ガラスの正義感~1~
12月25日
天候 :雪のち晴天。最高気温3度。
記録者:柘植
12月22日。合宿を翌々日に控えたこの日、俺達は本来の活動日ではないにもかかわらず、化学実験室に集まることになりました。
打ち合わせていた訳ではないのですが、まあ、必然という奴です。
明日、12月23日は祝日であり、そして12月24日には終業式があります。
そして終業式後、俺達は冬休みの合宿に雪崩れ込むことになる訳ですが、未だにその計画が立っていません。
午後から活動を初めて計画を立てて、とやっていたら夕食の準備が間に合わないこと請け合いなので、俺達は今日、計画をざっと立てておくことにしました。
「メリー天皇誕生日!」
冬休み前の期待感からか、合宿前のハイテンション故か、それとも単にそういう気分なのか。俺にはまるで分かりませんが、舞戸さんがそう叫びながら実験室に入ってきました。
「社長!メリー天皇誕生日!」
「メリー天皇誕生日。……というのは一体何ですか」
「クリスマスがイエスキリストの誕生日だからイブもお祝いするってんなら、天皇誕生日もイブからお祝いすべきだと思った。メリー天皇誕生日。あと3音4音5音だからか妙に語呂っていうか語感が良くて気に入った。メリー天皇誕生日」
舞戸さんの感性的な部分は今一つ分かりませんがそんなもんでしょう。深く考えない方がいいことは間違いありません。
「おーす」
「あれっ、まだ2人しか来てないんだねえ」
「やあやあ鳥海!加鳥!メリー天皇誕生日!」
「メリー天皇誕生日!」
「メリー天皇誕生日……?ええと、ハッピーバースデーみたいなかんじかな……?」
その内、鳥海と加鳥もやってきました。2人とも適応力がありますね。
「本日は天皇誕生日イブだからね」
「そうかあ、天皇誕生日イブかあ」
天皇誕生日イブだそうです。
「今日とか寒いけど、明日、ホワイト天皇誕生日になるかなあ」
「あー、ホワイトクリスマスにはなるかもしれないって予報やってたわ。明日は晴れ」
「じゃあホワイト天皇誕生日にはならないかー、なんか悔しいなあ、悔しいなあ」
3人の話が謎の盛り上がりを見せていますが、これは……俺の適応力が低いんでしょうか。そこそこ適応力が高い自信はあるんですが、この部に居ると時々自分の能力の甘さを感じることがあります。
「クリスマスに雪と一緒に血の雨が降ったらピンククリスマスになるんだろうか」
「いやー、何も降らなくてもどうせピンクっしょだってクリスマスって」
「あー、それは駄目だと思うなあ、言っちゃ駄目なんじゃないかなあ」
……まあ、多分、適応力のベクトルがそれぞれ別の方向を向いているだけなのでしょう。きっと。
「あ、そういや刈谷から伝言。ちょっと遅れるってさ。図書委員の仕事あるみたい」
刈谷は図書委員会に入っています。
多分、年末ですから簡単な掃除でもやるんでしょうかね。
「了解です。まあ、問題ないでしょう」
とりあえず、本日の目的である合宿の計画立て……主に、夕飯の計画立てについては、刈谷が居なくても問題ありません。
「合宿の夕食の計画は立てられます。とりあえず舞戸さんさえ居れば」
「まあそうだよね。舞戸さんが居れば計画は立てられる」
「逆に舞戸さん居ないと立てらんない!何故なら俺達、料理できないから!」
「私としては諸君らのこの調理能力の低さを大いに嘆きたい」
刈谷はこの部で調理能力が二番目に高いのですが、まあ、一番が居れば特に問題ないでしょう。
「なんか夏の合宿の時の悪夢が思い出される……」
舞戸さんが俺達を見ながら恨めし気に言っていますが仕方ありません。できないものはできません。
「あ、とりあえず調理器具とか調味料のストックとか確認しとく?夏に買った奴あったっしょ」
「そうですね」
調理はあまり得意ではありませんが、在庫のチェックや備品管理はどちらかと言えば得意な方です。こっちは手伝えそうですね。
基本的に我ら化学部には部室という物がありません。化学実験室を勝手に間借りして備品類を置いている状態です。
合宿で使う用具などは基本的に化学準備室の方に置いてあります。要は、他の生徒が立ち入らない場所に置いてあるんです。
化学実験室と化学準備室は廊下を通らずともドア一枚で繋がっているので、俺達は実験室と準備室を自由に行き来できるのですが。
「あれ、ビーカー、誰か割っちゃったのか」
準備室のドア横には、古い鍋が置いてあります。何故鍋なのかはさておき、この鍋は割れガラス入れです。実験室にはガラス器具が多いですから、当然、割れガラスが生産されてしまうこともしばしばあります。そういった時の為の、ガラス専用ゴミ箱がこの鍋なのですが。
ガラス片の中には目盛りらしい白い印字が見えるものもあるので、恐らくはビーカーでしょうね。
「え?まさか舞戸さん、ゴミ箱の中身全部記憶してんの?」
「うむ。そろそろいっぱいになるけどまだギリギリもうちょいは入るかな、割れガラス捨てるの面倒だからやりたくないな、って思ってたところだったので。あと、一番上に乗っていたのは私がバリバリ割った試験管だったはずなので」
ああ、そういえばそうでしたね。舞戸さんが試験管をまとめて6本割ったことがありました。それならガラス用ごみ箱ならぬごみ鍋の中身を記憶していてもおかしくはないですかね。
「しかし最近の部活じゃ誰も器具割ってないし、かといってテストもあった中、授業で実験やったとも思いにくい!誰だ割ったのは!」
……気になるところではあります。誰でしょうね。でも犯人捜しは難しいと思いますよ。気持ちは分かりますが。
横を見れば、アロエやポトスといった植物の隣に水切り籠があり、そこに幾つものビーカーやろうと、ガラス棒といったガラス器具が置いてあります。……割と、芸術的に。
自然に考えれば、ここからビーカーが落ちて割れたのでしょう。
「急いでる先生とかが落としちゃったのかねー」
「かもねえ。或いは、自然に落っこちちゃったとか?」
「んー、いや、窓空いてない状態でそれは流石にないっしょ」
鳥海と加鳥は転落死体の現場検証をするかの如く、です。
「あ、でもこれ見て。水切り籠の中でビーカーがタワーになってる」
「うわー、マジだすっげえ偏ってるわ」
2人が言う通り、水切り籠にはビーカーやフラスコ、ろうと等が絶妙なバランスで積み上げてありました。
乾いた器具はきちんと棚に片付けるようにすればこんなにガラス器具タワーができることもないはずなんですがねえ。これではビーカーがいつ落下してもおかしくないかもしれません。
「じゃあこれは事故死ってことでいいですかね加鳥所長!」
「え、僕、所長なのかあ……うーん、まあ、事件性は無しってことでいいんじゃないかなあ」
まあ……事件性があったとしたら、誰かがわざとビーカーを割った、ということになりますが。そんな事があったなら、化学実験室からドア一枚の化学準備室から更にドア一枚の化学研究室……要は、化学の先生方の居室に、騒ぎが届いていてもおかしくなさそうですし。
そもそも、先生方が壁2枚程(ドアが2枚とも開いていたら壁0枚です)隔てただけの位置に居るのだから、ビーカーをわざわざ割るような事をするわけがありませんね。
「じゃあ事件は無事に解決したって事で君達ビニール袋持ってきてビニール袋。あと割れ物注意って書くからマジックも。年末の大掃除ってことでこれも早速ゴミに出しちゃうから。ほれほれ」
舞戸さんがビーカー片の入った鍋を片手に鳥海と加鳥にせっつきました。
……あれ。
「舞戸さん、ちょっといいですか」
「ん?」
少し、気になって、塵取りの上のガラス片の1つを手に取ります。
「目盛りのとこ?」
「はい」
ガラス片には白い塗料で目盛りが書いてあります。ビーカーですから当たり前です。
しかし、『当たり前の』ビーカーにはあるべきものがありません。
「あっれ、このビーカー、イワキでもパイレックスでもない」
イワキというのはガラス器具メーカーです。パイレックスというのもガラス器具メーカーです。
我が学校の実験器具、特にビーカーやフラスコは、基本的にこの2つのメーカーのものだけで揃えてあります。
この2つのメーカーのビーカーは、基本的には目盛りの最上部の左側近辺にメーカー名が振ってあるのですが、俺が拾い上げた破片は『50』の目盛りが付いていますが、その左側には何も書いてありません。
万が一にも、この実験室に他のメーカーのビーカーがあったとして……メーカー名が書いてある破片が1つも鍋の中に見当たらないところを見ると、『無名メーカーのビーカー』ということになるのですが。
「ん?というか目盛りこれめっちゃ雑じゃない?ほらほら、底から10ml地点までの距離、10ml地点から20ml地点までの距離の1.5倍以上あるわこれ」
「底の角が丸くなってることを考慮しすぎちゃったのかなあ……」
正しいビーカーに『考慮しすぎる』などということは起こり得ません。
つまり。
「これはイミテーション、インテリア用のビーカー、ですね」
勿論、そんなものが我らが実験室に在る訳がありません。
このビーカーは外部から持ち込まれた物であるということであり……そこには何かの事情があって然るべきでしょう。




