二話
新聞の一面には半年前の超科学対策局強襲事件による建物の建設遅延の解消と予定通りの進捗なされていると書かれている。最も、その進捗について、民衆の目は懐疑的であり、日本政府の信用がほとんど無いためである。しかしながら、政府の必要性については、自衛隊の活躍により、有事に動く公務員の運用という点で維持しているに近い。それは、2020年代から始まった各種データの不正-特に一度でも統計学的な手法で論文やレポートを書いた人間にとっては当たり前すぎるもの-が明るみに出続け、いずれの政党にも不信感を与えたことが起因する。しかしそれでもメディアは、それを深く言及しない。2030年代において、自己防衛のための、最先端の研究及び自営施設の稼働が遅れたとなれば、その分の人的被害がでる。さらに対応力がなく、今後の信用にもかかわるため、安全面という視点から世界各国と足並みを合わせた技術開発が難しくなる可能性があるからだ。
しかし、大学進学率が60%を超えたにもかかわらず、そのような深読みをする人間は少なく、政府の隠ぺいや議員の癒着と判断する人間が多かった。その新聞からも、あいまいな言及で占められ、少なくとも危機感を感じてあたる障りのないことを書こうとする意志が透けて見える記事である。それも、2020年代では他国の工作員が描いていると揶揄される新聞社が、そのような記事を書いているため、情報を十分に吟味できる立場の人間からすれば、かなりひっ迫した状況であるとわかるだろう。
しかし、その一面は見られた気配はない。そのほかの新聞の細かな記事、それも無関心な人間からすれば歯牙にも掛けない宝くじの当選番号を理緒は凝視し、机に置かれた大き目の端末に書かれている電子化された宝くじの番号と当選番号を見比べ、おもむろに新聞を中央から破き、放り投げた。懸賞金が5年前と比べてかなり少額になり、代わりに当選者が多い設定になっているそれが当たらない。この時代に、宝くじというような賭け事に費やす金銭は中流層以上ではないということは分かり切っており、ほとんど購入者はいない。しかし、ゆとり教育や叱る行為がなくなってきた層が働き盛りとなった2030年代では低所得者層がこぞって小銭目当てで安い宝くじを願掛けのように購入している。
この宝くじも、購入時から電子化されているため、ある程度当選の数値が調整されており、最初の内は比較的当たりやすい傾向になるという細工がされている。しかし、それを不正と断じるには不都合なほどに政府に寄付金を積んでいるため宝くじというそれは、一種の復興募金と陰で言われているほどだ。
「また負けたああ〜〜」
新聞紙は空中を華麗に舞うわけではなく理緒の運気を表すように低空を一気に落ちる。理緒は合成皮革のソファにもたれ込んで仰向けに項垂れる。内装は真新しいガラスと少し水垢の残ったガラスで作られた窓、いかにも規格化されたといわんばかりの壁、15年もすれば立て直されることを前提に作られたであろう安い作りの古くはない戸建て住宅に理緒は複数の人間と共同で生活している。無論OSとなった理緒に市民権などはなく、住んでいるといっても、名目上は同居人のもつ一軒家となっている。
理緒はキメラになった一件以降各地のOSを襲い、力を蓄え続けていたところとある組織に取引を持ちかけられ、この拠点とある程度の自由に動ける支援金を得ている。いわゆるパトロンであるが、人間としてではなく絶滅危惧種の扱いに近い。理緒にとってはフェミニストに、自身が市民権を得て、人間として扱えというスピーチに参加させられるよりは充分実験動物程度の扱いでも快適である。理緒は、社会的な人間としての扱いは必用としていない。必要なのは自身を切り刻んでもOSになった原因を究明し、人間に戻ることが何より優先することであった。その一環として、人間らしい行動をとれば人のころの何かを得られると考え、よくいる人間の真似事をしていた。本来の、人間としての理緒はこのような堕落したことをする人間ではないが、4年以上OSの体を動かしたことにより、鳥居理緒の個性はほとんどなくなっていた。そのため、人間のころの残渣を扱うより、法則的な行動を模倣することを選択した。
一通りの行動がおわり、景気付けに、真昼から甘めの発泡酒を飲んでしまおうかと駄目人間の発想に至ろうとした時に、丸められた新しい新聞紙でデコを優しくはたかれる。
「一々破るんじゃない」
呆れたような声とともに新聞紙を持った声の主が理緒の目の前に立つ。声の主である男性は、コンビニで買ったと推測される食品が詰められた袋を置き、なんの価値もない新聞紙を回収しゴミ箱に捨てる。
年齢は30前後、ベリーショートの髪をワックスで固め、若干冷淡で、体育会系のような活発かつ厳しい印象を受ける。顔つきで、とがったような鼻と、深く刻まれたゴルゴ線と眉間の皺が印象的だ。サマースタイルのスーツを着ていることから社会人であるように見える。
名前は狩野と自称しているが、過去について、組織について、一切理緒に話していない。理緒を引き入れた張本人でもなく、監視役というものにちかい。
監視役としては最も長く理緒を見てきた人物であり、監視以外にも簡易的な実験を行っている。
「…当たらなければ放り投げたくなるものではないでしょうか」
「漫画の世界ではない。片付けも考えろ」
おおよそ20歳を超えているにもかかわらず、些細なことに気を回せない理緒に呆れつつ、狩野は袋の中から缶コーヒーと弁当、緑茶を取り出して向かいの1人用の椅子に座り弁当を開ける。購入時にレンジにかけた弁当は湯気を放ち、総菜特有の匂いを発する。価格は、2020年代では400円台で販売されていたものよりも、内容はコストダウンされているように見えるが、800円を超え、高価だ。インフレなどの微細な要因もあるが、それ以上にOSが引き起こした人口減少により、物価の異常な価格上昇が起こった。2020年代で可能だった大規模な食糧生産は、AIなどの導入により若干改善されたが、生産は縮小し、人件費も跳ね上がり、ディスカウントショップでさえ、2020年代の普通のスーパーマーケットの価格よりも高くなっている。
時刻は12時少し前ともあって温めた弁当を食べ始めると肉の脂と醤油の混ざった匂いが充満し、食欲をそそられる空間となるが理緒は特にそれに反応するわけでもない。
いつもの調子といった感覚で理緒もコンビニ袋に手を伸ばし、もう一つのコンビニ弁当と緑茶を取るとフォークで、トマトソースのかかったパスタを摂食する。大きな傷跡は見た目通りに筋肉の動きを断絶させているのか、理緒の口は傷跡に向かって開きが狭まっている。
「そういえば理緒、親に会いたいとかないのか?一応一般家庭育ちだろ」
今はそうは思えないが、と言う言葉は喉の奥にしまい込む。目の前の、平日の昼間から宝くじに一喜一憂するように見える化け物に問いかける。理緒は1人での時期も合わせて4年は実家に帰っていないし、そもそも死人として扱われているため、その後の処理も終わっているだろう。
しかし、年頃の人間の心が残っているならば多少ホームシックになったりするのではと、忘れた頃にこの質問のニュアンスを変えながら聞いている。無論、これは、単純に理緒が人間に近くなっているかの確認ではなく、嘘をつけるようになっているかの確認でもある。理緒は、自身を化け物として認識しているため、一種の自暴自棄となっているため、自衛のための嘘や言い訳をしない。それをするようになれば、理緒は、人間ではなく、嘘を覚えた化け物として処理しなければならない。狩野はただでさえ深い眉間の皺を深め、理緒を観察する。
「まだこの体になってから両親が何か別の動物になったように感じるので」
いつもと同じ答えに狩野は、嘘であるか見抜けなかったが、その様子から変化がほとんどないと結論付ける。理緒曰く、これまでの両親は客観的に見ても一般家庭の中では優良な親と言っていたがOSになった際、それが自分の親がカエルかミミズのような親近感しか感わかないと発言していた。それに変化があれば自身の発言に後ろめたさがある可能性があるが、それはなかった。仮に嘘であっても、何もわかっていないOSの所持者の親として、まともに扱われるかも怪しく、最悪自分のために周りにも被害が出ると予想され、近寄らせたくないという健気な感情であれば力強さがあっただろうが今回もいたって平然としている。
一通りの可能性を順繰りに考察するが、結局、変化はないと結論付ける。理緒は、接種区の姿勢を戻して、狩野に向かう。
「…そういえば何か進展はあったんですか?」
「何かって?」
「OSの情報だとか、画期的な見つけ方とか」
「お前のせいで軌道修正されてない」
「……」
OS同士が引き合うということはなく、理緒は直感でどの方角に、現在で自分より強いか弱いかという程度でしか分からない。そのため、OSの気配が確認され次第、場当たり的に変身し、突貫していた。超科学対策局の人間は、理緒が変身している時に生み出した副産物の結晶の解析を最優先としている。これは、OSが現れた際、多くの確率で目撃されることから、理緒に磁石のような働き、もしくは何らかの探知機能のある遺伝子があるのでは、と仮説が立てられているためだ。それに加え、OSが発生した場合、大型のものは理緒がある程度討伐していることから、超科学対策局のOS対策は現場のOS対策の研究よりもOSの発生メカニズムや分化、体系化などの分類学や分子生物学的な側面が強い。
そのため、OSに対する現代科学のアプローチの研究レベルは海外と比べて後進的であり、海外の先行研究に依存しているといっても過言ではないと評価されている。
「…やってることから考えたらそうなりますけど、私、一応対策局襲撃しましたし、今の装備でできたことが空飛ぶ猿を捕まえることぐらいですよ?」
「お前が手当たり次第捕食しているため、過剰な装備は不要と思ってる連中もいるんだ。自業自得じゃないのか?」
超科学対策局は、未だ本局である場所以外の設備は拙く、各研究所の方向性も背探りの状態である。一期生が民間の警備員と同じ装備で街中を駆け回り、理系出身の局員が外部と協力し、研究と対策を行っている状態である。加えて、危険度の高い上にコンプライアンスが非常に重要のため、実績のある警察官や自衛隊、新卒のみで構成されている。そのため人材の補充がままならない支部も多い。
OSの立ち位置は非常に不安定で、OS自体がピンキリで単身の小学生ですら対応可能というもあれば、理緒の捕食した機械のように巨大なものまであり、細菌などのサイズで核爆弾のような少量で多大な利用価値があるものまであると危惧される。
そのため、一概に大きさや起こした事件から考えのも憚られる上に「自分たちでも止められるのなら」とやたらめたらに抗議し出す集団が現れたため超科学対策局員の所持できる限界が現状である。
「…平和ボケしたヒトは……襲ってしまいましょうか」
「やめておけ、今度は陰謀論とか言い出すぞ」
「なんで自衛にそれだけの頭が回らないんでしょうか」
「人間は自分がわかる範疇でしか行動できないんだ」
未だ1期生と呼ばれる局員たちが奮闘しているが信頼は低くまともな研究も進んでいない。
理緒は進まない現状に呆れたのか必要以上にパスタをきつく巻いてため息をつく。理緒が襲撃した対策局も、取材不可としたにもかかわらず報道陣が詰めかけていたため、そのOSが捕食していると勘違いしたキメラが縄張り争いを行ったと解釈されている。
「そういえばお前のコードネームが正式に決まったけど…どうでも良さそうだな」
狩野はそれを言いかけて理緒を見るが、全く興味がなさそうにパスタを口に運んでいる。食事しながらの会議はしばらく続き食事を終えると理緒はキッチンに移動し、冷蔵庫から卵を取り出して殻ごと飲み込む。それを見ていた狩野は慣れた様子で半分に見ている。
「……まだ飲み込めるのか」
キメラと融合した理緒は、最初の捕食が人肉である事以外にも、自分の胃の容量とはかけ離れた多さであったことから通常の食事以外にも特別な捕食があるのではと試した。その結果、自身の中でキメラの力を若干使う感覚で摂食行動を行うと、丸呑みや大量の食事ができることが分かった。それは、自身のOSの部分の状態により、吸収の任意性が変わるため、定量的に測るため、時たま食後に卵を丸呑みすることで確認している。
「………」
(まだ戦える)
ため息を吐く。理緒の目標は、最強の個体になることでも、ただあてもない戦いに身を投じているわけでもない。中途半端に融合した理緒はただの一般人に戻ることが目的だ。
「今日は人通りがすくない。出かけたらどうだ」
「はい、そうですね。そうします」
OSは毎日出るわけではない。しかしOSが発生した直後などは復興などにより、人の行き来が活発になるが、そのほかは警戒状態なので外出は控えさせられる。理緒は一通りの化粧とマスクをして傷の目立たない格好になると1人で家屋を後にする。