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5話

当初は一話の予定でしたが、長くなったので二話に分割しました。

 板垣に弱みを握られ無理やり彼氏役を押し付けられて一週間が経った。


 最初こそは「あの告白を100人斬りした板垣柑奈に彼氏が!?」とクラスどころか学校でもちょっとした話題になったものの、一週間と経たず三日程度で浮かれた空気は消え、見知らぬ男女に話をせびられることもなくなっていた。最も木戸川は最初から気にしていなかった。質問されても答えるつもりはなかった。誰と誰が付き合おうと勝手で、それに口出しする権利もましてや人の恋路を邪魔しようとする権利もないのだ。世は21世紀、自由恋愛が当たり前の時代なのだ。大恋愛時代である。渦中にいる自分に自由恋愛もクソもないが。


 それはそれとして、クラスの浮かれた雰囲気が消えたことにはもう一つ、大きな理由があった。

 定期試験が近づいてきたのだ。

 たとえこれが全国模試ではないにせよ、木戸川たちピカピカの一年生にとっては初めての校内試験。教科も増え範囲も広く、中学時代の定期試験の易しかった面影はもうどこにもない。昼休みの今だって、少し問題集から注意を外して聞き耳を立てれば「確率は反復試行」「現国は山椒魚だね」「化学式が覚えられん」などといった悲鳴を聴くことができる。

 木戸川も一般大勢の生徒に漏れず、この前から必死の形相で教科書と問題集に羅列された呪文にかじりついている。


「過去完了ハドビーンソーザットザッツライト……」


 木戸川は普段真面目に授業を受けているとは言い難い。鬼の平田の数学や女傑の相田の現代文などは熱心にノートをとっているパフォーマンスをするが、それ以外の、たとえば新人の佐藤の数学Aなんかはずっと机に熱烈なキスを捧げている。だからこそ、試験が目前に迫った今は尻どころか背中に火がついて背水の陣ならぬ背火の陣を敷いているのだ。

 コミュニケーション英語の教科書とにらめっこをしていると、がんとすねを蹴られる。


「痛っ!?」


 思わず顔を上げると、そこにはつまらなそうに弁当を食べる板垣の姿。


「なんだよ……」

「別にぃ。ただかわいい彼女が目の前にいるのにテスト勉強するんだなって」

「しょうがないだろ、高校では赤点もあるんだから」

「でもテストは平均が6割になるようにつくられてるし」

「なにも赤点回避のためだけじゃない。三年生になれば受験戦争がはじまるんだぞ。それまでに貯金は少しでも蓄えておいたほうがいいだろうが」

「直前に泣きながら勉強してる奴が何言ってんのよ……」

「……それはそうと、お前は随分余裕そうだな」

「ま、直前に泣きを見るなんて馬鹿な真似はしないわよ」


 余裕そうな顔で答える彼女を見て、木戸川は悔しそうに歯噛みする。これだけ余裕があることがうらやましかった。さぞテストでも良い点を取るのだろう。


「そうだ、お前、自分の勉強が余裕なら俺に教えてくれよ。昨日解いた数学の問題が分からなくてさ」


 と言いつつ問題集を広げ、該当問題を指さした。それを見た板垣はなぜか顔をしかめた。


「この『C』ってなに?」

「…………は?」

「だから、このCって何よ。これ数学でしょ? 英語じゃないんでしょ?」


 木戸川は開いた口がふさがらなくなった。

 Cとは「Combination」のCであり、組み合わせのCだ。両脇にある数字を利用して解くのだ。それくらい、今の時期であれば知っていて当然、というか知ってないとヤバい。多分50点ビハインドでのスタートである。うさぎと亀も真っ青のハンデである。

 もしかしてこの女、実は全然勉強ができないのでは?


「お前、マジでヤバいぞ?」

「だからヤバくても今更勉強したって意味なくない?」

「ある。大アリだ。このCを知っていれば少なくとも10点は固い。しかも部分点も狙える」

「マジで? じゃあ教えて」

「はあ? なんで俺が――」

「あのこと、バラすよ?」

「謹んでお受けいたします」

「よろしい」


 こうして、誠に不本意ながら木戸川は板垣に勉強を教えることとなった。


   *  *  *


「だ――――――――――――――――――なによこれ! 全然わかんない!」


 昼休み終了直前、そこにはお手上げとばかりに机に突っ伏す板垣と、頭を抱える木戸川がいた。

 安請け合いした自分が馬鹿だった。

 流石にCとかPとかは別にして、和と積の法則や樹形図とかの意味くらいは知っているだろうという前提で話していたが、ところがどっこい、板垣は入学して二か月余りの間、新人の佐藤が必死に黒板に書き続けた数式の()の字も理解していなかったのだ。23歳新米教師の努力の結晶は見事に無下にされていた。これを伝えればあの気弱で脆い佐藤先生のことだ、勢い余って屋上から紐無しバンジージャンプの凶行に出ないとも限らない。

 そして、さらに面倒なことには、時間のない今は飛ばしてしまっても良いことについて板垣はやたらと説明を求めてきたのだ。なんでこれかけ算していいの? なんでこの公式はこうなるの? おかげで使わなくても良い時間を使うハメになった。

 なんなのだコイツは、新聞記者なのか? 政治も分からぬくせに尖った質問を飛ばして政治家に鼻で笑われた挙句、ネットにさらされて叩かれる()()のお仲間なのか?


「いや、まさかお前がここまで勉強してないとは……」

「なによ!? 馬鹿って言いたいわけ!?」

「そうは言ってないだろ。勉強できないから馬鹿ってことはないが……でもな、そもそも勉強してないのに人に教えを乞うこと自体、愚かしいとは思わないのか?」

「嫌ああぁぁぁあ聞きたくない聞きたくない! チヒロのストーカーしてる頭のおかしいあんたから正論なんて聞きたくない!」

「おまっ! 流石の俺でも泣くぞ!」


 そんな風に二人で談笑していると、一人の女生徒が二人に近づいてきた。新田だ。あの日三人で遊んでからというもの、木戸川と新田の間にも会話が生まれるようになっていた。実に中学以来の光景である。彼自身、機会を設けてくれたことに関してだけは板垣に感謝している節もある。ああ、あの時二人をつけ回していて本当によかった。


「何やってるの?」

「に、新田か。いやな、そろそろテストだろ? なのにコイツマジでヤバいんだ、勉強全然してなくて」

「ちょっと、チヒロになにチクってんのよ」

「ホント? 柑奈は勉強苦手?」

「に、苦手がどうかで言われれば……苦手だけど」

「じゃあ、私が教える」


 新田のさりげない一言に、板垣が食いついた。


「ほ、ほんと!? ほんとに教えてくれるの!?」

「うん。友達だから。放っておけない」

「と、友達……」


 そう呟いて、何やら恍惚とした表情を浮かべて新田の手を握る。

 一方で、なんだか自分だけが置き去りにされたようで気に食わない木戸川は、さっさと自分の勉強に戻った。しかし、女神はこの影の薄い男にも手を差し伸べる。


「木戸川も、一緒にしよ?」

「えっ!?」

「二人よりも三人の方が楽しいから」

「い、いいのか?」


 新田がこくんと頷いた。

 天にも昇る思いだった。

 つい先週までは声をかけたくてもかけられなかった新田から、一緒に勉強をしようとお誘いを受けるだなんて。しかも、彼女は中学時代常に学年首席をキープしていたから、高校の勉強だって大得意だろう。

 好きな人と一緒にいられて、しかも勉強を教えてもらえる。

 一石二鳥どころの話ではない。石を投げて零戦を撃ち落とす勢いだ。


「ぜ、ぜひ!」

「よかった」


 新田がほっとしたように笑う。


「で、いつ、どこでやんの? もう試験間近だから結構近いうちにやらなきゃいけなくない?」

「俺はいつでもいいけど……やるなら早いに越したことはないな。今日の放課後とか」

「あたしも今日は空いてるけど、チヒロは? 部活はないの?」

「大丈夫。今はテスト期間で部活は休み」

「そ。じゃあ今日の放課後やろっか。どこでやる?」

「……マッグ、とか?」

「え、俺はやだな。わざわざ金かかるとこに行きたくないし」

「ワガママな奴……じゃあ図書室とか?」

「今の時期は混んでる」

「だよねー……どこかいい場所ない?」

「誰かの家、とか?」


 新田が顎に指を当てて提案する。


「ええー、あたしん家はやだ。部屋散らかってるし」

「私の家も遠いから……」


 そして、二人の美少女の視線が木戸川に注がれる。


「お、俺?」

「それ以外に何があんのよ。男なんだからワガママ言うな」

「ワガママは言わねえよ。確かに学校から近いけど……いいのか? 板垣も新田も。男の家に上がるなんて」

「別に気にしないし。ね?」

「ん」


 二人とも特に気にはならないようだった。


「分かったよ。母さんに聞いてみる」


 そう言って母にラインを送ると、『いいよ!』と簡潔な答えが返ってきた。

 かくして、一代ストーカー男の家に、学校の二大美少女がお邪魔することになったのだった。


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