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5. 適材適所




まだ日も上らない早朝だというのに、入国管理局は蜂の巣をつついたみたいな騒ぎだった。


「わーっ! 種族分かんないけど今子どもが走ってブース通り過ぎちゃった! 警備班止めてー!」

「だから、あの獣人がビザなしでここを通れたのは、外交官だからなんです! おにーさんは観光用のビザを取んなきゃだめなの、お分かりですか!?」

「荷物が多すぎますね。ちょっと中を見せてもらっても? あら、どうしてそんなにうろたえられるんですか? 変な人ですね……」


ガラスばりのブースでは、職員たちが各々のペースで入国者を通している。ブースの後ろは管理局の本部室に繋がっていて、自由に行き来できるようだ。


種族も様々。

みぞれさんのような精霊もいれば、豹や羊の獣人、龍人の亜種のようなものもいる。皆、人間界ではお目にかかれない人たちだ。


言葉はシュロさんの翻訳魔術のおかげでどうにかなっている。ほんとうは色んな言語が飛び交っているのだろう。いや、そもそも言語を介さず、テレパシーやボディランゲージで意思疎通する種族もいるというから、それを全て私に分かる言葉に落とし込むことのできるシュロさんの魔術は、相当高い技能によるものだ。


――だけど、そんなシュロさんは、今。


ブースの中で暇そうに自分の鱗を磨いている。

ブースはそんなに広くないから、私とシュロさんはほとんど肩を接するくらいの距離に座っている。

狭いとは言え、暑くもなければ寒くもない。むしろシュロさんの鱗の、ビロードみたいな感触が心地いいくらいなのだが。


とは言え、あれほど忙しそうにしている人たちを前に、自分だけのんびり座っているのも気が引ける。


「あの、シュロさん」

「ん? どうしたの、アイノ」

「どうしてこのブースには人が来ないんでしょう?」

「僕の仕事が、普通の人とちょっと違うからだね。ああでもそうか、アイノは暇になっちゃうねえ」


シュロさんはごちゃごちゃの机から、端っこがよれて古ぼけた冊子を取り出した。


「これ、入管法が書かれた本。こっちが新人向けのマニュアルで、こっちが質疑応答集で、ええとこれが緊急時の対応法、それから救急ハンドブック、っと」


どさ、どさっと積み上げられてゆく冊子たち。

開いてみると、細かい文字がびっしりと並んでいた。


「い、挑みがいのあるマニュアルですね……!」

「あはは、そうだねえ。今は僕の助手をやってもらうけど、経験を積んだら一人でブースに立って貰うこともできるかも?」


その言葉に私は顔を上げる。


一人でブースに立つ、ということは。

目の前にずらずらずらりと並ぶ入管待ちの人たちを、一人でさばかなければならない、ということである。

苛立っている人もいる。子どもを連れている人も、どこか不安げに辺りを見回している人もいる。

彼らに入国の許可を与える、なんて大それたこと――。


「む、無理です。というか、人間が入管の仕事をしてるなんて、認められないでしょう。今だってここにいられるのが不思議なくらいなのに」

「そーかなあ? 別に人間がここにいちゃいけないって法律はないよ」

「いえ、そもそも人間がアルハンゲリスク共和国への立ち入りを厳しく制限されているのは、技術の不法持出が多かったからと聞きます。違法に持ち出した技術で、龍人をはじめとする獣人連合に、戦争を仕掛けようとしたから、とも」


アルハンゲリスク共和国と人間の世界。

それが厳しく分かたれているのは、精霊や獣人たちが、人間の持つ凶暴性を嫌ったからだと言われている。


戦争するなら人間同士で勝手にやっていろ、こちらには被害を及ぼすな、ということなのだと思う。


「そんな人間の私がここにいたら、疑われるのではないでしょうか? 例えば技術漏えいとか、貴重な魔術生物の持出、密輸出とか……!」

「いや、僕のお嫁さんだから大丈夫だと思うよ」

「確かに違法滞在ではありませんけれども」

「というか、逆にここで働いている方が白く見られるんじゃない? 常に同僚の厳しい視線にさらされてるわけだし?」


……なるほど。一理ある。

不法入国者が堂々と入管で働いているはずもなし、このブースの内側にいるということは、少なくとも怪しい人物ではないということの保証になる。

いずれにしても、私の身許はシュロさんによって保証されている、ということに変わりはないのだけど。


「そっか。シュロさんはそこまで考えて……?」

「そんなわけないよ~」


にへ、と笑うシュロさん。

――まあ、そんなことだろうと思いましたけど!


などと言っていると、ブースの前にみぞれさんがやって来た。

硬質な美貌は、無表情であればあるほど美しい。翡翠色の瞳でちらりと私の方を見ながら、


「ね、このビザちょっと見てくれない?」


とシュロさんに一枚の紙を差し出す。

固い紙で出来ていて、よく見ると透かし彫りが入っている。右下に青いインクで複雑な文様が押されてあり、同じ青いインクで流暢なサインが施されてあった。


査証と書かれたそこには、アルハンゲリスク共和国大使館の名で、この人物の入国を許可する旨が書かれている。金色の箔押しもしてあって、いかにも重要書類という印象を受ける。


シュロさんは注意深くその紙を手に取った。

何気なくその顔を見上げた私は、はっとした。


そこには、のんきで穏やかないつものシュロさんではなく。

真剣なまなざしで、食い入るように紙を睨み付けている、シュロさんがいた。


人間のようによく変わる表情はぴたりと止まり、呼吸する音も聞こえない。ただ、視線ばかりが雄弁に彼の集中を物語っていた。

静謐な顔は、人間と見れば女子供でも構わず殺す――なんて野蛮さからは程遠く、賢者の名高い龍人らしい知性に満ちていた。


――こんな顔もできるんだ。


そう思うと同時に、私が今まで信じ込んでいた龍人の知識が、いかに浅薄なものであったかを思い知って、少しだけ恥ずかしくなる。本だけで得た知識を鵜呑みにするのは、ちょっと危ない。


微かに湿ったその鼻がひくんと動いたかと思うと、シュロさんはぱっと顔を上げた。


「このビザは、ニセモノだ」

「根拠は」

「インクに使用されている原材料が違う。このビザに使われているのはラピスラズリから作られたインク。けど、査証発行元であるアルハンゲリスク共和国大使館に供えられているのは、ラピスラズリではなく孔雀石――マラカイトからできているインクのみ」

「ダウトね」

「他にも三つくらいニセモノの根拠を挙げられるけど」

「その一点のみで十分。ありがとね、報告書の方は後であげておいて!」


みぞれさんは、全身をしゃらしゃらと美しく鳴らしながら、自分のブースへ戻ってゆく。

ニセモノのビザを提出したその獣人は――大人しそうな、羊の角を持った人だった――は、警備班の手によって別室へと連れて行かれた。


「シュロさん、今の、見ただけでインクの違いが分かったんですか? すごいです!」

「匂いが違うからねえ」


事もなげに言うけれど、私には違いなんて全然分からなかった。


「あと三つくらいニセモノの根拠を挙げられるって仰ってましたけど、それはなんですか?」

「サインの筆跡、紙質、金箔に混ぜ込まれた魔力の質の違い……かな?」

「すごい……! なるほど、シュロさんのお仕事は、ビザが本物かどうか鑑定する鑑定士なんですね!」

「ま、かっこよく言ったらそうなるけど。大した能力じゃないよ、ただ公文書中毒なだけで」

「公文書中毒」

「昔っから公的に発行された書類を見るのが好きでね。ずっと眺めてたら、真贋の判定がつくようになってた」


初めて聞いた。活字中毒、みたいなものだろうか。


「私、なんだか恥ずかしくなりました。龍人が出会いがしらに人間を殺すなんて、ほんとに馬鹿げた思い込みでした。シュロさんは全然そんなじゃないのに、ごめんなさい!」

「ん? 別にそれはもう気にしてないけど……」


と言いながらも、シュロさんはちらりと意味ありげに私を見る。

その爪先が、机の上のまっさらな書類をつまみ上げた。


「……そんなに言うんなら、これ書くの、手伝ってくれる?」





ニセモノのビザを発見したら、それに関する報告書を書かなければならないのだそうだ。

ビザの複製ができないように改善してゆくためのきっかけになるし、ニセモノのビザの件数把握などにも役に立つ。理にかなっている。


ただ、シュロさんはこれが大の苦手なのだという。


「書くとこ細かいし、何書いたらいいか分かんないし……」


と、その大きな体をもじもじさせて言っている。

その一方で、私はというと。


――正直言ってとても得意だ。


元・父親は一応貴族の末席の端くれみたいな地位だったので、税金を取るべき領土や領民がいた。そして私は、その計算や国王への報告書を書く役目を担っていたのだ。

書き物仕事には、美人不美人は関係ないと、まあそういう理屈らしい。

性に合っている分野だったので、ものすごく楽しくやっていたのだが、後でメイドのシルフから「おかわいそう」と言われてしまった。

まあ、普通の淑女は租税の計算はしないか。






「……というわけでみぞれさん。ここまでは前回の決済書類を見ながら書けたんですが、こことここ、あとこの特記事項が分からず。教えて頂けますか」


鉱石の精霊は、その報告書をたっぷり眺めてから、そうして。


「……完璧」

「え?」

「完璧よ完璧だわ文句なし! ここは上司の印鑑、こっちはチェック欄で特記事項は余程のことがない限り書かなくていいから空欄でオッケー」

「ではこのまま提出させて頂けるということですね」

「ええ、私の書き直しがなくてもね。すごいわ、シュロから上がってきた査証偽装に関する報告書を、私が書き直さなくてもいい日が来るなんて!」


みぞれさんはにこっと笑って私に抱き着いた。彼女の固くてひんやりした皮膚が、微かに汗ばんだ腕にさらりと触れる。つめたくて気持ちが良かった。


「シュロが人間を急に連れてきた時は、どうなることかと思ったけど……! なるほどこの実務能力なら即戦力だわ」

「い、いえ、出来るのは書類仕事だけですので……」

「その書類仕事が出来る人が喉から手が出るほど欲しかったの!」


本部室に引っ込んだみぞれさんは、うずたかく書類の積まれた書類箱を持ってきた。書面にはどれも、みみずののたくったような字が書かれている。


――ちょっとだけ嫌な予感がする。


「これ、シュロが提出して上から出し直すよう依頼された報告書なんだけど……手直し、お願いできる?」

「わ、分かりました」


がさり、と受け取った書類の束を見て気づく。


「これ、私の大きさなら楽に書ける書類ですけど……龍人のシュロさんには少し小さすぎるんじゃないでしょうか」

「書類の大きさは統一されちゃってるのよねー……。入国管理局では、原則として魔術の使用は禁止だし」

「でも私には魔術がかかっているんですよね?」

「生き物にかかってる魔術は固定されてるから大丈夫なの」


入国管理局では、どのような不正も検知できるような術式――仕組みみたいなものがあるらしい。その仕組みに引っかからないようにするための、魔術の使用禁止、ということなんだそうだ。


「もっと書きやすいものになれば、書き直しも減るんじゃないでしょうか」

「そのためには、あのこわぁい上司を説得しなきゃね」


苦笑すると、みぞれさんは仕事に戻って行った。

私は書類の束を抱え直すと、シュロさんのブースに足を向ける。


「……?」


視線を感じて振り返る。

ブースの端に佇んでいる、美女。恐らくは猫との獣人で、遠くから見てもスタイルの良さが分かる。ミルクティ色の毛がとても綺麗だった。髪の毛の金髪と見事なグラデーションになっているのも、かっこいい。


その人が、じっとりと私を睨み付けていた。


金色の眼差しは鋭い。思わず目線を逸らすと、視界の端でその人が顔をしかめたのが分かった。


――もしかして、私が猫アレルギーであることがばれて、気を悪くしたんだろうか。

でもそれって体質だし、仕方がないし。


心の中でそう言い訳しつつ、私はシュロさんのブースに戻った。

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