【二の扉②】015)忘れられぬ味は神の食材?
私が無限回廊に挑戦するにあたって、ウェザーから口を酸っぱくして注意されたことの一つに、「異世界の物を安易に口にしないこと」と言うのがある。
お腹を壊しても病院はないのだから当然だ。お腹を壊すくらいならいい。最悪毒だってことも十分に考えられる。そのため、可能ならば水分も持ち込みたいというのが本音らしい。
最も水分に関しては、高い浄水機能のついた水筒が売っているのでそこまで気にする事はないのだけど。
無限回廊の初心者の私ですら危険ということが分かるのだから、冒険者たちには常識と言っていい注意事項。
ところが、世の中には色々な人がいるのだ。異世界の食べ物に興味を持って、積極果敢に口にする変わりもの、それが我がギルドのスタッフの1人、ロブさんなのである。
ロブさんはこのギルドに入る前、将来を嘱望された料理人だったらしい。なので料理の腕は一級品。
かつて、とある貴族が金を積んで有名冒険者パーティを雇って無限回廊へ挑んだ際に、専属料理人として同行したロブさん。異世界にまで専属料理人を連れてゆく貴族にはため息しか出ないけれど、それはともかく、この旅路でロブさんの運命は大きく変わる。
一言で言えば、異世界の食材に魅せられてしまったのだ。
その後どういう経緯か知らないが、ウェザーの率いる案内ギルド「ミスメニアス」に所属して今に至る。ということをフィルさんから聞いた。
ロブさんは過去を自分ではあまり話したがらないのだ。異世界の食材のこと以外は。
ちなみにロブさんはギルドの登録としては料理人ではなく、薬師となっている。とにかく異世界で食中毒に陥らぬために様々な胃腸薬を研究し、多彩な解毒薬を独自に作り出しているので、作る薬が全て胃腸系か解毒薬という難点を除けば下手な薬師よりも腕は上なのだそう。
もちろん料理もするけれど、目を離すと異世界の食べ物を投入しようとするため、異世界では原則一人では調理させないというルールがある。そんな料理人の料理は嫌だ。
ロブさんが一人でリスクを背負って食べる分には誰もなにも言わないので、異世界での食事はロブさんだけ別メニューとなる。そんな日々を繰り返しているうちに、ついたあだ名は「悪食のロブ」。案内ギルドではちょっと有名らしい。
あだ名からするにバカにされているのかと言えばそうでもない。
ロブさんは食べたものをギルドにちゃんと報告するので、本当にどうしようもなくなった時、異世界で食べられる物の情報を体を張って試しているロブさんには、一定の敬意を払われている。案内ギルド本部から情報料が支払われる程度には。
そんなロブさんに用という事は、依頼主のウルドさんが持ち込んだ用は食べ物絡みかなとは思っていたけれど、案の定だった。
「忘れられない味があるのです」
最初にそのように言ったウルドさんに、ロブさんはもみ手で続きを促す。
その様子に若干引きながら、ゆっくりとウルドさんは語り始めた。
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ーーー私はこう見えてとある領主の四男でしてね。兄たちは優秀でしたので領地を継ぐ心配もなく、若い頃はさしたる努力もせず遊び呆けておりました。
今となって思い返せば若気の至りとしか言いようがありませんが、私のあまりに過ぎた行動についに領主、つまり私の父の逆鱗に触れ、領地の片隅で蟄居を命じられたのです。
そこで大人しく勉学に励めば良かったのでしょうが、当時の私はあろうことか蟄居を命じられた館の金目のものをかき集め、さらには借金までしてこの街、ブレンザッドへとやってきたのです。一攫千金を目指して。
大枚をはたき、それなりのパーティと案内人を雇った私は、意気揚々と無限回廊の扉を叩きました。
私たちが降り立った場所はどこかの砂浜でした。海は穏かに凪いでいて、逆に背後は巨大な壁のような崖がそそり立っていました。崖を苦労して登るか、凪いでいる海に進むか。こんな切り立った場所なのに浜辺には桟橋があり、舟もそれなりのが停まっています。
私たちの結論は海から上陸できる場所に迂回するでした。その案に反対したのはたった一人、案内人ギルドの中でも若手のヤデルだけだったのです。
海辺の田舎町出身だった彼には、あの海になにか引っ掛かるものがあったのでしょう。ひとり強固に危険性を訴えましたが、多勢に無勢。さしたる議論も交わされることなく我々は海に出たのです。
もはや言わなくても分かるかと思いますが、正しかったのは彼一人。海へと漕ぎ出した我々は、早々に嵐に見舞われます。まるで、私たちの船出を待ち構えていたように。
瞬く間に大波に飲み込まれた船。私が意識を取り戻したのは時間がだいぶ経った頃でした。助かったのは私と、最後まで海に出ることに反対していた案内人のヤデルのみ。
無論、食料などはすべて海の藻屑です。私たちの体力の消耗は大きく、もはや死を待つだけであろうと覚悟しました。しかし、そんな私たちを神はお見捨てにならなかった。
私たちが流れ着いた場所は「神の食料庫」だったのです。
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「神の食料庫、ですか?」思わず口を挟んでしまった私に、ウルドさんは深く頷き「そうですとも」と答える。
「私たちが流れ着いたのは洞窟の中でした。中央に泉があり、そのまわりには様々な食物が溢れんばかりであったのです!」
そこまで言ったウルドさんは恍惚の表情で天井を仰ぐ。その姿を見た私は、思わずゴクリと喉を鳴らす。
「あの時ほど神に感謝した時はございません。無論、空腹という条件もあったでしょう。しかしそれを差し引いても口にするもの、口にするもの全てが天上の味わいでした。中央に湧いた泉の水でさえ甘露であったのです」
ウルドさんはその時の味を再現しているかのように、うっとりとしている。
「神の食べ物をいただいた私たちは、気力体力ともに充実し、どうにか崖沿いをへばりつくように進んで元の浜辺に戻ってきて、無事に帰還を果たしたのです」
先ほどの表情とは打って変わって、ウルドさんは沈痛な表情へ変わる。
「、、、、結局、この世界へ帰ってこれたのは2人だけでした。その事実に私は心の底から恐ろしくなった。故郷へと戻り、父、兄に低頭平身詫びて、必死になって働きました。それから30年。ひたすら努力したおかげで、今では新たな領主となった兄の補佐として取り立てていただいております」
「それは、、、大変でしたね」私はなんと答えて良いかわからず、無難な返事を返す。
「しかし、、、、」
「しかし?」
「30年間、繰り返し夢に出てくるのですよ」
「夢に?」
「あの時味わった至極の味が、もはや悪夢のように心を揺さぶるのです! 私にはこれ以上耐えられない! たった一度、たった一度でいい!! あの味を! もう一度だけ私は味わいたいのです!!」
ウルドさんの叫びは、私には欲望というより、悲鳴に聞こえた。