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月夜ばかりでない夜道~1~

11月29日

天候 :晴れ

記録者:鈴本


 さて。

 俺は昼休み、化学部の顧問である日疋先生と行き会った。廊下ですれ違うレベルのエンカウントだったのだが、そこで全くありがたくない連絡を受けてしまったのだ。

 連絡の内容はざっと言ってしまえば、こうだ。

『今日の部活、ちょっと僕居ないからヨロシク』。




「はあ?先生居ないってどういう事?」

「しょうがないだろうが」

 部活に行って真っ先に報告すると、羽ヶ崎君から舌打ちを頂いた。やめてくれ。俺が悪いんじゃない。


 ……羽ヶ崎君。部員の1人である。俺と同じクラスでもある。

 彼を表面上、端的に表すならば『気難しい秀才』だ。

 勉学の出来が良いのは言うまでもないが、兎角、気難しく見える。

 機嫌が悪くなくても機嫌が悪そうに見える。喜怒哀楽の怒だけが表出しやすいというか、冷静なところに攻撃性だけ表出するから不機嫌に見えるというか。普通に笑うし普通に喜ぶんだけどな。羽ヶ崎君。


 ……と、まあ、そんな羽ヶ崎君の『がっかり』とか『しょんぼり』が見事『不機嫌』にすり替わった様子を見つつ、俺は数学の宿題を片付けた。1人だけなら宿題をやっていたが、2人居るなら雑談する。3人集まれば大富豪か、ウノか。それが俺達である。

「じゃあ今日何もできないじゃん」

 羽ヶ崎君も心得ているもので、雑談モードに入るべく俺の向かい側に座った。

 ……一応、何もできない、という訳ではない。先生が居なかったとしても実験の類を進めることは可能だ。

 だが、丁度俺達は今、実験で見事、壁にぶち当たっているところである。であるからして、本日は先生と話し合いの場を設け、一緒に解決策を探す、という事だったのだが。

「……で?なんで先生、居ないって?」

「原因は朝に言われたアレだ」

「……は?」

 やれやれ。やっぱりか。

 恐らく朝の連絡を碌に聞いていなかったか、聞いていたとしても自分には関係の無い事として忘却処理してしまったのであろう羽ヶ崎君の為に、俺は、あまり良い意味でもない言葉をわざわざ言う羽目になった。

「変質者の出没、だ」




 朝のホームルームで担任から告げられた言葉は、『変質者に注意』という、至極ありふれた、それでいて日常生活で滅多に出会うことの無いものであった。

 要は、そのままの意味だ。『変質者に注意』。学校の周りで変質者が出没しているから注意するように、と。

 ……そして、『特に女子は早めに、かつ集団でまとまって帰るように』と。

 どうやら、既に数名の女子が痴漢被害に遭っているということらしかった。彼女らの報告によって、今回の変質者の存在が発覚したのだとか。

「ああ、言ってたね、そんなこと」

「で、日疋先生が駅までの道の警邏に充てられた、ってことだ」

「へえ」

 羽ヶ崎君もは至極どうでも良さそうな顔でそう言った。痴漢被害よりも先生が消える被害の方が大きい、と言わんばかりの表情であるし、俺もそれには同意である。

「正直、そんなことに先生使うとか馬鹿じゃねえのとしか言いようがないんだけど」

「解決するしないよりも、『対策した』ことが重要なんだろうな。このご時世だ。下手に何もしないでいたらクレームが付きかねない」

 うちの学校の保護者達はそんなにおかしなクレームを入れてくるような人達ではない。だが、近隣住民の中にはそういった……クレームを付けることに生きがいを感じている、というような、厄介な人種が居ることは確かなのだ。

「ああそう。それもどうかと思うけど」

「同感だな」

 何にせよ、このご時世だ。文句をつけられないように立ち回るに越した事は無い。

 その結果、俺達の大事な顧問の先生が駆り出される、という事には遺憾の意を表したいが。




 仕方が無いので、今後の実験の計画立てをしたり、実験に使う金属板の欠片を量産しておいたり、飽きてトランプを広げ始めたりしている内に、ドアが開いた。

 特に遠慮も思慮も無い開け方で開けられたドアから顔を出したのは、角三君だった。


 ……角三君について言える事はあまり多くない。喋るようになったのも夏の終わり頃からだ。

 文化部らしからぬ筋肉質な腕や脚に、なんとなく人種というかタイプの壁を感じて遠巻きに見ていた、という事もあるが……何せ、無口なのだ。角三君は。

 ただ、喋ることが嫌いな訳ではない、という事は最近分かった。引っ込み思案気味なのもそうだが、それ以上に俺達の会話のスピードが速すぎて、会話に入り損ねていたらしい。一度話すようになってからはタイミングの掴み方が分かってきたようで、ちらほら、と喋るようになってきている。

 そしてその会話の中から……非常に、何というか、こう、『毒気が無い』事も分かってきた。妙に温室育ちというか、妙にスレていないというか、反応が純真無垢すぎて時々ビックリすることがある。


 角三君は実験室の中をちら、と見てから、困った様子で中に入って来た。

「先生、居ないんだけど……知らない?」

「ああ、角三君。今日は日疋先生は居ない。消えた」

「消えるのはいつものことじゃん」

 尚、化学部顧問の日疋先生はよく消える。聞きたいことがあっても、気づくと消えている。物の場所を聞きたくても、気づくと消えている。なので俺達は毎回、探すのに苦労させられているのであった。

「ああ、ならば訂正しよう。消えたというか、動員されている」

「え……?強制労働……?」

「なんでそういう発想になるわけ」

 あらぬ方向に想像を膨らませてしまっている角三君にストップをかけつつ、俺達は『変質者に注意』の諸々と先生が動員された経緯を説明した。

「あー……先生、若いから……」

「まあ、若い男性教員だからな。こういう事に動員されやすいんだろう」

「若いっつってももう三十路じゃん」

「還暦間近の先生と比べれば若いだろ」

 日疋先生は身長180cmを超える巨漢である。そして、食道楽の気がある方なので、決して『長身痩躯』ではない。最近は横に向かって徐々に徐々に巨大化もとい肥大化を進めている。

 まだ若い方だからこの状態を保っているのだろうが、老化によって代謝が落ちれば間違いなく横に向かってすごい勢いで伸びていくのだろう。

 ……と、まあ、外見についてだけ述べればそういうお方なので、変質者対策目的での通学路の警邏にはもってこいである。あの先生と正面切って対峙したい変質者は居ないだろう。

 そしてそこそこの若さの男性教員の数が限られる中、その中で特に威圧感と実際の運動能力をそこそこ有している人材を、ともなれば、日疋先生が動員されるのも已む無し、だ。




 その後も雑談は続き、先輩方は来てすぐに『先生居ないなら帰る』と帰っていった。潔い方々である。

 俺達も帰るか、と思いつつも雑談を続けていると。

「……変質者、居なくなればいいね」

 やがて、ぽつり、と角三君がそんなことを呟く。

 部内きってのイノセントさを有する角三君であるから、割と純粋に、こういう言葉が出てくるらしい。

「この世から?無理でしょ」

「いや……ええと、とりあえずは通学路からだけでいい……。それ以外は俺達に関係無いし……」

 訂正しよう。角三君もとりあえず目先と自分の事しか考えていない。流石は化学部部員だ。

「……ほら、ええと……」

 角三君の視線が、開いたドアに向いた。

「ねえねえ、先生居ないんだけど知らない?職員室にもコンピュータ室にも化学研究室にも中庭の陽だまりにも渡り廊下の陽だまりにもストーブ前とかにも居なかったんだけど」

「お前の中で先生は猫かなんかなの?馬鹿なの?」

「羽ヶ崎君よ、最後の『馬鹿なの?』は言う必要があったのかね?君のその『馬鹿なの?』は某動物の森のウサギさんの『みたいな』とかペンギン君の『ダジョー』みたいなものなのかね?」

 入ってきたのは部員の舞戸であった。


 舞戸。こいつについて真っ先に言う事があるとすれば性別だろう。

 女だ。化学部同期の中で唯一の女子部員である。……というか、割と最近、『唯一』になってしまった、のだが。

 と、まあ、そんな奴なので、俺達としても今一つ、距離を測りかねる部分がある。

 だが最近、特に何も考えずに接すればいいということが分かってきた。舞戸自身、気遣いを申し訳なく思うようであるし、俺達も気遣う事が得意な性質ではない。

 だから俺達は特に何も考えず、大体趣味の方向が似ている相手……『男』とか『女』とかいうよりは、『そもそも人間じゃない』ぐらいの気持ちで接することにしている。実際、珍獣というか、宇宙人めいたところはあるからあながち間違っていないだろう。多分こいつの前世はツチノコとかだったに違いない。


 そんな舞戸が実験室の中に入ってくる際、角三君は困ったような顔で、「ええと……ほら、舞戸……」と、ぼそぼそ、と言った。

 ……更に訂正しよう。角三君はイノセントかつ友人思いの素晴らしい人間である。




「僕はこいつが変質者被害に遭うとは到底思わないけど」

 イノセントでも友人思いでもない羽ヶ崎君は、舞戸が隣に座る中、声を潜めるでもなく言い切った。ある意味では友人思いというか、舞戸思いではあるかもしれない。舞戸は気遣いを申し訳なく思う性質だ。

「え?何の話?」

 1人、話に付いてこれていない舞戸に今日のあらすじを話してやると、ふんふん、と頷いて、言い切った。

「成程。確かに私が痴漢に遭うとは思えないなあ」

 角三君は複雑そうな顔をし、羽ヶ崎君は憮然とした顔で頷いている。

「だって先生方が見回りまくっている今日この頃、どうして変質者が変態行為に及べるか。いや、無い」

 ……ご尤もだ。ご尤もである。

 角三君の心配も、羽ヶ崎君の意図するところも丸無視した回答ではあるが、完全正答だと言わざるを得ない。

 一般的に、変質者というものは人の目を気にするものである、と言われている。いや、俺が実際の変質者の話を聞いたことがある訳でも無ければ、変質者の実例を見た事も無いので何とも言えないが。

 まあ、ともすれば、変質者は先生方の見回りがある以上、出没したとしても……行為に及ぶこと無く、諦めてそのまま何もせず通り過ぎるのではないだろうか。

 もしかしたら先生方の目を掻い潜って、ということもあるのかもしれないが、そんな事は極々低確率で起きる事象だろう。それを気にするぐらいなら、空から降って来た植木鉢が頭に直撃して死ぬことを心配した方がいい。

「っていうかそもそも、痴漢ってそうそう出るもんなわけ?被害が多発してるっつったって、そう毎日毎日出るもんでもないでしょ」

「だろうねえ」

 そして変質者がそう毎日出るとも思えない。1度被害が出たならば、最低でも1日は空けてから出るぐらいの慎重さが無いと、早々にお縄につく気がする。

 変質者だって馬鹿じゃないだろうし、まあ、少なくとも今日は変質者被害を気にすることなく下校しても問題無いだろう。


「ということで私は帰るぞ。先生が居ないと届いた薬品出してもらえんでなあ……」

「……俺も帰る」

 部活を諦めたらしい舞戸が鞄を持って立ち上がると、角三君も立ち上がった。舞戸が心配だから以上にさっさと帰りたいんだろう。角三君は最近買ったシューティングゲームにご執心らしいという事がさっきの雑談で発覚している。

「じゃあ僕も帰るけどいいよね?今日くらいサボっても」

「いいんじゃないか?……なら俺も帰るか」

 こうして結局、俺達はその日、まともに実験をすることなく帰宅したのだった。




 そして、次の活動日。

「皆、聞いてくれ」

 放課後、実験室に入ってすぐ、俺は、言った。

「今日も日疋先生が居ない」


「へー、今日も変質者?いい加減にしろよ」

「俺に言うな。緊急の職員会議だそうだ」

 なんでも、先生方の警邏空しく、変質者がまた出たらしい。

 そして、被害に遭った生徒がまたしても出てきたため、仕方なしに職員会議、と。

「すごい根性だねその変質者。いっそ尊敬に値するとは思わんかね諸君」

「いや……尊敬……うーん……ある意味……?」

 舞戸の言葉も一理あるかもしれない。いっそ清々しい。先生複数名による警邏があったというのに、被害が出たとは。

「ちなみに被害ってどこで出たの?通学路外?」

「いや、多分、通学路。……なんか、クラスの女子が喋ってた」

「ま、まじか」

 角三君から凄い情報が出てくる。

「通学路の……ええと、ほら、川、渡るとこ。あそこらへんだった、って……」

 そうか、通学路内か。すごいな。先生方の警邏はザル警備だったのだろうか。それとも変質者は伝説の傭兵並みにスニーキングミッションが得意なのか。




「この問題、何時まで続くんだろうねえ」

 舞戸が表情を曇らせて、机に頬を乗せた。

「このままだと先生が消えっぱなしで部活にならんよ。早く解決してくんないと困る」

「それもそうだな」

 先生がこのまま警邏や会議に駆り出されっぱなしでは、俺達の部活が滞る。それは確かだ。

 だが痴漢を捕まえる、というのもあまり現実的とは思えないが……。


「……この問題、ほっといても解決はしないでしょ」

 羽ヶ崎君が不意に、そんなことを言った。

「え、ええ、そ、それはどういう?」

「普通に考えて分かんない?」

 羽ヶ崎君は嫌そうに視線を彷徨わせつつ溜息を吐き、言った。

「……先生じゃ解決できない。というか、解決しちゃいけない」

「……え?ええとそれは?」


「だから解決したいんだったら僕らがなんとかすべきだと思うけど?」


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