7話
「――木戸川は、どうして柑奈と付き合おうと思ったの?」
いつか聞かれることだとは分かっていた。
木戸川は苦々しい表情を浮かべた。
いつか聞かれることだとは分かっていたが、いざ聞かれると胸の奥がチクリと痛む。
本当は、板垣に脅されていて、しかたなく付き合ってるんだよ。
そう言えたらよかった。そう言えたらどんなに楽だったことか。彼は胸どころではなく心臓を冷たい手でわしづかみにされたような錯覚を覚えた。分かっている。それは卑怯な事なのだ。板垣に脅されていることを言うのなら、自分がストーカーを働いていることも白状せねばならない。そうじゃなければフェアじゃない。
「……あの明るい感じに、惹かれたから、かな」
我ながら稚拙な言い訳だと思った。明るい感じに惹かれるのなら何も板垣じゃなくてもいいし、板垣は誰とでも如才なく付き合えるというだけで積極的に人と関わるタイプじゃない。コミュ力はあるがパリピではないのだ。けどそれ以外思い浮かばなかった。板垣を見ても何がいいのか分からなかったのだ。
「そっか」
新田はトーンを落として、それだけ言う。木戸川は刃物でずたずたに心を切り裂かれたような思いだった。なぜ好きな人に好きでもない人を好きになった理由をでっちあげて話さなければならないのだ。こんなことになるなら、さっさと新田にアタックして玉砕して諦めをつけるべきだった。
「わ、悪いな、板垣と付き合ったこと、報告しなくて」
「別にいらない。できれば聞きたくなかった」
「そ、そうか……」
不機嫌になってしまったのだろうか。声音にもとげがある気がする。親友の彼氏がこんなダサい男だということがショックなのだろう。木戸川は無暗に心の中で自虐した。そうでもしないと気が狂いそうだった。そして一通り自分を下げて心を落ち着かせたところで、話題転換を図る。
「そ、そういや新田に好きな人とか、いるの?」
無言。
「い、いや~、高校入ってからいろんな男子に声かけられるようになったじゃん?」
無言。
「だから一人か二人くらいと付き合ったこともあるのかな~って」
「ないよ」
「え?」
「ない。付き合ったことなんか、一回もない」
付き合ったことなんか――
もう一度繰り返された言葉は、夜の闇に溶けていく。
夜道にオレンジ色の明かりが落ちている。垣根の向こうにある民家から漏れた明かりだった。カーテンをすかして黒い影が見える。子どもなのか大人なのか、男なのか女なのかも分からない。それが口を開けていた。
笑っている、と木戸川は思った。あれは自分を笑っている、道化になった自分を嘲笑している。電気が消え、同時に笑う影も見えなくなった。
「意外……だな、新田くらい美人だったら、彼氏の一人いても」
「やめて」
言葉が遮られる。
「そういうこと言うの、やめて」
「……悪い」
「……ごめん、キツく当たって」
開けられた窓からお笑い芸人の「なんでやねん」というツッコミの音が聞こえた。そういえば、今日はエンタの特番が放送されていたっけ。芽衣の奴、ちゃんと録画してくれてるかな。きっとしているだろう。今日は母さんお気に入りの韓流ドラマの裏番組もなかったはず。父さんはそもそもテレビを観ない。
「どうして」
「え?」
再び新田のチャリが止まった。
「どうして私じゃだめだったの?」
「――え、それってどういう」
「好きだったのに」
時が、とまった。
もちろん地球の自転はベイゴマみたいに回り続けるし、公転だって遊園地の巨大観覧車のように進み続けるけど、確かに今、この時間、木戸川隼大と新田千尋の間に流れる時間がとまった。その間、木戸川の頭には、好きだったのに、ずっと好きだったんだぜ、サイトウカズヨシとかいう言葉が延々と反芻されていた。
はっと正気に帰る。
時計を見る。
午後9時32分。ほとんど時間は経っていない。
「送ってくれてありがとう。もう、一人で帰れるから」
「――ぁ」
ああ、という言葉は、喉の奥にへばりついて、代わりに金属のこすれあうようなしゃがれ声が出た。
新田が自転車にまたがる。ヘッドランプが光る。あっという間に後ろ姿が闇の中へ行き、ライトのわずかな明かりだけが、ヒュードロドロドロと幽霊のように浮かび上がっていた。
* * *
言った、言った、言っちゃった。好きって言っちゃった。
新田千尋は顔を真っ赤にしながら全力で自転車を漕いでいた。ギアをフル活用して風を切る。
木戸川隼大。
中学の時からずっと好きだった人の名前。
小さい頃から、周りの人とはちょっと違う容姿をしていたせいで、あまり友達らしい友達ができなかった自分に、初めて積極的に話しかけてくれた人。最初は男の子だったからちょっと警戒した。小学校の時、スケベな後藤君にスカートをめくられたりお気に入りの鉛筆を折られたりしていたから、この人もそうなのだろうかと思って、わざとそっけなく対応したりもした。自己防衛とはいえひどいことをした。にもかかわらず彼は相変わらず話しかけてくれた。そんな態度にいつしか心はほだされ、あとはもうなし崩し的に一緒にお昼ご飯を食べたりした。
ずっと、仲の良い友達だと思っていた。一緒の高校に入るために一緒に勉強をして、一緒に合格発表を見に行って、お互いの番号を見つけて喜びあった。嬉しかった。高校に入れば、もっと彼と仲良くなれると思っていた。
けど、高校に入ってから、なぜか彼は自分に話しかけてくれなくなった。遠巻きにこちらを眺めて来るだけで、以前のように会話も挨拶もない。はっきり言って寂しかった。けど周りにいろんな人が集まってきて、その人たちも無碍にはできずに接していたら、いつしか二人の距離はもう復元できないほどに離れていた。新田はそう思った。
そして、先週、一番仲の良い女友達が、彼と付き合うことになった。
一番仲の良い男友達と一番仲の良い女友達。自分としてはぜひとも祝福したいと思った。
でも、できなかった。
彼らが仲睦まじげに話していると、胸の奥に焼きごてを当てられたような苦しみが走った。
そして、それが木戸川に対する恋心だということには、彼に直接質問して回答を得るまで気が付けなかった。
本当は彼の目の前でもう泣きそうだった。
今は既に涙で顔がぐちゃぐちゃになっている。周りからはかわいい顔だとか美人さんだとか言われるけれど、彼を射止めることすらできないのならこんな顔ぐちゃぐちゃになろうが知ったことじゃない。自分が柑奈だったらよかったのに。
さっきからずっとトップスピードで漕いでいる。もうとっくに家に着いている頃なのにそうなっていないのは、この涙を引っ込めるべく家を素通りして何周も何周も暗い町内をぐるぐる回っていたからだった。でも、涙は止まらない。びゅんびゅんと風の音が聞こえるくらい速く走っているのに、次から次へとあふれてくる。
何もかも、手遅れになってしまった。
私の初恋は永遠に叶わないものになってしまった。
思春期の少年少女はとかく初恋に特別の価値を置くものだが、新田千尋も例に漏れず、終わってしまった初恋の痛みがズキズキと痛むまま、やがて自転車を乗り捨てて自分の脚で走り出し、もう両脚が上がらなくなって擦り傷だらけになるまで走り回ったのだった。
この話はいったんここで完結とします。もともと文体練習のつもりで始めたので、ここらへんで一区切りをつけようと思いました。
お付き合いいただきありがとうございました。もしかするとまたこの物語の続きを書くことがあるかもしれません。
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