第178話 異世界将軍、あばれ日本グルメ旅(中編)
王国枢密院という強大な権限を持つ国家機関の推挙によってハーヴィー将軍、ガギ、サラの3人がニホン文化調査特使とその随員に選ばれた。彼らを連れておれは日本におもむき、高級料亭でひと騒動あったあと、おれたちの横に謎のパトカーが停まったのだった。
巌「三樹夫! お前またこっちに来てんのか!」
言いながらパトカーから降りてきたのはおれの母親の弟、巌おじこと辻村巌である。内閣調査室に出向している公安刑事で、東アジアを股にかけて活躍する腕ききの諜報員だ。
ミキオ「おれがこっちに来ると必ず現れるね、巌おじ」
どうせ市内の警官がおれたちを見て公安に通報したのだろう。まるっきり指名手配犯扱いだ。
巌「お前は一人でこの世界の軍事バランスを変える存在だからな。悪いがお前の行動は全部把握させてもらってるぞ」
永年諜報員をやってる巌おじは職業柄、妙に目つきが鋭くなっている。獣のような眼光でおれの連れをぎろりと睨み回した。
巌「異世界の連れか」
ミキオ「みんな、紹介する。おれの叔父で刑事の辻村巌だ。刑事というのはまあ衛兵みたいなもんだ」
ハーヴィー「ツジムラ侯爵の叔父上か。お初にお目にかかる。連合王国軍の将軍ハーヴィー・ターンだ」
巌「しょ、将軍…?」
ガギ「アマゾネスで傭兵のガギだ。あんたいい男だな」
巌「あま…ぞね…す…?」
サラ「巫女で治癒系魔法使いのサラです〜」
巌「…お、おう…」
永瀬「始めまして。辻村侯爵の秘書の永瀬一香です」
巌「三樹夫、お前秘書いんのかよ?!」
片目に眼帯をした身長2mの頑健な軍人、その軍人よりさらに大きい筋骨隆々の大女、魔法使いを名乗る女子高生、甥の美人秘書に次々と名乗られ巌おじの脳は情報を処理しきれずパニックになりつつあった。
ミキオ「で、巌おじは何しに来たの」
おれが面倒くさそうにそう言うと、巌おじは俺の肩を抱き、声をひそめて言った。
巌「中東発祥の民間軍事会社PZSがお前の身柄を狙っている。沿岸警備をすり抜けて密入国してくる厄介な連中だ。既に日本国内に100人を超える工作員が潜入している。こっちに来るなとは言わねえけど、来るリスクは理解しろよ」
民間軍事会社PZS。初めて聞いたが子供じみた名前だ。パズスは古代アッシリアの神話に書かれる魔神の名前である。映画などによく登場するやつだ。民間軍事会社は直接戦闘や要人警護、軍事教育、兵站などの軍事的サービスをおこなう民間企業のことで、日本の国内法はもとよりその存在自体がジュネーブ条約違反だ。2019年末には保釈中のカルロス・ゴーンの国外逃亡を支援するなど明白な違法行為を行う者も存在する。
ミキオ「そのPZSとやらのボスはなんてヤツなの?」
巌「元軍人ラヒブ・ファウダ・アルザラーム。絶海の孤島に住むとも潜水艦の中に住むとも言われる。世界中から指名手配されているが絶対に尻尾を掴ませない影法師のような男だ」
ミキオ「わかった。エル・ビドォ・シン・レグレム、我が意に応えここに出でよ、汝ラヒブ・ファウダ・アルザラーム」
巌「おっおい!」
おれが赤のサモンカードを置いて召喚呪文を詠唱すると、絶対に尻尾を掴ませない男はあっさりと目の前に現れた。
ラヒブ「Where am I!! who are you?!」
巌「お前、いきなり呼ぶなって! おい誰か来てくれ!」
巌おじは突然に現れた黒髭の中年男を拳銃の銃床で殴りつけたあと手錠で拘束し、パトカーから応援を呼んだ。運転席の警官が何事かという顔ですっ飛んでくる。
警官「警視正、どうされました?」
巌「いや、こいつ国際指名手配犯で」
警官「ええっ?!」
ミキオ「大手柄だね巌おじ、金一封だろ」
巌「お前、やっちまったな! こんな衆人環視の中でPZSのボスを捕まえちまったからこいつの部下たちが必死になってお前を狙ってくるぞ! お前はいいとしてもそのアニメみたいなお姉ちゃんたちを守れるのか?」
ハーヴィー「案ずることはない。私は有事には80万の兵団を率いる常勝将軍だぞ」
ガギ「アタシだって12の時分から戦場を駆け抜けてきたんだぜ」
サラ「うちもこう見えて拘束系の魔法も使えるんで〜」
3人のオーラに気圧される巌おじ。将軍とガギはそのままだがサラもこう見えて幾多の戦闘を経験しているのだ。
巌「そ、そうか…まあよくわかんねえけど…三樹夫、お前らこれからどこ行くんだ」
ミキオ「いやこのまま鎌倉を散策して、あとは上野の国立科学博物館にでも行って帰ろうかなと」
巌「そうか、よし。じゃ俺も同行する。文句ないな」
ミキオ「まあいいけど」
つまり監視ということなのだろう。巌おじは公安から内調に出向している刑事で、時折日本に現れるおれという危険人物の担当にされているらしい。別におれ自身は危険でも何でもないのだが、おれの能力をなんとしてでも奪いたいもしくは無力化させたい連中がこの地球にはうじゃうじゃいるのだ。
サラ「ミキオ先生のおじさん、イケおじやなぁ〜」
巌おじは二枚目半といった雰囲気だが長身で顔立ちもよく、松坂桃李に似ていると言われるのだ。
ガギ「おじさん、あんた独身か? でかい女は好みじゃねえか?」
顔を赤くしながら巌おじの肩に手を回し身をかがめ口説きはじめるガギ。巌おじは2m超えの大女にアプローチされて動揺している。
巌「い、いや、そんなこともねえが…」
ハーヴィー「時にゲン殿は衛兵隊で何を担当しておられるのか」
巌「へっ?」
ミキオ「将軍、巌おじは政府直属の内閣調査室というところにいる。まあ間諜だな」
巌「お前、そういうことを簡単にしゃべるな!」
ハーヴィー「なんと、間諜か? 間諜など旅芸人にやらせておけばいいではないか。失礼だが貴公のような立派な御仁がやることではないな」
ガターニアでは間諜という職種は将軍のような武人からは蔑まれている。闇に紛れこそこそと秘密を嗅ぎ回るなど堂々たる騎士のやることではないとされているのだ。もちろん現代の地球では諜報員はエリートしか就けない職業で、他国の政治や軍事、経済などの情報を収集する重責を担っている。CIAのエージェントには多数の言語をネイティブ並に習得し、現地で人脈を構築できる能力が要求される。
巌「るせぇ! 大きなお世話だ!」
ガギ「それはいいけどよ、腹減ったぞ! あれっぽっちじゃちっとも腹がふくれねえ!」
彼らは日本文化調査の一環として都内の高級料亭に入ったが、そこで出された活き造りにドン引きしてしまいほとんど食べずに店を出てきたのだ。
ミキオ「わかったわかった。じゃ別な店に行こう。蕎麦かうどんでいいな?」
永瀬「侯爵、そこに蕎麦屋さんがありますけど」
なるほど確かに数軒先にいかにも老舗風の蕎麦屋の看板がある。おれ的には“富士そば”か“ゆで太郎”でいいかなと思っていたのだが、まあ蕎麦屋ならいくら老舗でもそんなに高くはないか。
ミキオ「いいだろう。じゃあの蕎麦屋へ行こう」
ハーヴィー「ほう。ニホンの蕎麦とは麦そばのようなものか?」
“麦そば”はおれもさっき食べていたが、ガターニアで広く食べられる麺料理だ。小麦粉で作られているため蕎麦というよりにゅうめんに近い。おれの知る限り蕎麦の実はガターニアには無い。
ミキオ「まあそうだな。日本蕎麦は小麦粉だけではなく蕎麦粉というものをメインに使う。蕎麦粉とは蕎麦の実というものをひいて作るものだ。そもそも蕎麦は最初は団子のような形で食べられており、現在のように麺状になったのは…」
ガギ「ウンチクはいいよ! それより早く入ろうぜ!」
ガギは空腹のあまりかやや口調が荒くなっている。まったく蛮族なんて子供みたいなものだな。仕方ないのでおれは蕎麦屋の暖簾をくぐって中に入った。古びた店内だが綺麗に掃除してあり清潔感がある。
ハーヴィー「ほう、ここも落ち着いた雰囲気だ…」
鎌倉の老舗蕎麦屋の雰囲気は将軍にとってもなかなかの好評のようだ。
巌「へっ、異世界人サンに日本の蕎麦の味がわかるのかね」
いつになく子供のような悪態をつく巌おじ。将軍に自分の仕事をくさされてイライラしてるのだろう。おれは皆を椅子の席に着かせたあと品書きを将軍に渡す。
ハーヴィー「いや異世界の食べ物など皆目わからん。君に任せる」
ミキオ「じゃ店員さん、天せいろを4つ」
永瀬「わたしは“おろしそば”で」
巌「俺も天せいろ」
ハーヴィー「ほう、蒸籠ということは蒸し物なのか?」
ミキオ「いや、当初は蒸し物だったが現在のように茹でる料理となってもかつての名残りで蒸籠を使っている」
サラ「ふーん」
ガギ「何でもいいから早く食わせろ!」
そう言いながら牙を剥くガギ。まったく蛮族なんて不粋の極みだな。横の巌おじも明らかにビビっている。公安の刑事として、また内調の諜報員として幾多の修羅場をくぐってきた巌おじもさすがに本物のアマゾネスには会ったことが無いのだろう。そんなことを考えているうちに店員さんが蒸籠と天ぷら皿を載せたお盆を持ってきた。
ガギ「うおー! うまそう!」
サラ「ニホン料理の盛り付けは綺麗やな〜」
ハーヴィー「ふむ、シンプルな味だが奥深い」
巌「おい三樹夫! この女、手づかみで蕎麦食ってるぞ!」
やはりガギは手づかみだったが、将軍とサラは割り箸を使ってするすると蕎麦をたぐっている。この辺りはガターニア人は麦そばを食べているので手慣れたものだ。
ガギ「テンプラ! めちゃくちゃウメェ!」
ハーヴィー「これは単なるフライではないな。軽やかで繊細な味だ」
サラ「美味しいな〜」
異世界人たちは蕎麦にも天ぷらにも大満足のようだ。ガギなどはざる蕎麦を4枚もおかわりしていた。
ガギ「ふー食った食った。ニホンの蕎麦ってのもうめぇもんだな」
ハーヴィー「大満足だ。ニホンの洗練された食文化、たっぷり堪能させて頂いた」
巌「まあ待ちな異世界の方々。蕎麦ってのは食い終わった後がまたいいんだ」
ハーヴィー「ほう」
サラ「デザート出てくるん?」
巌「いや、そうじゃねえが…お、来た来た」
我々が食べ終わったタイミングを見計らってか、店員さんが湯桶を持ってきた。
店員「蕎麦湯です〜」
巌「これは蕎麦湯と言ってだな、蕎麦を茹でる時のお湯だ」
ハーヴィー「茹で汁を…飲むのか…?」
巌「まあ試してくれよ」
巌おじが勧めるとみな湯呑みに蕎麦湯を注ぎ、一口飲んだ。
サラ「お湯や」
ハーヴィー「とろみがある」
ガギ「蕎麦の香りだな」
ミキオ「うむ。蕎麦を茹でたので蕎麦の成分が湯に出ている。日本人は蕎麦を食べた後はこれを頂くことで胃が温まり、消化を助けるとともに口の中をさっぱりさせるのだ」
サラ「ほぇ〜」
ハーヴィー「…蕎麦を食べた後に同じ味のこれを飲むのは果たして適切なのだろうか?」
ミキオ「え?」
ハーヴィー「普通は料理を食べた後は果物か甘い物、あるいはお茶と相場が決まっているだろう。蕎麦を食べたあとに同じ味の蕎麦湯を飲んでも変化が無いからさっぱりしない」
ミキオ「いや、まあ、その」
巌「あのなぁオッサン、これはそういう食文化なんだよ! 文句あんなら飲むな!」
横で聞いていた巌おじが我慢し切れずに大きな声を出した。
ハーヴィー「さらに基本的なことを言うが、茹でた後のお湯を飲ませるというのはあまりに貧乏くさい。ニホンにも茶はあるだろうに」
巌「あんたな、将軍かなんか知らねえが、他国の文化に対して失礼だろう!」
永瀬「あ、でも甘い物もありますよ。だし巻きとか」
ハーヴィー「ではそのダシマキとやらを頂こう」
巌「勝手にしろ!」
巌おじは10歳も年上の将軍に対しタメ口で怒っていたが、なんだかんだで満腹になったおれたちは蕎麦屋を出た。おれもハーヴィー将軍とはそんなに深い付き合いはしてこなかったが、こんなに面倒くさい男だとは知らなかった。クドクドおじさんとイライラおじさん、ふたりの中年男の対決は熾烈を極めつつ、次回へ続く!