第十話「降伏」
四月十九日の朝。
ラントの下に神聖ロセス王国の使者がやってきたという報告が入る。
「使者はサードリン伯爵と名乗っております。供は一人のみ。武装もしておりません」
側近であるフェンリルのキースが説明した。
「領主がやってきたのか。ならば、降伏で間違いないな。では、ここに案内してくれ」
ラントはキースにそう命じると、メイドであるエンシェントエルフのエレンに命じた。
「ダフに変装して私の後ろにいるように伝えてくれ。伯爵との交渉の際に確認したいことがあるかもしれないからな」
人族の元傭兵隊長ダフ・ジェムソンは、諜報官である天魔女王アギーの直属として情報官という地位にある。しかし、ラントが直接話を聞くことが多く、側近としての地位を固めつつあった。
ダフは前回の戦いで処刑されたことになっていることから、正体がバレないように変装を命じたのだ。
エライジャ・サードリン伯爵が天幕に入ってきた。
ラントは椅子に座り静かに伯爵を見つめている。王国貴族ということで尊大な印象を受けるかと思ったが、想像より実直そうだと感じていた。
ラントの横には女王然としたアギーが座り、後ろには護衛であるエンシェントドラゴンのローズ、ハイオーガロードのラディ、そしてダフが立っている。
ダフはぶかぶかのローブを身に纏い、白い仮面を付けていた。仮面は白磁のような素材でできており、目の部分に細い切り込みがあるだけのシンプルなデザインで、怪しい魔術師に見える。また、この仮面はしゃべる時に声が変わる魔道具にもなっていた。
「まあ座り給え」とラントは大仰な感じで伯爵に椅子を勧める。
伯爵はすぐには座らず、ラントの前で片膝を突いて頭を下げた。
「グラント帝国の偉大なる魔帝、ラント陛下に申し上げます。我々サードリン伯爵領の者は一切抵抗せず、陛下及びグラント帝国に全面的に降伏いたします」
「それは重畳」とラントは大物感を出すように心掛けながら鷹揚に答える。
「では約束通り、諸君らの生命、財産は保証しよう。町から出たい者も我らからは一切手は出さん」
「ありがたき幸せ」と伯爵は更に頭を深く下げるが、すぐに顔を上げた。
「何か?」
「民たちが不安を感じております。彼らの前で陛下自らの言葉でお約束いただけないでしょうか」
「ここで約束しただけでは信じられないということか」
ラントはできるだけ凄みを利かせるように低い声でそう言った。その言葉にアギーが目を細め、後ろに立つキースたちが威圧する。
伯爵は背中に冷たいものが流れるが、精神力を総動員してその威圧に耐えていた。
ラント自身は伯爵の懸念を理解していたが、それでも強気に出たのは今後の統治を考えたためだ。不必要に恐れられると弊害も大きいが、信頼関係が築けるまでは恐れられた方がトラブルは起きにくいと考えたのだ。
「陛下のお言葉を疑うつもりなど毛頭ございません。ですが、我が国に残されている魔帝に関する伝承は必ずしもよいものだけではありません。鮮血帝ブラッドや嗜虐帝ブラックラの伝説は今でも恐怖の対象なのです。陛下がそれらの魔帝とは違うのだと理解させたいのです」
伯爵は昨日の書簡とラントとの会話から、彼が話の分からない人物ではないと確信した。
そのため、機嫌を損ねる可能性があるにもかかわらず、民たちに直接語り掛けてほしいと依頼したのだ。
ラントも何となく意図は理解できたが、即答できなかった。
(ブラッド帝は二千年以上、ブラックラ帝でも三百年以上前のことだ。二千年前と言えば聖書の時代だし、三百年だと日本なら江戸時代中期頃だ。十世代以上も前のことをそんなに気にするものなんだろうか? トファース教が何か関係しているのかな……)
ラントはそのことを切り出した。
「トファース教会が我々のことを悪しざまに言っていることと関係があるのか?」
ラントは鎌を掛けただけだが、伯爵は核心を突かれ、一瞬言葉に詰まる。
「そ、その通りでございます。昨日も司教が町に残る者は神の敵であり破門すると宣言しておりました」
「なるほど……よかろう。私自らが説明してやる」
「ありがたき幸せ!」と伯爵は頭を下げる。
「だが、私に要求を呑ませたのだから、こちらからも一つ条件を追加する」
「な、何でございましょうか」と伯爵は戦々恐々という感じでラントを見上げる。
「君が私の配下に加わることが条件だ」
ラントは伯爵が思った以上に胆力があり、民のことを考えていることから配下に加えてもいいと思った。
元々残留するつもりだった伯爵は思ったより軽微な要求に安堵する。
「ハハッ! これより陛下の下僕の一人として微力を尽くさせていただきます」
「そのような低い身分は考えていない。当面だが、ここサードリンの統治を任せようと思っている。それから暫定だが、伯爵を名乗ることを許す。もっとも我が国に爵位はないのだがな」
そう言って笑いながら、ラントは情報閲覧のスキルを使って確認する。
(言葉通り配下に加わっているな。忠誠度は四十か。思ったより高い。それに内政に関してだけだが、充分な能力がある。混乱を抑えるためにサードリンを任せようと思っただけだが、意外に掘り出しものだったかもしれないな……)
ラントは伯爵に頷くと、共に天幕を出る。
エレンに拡声の魔法を掛けてもらい、全軍に向けて勝利を宣言した。
「神聖ロセス王国の都市、サードリンは我が帝国に無条件降伏した!」
「「オオ!!」」というどよめきが草原に響く。
「これよりサードリンは我が領土である! 何があろうと、町の残る者はもちろん、去る者たちにも一切手を出すな! そのような行いは我が名誉を傷つけるものと心得よ!」
その言葉に「「御意!」」という肯定の言葉が応える。
更に鬼神王ゴインに指示を出す。
「包囲している駆逐兵団の戦士にも念話の魔道具を使って今の話を伝えてくれ。ちょうどいいテストになるはずだ」
「お任せあれ」とゴインは頷き、部下にそのことを伝えていく。
「これで我が戦士たちが民たちを傷つけることはない。君は町に戻り、我らの受け入れを準備せよ」
サードリン伯爵は「御意」と答え、町に戻っていった。
「結局戦えなかったじゃない」と後ろに立っていたローズが不満を口にする。
ラントはその不満が戦士たちにも共通すると考え、他の者にも聞こえるように宥める。
「こんな小さな町の弱い軍隊を相手にしても仕方ないだろ」
「そうね。確かに弱そうだったわ」とローズは頷く。
「それに戦うことだけが戦争じゃない」
ラントの言った言葉が理解できず、ローズは首を傾げる。
「それって、どういうことなの?」
「占領した町を確実に支配下に置く必要がある。そうしないと後方を撹乱されることになるからな。そのためには新たに加わった民たちを慰撫しなくちゃならない」
「面倒なことね」というもののあまり理解していない。しかし、ラントがやることには意味があると考え、それ以上何も言わなかった。
サードリンから駐留軍と退避する市民が出ていった。
市民の多くが老人で、遠目に見ていたラントは次の町まで辿り着けるのかと不安になる。
「どうして老人が多いんだろう?」
後ろに控えているダフに質問する。
「これは俺の想像ですがね」と前置きした上で、ラントの問いに答えていく。
「年寄りって奴は保守的じゃないですか。昔からの仕来りを変えるなとか、今まで通りにやればいいってよく言うでしょう。だから司教が破門って言ったことを気にしているんじゃないかと思うんですよ」
「保守的なら土地に執着しそうなものだが……信心深いということか?」
「どうなんでしょう。ちょっと違う気がしますがね」
ラントは理解できず「どう違うんだ?」と言って首を傾げる。
「俺にもどう言っていいのかよく分からんのですが、心の拠り所っていうか、縋るものが変わるのを恐れるんじゃないかと思うんですよ」
「縋るもの?」
「ええ。俺たち傭兵もよく縁起を担ぐんですがね。それができないと何となく嫌な気分になるんですよ。それに似ているんじゃないかって思っただけなんです」
「なるほど」と答えるものの、ラントに実感はなかった。
(まあ、言わんとすることは分かるな。だとすれば、トファース教を全面的に禁止するのは不味いかもしれないな……)
午前十時頃、駐留軍と退避する市民たちの姿が見えなくなったところで、ラントはサードリンの町に入る。
しかし、各兵団の戦士たちは町の外に待機させた。
そして、いつもの直属に加え、ゴイン率いるハイオーガロードの戦士百名と、天魔女王アギー率いる妖魔族戦士二十名のみを護衛とした。
これには神龍王アルビンと巨神王タレットが反対する。
「護衛が少なすぎる。まだ二万もの人族がおるのだ」とアルビンが抗議すると、タレットも「然り。勇者が隠れておらぬとも限りませぬ」と言って頷いている。
「兵士は町から出たんだ。それに仮に勇者が襲い掛かってきても、ゴインとアギーがいれば充分だ。諜報員からの情報では、勇者は聖都に戻ってすらいない。油断するつもりはないが、不必要に警戒しすぎるつもりもない」
「俺に任せておけ!」と護衛に選ばれたゴインが鼻息も荒く胸を張る。
「そうよ。私が陛下を必ずお守りするわ」
アギーも満更でもないという風に言い、ラントの腕を取る。
「今回は初めての人族の町だ。威厳を見せなければならないから、後ろにいてくれ」
苦笑気味にラントが言うと、渋々アギーは離れる。
ラントは整然と列をなすゴインの駆逐兵団と周囲を警戒するように宙に浮かぶ妖魔族戦士に守られながら、サードリンの町に入っていった。
町に入るとサードリン伯爵が彼の家臣たちと共に出迎える。その後ろには不安そうに見ている町の住民たちがいた。
「ようこそ、サードリンへ」
伯爵は笑みを浮かべているが、他の者たちは不安を隠すために硬い表情だった。
ラントはその様子を見て、前途多難だと心の中で溜息を吐いた。
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