第130話 コーラ!神の黒い水(前編)
異世界117日め。今日ははるばる西方大陸のカリア公国から変な客がきている。カリア公国は小国ながらガターニア有数の富裕国とのことだ。
ピースビレッズ「私、カリア公ピアバーグ・トゥーリンボゥ・ピースビレッズ3世と申します。以後お見知りおきを」
と言いながらこの人は名刺を出してきたが、これがなんと黄金の名刺。左右の手にはいくつもの豪勢な指輪を付けている。この世界に来てからいろんな王侯貴族と出逢ったが、こんなあからさまに成金感のある男は初めてだ。年齢は50代なかばといったところだろうか、やや小柄で顔は斎藤清六※に似ている。
※あぜ道カットでおなじみ、昭和〜平成初期のコメディアン
ヒッシー「あ、国家君主でらっしゃるのニャ」
ミキオ「の割には腰が低いな」
ピースビレッズ「君主と言ってもたかだか公爵、カリア公国もオーガ=ナーガ帝国さんの隣にあるほんの小さな国でございまして、私の祖父が帝国さんから買い上げた猫の額ほどの土地に建国したのです。ありがたいことに国の事業がうまくいきまして、今までなんとかやってきております」
ミキオ「なるほど」
ピースビレッズ「で、祖父の代からの資産がありますので、はばかりながら私は生涯をかけて山海の美味を食べ尽くしてきました。ツジムラ伯爵領ウルッシャマーのギョウザ、“寿司つじむら”の寿司にも行かせて頂いた。どれも奇妙だが素晴らしく美味しかった」
ミキオ「わざわざ食べに行かれたのか」
ヒッシー「熱心だニャ」
ピースビレッズ「ええそれはもう。私は美味い物に目がありませんので…ツジムラ伯爵、貴公は異世界ニホンから来られたと聞きます。ニホンでは猛毒魚を食べたり泥亀の生き血をすすったりするのでしょう?」
ミキオ「?…ああ、フグとすっぽんか。まあそんなみんながみんな食べるわけじゃないけどな」
このガターニアには地球人はおれとヒッシーと永瀬、それにシンハッタ大公夫人の佐和子さんの4人しかいない筈だが、誰だこの男にそんなことを吹き込んだのは。
ピースビレッズ「私は今までいろんなものを食べてきましたが、異世界の食べ物は聞けば聞くほど珍妙だ。ツジムラ伯爵、どうか私に異世界の珍味を御馳走してくださいませんか、お金はいくらかかっても構いませんので」
ミキオ「異世界の珍味ねぇ…」
考えながらおれは無意識にデスクの上にあるペットボトルのコーラを手に取った。最近おれが日本に行った際に買ってきたものだ。
ピースビレッズ「そ、その黒い水は一体?!?」
ミキオ「え? これ?」
おれは残り半分くらいになった350mℓのペットボトル、いわゆるダルマボトルを振って見せた。
ミキオ「これはコカコーラと言う異世界の飲み物だが…まあ日本発祥ではないがあちらでは結構飲まれている」
ピースビレッズ「なんと奇妙な! 黒くて泡立っている! こんな奇妙な飲み物はガターニアにはございませんぞ! は、伯爵、私にも是非ひと口!!!」
ミキオ「いや、これはもう口付けちゃったから…」
ピースビレッズ「私は一向に構いません! 美味しいのでしょう?」
ミキオ「いやおれが気にするよ。うーん、味はまあそりゃあっちでは世界中で飲まれてるくらいだからな」
ピースビレッズ「気になるったら気になる! 伯爵、ニホンでその黒い水を御馳走してください! その黒い水のことがもっと知りたい!」
ミキオ「もの好きだなぁ。まあ飲ませるだけなら簡単だけど」
躊躇していると横からおれの東大時代の学友で事務所の共同経営者ヒッシーが言ってきた。
ヒッシー「そういやうちらの学部でコーラにやたら詳しい先輩いたよニャ」
ミキオ「ああ、いたな。じゃその先輩に頼んでみようか」
永瀬「え、その先輩って東大の?」
ヒッシー「コーラの若大将こと小浦美味也先輩だニャ。幸楽苑でバイトしながらコーラスやってるニャ」
永瀬「えっまた変な先輩回? サイクル早くない?」
何かに気付いた永瀬が露骨に嫌な顔をした。
翌日、おれと秘書の永瀬、連合王国の王女フレンダ、それにカリア公国君主ピースビレッズ公爵は栃木県の那須塩原市に来ていた。ここに小浦先輩の家があるのだ。
永瀬「なんで王女がいるんですか?」
フレンダ「あ〜ら、来ちゃいけませんの? 用事があって召喚士事務所を訪ねたら面白そうだったのでご一緒させて頂きましたの。この事務所はたまに見に来ないと何してるかわかったもんじゃありませんの」
永瀬「何なんですか? 王族ってそんなに暇なんですか?」
ピースビレッズ「…なぜ彼女たちは言い争っているのですか?」
ミキオ「わからない…おれも困惑している」
性格的に険のある女二人が衝突していると、広い庭から先輩が歩いてきた。
小浦「おー辻村、こんな田舎までよく来たね」
ミキオ「いえ、急な話ですみません」
小浦先輩は小麦色の肌のさわやかな青年だ。これまで会ってきた変な先輩と違い、この人は80年代のコカコーラのCMに出てきそうなわかりやすい男前だ。
ミキオ「これはおれの同期の永瀬。こっちは友人のフレンダとピースビレッズさんです」
永瀬「初めまして」
フレンダ「どうもですの」
ピースビレッズ「どうぞよろしくお願い致しますです!」
小浦「中世のお姫様と貴族みたいに見えるけど、辻村の交友関係は幅広いね。いや、コーラのことを僕に尋ねてくれて嬉しいよ。来たまえ、僕の“ラボ”には世界中のコーラがあるんだ」
ナイスガイの先輩に案内されておれたちは先輩がラボと呼ぶ離れの部屋に連れて行かれた。ラボは先輩がラーメン屋のバイトで稼いだ金で建てたとのことでなかなか小綺麗だ。業務用みたいな大きな冷蔵庫やドリンクバーマシンなどもあり、ラボの名は過言では無さそうだ。
小浦「まず最初に言っておくけど、僕はコカコーラ、ペプシそのどちらかを贔屓するつもりはないから。僕はコーラという炭酸飲料そのものを愛しているからね」
ミキオ「そうですか」
知らんがな、と思いつつもおれは一応相槌を打っておいた。
フレンダ「どういう意味ですの?」
ミキオ「コーラにはコカコーラ、ペプシコーラという2大ブランドが存在し100年以上も競合しているんだ。赤いデザインがコーク、赤青のデザインがペプシだ」
小浦「日本ではコークのシェア率がだいぶ優勢だが、実は世界ではペプシの方が売上は大きいからね(2023年)」
ピースビレッズ「その、コカコーラとペプシコーラは味は違うんですか」
小浦「原材料はほぼ同じだがペプシの方にはクエン酸が入っているから酸味が強いと言える。僕は両方好きだけどね」
永瀬「そうなんですね」
フレンダ「そもそもの話、コーラとはどういう飲み物ですの?」
小浦「明確な定義はないね。強いて言うなら“多種のスパイスで香り付けした甘い飲み物”ってところだ」
永瀬「黒くて、シュワシュワしてて…とかじゃないんですか」
小浦「黒い色はカラメルなどで色付けしてるんだけど、透明なままのホワイトコーラやタブクリアなんてのもあるからね。それに初期のコーラには炭酸は入ってなかった。どろどろの原液を水で割って飲む物だったんだ」
ミキオ「ほう」
永瀬「今のコーラのイメージとだいぶ違いますね」
小浦「ちょっとここらへんは用語がややこしいんだが、かつては“コーラ”という植物の実(種子)から抽出されたエキスがコーラの主成分だった。つまりオレンジで作ったジュースをオレンジジュース、トマトで作ったジュースをトマトジュースと呼ぶように、コーラの実から作ったジュースだからコーラジュースと呼ぶべき飲み物だったんだ。今は“コーラ”を栽培して抽出するやり方はコストがかかり過ぎるので様々な香料を組み合わせて作られている。バニラやシナモン、それにレモンなど柑橘系のオイルだね」
永瀬「あーその3つが入ってるのはなんとなくわかります」
フレンダ「“コーラ”の実を使っていない今のコーラは代用品ですのね」
小浦「いや、それは違うね。僕は“コーラ”の実を使った昔ながらの製法のクラフトコーラを飲んだことがあるが、ちょっと飲みにくかったな。コーラはコーラジュースであることを卒業してよりクリアなオリジナルドリンクに進化したんだよ」
小浦先輩の講義に熱が入る。今まで痛い先輩ばっかりだったがこの人は非常にロジカルでマイルドだ。
小浦「コーラの誕生はアメリカ。1880年頃、禁酒法の施行によってアルコールの代替品が求められ、いくつもの新しい飲料水が誕生した。コーラはそのうちのひとつだね。当時は抗うつ薬として薬局で販売されていたんだ」
ミキオ「そうなんですか」
小浦「何しろ当時のコカコーラにはコカインが入っていたからね」
永瀬「コカインて、大麻じゃないですか!」
小浦「そう。当時は合法だったからね。酒よりも害が少ないと考えられていた。コカとコーラで、コカコーラ。大麻だから確かに抗うつ作用はある。その後コカインの危険性が唱えられて1903年からコカインは除去されたが、コカコーラの名はブランドとして残ったというわけだ」
永瀬「じゃあペプシは…」
小浦「ペプシは消化酵素のペプシン酸から。これも薬であった頃の名残だね」
ピースビレッズ「そっそれより早くそのコーラというやつを飲ませてください!」
学習漫画みたいなノリが続いていたが、そう言えば我々はコーラを飲みに来たんだった。当初の目的を忘れていた。
小浦「…このおじさん、コーラ飲んだことないの?」
先輩の不審な視線を浴びつつ、次回に続く。