ、おめえ俺の弟子になんねえか。月謝はいらねぇぜ」
ミキオ「弟子って…将棋のってことですか? いやおれはそこまで熱心にやりたいわけじゃ」
ガーラ「ミキオ、彼はトーゴロ・ウンメと言い、かつてはプロ棋士だった男だ」
プロ棋士、そうなのか。こんな町の将棋道場に元プロ棋士がいるなんて…確かにこの眼力は棋士と言われても頷ける迫力だ。
ガーラ「君は彼の弟子になれ。そして特訓を受けて今週末に開催される将棋大会に出ておれと戦え」
ミキオ「おい、勝手に決めるな」
ガーラ「おれはそれまで山ごもりして将棋修行する。では大会で会おう」
ミキオ「おっおい!」
おれの制止など聞かずガーラは飛行形態に変形し飛んで行った。大会ってなんだ、そんなものがあるのか。
トーゴロ「やっこさん、眼が燃えていやがったな。おめぇはどうする? ライバルに火をつけておいて逃げ出すって手はねぇだろ」
ミキオ「いや別にライバルでは」
おれがトーゴロ老人にそう応えた時、眼を真ん丸に見開いた爺さんが将棋道場の扉を空けて飛び込んできた。
老人F「てってえへんだ! 竜王がこっちに来てるぞ!」
老人A「竜王…」
ご隠居「お出でなすったか」
竜王とは。おれもこの世界でエンシャントドラゴンや大巨竜と戦ってきたがついに竜王のお出ましか。竜の王だから強敵なのだろうがおれも成長している。恐れることなどない。
ミキオ「ご老人がた、下がっていてくれ」
おれはマジックボックスから万物分断剣を取り出し戦闘態勢に入った。
ご隠居「侯爵さん、何やってんの! 剣なんか片付けてこっち来な!」
ミキオ「え、いや、でも竜王が」
将棋道場の扉が開き、入ってきたのは巨大なドラゴンの王…ではなく髪型をピシッと七三に分けた男だった。中肉中背の色白ででやや下ぶくれ。おそらく年齢はおれと同年代だがなかなかの貫禄だ。道場の席亭が真っ先に歩き寄って揉み手しながら彼を出迎えた。
席亭「いやー竜王、こんなむさ苦しい所へようこそ」
竜王「ああ気にしないでください。これも棋士の仕事のうちですから」
ミキオ「なんだ、竜王って将棋のタイトルの竜王か…」
ご隠居「そりゃそうだよ。何だと思ったの? 竜王は将棋界の最高位、頂点なんだよ。将棋界の発展のためにたまに顔出してくださるんだ」
おれがご隠居と話していると竜王が気付いたらしく、にこやかに語りかけてきた。
竜王「おや、お若い人が道場にいるとは珍しい。はじめまして、第48代竜王のキーク・カキノモットです」
ミキオ「どうも」
竜王「良かったら今週末の竜王杯に出てくださいよ。これはアマチュアでも参加できて、決勝戦では私と対局できるんです。もしそこで私に勝てたら竜王のタイトルは差し上げますよ。まあ最近の私は調子がいいんで、やすやすとは取れないと思いますけどね」
ミキオ「はあ」
初対面なのに結構グイグイくるな竜王。自分の話ばっかりして気持ちの悪い人だ。竜王杯というのはさっきガーラが言ってた将棋大会のことかな。いずれにしてもおれに関係ない人なので適当に返事しておいたが、横にいたトーゴロ老人が凄い迫力で話に入ってきた。
トーゴロ「肩で風切って歩いてるじゃねえか、キーク」
竜王「おやトーゴロさん。まだ生きてらっしゃるんですね」
トーゴロ「おめぇさんに一矢報いるまでは死んでも死にきれねえからな」
火花を散らし合う竜王とトーゴロ老人。なんだなんだ、どういう関係性だこの二人。
ご隠居「トーゴロさんはタイトル戦であん人に七連敗して引退を決意したのさ」
ミキオ「へぇ…」
これも興味ない話なので適当に相槌を打っておいた。
トーゴロ「キークよ、せっかくだから一局指していきな。このツジムラはなかなかだぜ」
竜王「おや。トーゴロさんの秘蔵っ子ってわけですか。いいでしょう。指導対局といきましょう」
ミキオ「いや、このご老人とは今日会ったばかりだし、おれはもう時間がないので」
竜王「ははは。時間の心配なんかいりませんよ。私相手に3分もったら大したものです」
こいつも人の話を聞かないな。なんでおれがあんたと将棋をしたがってるのが前提みたいになってるんだ。結構だと言い切ってさっさと帰りたいところだが周囲のじい様たちの同調圧力がうざい。竜王とタダで対局できるなんて果報者だねえという眼で見てきている。これは逃げられないな…。
ミキオ「じゃ、まあ…」
やりたくもないがやるしかない。おれは竜王の対面に座り対局の態勢に入った。ギャラリーのじい様たちの唾を飲む音が聞こえる。張り詰める空気。不敵に笑う竜王。勝敗はいかに。そしてガーラはどこへ行ったのか。次回、異世界将棋編第二部へ続く。