第二十六話「勇者捕獲」
五月八日の夜。
ナイダハレルの領主館では、ロセス神兵隊討伐を祝う宴が行われている。
その頃、神聖ロセス王国の勇者ロイグは四人の仲間と共に、ナイダハレルの郊外にある猟師小屋から領主が脱出に使う秘密通路に向かっていた。
彼らの周囲には七体のアンデッド、シャドウアサシンが距離を取って密かに尾行している。
ロイグは気配遮断が得意なシャドウアサシンたちに気づいていない。
ロイグは完全に油断しているが、仮に警戒していたとしても、百メートル近い距離を取っていることから発見はできなかっただろう。
ロイグが油断しているのは、ウイリアム・アデルフィが使っていたものと同じ気配遮断のマントを使っているためだ。
ロイグはこのマントを迷宮でも使っており、迷宮の魔物に対してはほぼ完璧に気配を断つことができ、常に奇襲を成功させている。そのため、絶対の信頼を置いていたのだ。
しかし、既に所在を把握されていることと、目的地が分かっていることから、シャドウアサシンたちが彼らを見失うことはなかった。
秘密通路の入口に到着すると、さすがにロイグも警戒を強める。
「アデルフィはまだ見つかっていないというが、鵜呑みにするわけにはいかん。念のため、周囲を探ってこい」
仲間の猫獣人と狼獣人の女戦士にそう命じると、愛剣である聖剣サーネイグをしっかりと握る。
五分ほどで二人の女戦士は静かに戻ってきた。
「気配も匂いもありません。アデルフィ殿の言う通り、魔族たちはまだ気づいていないようです」
「確かか?」とロイグは疑いの眼を向ける。
「二人で手分けして確認しました」
二人はロイグの態度に慣れており、表情を変えることなく淡々と答えた。
「いいだろう。では入るぞ。お前が先頭だ。この紙に書いてある通りに仕掛けを外しながら進め」
そう言って猫獣人に一枚の紙を渡した。
通路には外から中に向かえないようにするため、鍵が掛かっていたり、罠が発動したりするような措置がなされている。
一応、外からも助けに入れるように、それらを解除する方法があり、アデルフィが事前にその方法を記したメモを渡していた。
ちなみに間違った操作をすると罠が発動し、ダメージを受けることになる。ロイグはそのことを嫌い、猫獣人に先行するよう命じたのだ。彼女はこうなることが分かっており、素直に受け取っている。
猫獣人が入口の岩に手を当てて開放すると、真っ暗な階段が現れる。
彼以外は獣人とエルフということで夜目が利くが、ロイグは人族であり暗闇では戦えない。
そこでロイグはゴーグル状のものを装着した。これは迷宮で発見された魔道具で、暗闇の中でも昼間と同じように見える優れた暗視ゴーグルだ。
「では出発しろ」
ロイグの命令で猫獣人が先頭を進む。
かび臭い通路は人ひとりが歩ける程度の幅しかなく、地面には埃が溜まっていた。少なくとも一年以上は誰も足を踏み入れたことがないとロイグは確信する。
実際、この場所を調べたのは幽体化できるアンデッドたちで、当然足跡は付かない。また仕掛けの解除も不要であり、ロイグたちが誰も入っていないと勘違いしても責められないだろう。
何事もなく進んでいくが、ネズミらしき小動物がいた他には何もなく、拍子抜けするほど順調だった。
三十分ほど経った頃、猫獣人が小さな声で目的地に到着したと報告する。
「地図にある場所です」
そこは通路より少し広く、幅二メートルほどあった。
天井までは三メートルほどで、急な角度の階段が上に続いている。その先には取っ手が付いた木の板があった。
「どうやら上手くいったようだな」
ロイグは満足げに頷くと、先に進むよう命じようとしたが、突然彼の生存本能が危機を訴えた。
「何だこれは!」
同じようにエルフの女魔術師が目を見開いて警告する。
「ま、魔力が!……物凄い魔力がここに!……き、危険です!」
ロイグは慌てて後ろに下がろうとしたが、いつの間にか通路は消え、石の壁に変わっていた。
「な、何が起きた!」
ロイグが叫ぶが、その間に天井と床に複雑な文様の魔法陣が浮かび、暗闇を照らしていく。
「上に逃げるしかねぇ!」と叫び、猫獣人の女を突き飛ばして階段を駆け上がる。
しかし、木の板だったはずの出口は通路と同じように石に変わっていた。怪力のロイグが押してもビクともしなかった。
その間にも魔法陣の輝きは増していく。
ロイグはこのままでは危険だと考え、聖剣に魔力を込めると、思い切って出口の石の板に突き出した。
他の場所よりここが薄いためで、石でできた板に聖剣は滑るように入っていく。
ロイグは「いけるぞ」と言って、更に剣を差し込み、脱出口を作ろうとした。
しかし、聖剣は十センチほど入ったところで固定されたかのように止まり、引き抜くことすらできなくなった。
ロイグは剣を引き抜こうと焦りながら、茫然としている女たちを怒鳴りつける。
「死にたくなかったら、その魔法陣を何とかしろ! それが完全に発動したらヤバいことはお前たちでも分かるだろう!」
ロイグは怒鳴りながらも聖剣にありったけの魔力を注ぎ込んでいく。
「これだけの魔力を入れたら、古龍だって斬り裂けるはずだ! 何でこんな薄い石ごときが切れんのだ!」
怒りの声が響く中、魔法陣の光は更に強くなり、そして唐突に消えた。
石でできた秘密通路に静寂が訪れる。
それまで喚き散らしていたロイグを含め、四人の女たちの姿も完全に消えていた。
五分後、秘密通路の出口が唐突に開いた。
「成功したようね」と天魔女王アギーが覗き込み、満足げに微笑んでいる。
「そのようだ。それにしても陛下の描かれた作戦通りとなった。陛下の叡智にはいつも驚かされる。そうは思わぬか、天魔女王よ」
普段寡黙な魔導王オードが珍しく饒舌に語る。
「私も全く同感でございますわ。魔導王殿」
アギーはその問いに満面の笑みで頷いた。
■■■
時はロイグが秘密通路の入口に到着した頃に遡る。
ラントからの指示を受けたアギーはオードと共に領主館の地下倉庫に向かった。
ここには脱出用の秘密通路の入口があり、アークデーモンとヴァンパイアロードが五体ずつ監視している。
「現在位置は?」とアギーが直属の部下であるアークデーモンに確認する。
「ヴァンパイアロード殿らの使い魔によれば、侵入口から百ヤード(約九十メートル)ほど進んだところだそうです。意外に慎重な性格のようですな」
秘密通路にはヴァンパイアロードの使い魔であるネズミが配置されており、ロイグたちを追跡していた。
ロイグたちだけなら、気配遮断のマントの効果で外部からの位置は把握できなかった。しかし、眷属であるネズミの位置はヴァンパイアロードたちが常時把握できるため、的確に位置を掴めていた。これもラントの指示だった。
「では、まだ時間的に余裕はあるわね」とアギーは言い、オードもそれに頷いている。
その頃ラントは宴の席にいた。
鬼人族のハイオーガ、ダニエルらと談笑していたが、突然館の奥からドーンという爆発音が起き、護衛の戦士たちのバタバタと走る音が聞こえてきた。
ラントは予定通りということでダニエルとの話を止めることなく、微笑んでいた。
「よろしいのですか?」とダニエルの方が気にしている。
「あれは陽動だから実害はないはずだ。だから気にせずに楽しんでくれ」
ダニエルはラントの余裕に目を見開く。
(さすがは陛下。豪胆でいらっしゃる。この方がそうおっしゃるなら問題はないのだろう……)
そして、“勇者が現れた”という声が響く。
「勇者は必ず仕留めよ! 頼んだぞ!」
そして、十分ほど経った頃、鬼神王ゴインの部下のハイオーガが報告に来た。
「勇者を名乗る人族を倒しましたが、偽物でございました。申し訳ございません」
「そうか……だが敵を倒し、警備を全うしている。謝罪は不要だ」
そう言って頭を下げるハイオーガの肩に手を置く。
その後、アギーの部下のアークデーモンがラントに静かに近づいた。
「勇者を捕らえました。アギー様より地下までお越しいただければ幸いとのことでございます」
ラントも小さな声で「分かった」と答える。
そして、その声が聞こえたダニエルに対し、「内密にな」と小声で命じた後、会場に聞こえるように声を張り上げる。
「本物の勇者が別のルートから侵入しようとした! だが、奴らは我々を見て怖気づき、逃げ出したそうだ! 直ちに追撃隊を編成し、勇者を確実に仕留めよ! 宴の途中だが、私はここで退席させてもらう。今回の功労者たちよ! いずれ帝都で祝宴を開く。その時にゆっくりと盃を交わそう!」
それだけ言うと、ラントは会場から立ち去った。
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