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15. 微かな違い

 


地下の修復室はひんやりとしていた。

大理石の大きなテーブルの上に、一つ一つ禁書を広げてゆく。細かな紙片も余さず拾い上げ、パズルのピースとして吟味する。


アイノの細い指先が、床にこぼれた紙片をつまみ上げ、テーブルに置く。まるで真珠を扱うような優しい手つきに、シュロは思わず見とれていた。


ナギが何か言っているのを真剣に聞きながら頷いているアイノ。夜の闇にも似た美しい髪は器用に編み込まれていたが、転んだせいかほんの少しもつれて、細い首筋にかかっている。


アイノは真剣な眼差しで、破損した本の端を持ち、破れたページを観察している。このテーブルは、彼女には少し高いのだろう、ほんの少し背伸びをしている姿を、かわいい、とシュロは思う。


(なのにどうしてアイノは自分のことを醜いって言うんだろう? あんなに丁寧に本に触れる人が、醜いわけないじゃないか)


人間の美醜は、シュロには分からない。分からないけれど、アイノが己を不美人と頑なに言い続けるところを見ると、相当長い間その言葉を吹き込まれたのだろうと推測できる。


(……武を好まなければ龍人ではない、と言われ続けた僕のように)


長く囁かれた言葉は本人の頭の中に積もって、踏み固められる。世界にはそのものさししかないのだと、他の価値観は存在しないかのような錯覚を覚える。


けれど、シュロはそのものさし以外にも価値を測る方法があることを知っている。


(アイノもそれを知ってくれればいい。僕はアイノを醜いだなんてちっとも思わないけど、アイノがそう思っているのなら――。肉体の表面的な特徴は、きみの価値を少しも損ねることはないのだと、知ってほしい)


シュロは知っている。

アイノのまめまめしく動く手を。ハーブを育てる優しい顔を。真剣に本を読む眼差しを。アルゲン語の練習で、シュロの発音をたどたどしく追いかける唇を。

それら全部が、彼女の生真面目な性格を裏打ちするように、てきぱき動くことを。


シュロは、彼女の生真面目で、普段は大人しいのに、変なところで度胸のある性格が、とても好きだった。


(ふふ。この子は、僕のお嫁さんなんだ。僕の隣にいてくれるんだ、帰ったらお帰りって言ってくれるんだ! 嬉しいなあ、あの時会えて本当に良かった! 僕が森で迷わなきゃ、会えなかったんだから……あれはきっと、運命だったんだ)


そうにやつくシュロは、まだ気づいていなかった。


アイノの気持ちと、微かなすれ違いがあることに。







「シュロ? おいシュロ、聞いてるか、お前?」

「うぇ? わ、あ、ううん、聞いてなかった、考え事してました」


壁に寄りかかっていたシュロさんは、ハッとしたような顔でこちらに近づいてきた。

ナギさんは長いため息をついたが、シュロさんにはよくあることなので、あまり気にせず説明を繰り返した。


「禁書は恐らく三日ほどで修復できる。このべっとりと染み付いた赤インクも込みでな」

「長すぎるな。一日でできたりしない?」

「横暴な……! この破損状態だ、古株の司書を総動員したとて、一日など……!」

「分かってる。だから僕も手伝うよ。修復が終わったものから真贋鑑定していけば、時間も節約できるだろ」


言いながらシュロさんは、翼に巻き付けている金の鎖を外す。これは人間で言うところの腕まくりみたいなもので、シュロさんのやる気が窺える。


「私も手伝います」

「ううん、君は帰って家で休ん……いやだめだやっぱり手伝って! いま君を一人にしたら絶対ダナエにさらわれる!」

「ダナエさんもそんな暇ないと思いますけど」

「いーやあいつは絶対アイノに手を出すね、あいつ昔僕の気に入ってた猟犬に変なコマンド仕込んで、狩りのとき大変だったんだから! しかもそのまま自分の猟犬にしちゃうし!」


……猟犬、か。やっぱり私はペットの域を出ないようだ。しょうがないことだけど。


「あ、でも、ご飯はいりますよね……。私、何か買ってきます。ナギさんのぶんも」

「図書館のすぐ横にサンドイッチ屋がある。シュロもそこなら文句はないな」

「むーん……まあ、あそこなら」


お許しを得たのでシュロさんのお財布を持って買い出しに出た。

図書館の隣にあるサンドイッチ屋は、緑と金で統一された店内の装飾がおしゃれで、そのせいか若いお客さんが多かった。

混んでいるためか、回ってきた注文票に好きなパンと具材を書き込み、店員に回すスタイルらしい。

小さな鉛筆片手に、メニュー表とにらめっこする。


「ええと……ナギさんはうさぎだからきっと草食だよね。シュロさんはおいもの揚げたのとお肉のやつで、私のはどうしよう」

「ん? あら、アイノじゃない!」

「ヴィクトリアさん!」


声をかけてきたのはヴィクトリアさんだった。目の覚めるような緋色のドレスをまとい、レースの手袋をつけている。

相変わらず豪奢で美しい人だ。


「どうしたんですか、こんなところで」

「どうしたもこうしたも……! お父様にハメられたの! ちょっとホテルでランチでもと仰るから出かけたのに、まさかの不意打ちお見合いよ!」

「うわあ」

「ほんとにうわあでしょ!? しかもっ、相手はっ、鼻ばーっかり長い象の獣人!」


むきーっ! と手袋を外し、上にまとめ上げた髪を下ろす。ふわりと広がる金色の髪から、甘い百合の香りがした。


「しかも、結婚したら入管の仕事は辞めるんですよねとか、子どもは二人ほしいなあとか、君のサロンは僕の書斎より広く取りましょうねとか! 寝言は寝て言いなさいよ!」

「勇み足な方ですね」

「私のサロンがあんたの書斎より広いのなんてあったり前でしょーが! バーカ!」

「そこ、当たり前なんですねえ」


ヴィクトリアさんはメニュー表を睨みつけながら、注文票にレバー大盛りと書き込んで店員に渡していた。もはやかっこいい。


「……あの、ヴィクトリアさん。私さっき、シュロさんの弟さんに会いました」


大きな反応が返ってくるかと思いきや、ヴィクトリアさんは短く、そう、と言っただけだった。


「トリョフスビャツキ家は立派な家よ。家格が高く、責任も大きく、しがらみも多い」

「そう、ですか……。でも、なんだか、大変そうですね」

「当たり前よ。貴族はみんな自分の権力を守るために必死。トリョフスビャツキ家だって、王家のお気に入りだって言うけど……本心はどうかしらね」


本心。それではまるで、王に対して二心があるようではないか。


「禁忌狩りって、狩りという名こそついているけれど、実際は禁忌の管理者という意味合いが強いの……知ってる?」

「はい」

「転じて言えば、彼らは禁忌の魔術を知っているということになる。そして、それを流出させることも不可能じゃない」

「まあ、そういうことになりますが。……シュロさんとダナエさんが、そういった周りの目線に無自覚とは思えません」

「そうね。それに、五十年前、彼らの父親が禁忌の魔術の流出に関わったとあれば、なおさら清廉潔白を要求されるでしょうね」


――今、さらりとすごいことを言わなかったか?


「あ、あの、シュロさんのお父様が……そんなことを?」

「ああ、言っとくけどこれ、この国の人間なら皆が知ってることよ? それに禁忌の魔術の流出といっても、一概に彼のお父様が悪いわけではない。……ただ、その当時の国王に背いたことは事実。ま、政治が絡んでたみたいから、善悪を判断するのは難しいんだけど」

「なるほど。……私はこの国の歴史をきちんと勉強した方が良いみたいですね」


そう呟くと、ヴィクトリアさんはにこっと笑った。


「ならちょうどいいじゃない。あんたがこないだダマスカス興行団からもらったチケットがあるわ」

「どういうことです?」 

「今日のお見合い相手が言ってたんだけどね、今回の演目はアルハンゲリスク共和国の歴史、童話、民話がメインらしいの。それを軸にショーが展開されて、子どもでも分かりやすいそうよ」


それならば私でも理解できそうだ。

けれど本の虫としては、やはり書物から学びたい。誰かによって噛み砕かれ、演出されたものではなく、血の通う文字で書かれた書物から。


――早くアルゲン語で本を読めるようになりたいな。勉強、頑張らなくっちゃ。


「ね、シュロと私とあんたの三人で行きましょうよ」

「そうですね。また予定を決めましょう」


ヴィクトリアさんのサンドイッチがやってくる。彼女はそれを優雅に受け取ると(分量はとても優雅とは言い難かったが)しなやかに店を出ていった。

ブクマありがとうございます!

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