ユリシーズは恋をした
二部完結です。「フィーのささやかな学園生活」と同じ世界観ですが、読んでなくても全く問題ないです。
ユリシーズは妖精に愛されている。魔法が殆ど失われ、妖精の実在すら疑われるこのご時世で、この国の王子であるユリシーズは確かに妖精に愛されていた。
プラチナブロンドの髪こそ同じ色と質感だが、二つ年上の兄や五つ下の妹のように王族に流れる妖精の血が現れた淡くゆらゆらと揺らぐライラックの瞳ではなく、力強いプラムの瞳だ。王太子である父もライラックよりはプラムに近い色だから、父方の性質を強く受けたのだろう。淡いライラックの兄と妹は容姿に妖精の血が現れた。ならばユリシーズには妖精の性質が現れなかったのかと言えば、全くそんなことはない。むしろ本質的に妖精の血は強くユリシーズに現れた。
王族特有の奇跡、魔法である言葉の祝福が、とても強かったのだ。
王族の直系には言葉に妖精の祝福を受けている。相手を敬わせ、その尊さを抱かせ、従いたいと願ってしまう。人はその奇跡に、魔法という言葉を贈った。
遥か昔、当時の国王が母に妖精を、父に人の血を持つ娘に恋をし、結ばれた。今もなお眠る前に親から子へ読み聞かされる御伽話として伝わるそれが真実であると知るのは、王族と王家に関わる一部の者だけだ。
そして物語にさえ語られない祝福を妖精達は愛おしい娘とその子孫が苦しい思いをしないように、辛いことが起こらないように、望まぬ未来が訪れないように。彼らにとってはささやかな、人にとっては奇跡である祝福を娘へ授け、妖精の存在が薄れ魔法が夢物語になった今も血縁を通し粛々と受け継がれ続けた、魔術ではない純粋な魔法。
王族の言葉は、祝福を授けられている。
王太子の次男であるユリシーズにも、ユリシーズの兄と妹にももちろん、その祝福を受けた。少し力を込めて言葉にすれば、誰もが尊き傅きたくなる。ささやかな程度ならばその言葉が全て正しいのだと思いたくなる、その程度だ。
しかし本来ならば強制力は弱いそれを、ユリシーズは何の気なしに口を開いただけで本人の意志を確実に曲げられるほど強く受けていた。
「おそらく、ユリシーズ殿下は先祖返りと言うべきか、他の御兄弟や皇太子殿下、陛下よりも強く妖精の加護を受けているのでしょう。妖精により近しい、とも言えるかも知れません」
長年王家に仕え、古代魔術と魔法の研究をしている研究者がそう言って笑う。
幼いユリシーズは、賢い少年だった。強制力の強い言葉の魔法はあまり良いものではない、むしろ恐れられるものだと理解していた。そしてそれをきちんと正しく扱えるようになるまではなるべく話さないようにするべきだ、と自ら思い至ったのだ。
そうして言葉を覚え、己の立ち位置を理解した頃にはユリシーズは魔法の効かない家族や気の知れた護衛以外には決して多くを口にしない、とても寡黙な少年になっていた。
それは、ユリシーズが十四歳になった頃の、まだ肌寒い春の日だった。五つ年下の妹と共に公爵家のお茶会に出席したのだ。完璧で愛らしく聡明な王女の仮面を貼り付けたオーフィリアは穏やかに微笑んで同い年ぐらいの少女達に混ざる。そのオーフィリアからなるべく離れすぎないように、ユリシーズもハーブティーを頂こうかな、と考えて。
その日、空を閉じ込めたような瞳と出会った。
目立つような少女でもない。オーフィリアと似た年頃の少女は丁度、オーフィリアと話をしているところだった。オーフィリアが笑うと、その少女はほんのりと頬を染めて笑い返す。小さな手のひらを口元に当てて、ふふ、と溢れるその声はまるで花びらが歌うようだ。
「フィー、楽しそうだね」
思わず口を開く。ざわり、と貴族達が騒ぐ気配がした。殆ど人前で話すことのない王太子の第二王子が珍しく微笑みながらオーフィリアの隣に来たのだ。
オーフィリアももちろん驚いたが、それを少しも出すことなく、にこりと幼くも可愛らしく笑う。
「あら、お兄様。ご一緒にこちらのフィナンシェはいかが? こちらのドロレス様がお持ちになったものですわ。ダンフォード公爵領で作られた紅茶で風味付けされたものですの」
「ごきげんよう、殿下。ドロレス・ダンフォードです」
「ダンフォード公の二番目の姫君か。レディの兄君と何度か遠駆をしたことがあるよ。頂こう」
流れるようにドロレスの隣に座り、フィナンシェを口にする。なるほど、爽やかな紅茶の風味がスッと抜けていく。程よい甘さでとても美味しい。
「うん、美味しい」
にこりとユリシーズに微笑まれ、ドロレスはふわりと頬を赤く染める。その様子を見てユリシーズはさらに目を細め、その視線に甘さが滲む。
「お兄様、ドロレス様はわたくしより一つ年下でいらっしゃいますが、とても聡明ですの。今度わたくしの話し相手としてお呼びしたいわ」
「そうだね、父上に俺からも進言してみよう」
オーフィリアの言葉にユリシーズはドロレスから目を離さずに頷く。
「あの……ユリシーズ殿下?」
困ったようなドロレスの青にユリシーズが映り込む。その表情は、驚くほど甘く蕩けていた。
「お兄様、一体どういうつもりだ? あの場で取る行動としては愚策にも程がある。ドロレス嬢の交友関係、ダンフォード公の立ち位置も全て狂い出すけど、その責任を取る覚悟はあるの?」
お茶会を終え、部屋に戻ると子供らしくまだお兄様と一緒にいたいですわ、なんて目を輝かせていたオーフィリアが気の知れたメイド以外を下げた部屋でユリシーズを睨む。愛らしい末姫の仮面を完璧に使いこなす妹の将来が末恐ろしいが、その話はまた今度だ。
「フィー、どうしようか」
「なにが」
「一目惚れしてしまった。彼女を妻に迎え入れたい」
オーフィリアは人生で初めて、思いっきり吹き出した。
「正気? 熱は? 流行病? アニー、お父様にお時間を取れないか聞いてきて。お兄様が病気だ」
「そうだな、恋の病だ」
「頭の病だ」
どうしよう、とオーフィリアがメイドを振り返る。優秀なメイドは連絡はしてあります、と微笑みながら紅茶を用意する。
「ユリシーズ殿下、一度お茶を飲んで落ち着きましょう。午後の会議が終わったら王太子殿下がいらっしゃるようです」
「ありがとうアニー。ほら、フィーも落ち着いて」
「お兄様の頭よりわたくしの方が冷静だけど」
そんなやりとりをしていると、護衛騎士が王太子の来訪を告げる。ユリシーズもオーフィリアも立ち上がるとそっと礼をした。
「リス、フィーも顔をお上げ。夕食の時間よりも早くお前達に会えた喜びを私に与えてくれないかい?」
「お父様、急にお呼びして申し訳ありません。ああ、護衛の皆様はお下がりくださいませ。お父様に甘える姿を見られるのは少しばかり恥ずかしいですわ」
困ったように笑うオーフィリアに騎士達は微笑ましげに笑いながら扉を閉める。そして確かに閉まったのを確認するなりオーフィリアは叫んだ。
「お父様聞いて、お兄様ったら一目惚れとか言い出したんだけど!!」
「あんなに美しくて愛らしいご令嬢に惚れない男なんて……どうしよう、俺以外の男も彼女に恋してしまう……」
「相手はわたくしより年下なんだよ!?」
「あの年であそこまで美しいなんて、これからが楽しみだなあ」
「お父様!! お兄様が気持ち悪い!! 本当に気持ち悪い!!」
矢継ぎ早に続く言葉にユリシーズとオーフィリアの父であり、次期国王であるルーファス王太子はくすくすと笑う。
「もう既に私にまで噂は来てるよ。リス、少しだけ急ぎすぎ、だ」
こつん、と王太子が柔らかくユリシーズの額を弾く。けれどもユリシーズはまっすぐに父を見た。
「父上。俺は彼女以外を娶るつもりはありません。早々に王位継承権を捨てでも、彼女を妻に迎えたいと思います」
「少し頑なだね。……フィー、御令嬢の外見的特徴を教えてくれないかい?」
王太子の質問にフィーは少し不思議そうにしながら口を開く。
「鮮やかな赤みがかったテラコッタ色の髪の、大人しめの方かな。目の色が本当に綺麗なスカイブルーなんだ。年齢の割には落ち着いてると思う。わたくしもお話ししていて心地いいと思う」
「碧眼かぁ」
なるほど、と王太子が頷いた。
「なら仕方ないね」
「なにが仕方ないんだ!?」
オーフィリアが大きな声を上げて咽せる。完璧な姫君の様子なんて一ミリも見られない。
「私達に流れる妖精の血が、ダンフォード公爵令嬢を選んだんだ、フィー」
「妖精の血?」
「リス、フィー。私達には妖精の血が流れる。さて、よく妖精達が愛し子を連れて行ってしまう御伽話があるだろう? 妖精の愛し子は、皆青い瞳なんだ。私達の祖先も元は青い瞳で、祝福により花の色が混じってこの色になったらしいけど」
王太子が楽しげに笑う。
「妖精の本能さ。妖精達は空から生まれる。妖精の親は空だ。だからこそ、空の色を持つ人間が可愛くてたまらない」
「しかし父上、今までにも青い瞳の方とお会いしたことがあるけど、ここまで愛おしいと思ったことはないと断言できる」
「わたくしも、とくにそういったことはないけど」
「もちろん、私もない。そして次に、妖精は本能で愛するものを予知する。これこそが己の幸いだと、奇跡のように理解する。リスは先祖返りの影響で比較的に妖精に近い。この辺りが合わさって劇的な一目惚れになったんじゃないかな」
王太子の見解になるほど、とフィーが頷く。
「どちらにせよ、わたくしのお義姉様候補なのか。アニー。ダンフォード公爵に手紙を。わたくしがもっと領地の話を聞きたがってるとでも書いて。ダンフォード公爵は察しがいいからすぐにわかると思うし」
「茶会の日付がわかったら俺に教えて」
「ええ……」
「フィー、協力しておあげ」
「仕方ないなあ」
こうして、オーフィリアを通じてユリシーズはドロレスと交流を持つようになったのだ。
本日中に後編もあがります