第1話 クラス
キヨヒラは授業終了後、『M校』の校門から出て南の方向に向けて歩き出した。
いつもは校門から出ると北へ向かって歩き、税務署前のバス停でバスに乗るのだが、今日は誰の顔も見たくなかった。バスの乗客の顔さえも。
彼と同じような帰宅部の生徒たちが、ぞろぞろとバス停のあるへ向かっている。
F県K市の県立高校に通っていたころは、剣道部に入っていたし、総合武道の道場にも通っていたが、今の高校に転校してきてからは部活もしなくなったし、K市に総合武道の道場があるかどうかも調べようとはしなかった。
フジワラ・キヨヒラは父親の転勤で東北のF県から首都圏である神奈川に引っ越してきた。
転校以来、毎日同級生たちからいじめを受けて来た。提出物をかくされたり、スクールバッグの中身をぶちまけられたり、方言を真似されたり。そして、教師は見て見ぬふりをした。
一度、職員室に苦情を言いに行ったが、「フジワラ、おまえに友だちがいないのだったら、しかたがないじゃないか?」と担任から言われ、それ以後何も言ってない。
しかし、今日のいじめは酷かった。
プール授業のあとで着替えようとしたら、パンツがなかったのだ。
水泳パンツに替えたときは、制服と一緒に体操着袋にちゃんとボクサーパンツを入れておいたのに。
「おい、フジワラ。おまえタオルを腰に巻いたまま何しているんだ?」
いじめの首謀者のYがいかにもわざとらしく大声で言う。
「フジワラ、まさかパンツを穿いて来なかったんじゃないだろな?」
YといつもつるんでいるWが追従する。
「フジワラ。寝ぼけて、穿いて来るのを忘れたのか?」
YといつもいっしょのZもあざ笑う。
ギャーッハッハッハ
ワーッハッハッハ
アッハッハッハ
男子生徒たちの笑い声が教室に響いた。
そして、それだけではすまなかった。
教室にもどると、先に来ていた同級生のYが大声で叫んだ。
「やべえぞ!フジワラはパンツを穿いてねえぞ!」
Wがキヨヒラの下半身を指さして大声で言った。
「見ろ!フジワラ、チ〇チ〇を硬くさせているぞ!」
とどめは、これもYといつもいっしょのZだった。
「女子は、気をつけろよ!襲われるぞ!」
きゃ―――あああ!
いや―――あああ!
ヘンタイ!
キモイ!
出て行って―!
女子たちが、大騒ぎをはじめ、それは教師が入って来る直前まで続いた。
............
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南へ向かって30分ほど歩いたころ、喉が渇いたので、コンビニ『S』の前の自販機でミルクティーを買って缶を開けて一口飲んだ。その時、いつも買っているマンガ週刊誌の発売が今日だったのを思い出してコンビニに入った。
ミルクティーの缶を片手に、まっすぐに、雑誌コーナーに行く。
マンガ週刊誌の表紙は、キヨヒラの好きなアイドルKが、清楚な白い服を着て微笑んでいた。
今週号は、Kが表紙と巻頭グラビアという特集号だった。それも、以前は8ページだったのが16ページという大増量でだ。
“K、すごくカワイイ。これは絶対に買わなきゃな…”
そう考えながら、ミルクティーをもう一口飲んだ。
「そこの君!店内で払ってもない飲み物を飲んでいるな?」
大学生のアルバイトらしい若い店員が、大きな声でキヨヒラを見て言った。
“しまった!”と思ったときは、マンガ週刊誌を捨てて全速力で逃げ出していた。
「待て―――っ!窃盗だ―――!」
アルバイトの店員が叫びながらあとを走って来る。
「違うっ、これは自販機で買ったものです」
「じゃあ何で逃げるんだ―――?」
そうだ。何で逃げているんだ、俺は?
しかし、それでも説明をして信じてもらえるとは思わなかった。
全速力で10分ほど走ったあとでふり返って見るとアルバイトの店員はもう後を追ってなかった。
もう飲む気もなくなったミルクティーの缶を歩道にあるゴミ箱に捨てた。
念のために、大回りしてマンションに帰ることにする。
父親の転勤で4月に越して来たこのマンションは、3階まで階段を上がらなければならない。
K市にあったマンションは賃貸して、家賃が安いというので東京から電車で1時間のK県のこのマンションに越して来たのだが、前のマンションよりいくぶんが広いが、毎日、通学やコンビニに行くために3階まで階段を上がったり下りたりするのもかったるく感じていた。
マンションのドアを開けて入っても誰もいない。
父親は仕事で毎日遅いし、母親もパートをやっているので7時ころにしか帰って来ない。
自分の部屋に入り、学生服をハンガーにかけ、ズボンを脱ぐとベッド下の引き出しから新しいボクサーパンツを出していで穿く。
ベッドに座ってから考える。
“どうしよう?”
キヨヒラが着ている制服から、都立M高校の生徒であることはわかっただろう。
おそらく、今日中にもコンビニ側から学校へ電話で「おたくの生徒が窃盗云々」と苦情がもたらされることだろう。
そして、明日の朝礼で教頭か校長あたりが、長々と「わが校の生徒に限ってそんなことはないと思うが、もし、出来心でやってしまったと言う生徒がいるのであれば、親に来てもらって...」言うのだる。
そのあとで教室ではHRが開かれ、担当の教師が朝礼で教頭か校長が言ったことをくり返すのだろう。
「衝動的にやったのなら、警察も情状酌量の余地があると考えて...」などと言うのだろう。
俺は何も盗んでないし、窃盗もしてないけど、大人は誰も信じてくれないだろう。
キヨヒラの好きなアイドルKに似ているA子もおぞましそうな顔して彼を見ていた。
A子はかわいくてハキハキしているのでキヨヒラが密かに思いを寄せていた女の子だった。
だけど、今日のことでA子は俺を軽蔑しただろう。
“ああ、いっそのこと誰もいない無人島にでも行きたい…
誰からもバカにされないし、いじめられることもない”
“いっそ死んでしまうか?”
ふと唐突もない考えが頭に浮かんだ。
一度、その考えが浮かぶと、連鎖的にそのことばかり考えた。
どうせ悲しむのは両親だけだ。新聞に載れば、もとの学校のクラスメートたちは悲しんでくれるだろうか。
首吊りなんていう無様な方法は嫌だ。首吊りは、たれ流すと読んだことがある。
ベランダから飛び降りるのも、たかが10メートルほどの高さでは、骨折をしても首を骨折しても死なずに首から下が不随になる可能性もあるからダメだ。
出来るだけ苦しまない方法―
そういえば、低体温症-いわゆる凍死は苦しまずに眠ったまま死ねると読んだことがある。
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翌日、キヨヒラは、いつも通り7時ちょっとにマンションを出た。
両親はすでに出勤しているのでいない。学校へ行くバスには乗らず駅へのバスに乗った。
スクールバッグを手に下げ、大きめのリュックを背負っていた。
マンションから出る前に、昨夜書いた手紙をダイニングのテーブルの上に置いて出た。
『お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう。僕はもう学校でのいじめに耐えきれません。とくにYとMとWからは、毎日ひどい意地悪をされ、担任の△△先生に言っても何もしてくれません』
はっきりと誰のせいで自殺すると書く。担任も何もしてくれなかったと名指しで書き残す。
どうせ死ぬんだ。いつも新聞やニュースで見るみたいに、「誰からいじめを受けたのかわからない」死に方はしない」
日記ノートを手紙といっしょに置いて来た。
ノートには、毎日どんないじめを誰から受けたかを書いてある。
これで、警察も教育委員会もいじめの加害者を特定することができるだろうし、いじめを見て見ぬふりをしてきた担任の教師の名前も知ることができる。
加害者の首謀者であるY、W、Zたちは、事情聴取されるだろうし、キヨヒラの両親が慰謝料を求めて裁判を起こした場合は、Y、W、Zたちの親たちが慰謝料を払わされることになる。
担当教師△△も見て見ぬふりをした責任を追及され教師を辞めさせるかも知れないし、学校側も管理不十分の責任をとらされるだろう。
バスターミナルに着くとトイレに入り、学生服を脱ぎ、薄手のセーターの上に迷彩色のマウンテンパーカーを着て、グリーンのストレッチパンツを穿き、通学靴をスニーカーと替え、脱いだ服をリュックに入れた。
白いマスクをつけ、サングラスをかけ、キャップをかぶり、U原市行きのバスに乗る。
バスは1時間半ほどかかって、U原市に着いた。そこでまたバスを乗り換え、1時間後に終点のG(軍刀利)神社に着いた。
G神社は標高500メートルにあり、キヨヒラが目標としているS山までは徒歩になる。
S山は標高千メートルほどとそれほど高くなく、東京からも比較的近いため、結構登山者がいる。
バスから降り、ぞろぞろと山道をS山の頂上を目指して歩く登山客の最後尾を歩きながら、スマホで写真を撮っているフリをして、もう誰も見てないことを確認すると山道の脇にそれ、急な勾配を登り始めた。
雑木林の斜面をしばらく登ると、もう山道も何も見えなくなった。そのままさらに30分ほど登り続け、地面が少し窪んでいるところを見つけると座り込んだ。
標高千メートルほどのS山のこの時期の日中の気温は15、6度程度だが、夜になると最低気温は10度以下になるだろう。リュックのフロントポケットから、駅の売店で買ったツナマヨネーズのおにぎりを食べ、ウーロン茶を飲む。腹がくちくなると傾斜を上がって来た疲れもあり、リュックからキャンプ用シートを出すと広げて横になり寝入ってしまった。
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空腹で目が覚めた。
スマホを見ると午後4時を過ぎていた。
リュックからシャケのおにぎりを出して食べ、リュックのポケットから『D』を出し、2錠飲むとウーロン茶を飲み干す。『D』は睡眠改善薬と言われるもので、未成年でも買うことが出来る。
これも駅の売店で買ったマンガ週刊誌のアイドルKのグラビアページを見ていると、『D』の効果でまた眠たくなった。
◇ ◇ ◇
そして、あまりの熱さで目が覚めると島にいたのだ。
それも大きさが10メートルほどのネコの額のような広さの小さな無人島に!
真上から照らす太陽の光を少しでも遮断しようとマウンテンパーカーを頭からかぶったが、それでも熱い。
キヨヒラは、なぜこんな島に来たのかわからなかった。S山のたぶん標高6百メートルか7百メートルあたりで『D』を2錠飲んで眠ったことまでは覚えている。
S山の気温は夜になると10度くらいにまで下がるので、低体温症で眠っているうちに死ねるはずだったのが、どういうわけか南海の孤島に一人いた。
スマホを出して現在の場所を確認しようとしたが圏外だった。
アンテナの本数も表示されていない。つまりスマホで電話することもL〇NEを使うこともできないということだ。
時刻は― 正確かどうかわからないが、午後1時14分になっている。
ここがどこかわからないが、とにかく、何をリュックに持って来たかを確認した方がいい。
視界の隅に、空に白いものが映った。
見るとたぶん月なのだろうが、見慣れている月の半分もない。
「地球じゃないのか!」
目が覚めた時から何か違和感を感じていたが、小さな月を見て確信に変わった。
「じゃあ、どこなんだよ?」
途方に暮れていても仕方がない。
リュックのジッパーを開け、中に入っているものを見ることにした。
学生服上下、通学靴、教科書の代わりにキャンプ用シートを入れて来たスクールバッグ、フロントポケットには、スナック菓子1袋とチョコレート菓子1箱。ペットボトルホルダーに500ml入りのミネラルウォーター1本。
リュックの右側のサイドポケットには、ティッシュ箱とキヨヒラがキャンプ用にと買っておいたスイス・アーミーナイフ。それに今地面に敷いているキャンプ用シート。
左側のサイドポケットを探ると、何だか四角く薄いモノがいくつか入っていた。
とり出して見ると、K市に住んでいたころ母親がベランダで育てていた家庭用野菜の種の袋みたいだった。
「なんで、家庭用野菜の種の袋がここに入っているんだよ?」
ブツブツ文句を言いながら、袋を見て絶句した。
『パンの木の種-10粒』
『バナナの木の種-10粒』
『ココナッツの木の種-10粒』
『万物進化の種-1粒』
「なんだ、これは――――ああああ!」
キヨヒラの絶叫が海に響き渡った。
どういうわけか、キヨヒラは無人島にいました。
それにしても、パンの木の種、バナナの木の種、ココナッツの木の種は、わかりますが、『万物進化の種』とは何でしょう?