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一年生の初期に行われ、精霊との交流や知識を深めていく授業。そこでフィオナが精霊を呼び出すことができなかった話は瞬く間に広まり、いつの間にか寮内でも腫れもののように扱われるようになってしまった。
ひそひそと遠巻きに噂される居心地の悪さに俯きそうになる度、情けない気持ちに苛まれるのでフィオナは精神的にも参り始めていた。いまや、連絡事項以外の理由で自らフィオナに話しかける生徒はひとりもいない。
「お嬢様、お顔の色が……」
「ええ、大丈夫。なんでもないわ」
心配そうにカラとアンナがフィオナの顔色をうかがうが、このような状況で授業を休むわけにはいかないためフィオナは気丈に笑って見せた。
綺麗に結い上げられた髪にふわりと何かが触れるのに気が付いてフィオナが横を向けば、顔の横にふわふわと翅の生えた小さな人のような生き物が飛んでいる。
「あら、妖精がいらっしゃったのね」
人前にはめったに姿を見せないとされる妖精だが、始祖に妖精の血をもつシファラ家ではさほど珍しいことではない。
慣れたようにカラとアンナが妖精が好むとされる甘い菓子を用意して差し出すと、どこに隠れていたのかわらわらと妖精が集まりだす。
フィオナの髪に触れた羽をもつ羽妖精を筆頭に、小さな老人の姿をした土鬼とも呼ばれる妖精に、魚の特徴をもつ妖精まで、さまざまな妖精が菓子を我先にと貪っている。
フィオナの兄アルバとファーガルが学院には多くの妖精が隠れ住んでいて、仕事をしたり悪戯をして回っていると話をしていたのでいずれ会うこともあるだろうと思っていたが、妖精たちの様子を見ると随分と甘味に飢えていたようだ。
妖精は幻性生物だ。基本的には大気中の無属性魔素を吸収して生きているので食物をとる必要はないのだが、享楽的な性質があり嗜好として食物を摂取する。
精霊の血は随分と薄まっているが、フィオナを始めとしてシファラ家の人間も菓子や楽しいことが大好きだ。
「さあ、姫様。行くと決めたならそろそろ急がなければ授業が始まってしまいますよ」
アンナに幼いころの呼ばれ方をされてフィオナは頬を赤らめた。小さな子供に言い聞かせるような、けれど優しい響きに勇気づけられて立ち上がる。
フィオナのあとを追うようにお菓子を抱えた羽妖精が付いて来た。一番初めにフィオナの前に姿を見せた妖精だ。
リンリンと鈴のなるような音をさせる。妖精の言葉は人間の聴覚ではそのようにしか聞こえない。フィオナも流石に妖精語を理解することはできなかったが、伝えたい感情は何となく伝わるので頷いた。
「ついてきたいのね? 貴方が人前に姿を見せてもいいのなら、いいわ」
転移陣で転移できるのだろうか、と心配になったが。肩に座る妖精は大丈夫だという意思を伝えてくるのでフィオナは不安に思いながらもそのまま移動してみることにした。フィオナの心配をよそに転移後もきちんとフィオナの肩にいて呑気にクッキーを齧っている。そもそものところ妖精とはもともとこの物質世界とは生きる界の違う精神世界の生き物だ。物理法則など関係ないのだろう。
教室につくと視線が一斉にフィオナのほうに向き、ざわっと騒がしくなった。陰口ではなく、肩の妖精に注目が集まっているのは直ぐに分かったが、居心地の悪さから弁解するように妖精のことを説明したくなったが話しかけられる相手もいない。
極力すましたようすで椅子に座るしかなかった。が、そこでざわめきが大きくなったのでなにごとかと見回すと、羽妖精だけでなく部屋で菓子にたかっていたはずの他の妖精たちもついてきていたようだ。
すれ違う人たちがぎょっとしていたのは、妖精の行列を見て驚いていたのだろう。それを引きつれて歩いていれば妙な顔をされるのも納得だ。
「シファラ君、きみは精霊を呼べなかったのでは? 君はすでに運命石の妖精を孵していたのかね?」
「いえ、私はまだ精霊を呼び出すことにすら成功しておりませんわ」
魔法薬学の教授に問われて、フィオナはちらりと肩にいる妖精をみやる。これ見よがしに妖精を引きつれて歩いていればそう思われるのも無理はなかったのかもしれないが、事実を改めて自分の口で説明しなければならないことにフィオナはより一層落ち着きの無さを感じるのだった。
「精霊も呼べないくせに、見せつけるみたいに妖精をはべらせて」
「自らの血を誇示して、なけなしのプライドを守っていらっしゃるのでしょう? いったら可愛そうよ」
どこからか聞こえてきた言葉にフィオナは思わず「そうみえるわよね」と同意しかけて口を噤んだ。いまの自分は、精霊も呼べない落ちこぼれが精霊に好かれているのだと侍らせているようにしかみえないだろう。
(そんなつもりではなかったのだけれど、いたたまれないわ……)
シファラ伯領ではあるいみ日常的な光景だったのだが、辺境伯領を一歩外にでれば妖精の姿をみることができれば幸運というほど珍しいらしい。アルバ達がそう言っていたのを思い出しフィオナは視線を前へ戻そうとしたところで視界に移ったものに驚いた。
「だ、だめ……!」
妖精たちがフィオナに悪意を向けていた生徒たちに襲い掛かろうとしていたのだ。教室はパニックに陥った。妖精は人々に幸福をもたらすものであるが、同時に妖精を害するとその報復は恐ろしいものだと、恐れ敬われるものだ。
「やめて、私はなんでもありませんから。気を静めて」
逃げ惑う生徒を追いかける妖精たちを懸命に説得してなんとか騒ぎを治めたが、教室は酷いありさまで、フィオナに向けられるのは抑えきれない敵意と恐れだった。教授も困り果てたようにフィオナを見ている。下手に言葉をかけると妖精になにを言われるか分からないから言葉を探し倦ねいているのだろう。
なんとか精霊たちを教室から出ていくように言い聞かせて、フィオナは深々と頭を下げた。
「……大変、ご迷惑をおかけ致しました」
真摯に頭を下げる。
「このようなことが幾度も起こると困るので、すまないが暫くは妖精忌避の守を刻んでもらう」
教授が魔法ペンを取り出す。青みが買った黒のインクでサラサラと魔方陣を書き上げ、フィオナに手渡した。
ずっしりと重く感じるそれをフィオナはそっと受け取り魔力を流し込む。魔方陣が浮き上がりフィオナの手に刻まれる。
「……っ」
焼き付くような痛みにビクリと体を竦ませ、それからもう一度深々と頭を下げた。
それから魔法で片付けられた教室で授業が再開されたが内容はあまり頭に入ってこなかった。妖精忌避の守が刻まれた両手が重く、冷たく感じ息苦しさがフィオナを包む。
魔法陣が刻まれたばかりの一時的な反応かと思っていたが、全ての授業が終わっても息苦しさは治らなかった。
青白い顔をしたフィオナを心配して声をかけるものなど一人もいなかった。あのような騒ぎを起こしたのだから無理もない。自分が良ければそれでいいという気質の妖精があんなにもフィオナに向けられた敵意を気にするとは思わなかったとはいえ、フィオナにも軽率なところがあったのだ。
重い足取りで寮へ向かっていると、背後から「あの」と声がかかる。まさか自分が呼ばれているとは思わなかったのでそのまま足を進めていると、肩に何かが触れた。
「……あの、シファラ様」
「オドラン様?」
足を止めて振り返ると、紙束を胸の前で抱き込むようにして立つナーラが恐る恐るというようすで声をかけてきた。
「わ、わたし、その……これっ!!」
ナーラが差し出す紙束がなにかは分からなかったがフィオナはそれを受け取り不思議そうに眼を瞬かせる。
「これ、は?」
「あの、精霊の召喚について、色んな文献を調べてみたんです……! 他国の人たちは、運命の石を持たないので、そちらになにかヒントがないかと思って……」
顔を真っ赤にして言い募るナーラにフィオナの目には涙が滲んだ。
「他国の本は少なくて、あまり外国語も得意でないので大したことは調べられませんでしたが。参考文献などを纏めましたので」
「ありがとう、ぞんじます」
涙を隠すように深々と頭を下げて、紙束を胸に抱き込んだ。よれよれの紙には運命石を使わない召喚について沢山書きこまれているようで、ナーラは「意味がないかもしれない」と言うがフィオナは首を振る。胸がつかえてたような湧き上がる感情を抑えるのが大変だった。




