第五十六話「決戦:その十」
ラントは天翔兵団と飛行可能な魔術師たちを総動員し、グラッサ王国の古代遺物から生み出された“炎魔神”を倒すための手を打った。
彼は安全な上空から魔法によって台風のような渦状の強い上昇気流を作り出し、炎魔神の燃焼を促進することで、魔力切れを狙ったのだ。
しかし、炎魔神は本能的にそのことに気づき、グラント帝国軍の魔術師たちを追わず、失った魔力を補充するために人族の軍隊、ポートカダム盟約軍に向けて移動を開始した。
その動きにラントは焦る。
(あれだけの人の魔力を吸収したら、どれだけの時間行動できるのか想像もできない。下手をしたら、人族の町を襲いつつ、大陸中を焼きつくこともあり得る。何としてでも止めなければ……持ち込んだグラッサ王国軍なら止められると思うけど、どうやって止めるんだろう? もし駄目なら兵士と町の人を逃がさないと……)
ラントは騎龍であるエンシェントドラゴンのローズに命じた。
「聖王の旗が立っている辺りまで飛んでほしい。そこで拡声の魔法を使って、グラッサ王国軍に止めてもらうよう説得する。万が一方法がないようなら逃げるように伝えるつもりだ」
『分かったわ』
ローズもこの状況が危険であると気づいており、すぐに了承する。
側近であるフェンリルのキースや護衛たちが気づき、同行を申し出るが、ラントはすぐに断った。
「今は少しでも風を弱めたくない。それにメッセージを届けるだけだ。すぐに戻る」
それだけ言うと、ローズに西に向かうよう命じた。
一分ほどで目的地に到着すると、ローズは空中で停止した。
ラントは拡声の魔法が掛けられたことを確認すると、人族に向けて叫ぶように指示を伝える。
「我々ではあれを止める術がない! このままでは町の人々も犠牲になってしまう! すぐにあの炎の巨人を止めてほしい! もし止める方法がないなら、すぐにこの場から移動してくれ! そうしないとここにいる全員があれに吸収され、更に大きな災厄になってしまうんだ!」
ラントはそれだけ言うと、ローズに引き返すよう命じた。
「戻ってくれ」
ローズが翼を翻して炎魔神の方に向かうと、すぐに別の頼みをする。
「私が、いや、私と君で囮になる。奴を攻撃して我々の方に注意を向けさせる。もし受けていた命令が私を殺すことなら、それで引き付けることは可能だし、攻撃すれば少しは足が鈍るはずだ。危険だが、手を貸してくれるか」
『攻撃するって……私のブレスでも百ヤード(約九十メートル)くらいまで近づかないと届かない。危険すぎるわ』
ローズはラントを危険に曝すため躊躇する。
「君ならできると信じているし、君が無理なら誰にもできない。それに君には既に命を預けているんだ。だから頼む」
ラントが躊躇いもなく信頼の言葉を発すると、ローズもそれに応えるしかないと腹を括った。
『あんたがそこまで言うならやってみるわ。少し乱暴な飛び方になるからしっかり掴まっているのよ』
それだけ言うと、ローズは炎魔神に向かって全速力で飛んでいった。
■■■
聖王マグダレーンは炎魔神が接近してくることに慌てふためき、ラントの勧告を聞くことなく、側近を怒鳴りつける。
「モートラック卿に何とかするように命じろ! 早くしろ!」
それだけ叫ぶと、近くに控えていた天馬騎士団の団長に命令を出す。
「すぐに私を乗せて西に向かえ! 魔族どもが足止めしている間に少しでも距離を稼がねばならん! 急げ!」
聖王の命令に団長はすぐに部下の天馬騎士を呼び、「陛下をお乗せし、西に向かえ!」と命じた。
周りにいる聖騎士たちは、再び自分たちを見捨てて逃げようとする聖王に愛想を尽かす。
「我々は神に仕える精鋭だ。逃げ出すわけにはいかん! 友軍の撤退を助けるべく、奴の前を横切って囮になるんだ! 付いてこい!」
連隊長の一人がそう叫んで北に向けて馬を走らせ始める。聖騎士七百名も同じ思いであり、彼の後に続いた。
グラッサ王国軍の司令官ジョナサン・モートラックはラントの言葉を聞き、意外さを感じた。
(伝説通りの魔帝なら我々が焼き尽くされようが、何も感じないはずだ。それが町の人々を気にするとは……)
一瞬そんなことを考えるが、すぐに現実に戻り、命令を発した。
「あれを止める術はない! 全軍、全力で南東に向かえ! 装備は捨てていって構わん! 力の限り走り、少しでも距離を稼ぐのだ!」
その命令に従い、騎兵が駆け出し、更に歩兵たちが武器や盾を捨てて走り始めた。
命令を出し終えたモートラックは一度だけ後ろを振り返った。
彼の視線の先には飛び去っていく天馬騎士たちの姿が映っている。
(聖王が逃げたか……奴に人の上に立つ資格はないな。それに引き換え、魔帝ラントは敵である我らを助けようとしている。神聖ロセス王国が瞬く間に占領された理由が分かった気がする……)
そんなことを一瞬考えるが、すぐに愛馬の腹を蹴り、疾走させた。
ギリー連合王国軍の生き残りである義勇兵約五万は炎魔神に最も近い場所にあった。
指揮官が「南に向かって走れ」と命じるが、彼らはまともな訓練を受けておらず、命令通りに動けない。
何とか走り始めたものの、軍隊の体を成していなかった。
あるところでは「俺も乗せてくれ!」と歩兵が騎馬に縋りつき、それを「どけ!」と騎兵が足蹴にする。
更にその状況を見ていた別の歩兵が槍を繰り出して騎兵を馬から突き落とし、その馬を奪って逃げようとするなど、見るに堪えない状況に陥っていた。
同じ義勇兵の集まりであるカダム連合軍とマレイ連邦軍も、ギリー連合王国軍ほど酷くなかったが混乱に陥っており、移動は遅々として進まなかった。
結局、先行して逃げていたエルギン共和国軍と司令官が優秀なグラッサ王国軍だけが秩序を保っている状況で、結果として十万人以上の兵士がバイアンリーの町の西に残っていた。
■■■
ラントはポートカダム盟約軍の混乱に気づき、愕然とする。
(ただの烏合の衆だったとは……このままじゃ、あそこにいる兵士があれに食われてしまう。何とかしなくては……)
更に炎魔神に向けて走り出した聖騎士たちに気づく。
(何をする気なんだ? 自ら生贄になって僕たちを攻撃させようとでもいうのか……)
しかし、すぐに炎魔神に接近したため、それに構っている暇はなかった。
炎魔神の射程外である五百メートルほどの位置でローズは接近を止めた。
『奴の顔にブレスをぶち込んでやるわよ! しっかり掴まっていなさい!』
「頼んだぞ、ローズ! 君を信じている!」
その言葉でローズは一気に加速した。
急激な加速にラントは身体を持っていかれそうになるが、座席をしっかりと掴み、それに耐える。
最高速度である時速九十キロメートルに達すると、今度は上下左右に激しく動き始める。
ラントはそのジェットコースターのような動きに悲鳴を上げそうになるが、彼女を信頼していると言った手前、何とか堪えて座席にあるバーをしっかりと握り締めた。
彼らに気づいた炎魔神は足を止めた。
「よし! 狙い通りだ!」とラントが呟くが、すぐに炎魔神は炎の塊を飛ばし始める。
ローズはその攻撃をランダムな激しい機動で回避していくが、それでも炎の塊が身体を何度も掠めていく。
(あの炎が当たったら、エンシェントドラゴンであるローズでも無事では済まない。今はギリギリで避けているけど、長い時間は無理だ。他の方策を考えないと……)
ラントが別の策を考え始めた時、ローズが念話を送ってきた。
『冷気のブレスを放つわよ! 見ていなさい!』
その時、炎魔神との距離は百メートルを切り、巨大な炎でできた顔が迫ってくる。
次の瞬間、真っ白なブレスが放たれた。
ブレスが通った場所では空気中の水分が凍結し、ダイアモンドダストのようにキラキラと光っている。
美しい光景だが、ラントに見とれている余裕はなかった。
ローズのブレスは見事に炎魔神の顔に命中する。
顔の半分ほどが冷気によって吹き飛ばされた。
「やったぞ!」とラントが叫ぶが、すぐにその声は消えた。
吹き飛ばされた顔は瞬時に再生し、何事もなかったかのように攻撃を再開したのだ。
ローズはそのまま炎魔神の横を通り抜け、旋回しながら炎の塊を回避していく。
『もう一度行くわよ!』
ローズは闘志を失っていなかった。彼女は更なる攻撃を加えるため、敵に向かって飛翔していく。
ラントの思惑通り、炎魔神の足は止めたものの、いつ命中してもおかしくない状況だった。
その光景は真上を飛ぶグラント帝国軍はもちろん、ポートカダム盟約軍からも見えていた。
彼らは敵である魔帝が自分たちのために自ら囮になったことに驚く。
そんな中、聖騎士たちは宿敵である魔帝が自分たちと同じことを考えていたことに驚き、更に敗北感を抱いた。
(我らの死に場所すら与えぬつもりか……完全に負けだ!)
しかし、その敗北感は屈辱を感じさせるものではなく、ある種の清々しさを与えるものだった。
連隊長は即座に命令を発した。
「魔帝の邪魔になる! 直ちに転進せよ!」
その命令に聖騎士たちは即座に馬を操る。
「奴は魔帝に任せる。我々は混乱する友軍を助けるぞ! 第一大隊はギリー連合王国軍の誘導に当たれ!……」
聖騎士たちは散開しつつ、混乱する友軍に向かって馬を走らせていった。
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