4. 花嫁の役目
シュロは両手いっぱいに荷物を抱え、鼻歌を歌いながら家路についていた。
みぞれに教えて貰った、女の子に必要なもの。人間が使うこまごました道具。仕事を早退して、雑貨店でそれを選ぶのはものすごく楽しかった。
翼を大きくはためかせ、風に乗って上昇する。
翼で飛ぶ種族は少なくなった。たいていの空飛ぶ生き物は、魔術によってその体を浮かせて飛んでいる。
けれど種族によっては、いまだに翼で空を飛翔するものもいて、シュロはその代表格だった。
この、風に体が乗って、重力を感じなくなる瞬間が好きだった。
翼の付け根に感じる、微かな疲労感も心地良い。
何より、苦労して見る夕暮れの色合いは、格別だった。
「なーんて、なかなか理解されないけど、さ」
自宅の目印である、大きな欅の木が徐々に近づいてくる。
家の窓に明かりがともっているのが見えて、シュロは何だか嬉しくなった。
「わはっ。暗くない家に帰ることが、こんなにうきうきするものなんて、知らなかったなあ!」
シュロの声を聞きつけたのだろうか。
戸口が開いて、口元に布を巻き付けたアイノが出てくる。
「お帰りなさい。すみません、今掃除してて、ちょっと格好が汚いんですが、」
「今の! ね、もっかい、もっかい今のやって」
「ええ?」
アイノは小首を傾げ、口元の布を取ってから、
「お、お帰りなさい?」
「それそれ! あーいいなあ、僕お帰りなさいなんて言ってもらうの、子どもの頃以来だよお! それ、毎日やってくれると嬉しいな」
「そう仰るんなら、そうします。……あの、その荷物は?」
尋ねられたシュロは、意気揚々と包みを掲げて見せた。
「きみへのお土産だよ!」
*
シュロさんが買って来てくれたものは、ありがたさ半分、なんでこんなもの買ってきた? が半分だった。
歯ブラシとか櫛の日用品、これは素直に嬉しい。
けど、よく分からないノミと槌(これはみぞれさんのアドバイスだと言っていたから、鉱石の精霊には必需品なのか……?)とか、アルハンゲリスク名物、動くタペストリーだとかは、正直すごくいらない。そんなこと面と向かっては言えないけど。
「服とかは好みがあるんだよね? だから今度街に買いに行こう。人間用のお店はないけど、精霊向けの服ならぴったりだと思うんだ」
「あの激細ウエスト向けの服を私が着られるとは思えませんが」
「そう? きみも十分細いと思うけどな。まあいいや、あと何か欲しいものはない?」
「そうですね……。ここの国の公用語の入門書なんかがあれば、ありがたいです」
ああ! とシュロさんは思い出したように立ち上がると、自分の腹に巻き付けていた、ハンモック状の鞄に手を突っ込んだ。
そこから数冊の薄い本を取り出し、私に手渡してくれる。
「そう言うと思ったんだ! これ、アルハンゲリスク共和国の公用語、アルゲン語の人間用入門書。あとは勉強用に、子ども向けの本を何冊か」
「すごい! 買って来て下さったんですか」
「きみのことだから、きっと欲しがるだろうと思って」
「嬉しいです! この家って、当たり前ですけど、言語の基本書の類がないじゃないですか? どうやって勉強しようか悩んでたんです」
ほっと安堵の息を吐く。
「私がこの国の言葉を話せるようになれば、シュロさんもずっと翻訳の魔術を使わなくて済みますもんね」
「ありゃ、気づいてた?」
「気づくに決まってます。家に帰ってまで魔術を使ってたんじゃ、疲れますよね」
シュロさんは、出会った時からずっと翻訳の魔術を使ってくれていた。そのくらいは私もちゃんと理解している。
龍人は他の獣人に比べて大量の魔力を持っているから、たかが翻訳魔術ていどでは、さほど疲れないだろうけれど。
でもやっぱり、言葉はできるに越したことはない。
――それに、アルゲン語が分かるようになれば、魔術の知識やこの共和国の情報を、原語で読むことができるようになる。
そうすれば、人間の世界で流通している本よりも、多くの知識が得られるだろう。
読める本の幅が広がるのは、単純にうれしい。たのしい。喜びだ。
私の気持ちが伝わったのだろうか、シュロさんは目を細めて、薄い本の何冊かをちょいちょいと爪で示す。
「これ、僕が子どもの頃のお気に入りなんだ。本屋で見つけて嬉しくなって、つい買っちゃったよ。人間向け(ミドルサイズ)の本って、挿絵とかが入っててきれいだね」
「ドラゴン向けの本は挿絵がないんですか?」
「うん、ほら、このかぎ爪だろ? こういう紙の本だと、破いたりしちゃうから、銅板に刻まれた文字を読むんだ。挿絵もなくはないけど、ここまでカラフルではないかな」
「ふむ……。植生もあるんでしょうね。シュロさんたち龍人の祖国である南方の風土は、どちらかと言えば乾燥していると聞きます。紙は植物から出来るものですから、紙よりも銅板や粘土板の方が扱いやすかったのでしょう。それに紙に使うインクや墨も、植物由来のものが多いですから……」
そこまで言って、はっと顔を上げる。
きょとんとした顔のシュロさんと目があった。
「す、すみません。私、いつも、必要のないうんちくばっかり言って煙たがられちゃうんです! ごめんなさい、直します」
「なんでさー! いいよいいよすっごくおもしろい、本好きな人って色んな話ができて楽しいよね」
「広く浅くですから、常にアマチュアどまりなんですけどね……」
「僕はわりと一つのことにのめりこんじゃって、周りのこと見えなくなる性質だからさ。アイノの話、もっとたくさん聞きたいな」
そう言ってシュロさんは、今気づいたように居間を見回した。立ち上がってうろうろとキッチンの方へ向かう。
「わ、もしかして、部屋も掃除してくれた感じ?」
「どれを触っていいか分からなかったので、あんまりはかどってはいないんですけど……」
「いやいやすごいよ! キッチンの床が見えるもん! しかもなんかいーにおいする」
「あ、そうだ、夕飯は召し上がりました? おいものスープも作ってみたんですが、好きですか?」
シュロさんの尻尾が、犬みたいにぴん! と伸びた。
「それすごく好き! なんで僕の好物が分かったの!?」
「いや、だって、お家にじゃがいもしかなかったですし……」
それも、安いから買いだめしたとか、お金が無くてじゃがいもしか買えないというような感じではないのだ。
いかにも高級そうな絹の袋に詰められた小さなじゃがいもから、恐らくは産地が異なるであろう、箱に分けて保管されている大きなじゃがいもたち。
いくら鈍い私でも、ああ産地にこだわるくらいじゃがいもが好きなんだな、ということくらいは分かる。
さすがにじゃがいもだけでは……と、乾燥トマトと無事そうな人参、アスパラガスを入れて見た目を整えた。
「チーズもあったので、召し上がるときにかけてください」
「あーそれ探してたんだよね。お土産に貰ったまま放置しちゃって……って、違う違う、そうじゃなくって」
シュロさんはぶんぶんと首を振って、私の方にぽん! と両手を乗せた。
「掃除もご飯も嬉しいけど! 役に立とうとしなくていいって、僕言ったでしょ!」
「でも、これは花嫁の役目ですから」
「ええ? 違うよ、掃除もご飯作るのも、別にきみだけの役目じゃないでしょ」
「そ、そういうものですか?」
「そうだよ? だってそんなの、僕だってできるしね。上手いか下手かは別の話として」
そう言われて何だか不思議な気持ちになる。
掃除・洗濯・調理は女の仕事。ずっとそう思ってた。龍人は男の人も家事をやるんだろうか。
思い出すのは元・婚約者。
彼は、紅茶にミルクを注ぐのでさえ、私にやらせていたくらいなのに。この差はいったい、なんだろう。
「じゃあ、花嫁の役目ってなんですか?」
「僕は一つ見つけたよ」
「教えて下さい!」
「ふふん、それはね……僕の帰りを待っててくれること!」
じゃじゃん! と得意げに言うシュロさん。
「……え、それだけ?」
「それだけ? じゃないよ、すごいことだよ! 明かりのついた家に帰るのがどれだけ嬉しいか。お土産に悩むのがどれだけ楽しいか。それはきみが家にいてくれるおかげじゃないか」
歌うように言ったシュロさんは、尻尾で優しく私の体を小突いた。加減した動きに、この龍人の優しさが感じられて、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
――いるだけで喜んでもらえる、なんて、久しぶりだ。
「さてと、それじゃご飯にしようか」
本やがらくたがうず高く積まれたキッチンのテーブルを、二人でかき分けてスペースを作り、簡単な食事をとる。
それから家事の役割分担と、立ち入ってはいけないところを話し合った。
龍人には入浴の習慣はないものの、鱗のノミを落とすために不定期にお風呂に入る必要があること。地下室には龍人用の重たい装具があって危ないので、できるだけ立ち入らないこと、などなど。
私が料理と掃除、シュロさんが洗濯と買い出しを担当する。
念の為、自意識過剰であることを承知の上で「寝室は別々ですよね?」と聞いたら、わたわたしながら頷いていたので、一応寝室も別々だ。
――いや、当たり前か。何を期待していたんだか。
「職場には明後日から顔を出すように言われてる。だいじょうぶそうかな?」
「はいっ。そのためにシュロさんは私を連れてきたんですもんね。私みたいな素人の力が必要なんて、よっぽど人手不足なんですね?」
「うーん、人手不足というか」
シュロさんは苦笑交じりに言った。
「きみなら、僕に足りないものを補ってくれそうでさ」
「シュロさんに足りないもの?」
聞いてみたけれど、シュロさんは答えてくれなかった。
――ま、いいか。明後日には分かることだ。
シュロさんと並んで食器を洗いながら、
「シュロさんって、聞いていた龍人と全然違うんですね」
「ああ、龍人は出会った人間を皆殺しにするっていうきみの妄想の話?」
「わ、私の妄想じゃないです。本に書かれてましたし、私の周りの人は皆そうだと思ってましたよ」
「まったくもう。そんな野蛮な種族じゃないよ。……ただまあ、武勲を重んじる方ではあるかもね。彼らからしてみれば、僕なんて腰抜けの臆病者で――卑怯者だ」
その言い方がやけに重苦しかったので、顔を上げてシュロさんの横顔を見る。
いくらかの諦念、それから――何かを恥じるような色が、その目には浮かんでいた。
常にほがらかで、優しいシュロさんがそんな目をするなんて。
「……シュロさん?」
「ん? ああいや、そうだね。他の龍人が、僕のような性格とは限らない。外で見かけても、気安く近づかない方がいいね」
「そうですね。今度こそ無慈悲に殺されてしまうかも」
「だからあ、そんなことしないってば!」
もう、と苦笑するシュロさんは、私の知るいつものシュロさんだったけれど。
彼の見せた一瞬の眼差しの色を、忘れることはできなかった。
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