第二百十八話
「答えは簡単です。本当に、侵略じゃありませんし、自分はできればこの先も侵略のようなことはしたくないと思っています」
自分ははっきりと、ゲラリオの目を見据えて、そう言った。
どれだけ戦の後に善政を敷くつもりでも、戦は間違いなく人々の生活を破壊する。
なによりも、戦を積極的に肯定するということは、この自分や、それに領主としてのイーリアが、人殺しの命令を出すということなのだ。
それを看過するつもりはないし、それに、ここにはそれだけではないもっと深い理由もある。
「それでやっていけると思うのか?」
ゲラリオの追撃に、イーリアが椅子から立ち上がる。
けれど、自分はすぐに言った。
「思います。少なくとも、今回に限っては」
ゲラリオが、ことさら鼻白んでみせた。
でも、それは気圧されているのを誤魔化しているようにも見えた。
ゲラリオだって、戦なんてしたくないはずなのだから。
そもそも最初はクルルに魔法使いとしての訓練をしたくないと言っていたし、それは戦いの場に送るような真似をしたくないからなのだと。
だから、本当はおままごとであってほしいとゲラリオも思っている。
しかしゲラリオの体に染みついた常識は、そんな夢物語はあり得ないとも告げるのだ。
「俺は……そうは思わん。第一、お前の目的は、この島を守ることだろう?」
ややいじけたような、ゲラリオの素の顔が見えている。
視界の隅で、クルルの尻尾の先っぽがうねうねしていた。
「どうせ武力を使うんだ。一気呵成にやって、やれることを全部やるべきじゃないのか。確かにいきなり奴隷を取り上げられたら、奴隷を買った奴らは困るだろうよ。けど、世の中とはそういうもんだろう? ある日、強い奴らがやってきて、すべてを台無しにしちまうんだ。それは、俺たちだって例外ではないはずだ」
まさにそんな運命の暗転を、このゲラリオと共有した。
ロランで毒を盛られ、牢に放り込まれ、危うくゲームセットとなるところだった。
「俺たちがお行儀良くしてたところで、帝国は優しくなんかしてくれやしない。だから、石の炭だったか? 必要なもの、欲しいものは全部もらって、奴隷も全員かっさらう。それでこっちが強くなってから、守れそうなら外の奴らも守る。そうするべきじゃないのか。まどろっこしいことをしてる暇があるのか?」
ゲラリオが語るのは、乾いた世界の力の論理だった。
資源が限られていて、奪うか奪われるかの剥き出しの欲望が渦巻く、リヴァイアサンの世界を生き抜くための考え方だ。
それはきっと正しいのだろうし、自分もそれを否定するつもりはない。
そう思ってから、いや、と思い直す。
否定させてもらう。
なぜなら自分は、正確には自分と健吾は、この世界の人々が持ちえない、ある種の知識チートを持っているのだから。
「暴力による収奪は、限界があるんですよ」
「……なに?」
聞き返すゲラリオを前に思い出したのは、ファルオーネとの会話だった。
ファルオーネは魔法の神秘を解き明かす時、自分にこう言った。
この世界と向こうの世界の違いを知っているのは、どんな才能よりも有利なことだと。
社会実験、という言葉がある。
自分と健吾は、壮大な、そして悲惨な社会実験を終えた世界からやってきたのだから。
「帝国みたいな強大な力と戦うには、一時の瞬発力では多分無理です。死神の口戦術はすでに帝国側に知られている可能性が高いですし、合成魔石が気付かれるのも時間の問題でしょう。そうなると、ゲラリオさんがさきほど言ったように、物量で押し切られて負けます。これを逆転するには、文明ごと前進させるしかありません。そして文明の進展とは、経済の拡大なくしてありえません」
なぜなら、大量の研究開発が必要になるから。
高炉の実験でも実感した。理屈だけではチートの実現は到底無理な話なのだ。
泥臭い試行錯誤が必要で、そのためには資源をつぎ込んで燃やすしかない。
余剰の生産が必要で、余剰を生み出すには生産の拡大と効率化を図らねばならない。
そしてこれは、大規模魔法陣の研究でも同じことだった。
研究者たちを養わなければならず、彼らは穀物や家畜を生産しないのだから。
では、前の世界において、この手の経済の勝者は誰だったか。
一体、どんなシステムが世界を席巻したのだったか。
「自由な市場経済だけが、自分たちを「先」に連れて行ってくれるはずなんです」
もちろん自由なといっても、そこには色々留保がつくのだが、ある日武力と共に侵攻して、鉄枷と鞭によって言うことを聞かせて生産させることに比べたら、自由だと言い切っていいだろう。
今回の奴隷解放もその線のつもりだ。
確かにある種の強制はするが、それは、こっちのほうが儲かるから、試しにやってくれというものなのだ。
ただ、自分は同時に、ゲラリオの苦しげな様子に共感もできるのだった。
この理屈を正しいと納得できるのは、あの世界で生きていた者たちだけだろうから。
いや、あの世界でさえ、反対者がたくさんいた。
ではこの溝をどうすればいいかと、自分も言葉を探しあぐねていたら、思いがけず健吾が口を開いてくれた。
「ゲラリオさん、これは、ある種の信仰みたいなもんなんだよ」
健吾はそう言って、筋肉を崇めている筋トレマニアが、唐揚げを摘まんで頬張った。
「現時点では、信じてくれとしか言いようがない。でも、俺と頼信は、前の世界で実例をたくさん見てきたんだ」
一人ならばともかく、二人なら。
しかも健吾は、自分よりもよほど地に足をつけた人物として、認知されている。
ゲラリオがますます渋面を作るのは、知らない世界の話をされて、信じてくれと言われているからだろう。
コールがなにも言わず、イーリアでさえ立ち上がったままばつが悪そうにしているのは、少なくないところで、ゲラリオの懸念や考え方に共感を抱くからだ。
でもそれは、この世界では当たり前のことなのであり、責められるべきことではない。
だからゲラリオには飲み込んでもらうしかない。
そう、思ったところだった。
「はあ」
クルルがため息をついた。
そのクルルが、長テーブルを回り込んでゲラリオに近づくと、その前に置かれた皿に手を伸ばす。
そして、盛られた唐揚げの中から、いくつかをひょいひょいと取り除いた。
衣の色がちょっと違うので、多分、意地悪で香辛料をどっさり混ぜ込んだものだろう。
「私たちはある意味でこいつを信じて、こいつの船に乗ったんだ。師匠もそうだろう?」
クルルを見上げたゲラリオは、拗ねたように唇を尖らせた。
「俺は年金目当てだよ」
悪ぶった台詞に、クルルは可愛らしく笑う。
ゲラリオを師匠と認めているからこその、取り繕いのない笑顔だった。
「なら、ますますあいつの言うことを聞かないとな」
ジレーヌ領は、ノドンの頃から比べると、あり得ないほど豊かになっている真っ最中。
しかもそれでは全然足りないからと、知識チートも全力で使って文明を発展させようとしている。
自由な市場経済の強さは信じてもらうしかないが、金儲けの実績ならば、今ここにある。
それにゲラリオは、なんだかんだ、弟子に弱いのだ。
「……へっ、勝手にしろ」
そしてゲラリオは、ためらわずに唐揚げを掴み、口に押し込んだ。
もう辛いものはそこにないと、信じているように。
クルルはやれやれと微笑み、それからこちらを見た。
「だそうだ」
理屈だけでなく、単なる懇願でもない。
クルルにしかできない説得だったろうし、自分は素直に嬉しかった。
信じてくれる仲間がいる。
というかもしかしたら、一番未来を不安視しているのは、当の自分かもしれなかった。
「では、イーリア様?」
クルルの言葉に、その場に居合わせる面々の視線が、イーリアに集まった。
犬耳の領主様は、大きく口を開ける。
「頼んだわ」
そしてがぶりと、唐揚げを噛みちぎったのだった。




