第十八話「アデルフィの決断」
戦士の遺体を前にラントが慟哭し、強い怒りを露わにした様子は、館で働く人族の者たちも遠巻きにして見ていた。
その中に庭師と下男がおり、仲のいい二人はその様子を見ながら意外そうな表情を浮かべている。
「あれほど部下を大事にしているとは思わなかったな」
庭師がそう言うと、下男がそれに頷く。
「確かにそうだ。伝説だと魔帝って奴は残忍な性格の者ばかりだが、今回の魔帝は違うのかもしれんな」
「だが、これは不味いことになったな」と庭師が呟く。
その呟きに下男が首を傾げた。
「どういうことだ?」
「今まで魔族は俺たちに手を出すことはなかった。それどころか、冒険者風の奴らから守ろうとさえしている」
「そうだな」と下男はまだ理解できない。
「だがよ。今回のことで親玉である魔帝があれほど怒っているんだ。魔帝に心酔している魔族たちも同じように怒るんじゃねぇか? 怒るだけならいいんだが、奴らが暴走したらとんでもないことになるぞ」
「た、確かにな」と下男は頷くが、あることに気づいて顔が青ざめる。
「この町にも怪しい冒険者風の奴らが出入りしているって噂だ。もしそんな話が魔族に漏れれば、その区画ごと焼き払われるんじゃねぇか。いや、あの巨人たちが町の中に乱入してきて、住民ごと踏み潰すなんてことも……」
「ああ……ないとは言えんな……」
庭師と下男は同時にブルっと震えた後、そそくさと仕事に戻っていった。
翌日、ラントの命令によって、ナイダハレルの町では前日より多くの警邏隊が巡回するようになった。
更に各地区に今まで見なかった巨人族や死霊族まで配置された。そして、すべての戦士が今までより厳しい表情をしていることに住民たちは恐怖を感じていた。
住民たちは最初何があったのか分からなかったが、領主の館で働く者たちからラントがハイオーガたちの死に慟哭し更に激怒したという情報が流れ始め、帝国軍がピリピリしている理由を知る。
他にも多くの帝国軍戦士が門から出ていくのを見て、周囲の森や村を焼き払うという噂が本当なのではないかと言い始める。
その情報は潜入していたロセス神兵隊の兵士にも伝わった。
「まずいんじゃないか」と兵士の一人が言うと、他の四人も頷く。
「今日の襲撃は諦めよう。それよりもアデルフィ隊長にこのことを知らせた方がいい」
幸いなことに秘密通路は発見されておらず、兵士たちは無事に隠れ家にしている廃村に到着した。
聖堂騎士団の中隊長であり、ロセス神兵隊の指揮官であるウイリアム・アデルフィは、町に潜入していた分隊が持ち返った情報を聞き、眉間にしわを寄せていた。
「つまり、魔帝が怒り狂って町を焼き払うと言ったのだな」
「その通りです」と分隊長が大きく頷いて答える。
「その情報は確かなのか? 誰に聞いたものだ?」
アデルフィの問いに分隊長は真面目な表情で答えていく。
「領主の館の下男からです。情報収集のために酒場に入ったら、そいつが話しているのを偶然耳にしました。もっとも町の中はこの噂で持ちきりで、知らない者はほとんどいません」
その情報を聞き、アデルフィは考え込む。
(魔帝ラントを苛立たせるつもりだったが、やり過ぎたようだ。まさか一介の戦士が殺されただけで、十分以上も慟哭した上、我を忘れるほど怒りをぶちまけ、森だけではなく町までを焼き尽くせと言うとは……)
持ち込まれた情報は尾ひれが付いたもので、正確さに欠けていたが、アデルフィにそれを知るすべはなかった。
(さて、どうしたものか……いつ龍が戻ってくるか分からんが、あまり時間はないぞ……)
そもそも村々を回る巡回部隊を襲撃することで、相手の戦力を引き付け、勇者が到着した際に町に潜入しやすくすることが作戦の目的だった。
そのため、時間をかけて襲撃を繰り返すつもりだったが、ラントが過剰反応したため、計画の見直しが必要になった。
(思惑通り魔帝の周囲から兵は減ったが、このまま森ごと焼かれてしまっては、神兵隊は何もできずに壊滅してしまう。まだ勇者が到着したという情報はないが、あの作戦の準備をしておかねばならんな……)
アデルフィは廃村に戻っている小隊長以上を集めた。
「聞いての通り、魔帝は森を焼くと宣言している。このままではここも龍どもに焼かれてしまうだろう」
その言葉に若者たちはゴクリと息を呑む。
「ならばやられる前に敵に大きな損害を与え、テスジャーザで勇者殿を待つしかない」
アデルフィはそれだけ言うと、全員の顔を見回していった。
恐怖に震える者は一人もおらず、敵に大きな損害を与える作戦と聞き、やる気になっていた。
「ここに敵を引きずり込み、罠を仕掛けて殲滅する。そのためには全部隊で当たる必要がある……第一中隊と第二中隊は敵を引き込む囮だ。近くの村を襲って魔族たちを引っ張ってくるんだ。第三、第四中隊はここで罠を張る。第五中隊は罠から逃れた魔族を討ち取る。そして、これを何度か繰り返す……」
ハイオーガたちを討ち取った作戦を大規模にしたものだった。
そのため、神兵隊の若者たちは成功の可能性が高く、大きな戦果が挙げられると目を輝かせている。
アデルフィはそんな彼らを見ながら、内心では別のことを考えていた。
(こいつらは魔帝を油断させるための餌だ。神兵隊が全滅すれば、魔帝は配下の敵を討ったと喜び、宴を行うはずだ。その宴の隙を突き、勇者を突入させる。だから、こいつらには確実に全滅してもらわねばならん……)
アデルフィはテロ活動による時間稼ぎやゲリラ攻撃では、大した効果がないことに気づいていた。
(魔帝ラントは私など足元にも及ばぬほどの軍略家だ。強力な軍を的確に運用し、我々を焦らせ、じわじわと戦略の幅を狭めてくる。嫌がらせの攻撃をすれば、それ以上に嫌らしい手段で我々を追い込んできた……)
しかし、アデルフィはまだ諦めていなかった。
(しかし魔族にも弱点はある。魔帝を倒せば、奴らは勝手に崩壊する。だからどれほど大きな犠牲を払おうが、魔帝を倒せば我々の勝利なのだ……)
そこで勝利を確信し楽しげに話している若者たちの姿が目に入った。
(この無垢な若者たちを殺すのは魔族ではなく、この私なのだ。教会の聖職者たちが何を言おうが、私は必ず地獄に落ちるだろう。だが、ここで魔帝を倒さねば、人族に未来はない……)
アデルフィもラントが降伏した者に対して寛容であることは知っているが、それはあくまで知略に長けたラントが考えた人族側を揺さぶるための策だと考えていた。
魔帝は人族を攻め滅ぼすために邪神が送り込んだ者で、実際過去の事例では、数千万単位の虐殺が三度行われている。そのため、いずれラントが牙を剥くと確信していた。
(あとは勇者がいつここに来るかだ。順調にいけばそろそろテスジャーザに到着している頃なのだが……)
勇者ロイグがペルノ・シーバス卿率いる聖トマーティン兵団と共に防衛ラインであるテスジャーザに向かっていることはアデルフィも聞いていた。
彼の予想通り、ロイグは本日五月二日にテスジャーザに到着していたが、彼のところにその情報はまだ入っていなかった。
(いずれにせよ、準備はしておかなければならない。勇者が早く現れれば、こちらは陽動作戦としても使えるし、最初の計画通り、油断を誘う罠にも使えるのだから……)
アデルフィはサードリンに派遣した部隊五十名も引き上げるよう命令を送り、情報収集のためにナイダハレルに残した一個分隊以外を隠れ家である廃村に集めた。
三日後の五月五日、サードリン派遣部隊が合流し、罠の準備は整った。
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