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16. 好きじゃない




ふと目を覚ますと、体がぎしぎしとこわばるのを感じた。

目を何度か瞬かせる。体には分厚い毛布がかけられてあった。


ここは図書館の地下、修復室。

買ってきた夕飯を食べ、禁書の修復を手伝っている間に夜になってしまったから、先に仮眠をとらせてもらったのだ。


ーー閲覧用の木の椅子で寝るもんじゃないな。


そう思いながら顔を上げる。シュロさんはまだ禁書の修復作業を続けていた。

台の上の紙片をつまみながら、何事かぶつぶつ呟いている。時折ナギさんに二言三言尋ねてから、また自分の世界に戻っていくところは、家にいるときのシュロさんそのものだけれど。


ーーなんでだろう、寝ぼけてるのかな。

ーーシュロさんがすごくかっこよく見える。


龍人の美醜は分からない。シュロさんの顔は、ダナエさんの顔に比べて優しくて、目もどことなく丸くて、人間で言えば柔和な顔に見える。

だけど、シュロさんがこんなふうに集中しているときは、顔がぴりりと引き締まって、ちょっと近づきがたいくらいの無表情になる。それが、どうしてか、今日に限ってすごくかっこよく見えた。


急に居心地が悪くなって、もぞりと体を動かすと、シュロさんが顔を上げた。

反射的に目を閉じ、寝たふりをしてしまう。


ーーなんで。別に、起きたっていいのに。


一度寝たふりをしてしまった以上、今更起きてますとも言えず。狸寝入りを決め込む私の傍に、足音もなく近づいてくるシュロさん。

その手が私の頬をそっと撫でた。手の甲で、慈しむように、そっと。


ーーどうか、顔が赤くなっていることがばれませんように。


「……うんっ。もうひと頑張りするぞーっ!」

「ほう? そうしていると、長く連れ添った夫婦のように見えるぞ」

「まあね」

「そう言えばお前たち、祝言は上げたのか」

「あー、結婚式? あげてないし、あげるつもりもないよ」


どきり、とした。心臓に冷たい氷を差し込まれたみたいだった。

火照った頬が一瞬で冷めてゆくのを自覚する。


ーーだから、勝手に傷つくのはやめなさい。シュロさんは別に私のことなんか、好きではないのだから。ただ優しいだけなんだから。


「僕ああいう格式ばったの好きじゃないし、気持ちがあれば形なんてどうでもよくない?」

「ならお前、祝言の品物も渡しとらんのか」

「んー……そうだね、あげてないな」

「他人のことはとやかく言うつもりはないが、この子が周りから何か言われた時に、証になるものが必要じゃろう」

「いらないよ、そんなもの」


軽やかに笑うシュロさん。


――いらない、か。


形に残るものはいらない、と言われたようで、私の心はずんと重たくなった。

そもそも、一ヶ月記念でシュロさんからは窓辺のアルコーヴを貰っている。なのに、シュロさんの言葉がじわじわと心を冷やしてゆくのはきっと、証はいらないとはっきり言われてしまったからだ。


それ以上シュロさんの言葉を聞いていたくなくて、私は髪形が崩れるのも構わず、毛布を頭の上まで引っ張り上げて、二人の会話から耳を閉ざした。


シュロさんの、ほんとうの花嫁になる人は、どんなに幸せだろうと思いながら。







禁書はナギさんとシュロさんの手によって無事に修復された。

その手腕、その魔術は見事の一言に尽きた。私は門外漢なのでよく分からないが、様々な小道具を用いて紙片を同定してゆくさまは、まさしく魔術師のようだった。


エルミタージュが狙う禁忌の魔術が何であるかは、ナギさんを通じて禁忌狩りの面々に伝えられたらしい。


「ダナエの方でもヒントを見つけてたみたいだから、彼らの尻尾を掴むのは、そう難しくはないかも」

「なるほど。お勤めご苦労様です」

「べっつに、ご苦労様とか言ってやるほどのことでもないよ」

「いえ。これは嫌味です」


なぜならば。


「そのダナエさんが入管の基準を厳しくしろと言ったせいで一人当たりにかかる入国審査の時間が従来の1.5倍になっておりますので……! どうして私が審査のブースに立ってるんですかね? 私、一応人間なんですけれども!」

「そりゃあ君が仕事ができるからだろ」

「ありがとうございます! ですが私でさえも駆り出される状況はよろしくないかと思います!」


何しろこのお昼休憩だって満足に取れない。お昼を食べている暇があったら、溜まっている書類を一枚でも処理したい、と思うとサンドイッチを五分で詰め込んでブースに駆け戻るスケジュールになる。


ヴィクトリアさんも毛をぼさぼさにしながら働いているし、みぞれさんはひっきりなしに金属のぶつかりあう音をたてて(おそらく人間で言うところの、貧乏ゆすりに近いのではないかと推測している)、かまびすしいことこの上ない。


「私は大丈夫ですけど、かなり無理のあるシフトになっている人が多いみたいです。このままだと誰か倒れますよ」

「うーん。常識的に考えて、限られたメンバーで入国審査と出国審査をやっているってのがおかしいよねえ」

「でも、ヴィクトリアさんは出国審査やったことないって仰ってました」

「ベテランじゃないとできないからね。そうだ、一度見に行ってみる?」


シュロさんはサンドイッチについていたフライドポテトを全部口の中に放り込むと、もぐもぐしながら立ち上がった。


「休憩時間まだあるでしょ?」

「でも、列が」

「お昼休憩って札下げてるからだいじょうぶ! それにアイノがブース開けたら、他の人も開けざるを得なくなっちゃうよ」


確かにそうだ。

私は膝上のパンくずを払って、シュロさんのあとについて行った。


出国審査は入国審査のブースの真反対のところにある。そこまでとことこ歩いていけば。


「わ、あ」

「ね? すごいでしょ」


シュロさんの呑気なトーンの声が似つかわしくないくらいに、出国審査のゲートはぴりぴりしていた。

まず、ゲートに至るまでに並ぶ列がしっかりと整理されている。係員の腕章を着けた人が歩き回って、不審者がいないかどうかチェックしている。

しかも、列を囲むように浮かんでいるブルーのランタン。誰かが横を通ると一瞬明滅している。たぶん、何かのセンサーなのだと思う。


並ぶ人たちは、待たされる倦怠感と苛立ち、そして何を聞かれるのだろうという不安に満ちた顔をしている。ブースの中は分厚いしきりに囲われていて、中が見えないからなおさらだ。


「これ、ダナエさんが要請したんですか?」

「と思うだろ? 元々出国審査はこのくらい厳重だよ」

「ずいぶんと念入りなんですね……!」

「魔術の知識が他の国に流れると困るからね」


アルハンゲリスク共和国の外にも、様々な国がある。獣人のみが暮らす国、精霊しか立ち入りを許されない国、などなど。もちろん人間の国々も含まれる。


そう言われれば、ちらほら人間がいるなと思いつつ、列を見回していると。


「ん? おい、アイノじゃねえか!」

「あ、エウゼビオさん」


黒豹の獣人にして、興行団の団長であるエウゼビオさんがいた。かっちりとしたジャケットに、重たそうなブーツという出で立ちが、黒い体毛によく似合っている。

出国ゲートになんの用があったんだろう。


「もう出国されるんですか」

「いや、退団するヤツを見送りに来ただけさね。それよりお前さあ、ぜんっぜん俺んとこの興行見に来ねえだろ! 十枚もチケットやったのに」

「今度行きますよ。なんでも今回のショーは、アルハンゲリスク共和国の歴史がメインなんですよね? 勉強になるかと思いまして」


そう言うとエウゼビオさんはけたけた笑った。


「勉強ねえ。お前も大概堅物だな、ショーなんざ頭空っぽにして楽しみゃいいのによ」

「その、お誘い頂いて何ですが、歌舞音曲の類が得意ではなくてですね……」

「心配すんな。俺のショーを見りゃあ、得意になる」


「ねえ」


やけに低いシュロさんの声が上から響いてくる。後ろからそっと肩を掴まれ、後ろに引かれた。

背中がシュロさんの胸板にとん、と当たる。


「君、どこの誰?」

「ああ? 人に名前聞くときは、てめえから名乗るのが筋じゃあねえのか」

「僕はシュロ・アーメア。アイノの夫だ」

「アイノの……」


エウゼビオさんはにやりと笑った。それでもその眼光の鋭さは緩めず、ぎろりとシュロさんをねめあげる。


「俺はエウゼビオ。ダマスカス興行団の団長やってる。あんたが夫ならちょうどいい。――あんた、アイノに惚れてんのか?」

「……は?」


シュロさんが不機嫌そうに口の端を吊り上げる。


――それはまあ、そうだよね。シュロさんにとってはきっとすごく失礼な質問だ。


「エウゼビオさん、変なこと聞くのは止めてください。シュロさんは私の身元引受人みたいなものですから、私のこと好きなわけないじゃないですか」

「そうなのか? 俺はお前のこと好きだぜ、アイノ」

「それはどうも」


私の返事に、エウゼビオさんはまた小気味良い笑い声を上げる。後ろのシュロさんは何も言わない。


「お前のつれない返事がくせになりそうだよ。美人にあしらわれるのがこんなに楽しいなんて知らなかったぜ」

「目、お腐り遊ばされてますよ」

「むしろ冴え渡ってるけどな? 黒豹は良い獲物しか狙わないものだ」

「私は良い獲物ではない、とすると残る選択肢は一つだけです。失礼ながら、もしやあなたは黒豹ではないのでは」

「アッハッハ! どこまでも自分の価値を認めないか、それとも俺が全くの脈無しなのか?」

「さあ、どちらでしょうね」

「後者であることを祈るよ。そうでなきゃ、こんなに綺麗な女が、自分の価値に気づいていないということになる。損失だ」


山師のようにうそぶいて、エウゼビオさんはちらりとシュロさんの方を見る。

そうして、ふ、と目元を緩めた。


「アイノの旦那様とやら。いつまでもその立場にあぐらをかいてると――。俺が頂くことになるぞ?」

「……侮られたものだ。龍人の花嫁を横から奪えばどうなるか、夜のけものである君が分からないはずないだろう」

「だがお前は、即答しなかっただろ? 惚れてるのかと聞かれて、言葉に詰まったじゃねえか」

「ッ」

「それが答えだ。真実だ。お前のところでアイノを腐らせるくらいなら、俺のモノにして美しく輝かせる。何しろ俺はショーの達人だからなあ?」


にんまりと笑ってエウゼビオさんは尾を翻す。

そのまま私の手を取ると、手の甲に恭しく口づけした。長いひげがさらりと触れて、くすぐったさに思わず口元を綻ばせると。


「ああ、いいな! やはりお前は笑った方がいいよ」


言うなりエウゼビオさんは、掠めるようなキスを私の頬に落とした。

驚く私を置いたまま、エウゼビオさんはひらりと身を翻し、去って行った。こちらを見ずにひらひらと手を振ってくる仕草が、なんとも言えず伊達男だ。


――伊達男というのはある意味やりやすい。みんなに平等に軽薄だから、こちらも構えなくて済む。


「シュロさん、エウゼビオさんの興行、ヴィクトリアさんも行きたいそうですよ。今度一緒に……」

「どうして、アイノは断らないの?」

「え?」

「君の夫は僕でしょ? 僕以外の人からあんなふうに言われて、どうして喜んじゃうの。しかもキスまで!」

「だって、お世辞ですよ? 私なんかを本気で口説く人がいるわけないでしょう。あとキスについては、人間は獣人の反射神経に遠く及ばないと言わせてください!」

「でも、だって、嫌そうじゃなかった!」

「嫌でしたよ! 嫌だと言う前に彼がいなくなってしまっただけです!」

「……ともかく! エウゼビオは本気だよ」

「だから、そんなわけないでしょう。興味本位ですよ。私のような女を好きになる人がいるわけない」

「……そうかな」


口を閉ざしたシュロさんは、そっと私から離れてゆく。


「シュロさん?」

「僕は君が花嫁であることをとても嬉しく思ってるよ。だけど……そうやって、私なんかって言うアイノは、好きじゃない」

「……」


シュロさんは拗ねたような口調で言うと、さっさと踵を返して入管の方に戻り始めた。

横を並んで歩くのもためらわれて、後ろからおずおずとついてゆく。


――もともと、好きじゃないくせに。


そう言いたいのをこらえながら。

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