1話
様々な人間が行き交っていた。
右折する軽トラがクラクションを鳴らした。
そして――今日も新田千尋は綺麗だ。
木戸川隼大はそう思った。
現在木戸川は片側三車線の十字路の中で、人混みの中に紛れつつ前方で煌めく銀色の髪の毛を追っていた。
その銀髪の持ち主は隣を歩く友人と会話をしている。左に向けた横顔が目に映ると、木戸川ははっとして目を奪われる。彼と新田は中学から足かけ4年の付き合いである。にもかかわらず、彼女の美貌に未だ木戸川は慣れることができていなかった。そんな度胸があればとっくにストーカーなんてやめて、新田に声をかけている。
今日は校門を出てから住宅地の中に位置する小さな駅に行き、電車に乗って片道170円の運賃を払って駅前に来た。週に一回のウィンドウショッピングである。新田は友人とともに駅前の百貨店に入った。木戸川も後を追う。
2階のレディースものの服屋を回り、4階のゲーセンで月5000円のお小遣いをすり、7階の本屋で少女漫画を冷かして回り、喫茶店に入る。新田と友人は二人掛けの隅っこの席に座り、木戸川はできる限りの変装をしてカウンター席に腰かけた。そして懐から文庫本を取り出し、読むふりをして彼女らの方をじっと見た。二人の前には見るからに甘ったるいパフェがある。新田はストロベリーの、そして友人の方はチョコレートサンデーとかいうやつだろう。
「でさー、今日も田中のデブがうっざくて――……」
そんな風に数学の田中先生をディスる友人に対して、新田は穏やかに微笑みながら小さな口でストロベリーパフェをほおばる。その顔には幸せが浮かんでいた。また一口。幸せ。大人びた新田の容貌とのギャップに木戸川の胸は悶々とした。
小一時間ほどした後で二人は店を出る。木戸川も慌ててカプチーノとチーズケーキを口に詰め込んで後を追う。エレベーターで一階まで降りビルから出たところで、新田が友人に手を振り駅の方へ向かった。木戸川も後を、
「――ちょっと」
後を追えない。
心臓のおまけに胃袋も飛び出そうなくらい驚いた。
「そこのあんたよ、あんた」
新田を見送った友人は、木戸川をぎろりとにらみつけた。
「……な、なんだよ」
「あんた、ストーカーってやつでしょ?」
「はて、なんのことやら――」
「へえ、しらばっくれるつもり? こっちは警察に駆け込んでもいいんだけど」
そう言うと、新田の友人は新田の消えた方向へ目を向けた。木戸川がその視線を追うと、そこにあったのは、
交番。
白色のライトが部屋から発光している交番が、ある。
背中につうっと冷たい汗が流れた。
浮かべた笑顔が引きつった。
「ほら、やっぱりストーカーじゃない」
完全にバレている。
「……た、頼む……警察と学校は勘弁してくれ……」
無言。
「お、俺のことはどうだっていい、でも新田が……あの子に迷惑をかけたくない」
「へえ」
相手の眉がぴくりと動いた。
「ストーカーのくせに殊勝な心掛けね」
「お、俺はただ新田のことをずっと見ていたくて」
「それをストーカーって言うのよ。……ま、いっか。警察と学校には言わないでおいてあげる」
「ほ、本当か!?」
地獄から救われた気分になる。
「ただし、もちろんそれなりの代償は払ってもらうわよ」
「も、もちろんだ! なんでもする!」
彼の返答を聞くと、少女は満足そうにうなずいてから、
「――あんた、あたしの彼氏になりなさい」
「…………え?」
「聞こえなかった? あたしの彼氏になれって言ったのよ」
二度も言わせんな。
少女は言外にいら立ちを示している。
「いや、でも……急だな。なんでか、聞いてもいいか?」
自分の彼氏になれ。
それはつまり、自分と恋人になれということである。端的に言えば告白だ。告白にはそれなりの理由がある。しかし、木戸川にはその心当たりがなかった。
「あ、もちろんあんたに惚れたとかじゃないから。ほら、あたしってチヒロほどじゃないけどモテるでしょ?」
「すまん、知らない」
そもそも少女の名前すら知らない。
木戸川としては正当な答えだったが、相手は不満げに眉をしかめる。
「は? あんたあたしのこと知らないの?」
「ああ」
「あんたチヒロのストーカーでしょ? あたし結構あの子と遊んでるんだけど、知らないの?」
「ああ、すまん。新田以外目に入らなかった痛ぁ!!」
すねを思い切り蹴られた。少女はたいそうご立腹だった。
「あたし、板垣柑奈って言うんだけど。聞いたことない? 『三高の二大美少女』って。あたしとチヒロがそれなんだけど」
「初耳だな」
そう言いながら目の前の少女――板垣を見つめる。
なるほど、さっきまでは新田だけ見ていたから分からなかったが、目の前で仁王立ちする少女もたいそう綺麗な女の子である。長めのライトブラウンの髪に勝気なつり目、高く通った鼻筋、真っ白な肌。仏頂面の今でもかわいいと分かるのだから、笑えばさぞ華やかだろう。
「それすら知らないって――もしかして不登校?」
「失礼な! ちゃんと学校に行ってるわ!」
半ば本気で憐れむような目を向けられ、必死に反論した。「引きこもりでストーカー」なんて噂が広められれば、本当に家から出られなくなる。
「で、なんで俺を彼氏にしたいんだ」
「ああ、そこね。あたしってかわいいからさ、いろんな男に言い寄られんの。でもどいつもこいつもイマイチっていうかさ、なんか訴えかけてくるものがないわけ。顔も知らないのにいきなり告白されるのってほんと気まずいだけだし」
そんなことを言われても、木戸川は誰かから告白されたことなどない。反応に困る彼をそっちのけで板垣は続ける。
「だからさ、考えたの。どうすればこれ以上男から言い寄られなくなるか、ってね。で、今日あんたを見て閃いたの。コイツを男除けにしようって」
「ラノベみたいな発想だな」
「は? なにそれ?」
「……なんでもない」
「まあいいや。つまりそういうこと。じゃ、あんたに拒否権ないからよろしく。あたしから告白したってことにしておくから」
そう言ってさっさと去ろうとする。「おい!」と呼び止めそうになったが、なにぶんこちらはストーカーでありあちらはこちらの弱みを握っている。抗議の余地など存在しない。ため息とともにあげかけた腕を下ろし、出かかった言葉を飲み込んだ。
タクシーがロータリーを回る。
小さな子どもがアイスクリームをこぼして泣きわめく。
そんな喧騒の中、ぽつねんとたたずむストーカー男の背中は、どこか哀愁を帯びていた。