第199話 怨霊戦記【第一章・三枚の預言書】
異世界212日め。連合王国は春を迎えた。と言ってもこの大陸には日本のようにはっきりとした四季の区別はなく、年中温暖でたまに雨が降る程度なので平均気温22℃〜24℃ほどの「やや涼しい冬」と同32℃〜34℃の「まあまあ暑い夏」があり、その中間を春、秋と呼んでいるだけだ。やや涼しい冬が終わり春となり今日も朝から仕事の予定が詰まっている。
ミキオ「おはよう」
永瀬「おはようございます」
ヒッシー「おはようだニャ」
ザザ「うぃーす」
ガーラ「おはよう」
秘書の永瀬、副所長のヒッシー、事務員のザザ、書生の魔人ガーラが挨拶してくれたが、新人のペギーがいない。彼女はこの事務所の2階に居候しているので普段は誰よりも早く出勤しているのだが…と思っていると足音がどたどたと鳴り響きペギーが階段から降りてきた。
ペギー「おっおお、おはようございますなのです!!」
ミキオ「騒がしいな。まだ始業前だから大丈夫だ」
ペギー「焦って走ってきたのは遅刻しそうだからではないのです! ミキオ先生、これを見て欲しいのです!」
ミキオ「何だこれは」
ペギー「わたしが昨夜、寝ながら書いたものらしいのです! 自動書記です!」
自動書記とは、オカルト用語で、トランス状態の者が無意識にペンを動かし筆記する現象のことだ。日本では「お筆先」と呼ばれており、有名な新興宗教の教祖もこれを行ない教典としていた。もちろんおれは東大理工学部を卒業している唯物論者なのでオカルトなんて一切信じてはいないが。
ミキオ「いや、朝からいきなりそんな物を見せられても…」
ペギー「わたしはこう見えても世紀の大預言者フノリー・ソーヴァの曽孫で後継者、そのわたしが自動書記でこんなものを書いたからには預言の書としか思えないのです!」
そう言うペギーは妙に鼻息が荒い。少なくとも嘘をついている者の眼ではない。
ミキオ「まあ見てもいいけど」
熱意はわかったが、しかしどう見てもこれは寝ぼけて描いた落書きだ。大の大人が真面目に論じるべきものではない。だが彼女の預言は百発百中でこれまで外したことがないのも事実だ。となるとこのメモ帳に書かれた子供の落書きのようなものを預言書と言われても受け入れなくてはならないということか…おれが混乱していると秘書の永瀬と事務員のザザがのぞき込んできた。
ザザ「お前“画伯”だな! ヘタクソにもほどがあるぞ」
永瀬「何これ? 真面目に描いたの?」
ペギー「うまい下手はどうでもいいのです! これはおそらく近い未来に起こる出来事を暗示しているのです!」
メモ用紙に書かれた絵は3枚。どれもイタズラ描きみたいな絵で解読は難しいが、確かに何かを示唆しているように見えないこともない。
ミキオ「①は…巨大コロッケか?」
ザザ「じゃがいもにも見えるぜ」
ミキオ「②は…骸骨?」
永瀬「まあこれはそうかな」
ミキオ「③は倒れた人たち…か?」
ザザ「倒れてるやつのうちの一人はミキオじゃねーのか?」
なるほど手前に倒れている男は眼鏡をかけ長髪を束ねているようにも見える。
ミキオ「縁起でもない…これはとりあえず保留としよう。ミーティングが終わったらちょっと考えてみる」
おれが“ペギーの預言書”をデスクの上に雑に置いたタイミングで事務所のドアが開いた。
マグナ「大預言者フノリー・ソーヴァの後継者様の勤め先はこちらですか…」
ドアを開けて入ってきたのはこ汚いマントに身を包んだ薄汚れた少年だ。
ペギー「えっ?! はっはい!」
永瀬「お友達?」
ペギー指名のお客とは珍しい。おれが玄関に視線を向けるとその男は力尽きたかのようにばったりと倒れ伏した。
永瀬「ちょっと! 何!?」
ザザ「なんだコイツ、くせーな! ホームレスかよ」
その少年は薄汚れているがよく見るとなかなか端正な顔立ちだ。髪の長さもあって女子のような顔をしている。
マグナ「すみません…イトイガから放浪してきたもので…」
イトイガというのはこのガターニアの南方大陸の西端にある国である。この連合王国からは最果ての地といったところだ。
ザザ「イトイガってお前、船を乗り継いで来たとしても何日もかかるだろ。そこまでしてペギーに会いたかったのかよ」
ミキオ「まあ、よくわからないが衰弱してるな。とりあえず何か食べた方がいい」
おれはパントリーから近所の店で買ったパンと牛乳と果物を取って彼に与えたが、空腹なのにがつがつしていない。パンを食べてるだけなのに気品がある。年齢は高校生くらいだろうか。整った顔立ちも相俟ってどこかの貴種のように見える。
マグナ「ふう、ようやく人心地がつきました。MPもHPも空っぽだったので…」
少年はそう言うと指をパチンと鳴らし自分自身に“清浄化”の魔法をかけた。これは生活魔法と呼ばれる簡易な魔法で、体や服の垢や汚れを一瞬で消去し綺麗にするものだ。
永瀬「え、美少年」
ザザ「ホントだ」
確かに整った顔立ちだなとは思っていたが、よごれが取れるとより一層美形ぶりが浮き立つ。まつ毛が長くて肌が白く、肩までの長い髪は艷やかなプラチナブロンドで瞳は澄んだ鳶色、絵画のように美しい少年だ。男子としては華奢で推定身長168cmほど。年齢は高校生くらいだろうか。
ミキオ「で、君は…」
マグナ「申し遅れました。僕の名前はマグナ・フォッサー。“マスター・エクソシスト”シャルマン・ヒューチの弟子です」
シャルマンはおれと同じ魔導十指のひとりで、数多くの弟子を持つ悪霊祓いの大家だ。おれとは魔導十指の月例会で毎月顔を合わせている。
ミキオ「ほお、彼の弟子」
マグナ「師匠は正統派の悪霊祓い師ですが、僕は思うところあって師のもとを離れ、独自で修行しゴーストハンターとして活動してきました」
ミキオ「ゴーストハンター?」
マグナ「はい。悪霊祓い(エクソシスト)とは違い、悪霊や死霊、怨霊の棲家に自ら赴き能動的にハンティングしていく者のことです。僕は様々な流派の修行を積むうちに大宇宙の高次元神格からチャネリングを受けるに至ったのです」
ザザ「チャネリング?」
マグナ「そうです。僕はチャネラーなのです」
永瀬「チャネラーって何ですか? 2ちゃんねらーみたいなことですか?」
ミキオ「チャネリングとは高次の霊的存在、神や宇宙人、死者などの超越的、常識を超えた存在との交信のことだ。オカルト用語だな」
マグナ「さすがハイエストサモナー。ここに来た甲斐がありました。その神が言うには怨霊王率いる怨霊戦団が近いうちにこのガターニアに到来するというのです」
怨霊戦団。パワーワードが出たな。怨霊というのは普通恨みをもった相手に個人的に現れるものだと思うが、怨霊の戦団とは。
マグナ「怨霊王はある星で発生した怨霊なのですが、次々に人間を襲って魂を喰らっていくうちに凶悪化し戦団を築いていったということです。星の魂を喰らい尽くすと他の星に移り、いくつもの星を渡り歩いてきたのだと」
事務所の連中がこいつを見る目がだんだん怪しくなってきた。若くて美形なのに気の毒なことだ、という目付きだ。木の芽時はこういうのが出てくるとはよく言われるが。
ミキオ「それはその、小説というか、ラノベ…」
マグナ「まあ、なかなか信じてもらえるとも思っていません。だからこうして大預言者フノリー・ソーヴァの後継者ペギー・ソーヴァに会いに来たんです。彼女なら喫緊の未来が予知できる。ペギーさん、怨霊戦団はいつ現れるのですか!」
ペギー「わ、は、はわわ〜」
ペギーの二の腕を持ってがくがくと震わすマグナ。
ミキオ「マグナ君、あんまり一気にわーっと言うとこの人はキャパオーバーになってしまうから…」
マグナ「時間が無いんです。怨霊戦団は今日現れるかもしれないんですよ。僕がチャネリングする神は気まぐれなのでいつ脳波交信が来るかわからない。日時も教えてくれない」
ミキオ「と言われても、それはうちのペギーも同じだ」
マグナ「困ったな…どうしたらいいのか…」
そう言いながらマグナは視線を泳がせていたが、おれのデスクの上に置いたペギーの落書きに目を止めた。
マグナ「これは?」
ミキオ「ああ、昨夜ペギーが自動書記で描いた預言の書…らしい」
マグナ「預言の書?! 見ていいですか?」
マグナはそう言って3枚のメモ用紙をひったくった。何度見てもヘタクソな落書きにしか見えないが、彼は真剣な顔で見ている。
マグナ「こ、こ、これは!!! 僕がこの事務所にこの日来たのもつまりは天命ということか!」
ザザ「お前、落ち着いてちゃんとうちらに説明しろよ」
マグナ「はい。①〈空中の石〉はよくわかりませんが②〈王冠を被った髑髏〉はまさしく怨霊王の到来を預言しているに他なりません! 他に解釈のしようがない!」
ミキオ「うーん、言われてみればそんな気もしないでもない…か?」
マグナ「となれば③〈倒れし者たち〉は怨霊戦団により命を奪われた者を意味するのでしょう。この世の終わりです。この世界は怨霊たちによって終焉を迎える…!」
ミキオ「何を馬鹿な…」
永瀬「ペギー、何かもっと楽しい落書き描けないの?」
ペギー「落書きではないのです!」
マグナ「しかしもうこれで確信が持てました。怨霊戦団は間違いなく到来するでしょう。ただちに対策本部を設置し対策を練るべきです!」
ミキオ「わかったわかった。じゃあちょうど今日は午後から魔導十指の月例会があるから議題にあげてみよう。皆が興味を持ってくれるといいが」
マグナ君の熱意に根負けしたおれがそう言うと彼はやっと安堵の表情を見せた。
マグナ「頼みます」
ミキオ「しかしこんなこと師匠のシャルマンに直接言えば話は早いのに、何も大陸を渡ってここまで来なくても」
マグナ「いや、あの頭の固い爺さんに言っても頭から否定されるだけです」
おれもこのガターニアに転生してきて以来、あまり深くは考えなかったが死霊だの悪霊だのなんてものが本当に存在するのだろうか。おれは東大で科学を学んできた者なので科学で立証できないものは信じられない。霊が見えるだの憑き物を祓うだのと言って再生数を稼ぐ心霊系YouTuberは吐き気がするほど嫌いだ。だがこのガターニアは剣と魔法の世界であり、かく言うおれも神の子にして職業召喚士なので頭から否定できる立場ではない。そういう仕組みになっている世界なのだと理解するしかないのだろう。おれも時間的に余裕ができたら研究所を作りこの世界の魔法を科学的に解明してみたいものだ。
ミキオ「まあ、おれにできるのはこのくらいかな。ペギーの落書きと君の脳電波交信だけが根拠ではどうにも」
マグナ「わかりました。どうせ行くあても無いのです。状況が変化するまでしばらくここに住ませてください。こんな大きな家なのだから余っている部屋があるでしょう?」
ザザ「お前、ハート強ぇな」
永瀬「綺麗な顔してる割に意外と厚かましい…」
ミキオ「まあ、あてが無いなら仕方がないが、家事くらいは手伝ってもらうぞ」
午後からおれは南ウォヌマーのウラッサー城に赴き、魔導十指の月例会に出席した。魔導十指とはこのガターニアで最高位の魔導師10人に与えられた称号でありその10人による最高会議のことだ。引退して“万物分断剣”に転生した“不死竜”ジョー・コクーからその座を譲られたおれもその末席に加わっている。今回の月例会も十指全員欠員なく出席している。
ミキオ「…おれの発言は以上だが…」
十指メンバーはおれの説明を神妙な顔で聞いていたが、やがてカグラムの爺さんが口火を切った。
カグラム「大預言者フノリー・ソーヴァの名前はちと古株の魔導師なら誰でも知っておる。その後継者がミキオの門下にいたとはのう…」
ナスパ「その絵、もう一回見せてくれるか」
ミキオ「ああ」
おれは例の預言書を横のナスパに手渡した。
ナスパ「…何度見てもゆるい落書きにしか見えない…」
ニノッグス「魔導十指の月例会でこんな落書きを議題にするとはいい度胸だな、ミキオ!」
うーむ、やはり怒られてしまった。やっぱりこんなヘタクソな絵では説得力に欠けるか。
ミキオ「いや擁護するわけじゃないが、このペギーの預言は必ず当たるんだ。大巨竜の出現やイオボアファミリーによるうちの事務所の破壊などを百発百中で預言してきたのだ」
フュードリゴ「と言われてもな…」
カグラム「せめてフノリー・ソーヴァ本人の絵ならのう」
マイコスノゥ「そっちもそうだけどシャルマン、あなたの弟子のゴーストハンターって子は信頼できるの?」
“絢爛たる”マイコスノゥは魔導十指の紅一点、このウラッサー城の城主で南ウォヌマー国の女王だ。十指では仕切り役で会合場所としてこの城を提供している。
シャルマン「マグナ・フォッサーは吾輩の不肖の弟子である。悪霊祓い(エクソシスト)としての才能はまあまあだが余計な勉強ばかりしおってな。チャネリングだの宇宙意思だのと突飛なことばかり言いよるのだ。まあダメな子ほど可愛いとも言うが」
シャルマンは口髭も立派な壮年風の紳士だ。おれから言わせたら悪霊祓いもチャネリングも同じくらい突飛だと思うが…。
カンダーツ「若いもんはいろんなことを学びたがるもんたい」
フュードリゴ「で、その怨霊戦団というのはどういう存在なのだ」
ミキオ「他の天体で発生した怨霊の軍団で、次々に人間を襲って魂を喰らっていくらしい。そのたびに自分も強化していき、その星の魂を喰らい尽くすと他の星に渡るのだとか」
ナスパ「怨霊の軍団ね…」
ニノッグス「ちょっと話のスケールが大き過ぎて想像が追いつかんが…」
ジジイども、話についていけてないからか全然積極的に発言しないな。“鉄壁の”アルゲンブリッツのおっさんなんかどう見ても寝ているし。
ナイヴァー「ともあれだ。その二人がミキオのところに身を寄せているなら好都合じゃないか」
十指最強と言われる貴公子ナイヴァーが重い口を開き、いつものようにまとめに入った。
ナイヴァー「とりあえずミキオはこのまま二人を保護していてくれ。我々は危機感を持って注視している」
やはり魔導十指たちは一様に腰が重い。まあ彼らもそれぞれ魔導師の大家なので若造の口寄せや小娘の落書きぐらいの根拠で動くわけにはいかないという面もあるのかも知れない。
おれが王都の事務所に戻ると、事態は急変していた。
ザザ「ミキオが戻ってきたぜ」
ペギー「先生! 大変なのです!」
ミキオ「何かあったのか」
永瀬「とりあえず外へ出て見てください」
彼女らの真剣な表情で事態が只事ではないことがわかる。おれはすぐに外へ出てその理由を理解し唖然とした。
ミキオ「なんだこれは…」
われわれの事務所や王城がある王都フルマティ、その上空に全長数kmもありそうな超巨大な岩塊が浮遊しているのだ。どういう素材か、光を吸収する物質で構成されているようで異様な漆黒さだ。その真下の地域は太陽の光が遮られ、まだ昼間だというのに薄暗くなっている。
永瀬「さっき突然現れたんです」
マグナ「見てくださいミキオさん、ペギーさんの預言書の①、〈空中の石〉の絵にそっくりです」
ミキオ「馬鹿な…」
マグナの差し出してきたペギーの絵を見て息を呑むおれ。この異様な現象もさることながらペギーの預言書が一部実現してしまったことにおれは戦慄せざるを得なかった。あの無惨な預言がすべて的中するというのか。次回、おれたちはさらなる脅威の展開に遭遇することとなる。