第四十六話「盟約軍の実情」
十一月二十九日。
ギリー連合王国軍の騎兵たちがカダム連合北部の町、バイアンリーに到着した。予定より早いが、脚が遅い歩兵と輜重隊は後方に残し、一部が先行したためだ。
「ようやっと町に入れるな」と若い兵士が訛りの強い言葉で同僚に話しかける。
「ちんたら歩兵に合わせてたからなぁ。やっぱ俺たちだけの方が断然早えぜ」
二人は薄汚れた革鎧を身に纏い、使い込まれた弓を肩に掛け、腰には無造作に矢筒が吊るされている。
彼らは精鋭であるロングモーン騎兵ではなく、王国中部の草原地帯に住む遊牧民の義勇兵だった。
自由に馬を駆る彼らにとって、歩兵や輜重隊に合わせて行軍することは苦痛でしかなく、町周辺の安全を確保するという名目で、強引に先行したのだ。
町に入ろうとすると、金属鎧に身を固め、槍を持った兵士に止められる。
「町に入るには司令官の許可証が必要だ。それを見せてくれ」
「そんなもんねぇ」と不満げに答える。
「なら、町に入ることは許されない。ギリー連合王国軍なら野営地は北の放牧地になる。そこで大人しくしているんだな」
「おいおい! 俺たちゃ、ようやっとここに来れたんだ。そりゃねぇぞ」
「許可証がなければ、何を言おうが駄目だ。後ろがつかえているんだ。そこをどいてくれ」
彼らの後ろには列ができ始めていた。
仕方なく、その場を離れた二人は野営地に向かう。
「やってられっか!」と吐き捨てると、遠くに放牧されている羊の群れを見つけた。
「あれでも食って寝るか」
他の兵士たちも同じことを考えたのか、羊を捕まえて捌き始める。
そこに巡回中の兵士の一団が現れた。カダム連合軍を示す紋章を付けており、高圧的な態度で咎めた。
「お前たち! 誰の許可を得て人の財産である羊を食おうとしているんだ!」
「うるせぇな。俺たちの勝手だろうが」と言い放つと、兵士たちを威嚇するように弓を構える。
兵士長は驚きと共に怒りを覚えるが、揉め事を起こしては不味いと考え、仕方なくその場を離れた。
遊牧民の兵士たちはそれに気をよくし、好き勝手に振舞い始めた。そして、町にも強引に入り込み、バイアンリー市民の女性を襲い始める。
市民に危害が加えられることは見逃すことができず、カダム連合軍の兵士は遊牧民たちを捕らえようとした。しかし、戦闘力に優る遊牧民に反撃され、死者まで出す始末だった。
そんな状況が翌日も続き、三十日の夕方にギリー連合王国軍本隊が到着する。
カダム連合軍の指揮官であるオブライアンはすぐにギリー連合王国軍の司令であるケアン王子に面会する。
「貴国の兵士が我が国の市民を襲い、それを止めようとした兵士を殺した! このことについて厳重に抗議させていただく! 貴国の軍律に従い、処分していただきたい!」
その言葉にケアン王子は笑いながら答えた。
「我が軍の勇士たちは気が荒くてな。すまんが、大目に見てやってくれ」
その言葉にオブライアンは激怒する。
「我が軍の兵士を殺しておいて大目に見ろだと!」
「ああ、それについては謝罪する。だが、このポートカダム盟約軍の司令官は俺なんだ。俺が許すと言ったら、それで終わりのはずだ」
その言い方にオブライアンは顔を真っ赤にするが、王子はそれに構うことなく、話を続ける。
「まあ、これから一緒に魔族と戦う同志なのだ。あまり目くじらを立てることもなかろう」
話にならないと思ったオブライアンは、既にバイアンリーに入っている聖王マグダレーンに抗議に向かった。
聖王はその話を聞き、軽く頭を振る。
「貴殿の言いたいことは分かるが、ここは私の顔を立てて、穏便に済ませてはくれまいか。数日以内には戦場に向かうのだ。その前に士気を下げるようなことはしたくない」
「士気を下げるとおっしゃるが、軍規も守れぬようなことでは戦いになりませんぞ!」
「だが、それでへそを曲げて引き上げられたらどうするのだ? 数日の我慢なのだ。まあ、一応釘は刺すつもりだが」
聖王は宥めるようにそう言うが、穏便に済ませたいという姿勢は崩さなかった。オブライアンは何を言っても無駄と思い、怒りを露わにしながらその場を立ち去った。
残された聖王はギリー連合王国軍の野営地に向かい、ケアン王子と面会する。
「我らは打倒魔族の志をもって集った。その同志である国の民を傷つけるようなことは控えてはくれぬか」
聖王が下手に出たことにケアン王子は気をよくする。
「聖王陛下がそうおっしゃるのであれば、引き締めましょう」
そう約束したものの、その夜も兵士たちが町に侵入し、暴れてしまう。
翌朝、今後の方針を話し合うための軍議が開かれるが、最初から険悪な雰囲気が漂っていた。
「昨夜、ギリー連合王国軍の兵が町の治安を守る我が国の兵士三名を殺害した。他にも町の女性十人以上が強姦され、それを止めようとした家族が五名殺され、十名が重傷を負った。ギリー連合王国は本当に魔族と戦いに来たのか? 我が国を侵略しに来たのではないのか!」
オブライアンの言葉にケアン王子はテーブルをバンと叩く。
「ふざけたことを言うな! 貴様らだけでは戦えぬから、我らが来たのであろう! 第一、侵略するつもりならとっくに占領しておるわ!」
「我が国の兵士だけならともかく、グラッサ王国やエルギン共和国の精鋭もいる。それでも占領できると言い張るのか! 大言壮語が過ぎるわ!」
「雑兵がどれほどいようが、我が精鋭の前には無力。現実を見るのだな」
ケアン王子の嘲笑に、他国の指揮官も不快そうな顔をする。
「我が国の魔法兵団も雑兵とおっしゃるのか?」
グラッサ王国の指揮官、モートラックが冷ややかな目つきで問う。
さすがに言い過ぎたと思ったケアン王子は笑みを浮かべて謝罪の言葉を口にする。
「貴国の魔法兵団については言い過ぎだった。これから共に戦う仲間に対して言う言葉ではなかったと反省している」
モートラックはケアン王子が思ってもいないことを口にしていると感じていたが、これ以上事を荒立てても今後に差し支えると何も言わなかった。
ケアン王子は謝罪の言葉を無視されたと思い、不快そうな表情を浮かべる。
この状況に危機感を持った聖王は場の雰囲気を変えるため、笑みを浮かべて説得を始めた。
「これより共に魔族と戦う仲間なのだ。ロングモーン騎兵が精鋭であることは誰もが知っている。それに十万を超える兵を出してくれたことは神も喜んでいらっしゃるだろう。グラッサ王国の兵も同様に精鋭である。戦意が高すぎてこのような事態となったが、私に免じて水に流してはくれまいか」
聖王がそう言って頭を下げると、モートラックは「承知いたしました」と答え、ケアン王子に頭を下げる。
ケアン王子は聖王が自分に気を遣っていることに自尊心が刺激され、鷹揚な態度で「陛下がおっしゃるのであれば」と答えた。
その尊大な態度に更に出席者は不快になるが、これ以上のこの話題を続けても仕方ないと思い、自重する。
聖王はそのことに気づいていたが、今は話題を変えるべきと考えた。
「では、今後の作戦について意見を聞かせてもらいたい。ケアン殿はどのようにお考えか」
真っ先に指名され、ケアン王子は満足する。
「当初の作戦通り、可能な限り早期にモンクゥの町に向かうべきだ。その先は王国の西側を攻略しつつ、敵の出方を窺う」
聖王は「よく分かった」と頷くと、モートラックに視線を向ける。
「モートラック卿の考えは?」
「総司令官殿の命令に従います。一点だけ付け加えるとすれば、輜重隊の護衛を増やしていただきたいということです。魔帝ラントは貴国で輜重隊を狙ったことがあったはず。これだけの大軍です。兵站を疎かにすることはできません」
「もっともな意見である。輜重隊についてはカダム連合軍二万が護衛に就くが、マレイ連邦軍も加えることでどうだろうか?」
そう言ってケアン王子を見る。
「それでよいと思う。まあ、その辺りは聖王陛下とカダム連合軍で調整していただければよい。俺は戦闘だけに頭を使いたいので」
兵站の重要性を理解しないケアン王子にモートラックは眉をひそめるが、下手に口出しされるよりマシと考えることにした。
「では、出発は明日、十二月二日の朝でどうだろうか?」
その意見に反対はなく、出陣の日が決定した。
オブライアンはそのことに安堵するが、ケアン王子に対しては鋭い視線を送り続けていた。
モートラックはその様子を見て不安が強くなる。
(ケアン王子を総司令官にする人事は最悪だな。聖王にも出陣してもらい、ケアン王子は前線の指揮官として全体に口を出させない方がいいだろう。問題は臆病な聖王が一緒に来るのかという点だけだ……)
彼の懸念は妥当だが、杞憂に終わることになる。
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