第207話 異世界ミステリー・遺産相続レース殺人事件(前編)
異世界217日め、おれと新人事務員ペギー、それにうちの事務所に居候しているマグナ・フォッサーは召喚の依頼を受けてザド島国近海にある孤島フタッガム島に来ていた。この島は断崖絶壁に囲まれているが大陸側だけは浅瀬の浜辺になっている。風光明媚で気候も温暖湿潤、素晴らしい景勝地だ。
マグナ「わぁ、なんて綺麗な海…!」
ペギー「こんな島をいち個人が所有してるなんてスゴイのです!」
このフタッガム島は海商と呼ばれた大富豪プラーカ・ウァン氏が所有する島であり、ウァン家の屋敷と納屋以外に人家は無く、地主とその使用人以外は誰も住んでいない。今日のおれたちはその大富豪プラーカ氏に招かれて来ているのだ。本来なら秘書の永瀬に同行してもらうのだが、今日は有給休暇ということで彼女は多摩市の実家に帰っているため手の空いていた新人研修中のドジっ子エルフ・ペギーと、暇そうにしていたゴーストハンターのマグナ君に秘書代理として帯同して貰った。
マグナ「ね、ミキオ先生、商談終わったら水遊びしていいですか?」
そう屈託なく笑うマグナ君はおれの感覚がおかしくなるほど美しい。元から女子と見紛うばかりの美少年だが、このきらめく陽光の下でさらに輝きを増している。おれがほんの数秒、絵になるなあと見惚れていると横からペギーが軽蔑するようなジト目で睨んできた。
ペギー「ミキオ先生、マグナ君に見惚れていてはいけないのです!」
ミキオ「いやっ、そんなことは無いぞ」
真面目な顔で言われたのでおれは焦って否定した。ペギーも入社した当初は田舎のドジっ子という感じだったが、ザザと永瀬のお局コンビに感化されて今やすっかり口うるさくなってしまった。おれたちが屋敷に向かうと口ひげを蓄えた初老の男性が迎えてくれた。
執事「ツジムラ侯爵様とその秘書のお二人でいらっしゃいますね。私は当家の執事レクスンと申します。皆様お待ちですので、どうぞ中へ」
執事のレクスン氏はおそらく60代、シルバーヘアの実直そうないかにも執事といった男性だ。
ペギー「皆様?」
マグナ「依頼主の家族じゃないんですか」
ミキオ「いや、プラーカ・ウァン氏は生涯独身と聞いたがな。この島で少数の使用人とだけで住み、鳩で仕事の指示を出しているとのことだが」
よくわからないままおれたちが屋敷に入り回廊を通って中に入るとそこは大きなダイニングホールとなっていた。壁一面にモノトーンで描かれた幾何学模様が幻想的な雰囲気を醸し出している。広間のあちこちに飾られた藍色の花はカモミールのような甘くフルーティーな香りだ。壁にかけられた銀色の剣や斧などの調度品も豪勢でなるほど大富豪の屋敷であることがよくわかる。若い男女が数人いるようだが、これがその皆様ということなのか? どうもこの中にはプラーカ・ウァン氏らしき人物は見当たらないな。
執事「皆様、ご紹介致します。中央大陸連合王国の王都フルマティからおいで頂きましたツジムラ侯爵様とその秘書お二人です」
ビルボ「実業家のビルボ・ド・プレイスだ」
ビルボはおれと同年代、身なりのきちんとした眼光鋭い男だ。体格もよく声も大きいので威圧感がある。
ラブラ「舞踏家のラブラ・バンダーよ」
ピア「音楽家のピア・バンダー。わたしたち姉妹なの」
ラブラとピアは姉妹とのことでなるほど似ている。姉は真紅のワンピース、妹はマリンブルーのパンツスーツを着ており二人とも派手な出で立ちだ。
ネクスタ「私はネクスタ・ニズイッチ。魔法学者です」
ネクスタは長身で丸眼鏡の女性。なるほど学者らしく身だしなみにあまり構わない人のようだ。
ディッキー「ディッキー・ヨンマリッチ。プロアスリートだ」
ディッキーは細マッチョ、頬のこけた目つきの悪い男だ。何が気に食わないのか常にイライラしているように見える。
メディアヒップ「オイラはメディアヒップ。みんな知ってると思うけど登録者数100万人超えの魔法配信者だよ。オッケーブラザー! ヒュー!」
メディアヒップはピンク色の髪にサングラスの派手な男だ。魔法配信とは水晶球を使って見る動画のことで、大手の魔法送局もあるが個人の配信者もいる。地球で言えばユーチューバーということになるのだろう。彼はおれでも名前を知っているほどの有名配信者だ。
ミキオ「どうも話が見えないな。おれは仕事の打ち合わせのためにこの島に来たのだが…」
ラブラ「私たちもよ。まさか7人もいるとは思わなかったけど」
執事「申し訳ございません、本日皆様をここにお招きしたのはビジネスの話ではありません」
ミキオ「ではなぜ」
ビルボ「ちょっと待て。執事風情の話を聞いても仕方ない。プラーカ・ウァン氏はどこにいるんだ!」
ピア「そうよ、アナタじゃ話にならないわ。プラーカ氏を出しなさいよ!」
執事さんを問い詰める実業家と舞踏家。執事風情とは言葉が過ぎると思うが、二人ともなかなかにキツい性格のようだ。
執事「よくお聞きください。当ウァン家当主にしてウァン商会会頭プラーカ・ウァン様は一昨日亡くなられました」
ビルボ「え?!」
ディッキー「し、死んだのか?!」
なんということだ。おれたちはその大富豪プラーカ・ウァンに呼ばれてこの島に来たというのに既に亡くなっていたとは。
執事「左様でございます。しかしプラーカ様は生前に御遺言なされたのです。自身の死を隠した上で、各分野で将来を嘱望される若者を7人集めよと」
ピア「将来を嘱望される若者…」
メディアヒップ「つまりこの7人ってことだね」
なるほど、おれ自身はどうか知らないが確かにここにいる6人は様々な分野で頭角を現しつつある若者ばかりのようだ。
執事「仰る通り。本日お集まり頂いた皆様はプラーカ様が生前に選ばれた相続人候補でございます。この候補者を検分し、プラーカ・ウァン名義の莫大な遺産をそのうちひとりに託すこと。これがプラーカ・ウァン様の御遺言にございます」
一斉にざわつく皆。つまりこの爺さんはおれたちに遺産争いをやれと言っているのだ。それもこのガターニアでも有数の大富豪の遺産を。
ペギー「せ、先生、これはえらいことなのです!」
マグナ「噂に聞いたことがありますよ、プラーカ・ウァン氏の総資産は50兆ジェンを超えると」
50兆ジェンは日本円にして25兆円ほどだ。Amazon創始者で取締役会長ジェフ・ベゾスの総資産が2200億ドルほどらしいのでだいたい同じくらいの資産と言える。
ビルボ「ふ、面白い」
ディッキー「いいじゃねえか、アドレナリンが湧き出てきたぜ!」
ラブラ「やりたいことがなんでもできるわ!」
ミキオ「バカバカしい、おれは降りる」
ペギー「せ、先生ぇ!?」
ミキオ「別にカネには困っていないし、莫大な遺産なんてものにも興味はない。何より頼んでもいないのに勝手に知らない他人と遺産争いさせられるだなんてまっぴら御免だ。君ら6人で勝手に争ってくれ」
ペギー「と、とは言っても国ひとつ買えるくらいの遺産なのですよ?!」
ミキオ「おれには無用だ。帰るぞ」
莫大な資産なんてものに興味がないのも確かだが、身にそぐわぬ大金を持ったせいで人生を棒に振った例なんて枚挙に遑がない。分不相応なカネは人を狂わせるのだ。
マグナ「じゃあミキオ先生の代わりにこのマグナ・フォッサーが立候補します。見た目もいいし、将来を嘱望されているという点では皆さんに劣ってはいないと思いますが」
マグナ君の大胆な自己アピールに、他の参加者たちはあからさまに嫌そうな顔をしていた。彼らからしたらせっかく減った相続人候補がまた増えようとしているわけで、嫌がるのも当然だろう。
ラブラ「はぁ? 誰よアンタ」
ディッキー「立場をわきまえろや、小僧!」
執事「あなたはツジムラ侯爵様の秘書さんではないのですか?」
マグナ「今はミキオ先生のところに居候していますが、南方大陸ではまあまあ名の知られたゴーストハンターです。問題ないでしょ?」
執事「なるほど。ツジムラ侯爵様のご意見は?」
ミキオ「マグナ君がやりたいならやればいい。確かに彼は若いが優秀だ。いずれはひとかどの人物になるだろう。なんならおれが後見人になってもいい」
ビルボ「そんなバカな! この7人はプラーカ老人に指名されているが、その少年は…」
このビルボという実業家は相当に我の強い男のようだ。強い剣幕で抗議していたがマグナ君の美しい瞳に上目遣いで見つめられ明らかに動揺していた。
ビルボ「そ、その少年…いや少女? よくわからないがいくら美形だからって勝手に立候補されても困る!」
執事「まあツジムラ侯爵様が後見なさるのなら結構でしょう。ではマグナ様とおっしゃいましたか、貴方を候補者として認めましょう」
ラブラ「そんな…! プラーカ・ウァン氏の承諾も無しに候補者を入れ替えるなんて!」
マグナ「まあまあお姉さん、どうせ僕なんて選ばれませんから」
ラブラ「こ、こっちを見ないで!」
マグナ君のキラキラした瞳で見つめられ、ラブラ女史は思わず視線を泳がせた。やはり彼のルックスはなかなかの攻撃力がある。
ディッキー「まあそいつはもういい。それで、どういう方法でこの中から相続人を選び出すんだ」
執事「皆様には明日の朝までこちらのホールで普通に生活して頂きまして、その暮らしぶりを見て不肖わたくしが判断いたします」
ピア「とんでもないことになったわね…」
ネクスタ「緊張するわ。プラーカ・ウァンの遺産だなんて、手の震えが止まらない…」
ミキオ「おれはもう帰っていいか」
マグナ「ダメですよ! 先生は僕の後見人なんだから。どうせもう帰っても終業時間でしょ、泊まってってください」
ミキオ「えー…」
みな遺産争いでピリピリしてる上に集まった候補者はどいつもこいつも性格が悪い。めちゃめちゃ帰りたかったがマグナ君の後見人をやると言ってしまった以上仕方がない。気持ちを切り替えていこう。
ビルボ「なあ執事さん、相続人には俺を指名してくれ。10年でウァン商会の規模を3倍にしてみせる。俺は負けない。自信があるから」
執事が淹れてくれたレモンバームティーを飲みながら実業家ビルボが売り込んできた。聞かれる前に自分から言うタイプか。
ラブラ「ふ、お金は使ってこそ活きるものよ。私が相続人になったら芸術文化振興に生涯を捧げるわ。このガターニア全土に美大を設立して美しい文化の華を咲かせてみせる!」
ピア「私も姉さんと大体同じだけど私なら小さい都市国家を作ってそこで美と芸術文化を独占し、少数で発展させていくわ。大衆に真の美なんてわかりっこないもの」
メディアヒップ「ウェイウェイ! それ傲慢じゃね? オイラはそーだな、全世界で超豪華なパーティーをやって一晩で10兆ジェンを使い切るってのどう? その動画をリアルタイム配信して伝説を残すよ! いいべ?」
ネクスタ「バカバカしくて聞いていられませんね。私が相続人になったら世界中に私の名を冠した研究所を設立して魔法学研究の知的拠点とし、人類社会の発展に貢献します。私を馬鹿にした俗人どもを見返してやるのよ!」
ディッキー「へ、しょうもねえ。俺が相続したらザドの未開地に俺の王国を作るぜ。腕におぼえのある野郎と美女を集めて千年続く独裁国家を築く。文化や技術は武力で他国から奪えばいいんだ」
執事「なるほど。で、マグナ・フォッサー様は当家の莫大な遺産、どうなさるおつもりですか?」
マグナ「僕は孤児で、養父母に預けられるまでは孤児院で育ちましたので全国の孤児や貧困家庭のために一切の政治組織から独立し救済事業を行なう財団を起こしたいですね。僕自身は本業で充分食べていけるのでお金は貰わなくて結構です」
素晴らしい回答だ。まだ若いのに大金を持つということの魔性をよくわかっている。彼はやはりおれの見込んだだけのことはあるようだな。
ディッキー「けっ」
ビルボ「子供は好きなことが言えていい」
執事「皆様の展望は伺いました。ではこのあとディナーをご用意いたします。半刻(=1時間)後、こちらのホールに準備致しますのでそれまで個室でおくつろぎ下さい。部屋のドアには皆様のお名前が書かれた札が貼ってあります」
執事のレクスン氏にそう促され、おれたちは各自の部屋に入った。部屋は中から鍵がかけられるようになっている。我々は3人ということで特別に大きな部屋にしてもらったが、言うまでもなく豪勢で高級ホテルのような部屋だ。入るなりマグナ君が切り出してきた。
マグナ「将来有望な7人を集めたとのことですが、だいぶロクでもないのも混じってますね」
ミキオ「そうだな。あれが大富豪プラーカ・ウァンが自らの遺産の相続人候補として世界中から選出した6人だとは思えない。しかも気づいたか? あの6人の中で絶対に目を合わせないペアが何組かある」
ペギー「ど、どういうことなのですか?」
ミキオ「わからないが、おれも含め能力や将来性だけでチョイスされた7人と言うわけではなさそうだな。君たちは夕食の時間までこの部屋でゆっくりしていてくれ。おれはちょっと島を散歩してくる」
そう言っておれは屋敷を出た。起伏がなく小さな島なのですぐ一周できてしまう。納屋の裏にいくつかの墓が並んでいるが墓碑銘が無い。ペットのにしてはちゃんとした墓だが、どうも金持ちのやることはわからないな。
時間となったので皆がダイニングホールに移動すると、なるほど豪勢な食事が用意されていた。材料もレアだが調理法も手が込んだものばかりだ。レクスン執事によって食前酒が末席のペギーから注がれていく。皆が席につくが、ひとつ空席がある。
執事「…おや、お一人まだいらっしゃいませんね」
ビルボ「メディアヒップだ。あいつ時間にルーズだからな」
実業家のビルボが嫌そうにそう呟く。言い方からして彼はメディアヒップの知人なのだろうか。
執事「私が声をかけて参ります」
そう言って執事レクスン氏がメディアヒップの個室に行ったが、どうも帰りが遅い。おれとしては早く目の前の料理に手を付けたいのだが、マナーとしてそうもいかない。周りもややざわついてきた頃にレクスン執事が戻ってきた。
執事「すみません、メディアヒップ様のドアをノックして声をかけたのですが反応がございません。寝入ってしまわれているのかも」
ビルボ「何だと? ふざけた男だな、このディナーだって遺産相続レースの重要な審査のひとつだろうに」
ディッキー「やつのせいで審査が止まっちゃあたまらねえ。俺が起こしてきてやる」
執事「ディッキー様、あまり手荒なことは…」
ディッキー「うるせえ!」
ディッキーはメディアヒップの個室の方につかつかと歩いて行く。
ディッキー「おい、配信者! お前のせいで俺たち迷惑してるだろうが! さっさと出てこい!」
彼はだんだんとドアを叩き声を荒げるが、メディアヒップは音も出さない様子だ。
ディッキー「ダメだ、反応がねえ」
ビルボ「いくら何でもおかしいだろう。執事さん、合鍵は」
執事「ございません、何せ古い屋敷ですので…」
ラブラ「ツジムラ侯爵、あなた最上級召喚士なんでしょ、召喚魔法で呼び出せるんじゃないの」
ミキオ「ああ」
おれは赤のサモンカードを取り出したが、妙にカードが重く反応が悪い。まるで何者かに魔力を封じられているようだ。
ミキオ「何だこれは…魔力が励起しない。そんな馬鹿な…執事さん、この屋敷には魔力制御の機械でも置いてあるのか」
執事「いえ、決してそのような…」
ディッキー「どけ、ドアを壊す」
ディッキーがリビングに飾られていたハンドアックスを持ってきて、ドアを破壊し始めた。分厚くて丈夫そうなドアだったがものの数回振り下ろしただけでドアノブ周辺は破壊された。このディッキーという男、プロアスリートというだけあってなかなかの腕力だな。ドアを開いておれたちの視界に入ってきたのは信じがたい光景だった。
ラブラ「きゃあ!!」
ビルボ「こ、殺されてるのか…?」
そこには頸動脈を何か鋭利な刃物でひと突きにされ横向きに倒れているメディアヒップの姿があった。流れて床に溜まっている血の量からして明確に死亡しているのがわかる。
ペギー「は、わ、わ、わ、わ?!」
ネクスタ「ダメね、息をして無いわ」
ディッキー「そんなバカな! 部屋には鍵がかかっていたし、窓の外は断崖絶壁なんだぞ?!」
ラブラ「つまり、密室殺人…!」
執事「なんてことに…!」
恐ろしいことになった。遺産相続レースのさなかに遂に犠牲者が出てしまった。しかも密室殺人事件だ。犯人は何者なのか。そしてプラーカ・ウァンの遺産は誰が相続するのか。次回、おれの予想を超える驚愕の展開が待ち受けていた。