2. 龍人の花嫁に!?
私の掲げる明かりが照らすのは、ぽっかりと大きな口を開けた洞窟だった。
夜闇よりもなお暗い穴は、微かな明かりなど容易く呑み込んでしまう。
「東の洞窟に何があるんですか? ここには狼の群れくらいしかいませんよ」
「ああ、ここと僕の国は繋がっているんだよ」
「シュロさんの国って……アルハンゲリスク共和国ですか!?」
「そうそう。何もこんな森の中にゲートを作んなくてもいいのにねえ。迷っちゃうよ」
知らなかった。家から走って三十分程度の森に、アルハンゲリスク共和国とのリンクがあるなんて。青い鳥は近くにいた、という典型的なアレだ。
――アルハンゲリスク共和国。
それは、龍人をはじめとする獣人や、幻獣たちが住まう外つ国だ。
様々な種族が共存し、混じり合うことで、独自の文化を発展させているという。魔術の発展も著しく、人間たちなど足元にも及ばない。
貴重な植物標本、魔術的に価値の高い遺跡、膨大な書物などなど、本の虫にとっても垂涎ものの国だ。
ただし、技術の流出を防ぐためか、人間が立ち入るにはビザがいる。
金とコネとを最大限に駆使して、年に数十人がようやく手に入れられるような代物で、とうぜん、私などには縁のないものだ。
――いいなあ。一度行ってみたかったな。
洞窟に踏み込もうとするシュロさんに、手元の明かりを渡す。
「中は暗いから、明かりが必要でしょう」
「うん? ああそうか、こういうときにリードするのは男の役目だもんね!」
頷いたシュロさんは、明かりを掲げて意気揚々と洞窟の奥へ進んでゆく。
その後ろ姿を見送りながら、私はちょっと残念な気持ちになっていた。
せっかく龍人と会えたのだ、爪痕の標本くらいは欲しかった。
せめて、爪や鱗のかけらだけでも、どこかに落ちていないだろうか。
そんな意地汚い気持ちで地面を眺めていると、洞窟の奥から「ありゃあ!?」というシュロさんの悲鳴が聞こえてきた。どたどたと足音をたてて戻ってくる。
「ねえ、ちょっと! アイノ!」
「は、はいっ!?」
「ちゃんとついて来なきゃだめでしょ! もー、振り返ったら誰もいないんだもん、びっくりしたよ」
「あ、アルハンゲリスクへの入り口までお見送りした方が良かったですか」
「……ちょーっと、認識に齟齬があるな? 僕はさ、さっき、行こうかって言ったよね」
「ええ。東の洞窟への案内人が欲しいのかと」
「違うって。僕はね、アルハンゲリスクに行こうかって言いたかったんだよ」
「……私と、ですか」
「他に誰がいるの」
苦笑するシュロさん。
だけど、だって、ありえない。
私がアルハンゲリスク共和国に行けるなんて。ビザ取得には厳しい制限があったはず。職業も地位もない私が行けるわけがない。
「きみに行くところがないのならちょうどいい。助手が欲しかったんだ、何しろニュウカンはいつもてんてこまいだからね! きみなら気がきくし、すごく働いてくれそうだし!」
「で、でも私、ビザを持っていません」
「だいじょうぶ。ビザがなくても住めるよ。ちょっとした裏技でね」
シュロさんは私に尾っぽを差し出す。なめらかそうな質感の鱗は、明かりを受けてにぶく光っていた。
「ここに掴まっててね。足元には気を付けて」
触れた彼の鱗はほんのりと暖かく、ビロードのような感触がした。
冷え冷えとした洞窟。微かに動物の臭気がするけれど、不思議と怖くなかった。何と言っても隣にいるのはかの龍人、幻獣から派生した賢者なのだから。
歩き続けていると、不意にシュロさんが立ち止まった。壁をとんとんと叩き、人間には発音できない言葉で何かを唱える。
すると目の前にぞろりと扉が現れた。
「わ……」
オパールのような色を放つその扉は、取っ手もノッカーもなかった。
けれどシュロさんは勝手知ったる様子で、右手をそのドアに伸ばす。
ぞぶりと呑み込まれるシュロさんの手。
彼はそのまま一歩を踏み出し、扉をすり抜けて進んでゆく。
尻尾を掴んでいた私も、それにつられてあれよあれよと扉を透過する。
「ゆ、幽霊になったみたい……」
「あは。だいじょうぶ、君はちゃんとここにいるよ」
扉の向こうは同じオパール色の靄に包まれていて、ちっとも様子が分からない。地面が固いことだけは分かるけれど、この空間の広がりがどのくらいなのかは、見当もつかなかった。
シュロさんにくっついて歩いてゆくうちに、次第にさざなみのような喧騒が聞こえてくる。
オパール色の靄も晴れ始め、辺りの様子がうかがえるようになってきた。
「わあ……!」
そこを例えるなら、首都にあるセントラル駅のプラットフォーム。
けれど規模が全然違った。
天井は首を精一杯曲げなければ見えないくらい高い。そこを優雅に飛翔するのは、龍種とそれから妖精、鳥の精霊だろうか。
床を歩いているいきものの中で、人間は一人もいない。
人間のように二足歩行をしているものの、ふわふわの毛に覆われていたり、滑らかな鱗を輝かせていたりする、いわゆる獣人ばかりだ。
大きさだってまちまちだ。私のひざ下くらいまでの大きさしかないネズミの獣人の横を、身の丈三メートルはあろうかという龍人が、ゆったりと進んでゆく。
そうして彼らは同じ方向に向かって進んでいた。
「ここは?」
「ここがニュウカン。君の職場になるところだ」
「ニュウカン……?」
人々が向かうのは、金属のゲートと、その前に立ちはだかるブースだった。皆が三々五々空いていそうな列に並び、ブースの中の係員と何事か言葉を交わしている。
ブースの上には判読不可能な文字で何かが書かれていた。
目を眇めてそれを見ていると、砂のようにさらりとほどけた文字が、判読できるものへと姿を変えた。
読み手に合わせて言語を変えている! なんて高度な技術なんだろう、と舌を巻きつつ、文字を読み上げる。
「入国管理局……? あ、もしかして、ニュウカンって、入国管理局の略称ですか!」
「その通り! ま、出国管理も兼ねているんだけどね」
シュロさんは一番端の、専用パスレーンと書かれたブースに向かった。
そこには、全身がとうめいな鉱石でできた、私よりも少し小柄な精霊が立っていた。
キィン、と金属が触れ合うような音を出し、シュロさんに手を振っている。
シュロさんは小首を傾げ、
「みぞれ、悪いんだけれどテレパスじゃなくて、言葉を使って貰ってもいいかな」
「あ、そっか。人間がいるものね」
「ありがとう。彼女はアイノって言うんだ。アイノ、この子はみぞれ。僕の同僚さ」
「よろしく」
「よ、よろしくお願いします……!」
精霊の口から流暢な人間の言葉が出てきて、私はちょっと驚いた。
その様子を見て、みぞれと呼ばれた妖精はくっくっと小気味よく笑う。
「で、その子がどうしたの? ビザに妙なところでも?」
「いや。彼女はこれから僕の助手になるんだ」
「助手ゥ? まあ確かに、よく働いてくれそーなカンジだけどさあ」
みぞれさんはちらりとシュロさんの顔を見る。
「……分かってんの? 人間がここに住むってのがどーゆーことなのか」
「もちろん」
「言っとくけどあたし、奴隷制には反対の立場だから」
「僕だってそうだよ?」
「――てことは、もう一つのやり方を取るってわけね」
「うん!」
子どものように素直に頷いたシュロさん。
みぞれさんの言い方が気になったので、聞いてみる。
「もう一つのやり方ってなんですか?」
「あのね、人間がアルハンゲリスク共和国に住むにはやり方が二つあるの。一つ目は、永住権を持っている存在の奴隷になること」
「はあ」
下働きということだろうか。極端な話だし、正直凄く嫌だけど、そういうルールなら飲まざるを得まい。
人間社会で、行くあてもないまま、森の中で一人死ぬよりは――全然良い。
すっかりシュロさんの奴隷になる気でいた私は、みぞれさんの次の言葉に耳を疑った。
「んで、もう一つが――永住権を持っている存在の、配偶者になること」
「……んん?」
「平たく言うと、アイノが僕のお嫁さんになる、ってことだね」
「んんんん!? え、あの、シュロさんの戸籍に傷がつくのでは!?」
「龍人には戸籍なんてないよ? っていうか、戸籍に傷がつくってどういうこと?」
「えっと、でも、もしシュロさんが他の人と結婚したいときとかはどうするんです!? いや勿論その時は大人しく帰りますけど、でも、その人は良い顔しないでしょうし」
「うーん、僕恋愛したことないから、結婚したいなんて思ったことないんだよねえ。多分これからもそうだよ、だからだいじょうぶだいじょうぶ!」
「だ、大丈夫ですかねえ……!? それなら、奴隷の方が」
そう言うとシュロさんはきっぱりと首を振った。
「奴隷を迎える気はないよ。――お嫁さんなら、別だけどね!」
「う……そ、そういう、ことなら……? 仕方ないのか、な?」
「わあ、良かった。これから宜しくね、アイノ!」
――元・お母さん。元・お父さん。(何しろ私、勘当されたので!)
どうやら私は、龍人と結婚する事になりそうです……!