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6. ヴィクトリアというひと


私を睨んできたその獣人は、にっこりほほ笑んでこう言った。


「お昼をご一緒しない?」



お昼時、そのレストランは獣人で混雑していた。

やけに大きな獣人ばかりで、あちこちで牙がぎらりと光っているのが見えた。よく手入れのされた、真珠色の牙だ。やっぱり獣人専用の歯ブラシとかがあるんだろうか。それってどんな形状なんだろう。


「やっぱお昼休みはここよね! 獣人の間でも評判のお店なのよ。私は兎の臓物のパテのサンドにするわ」

「はあ」

「アイノはどうする? あっでもでも、ここって臓物系しかないから、人間に食べれるものって少ないかも? 美味しいんだけどねえ」


その美しいアーモンドアイをかわいらしく歪ませ、ヴィクトリアさんが唸った。

唸ったというのは、女子にありがちの「あーん」だか「うーん」だかよく分からない語尾を獣人のヴィクトリアさんが発音すると、ますます獣の唸り声じみてくるからだ。


向かいの席では、皮だけ剥がれた羊の丸ごとを美味しそうに突いている獣人のカップルがいる。きれいに臓物が処理されているようで、臭みがあまりなかった。

なるほど、評判になるわけだ。


「そうですね、では私はこの馬のレバーのランチセットにします」

「ん? レバーって臓物だけど、分かってる?」

「はい。鉄分摂取には最適の食べ物ですよね」


我が家では基本的に肉の赤身のところは、元・父や元・兄が食べることになっていた。

そうなると必然的に元・母や姉さん、私などは、余りものの臓物を食することになるのだが、コック長の腕がべらぼうに良かったために、赤味肉よりも美味しく頂くことができていた。

というかむしろ普通の貴族の女性より体が丈夫になったおかげで、元・父にくっついて領地の見回りまで行き、領民が冬に備えて家畜を解体するところを見ることができた。何なら解体も手伝ったし。


――というのはまあ、昔の話である。今は今のことを考えよう。


ヴィクトリアさんというのは、さっき私のほうをじっと睨んでいた猫の獣人の名前だ。

ランチタイム、呼び出されて私と一緒に出られなかったシュロさんに代わって、私のお昼ご飯の相手をしてくれている。

奇特な人である。


――そんな人の前で、決してくしゃみを連発したり、鼻水を垂らすところなど見せてはならない……!


目に力を入れてヴィクトリアさんの方を見る。かわいらしい、少し折れた耳がひくんと動いた。

ヴィクトリアさんは波打つ金髪を、長い爪の生えた手でくるくると弄びながら、


「そう言えば私の自己紹介がまだだったわね。ヴィクトリア・フォン・アイゲンスバーグ。ご存知の通り、父はここアルハンゲリスク共和国の大臣を務めているわ」

「それは凄い方なのですね」

「それほどでも! そして今は社会勉強のために入国管理局で働いているのよ」

「大臣のご令嬢ともあろう方が労働とは……頭が上がりません」

「ふふふ。まあ、別に働く必要なんてこれっぽっちもないのだけれど、ほら、殿方を落とすには一緒の時間をすごすと良いと言うでしょう」

「はあ、まあ、そうとも言いますね」


なんの話をしてるのか、先が読めない。店は繁盛していて、あちこちのテーブルから楽しげな笑い声が聞こえてくる。

横の獣人がグルルルゥと唸りながら皿の上の生肉にかじり付いた。肉片がここまで飛び散ってきたので、つまんで床に落とす。


アルハンゲリスク共和国にはフォークはないのだろうか。いやあるな。ならフォークを使えばいいのに。元・婚約者殿だって一応フォークを使えるくらいの知性はあったのだから、きっと誰でも使いこなせる。


「実際うまく行っていたのよ? シュロとは毎日お昼に行く仲だし、退勤の時も尻尾に乗せて途中まで送って行ってくれるの」

「あ、じゃあ今日も乗られるということですよね。私は今朝シュロさんに抱かれて来たんですが、帰りは私が尻尾に乗って……」


ヴィクトリアさんが悲鳴をあげた。


「だ、だ、抱かれた!? シュロに!? 何回頼んでも『僕両手だけ猫アレルギーだからさ』って言って尻尾にしか乗せてくれなかったシュロに!?」

「……そ、それはだって、ほら、私は猫じゃありませんし。アレルギーが出ないのも当然です」 

「そ、そ……そうよね! もちろん分かっていたわだってあなたは」


ヴィクトリアさんの目が剣呑に光る。


「人間、だものね」

「はあ」


ここで人間が歓迎されていないことは分かっている。街を歩けば好奇の目線でじろじろと見られるし、あからさまに威嚇などされたりもする。


――だがまあ、じろじろ見られるのには慣れているし(醜女は社交界における娯楽である、無論眺める側にとっての)、威嚇されるのも元・婚約者様のおかげで耐性がついた。今更なんでもない。


「あなた、シュロと住んでいるんですってね。……もちろん奴隷として、よね? みぞれが花嫁だとか言っていたけど、まさか」

「いえ、花嫁としてです」


ぴぎぇ、だかきぇえ、だかよく分からない声を上げてヴィクトリアさんが立ち上がった。

目を真ん丸くして私のことを睨んでいる。


これたぶん、何か誤解してる。


「あの、ですが、それはあくまで便宜上の名義でありまして! 法律的に私とシュロさんが一緒にいるためには花嫁か奴隷になるしかなく!」

「じゃあ奴隷でいいじゃないのよお!」

「それはシュロさんの主義に反するようでして! ああっヴィクトリアさん、それは隣の人のお皿ですーっ!」


怒りのあまり横のテーブルの生肉を持ち上げたヴィクトリアさん。


あ。私はこのパターンを知っている。


『一家の面汚し、生意気な平民の女、本しか相手にしてくれない不美人――』

きっとそう言われながら物を投げつけられるのだ。

まるで自分にはその資格があるとでも言わんばかりに。


けれど、ヴィクトリアさんは、そのままそれを――。


私に投げつける、のではなく。


自分の口にばくんと放り込んだ。


「なにようなによう! 私がシュロと結婚してあの龍人随一の名家の血を貰って! うちの力を盤石にする予定だったのに! なんでっ、横から出てきた人間にっ、目の前のご馳走掻っ攫われなきゃなんないのよーっ!」


隣の人が頼んだのは、鶏肉のぶつ切りだったようだ。ひょいぱくひょいぱく、と次々口に放り込まれてゆく肉のかけら。

ものすごい速さだ。隣の人は私と一緒にぽかんとした顔でヴィクトリアさんを見上げている。


「ごちそうさまっ! おかわりっ!」

「は……はいっ! 店員さーん!」









結果的に店にあった鶏肉を全て平らげたヴィクトリアさんは、最後のデザートと称してハーブティと杏の砂糖漬けを頼んだ。

砂糖漬けは、お皿の上に二、三個しか乗っていない、お上品な盛り付けだった。


「……見苦しいところを見せたわね」

「いえ。あそこで投げつけずにご自分で召し上がられているのを見て、ほんとうに、私なんかが喋って良いようなお方ではないのだと思いました」

「なあにそれ、嫌味?」

「え? いえ、私はよく貴族の方から食べ物を投げつけられていたのですが、もっともっと身分の高い方は、そういうことをなさらないので」

「はあ? なんで食べ物なんて投げつけられるのよ」

「醜女のくせに分不相応なお方と婚約したから、だそうです。まあその婚約も破棄されて自殺しようと森に入ったところをシュロさんに拾われたわけなのですが」


ヴィクトリアさんはいらいらと私の言葉をさえぎり、


「待ちなさい、情報量が多すぎるわ。順番に行きましょう。あんたは誰と婚約したの?」

「人間の世界には王家というものがありまして、まあその王家の末席――金で王家の座を買い取ったと言われている一族のご長男と、です」

「王家は知ってるわ。で、その婚約を破棄されたのはなぜ」

「本の角でその人の頭をぶん殴って昏倒させたからです」

「……なんで、殴ったの?」

「姉を侮辱されたからです」


そう言うとヴィクトリアさんは、にいっと笑った。初めて見る、この人の笑顔だった。

ちょっとあくどいけど。


「いいわね。私そういうの好きだわ。手ごたえのない真面目な馬鹿かと思ったら、意外とやるじゃない」

「いえ。全くそんなことはないのです。それで家族から勘当されまして、自殺しようと森に入り込んで――結局事をなせなかった、臆病者ですから」

「ふうん。で、そこをシュロに拾われた、と」


ヴィクトリアさんは優雅なしぐさでハーブティに口をつける。


「――似た者同士、ってとこなのかしらね」

「え?」

「いいえ、なんでも。だいたいね、びびらせようと思ってこんな大型種の獣人しかいないレストランにつれてきても、あんたちっとも顔色変えないんだもん。つまんないわ」

「えへ……それほどでも」

「褒めてない。ま、事情は分かったわ。でもシュロのことは渡さないわよ。例え相手が花嫁であってもね!」


きれいに手入れのされた爪で、びしっと私を指すヴィクトリアさん。


「……」

「……」

「でも、花嫁ってことは、シュロがあんたのものだってことは確定済み? 私の負け!?」

「いや、さすがにそんなことはないんじゃないですかね?」

「わっかんなくなってきたわ! あーもう!」


がしがしと自分の尻尾を引っ張るヴィクトリアさん。


「あの人があんたを拾った理由は何となく察しがつくだけに、むかつくわね」

「へ? シュロさんが私を拾った理由……分かるんですか!?」


知りたい。なぜあの人が私にここまで良くしてくれるのか、を。

そう追いすがると、ヴィクトリアさんは意地悪く口の端を釣り上げた。


「そんなオイシイこと、教えてあげるわけないでしょ、おばかさん!」

「む……。焦らしますね……」

「だいたいそういうのはシュロの口から直接聞くべきだし? あんたが私を睨むのをやめたら、教えてあげないこともないんだけどなー?」

「あの、これ、睨んでいるのではなく……」

「睨んでるんじゃなく?」

「私も猫アレルギーなので、その……くしゃみとかを堪えてるだけでして……」



「……こんの似た者同士が!」


シュロがなぜアイノを連れて行ったのか?

どうしてヴィクトリアは「似た者同士」と呟いたのか?


そして、アイノの元・婚約者はどんな人だったのか?


楽しみにしていてください!

よろしければ感想など頂けると、励みになります〜!

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