ガラスの正義感~3~
「鳥海3秒クッキングー」
「いえーい」
「これはクッキングなのかなあ……」
確実にクッキングではないです。
「まずこのヌメッとしたガラス片にアセトンをぶっかけまーす」
「もうクッキングじゃないなあ……」
「余計なアセトンっ気をよく切って、ガラス片を乾かします」
「アホ!アセトン飛ばすならドラフトの中でやんなさいよアホ!」
実験室内がアセトンの香りでいっぱいになり、舞戸さんが慌ててドラフトのスイッチを入れ、加鳥が実験室内の換気扇のスイッチを入れました。俺はアセトンの匂い、嫌いじゃないんですけどね。まあ体にいいかと言われれば悪い方なのは間違いないのですが。
「あ、もう飛んだ」
「アセトンですからね」
エタノールより飛ぶのが速いアセトンですから。当然のようにガラス片は乾いてしまいました。流石に3秒以上かかっていますが。
「はい、そして出来上がったものがー……こちらですよー、っと!」
そして鳥海がガラス片の中から、1つの欠片を取り出し、俺達の目の前に置きました。
「……これは……」
「すりガラス、だねえ」
ガラス片の一部が白く、すりガラス状になっていて、文字を成しています。
「これは……名前、かな?」
文字列の一部は破損してしまっていて読めませんが、恐らくは名前、それも、女子の名前らしいということは分かりました。
「成程、アセトンを掛けたのは油を落とすためでしたか」
「そ!いやー、ガラスに油っつったらこれでしょー。で、パズルやってて触り心地違う欠片あるのに気づいたからさ、油落としたらすりガラス部分が見つかるかなー?って思ったら……この通り、ビンゴだったって訳。いやー、我ながら名推理っすわ!やったね!」
ガラス片がぬめぬめとしていたのはどうやら、油によるものだったようです。
そして、ガラスに油、といえば……屈折率がほぼ同じことで有名ですね。油の中に入れたガラスはほとんど見えなくなります。何故なら、ガラスと油の屈折率がほぼ同じであるためです。
……まあ、正直、すりガラスの部分を隠すだけなら、水ぶっかけるだけで良いんですよ。すりガラスは濡れると透明になりますから。しかし水は蒸発しますからね。油ならそうそう飛びませんし、水よりも流れにくい。よって、『ガラス片のすりガラス部分を隠す』という目的ならば、油をぶっかけておくのが一番、ということになります。
「……で、これ、誰の名前かなあ」
「ま、このガラス片の持ち主の名前だよね、普通に考えて」
ガラス片の持ち主、というと。
「んー、ガラス片っていうか、これがガラス片になる前の物体の持ち主、だったとは思うんだけど」
鳥海はガラス片の中から1つの欠片を取り出しました。
穴を開けたように、縁が丸くなっている部分のある欠片です。
「これ、なんだか分かる?」
「いえ全く」
俺はこのような実験器具に覚えはないので、正直に答えます。このガラス片が元々何だったのか、まるで分かりません。
「ま、うん。俺も確証は持てなかったよ。油が無かったら」
おや、鳥海はこのガラス片が元々何だったのか、分かったようですが。
……油、ですか。
見たところ、無色の油ですね。恐らくは鉱物油です。粘度はそれなりでしょうか。
「機械油、ですか?」
尤も、俺はそれ以上の推理ができません。知識に偏りがあるのは自他共に認めるところですから、自分の専門外の知識が必要な推理についてはお手上げです。
「あ、機械油、か。うーん、多分それにすごく近い」
が、まあ、良い線行ってる、ということなので及第としましょうか。
「ん?機械油……あ、もしかして」
一方、舞戸さんがピンと来た顔をしています。
「ほら、金管楽器に使うアレなんじゃないかな。確か透明な鉱物油使うはず」
金管楽器に、ですか?
「正解!多分!」
ああ、正解なんですね。
「なんか楽器のピストン部分とか、ロータリー部分とかに油差すらしいんだわー。前、俺のクラスに吹奏楽部が忘れ物してった時に見たし聞いた」
……そう言われてみれば、確かに金管楽器とは、動力が人力である機械、とも言えるかもしれませんね。
しかしそれにしても、鳥海の記憶力は一体どうなっているんでしょうか。忘れ物を見た記憶からここまで推理したとしたら化け物じみていますが。
「ええと、この油が吹奏楽部で使う油だとしたら、このガラス片を化学実験室に置いていったのは吹奏楽部、ってことになるのかなあ」
「ザッツライ!」
さて、これで犯人は分かりました。
が、問題はどうやらここからのようです。
「じゃあこのガラス、なんだろ」
このガラスの正体こそが、ここにこのガラス片がある理由なのでしょうから。
「えーと。とりあえず俺の回答だけ先に言っちゃうと、これ、多分ガラスのフルート」
「がらすのふるーと?」
聞き慣れない言葉を繰り返して、舞戸さんが首を傾げています。俺も首を傾げないまでも、そういう気分ではあります。
「そそそ。フルートってほら、音出す仕組みがそんな難しくないじゃん。だから音域狭くていいならガラスで作れるんだってさ」
「まあ、息入れるだけだもんね。リードとか唇とか振動させてる訳じゃないもんね」
「分からないよー分からないよー」
俺も音楽系の知識が無いわけではないですが、どちらかと言えば鳥海と舞戸さん側ではなく、加鳥側です。分からないよー。
「そっかー……これ、楽器……」
そして舞戸さんは、ガラス片を見て青ざめています。
……はい。
俺も、音楽系の知識が無いわけではないので。俺も、正直、そこそこ冷や汗をかいています。
「……名探偵鳥海君よ」
「うぃ」
「作りが単純、かつ、銀だの金よりはよっぽどコストの安いガラス製、とはいえ、これは楽器……だったわけだ」
「そうねー」
舞戸さんが表情筋を強張らせながら、鳥海に、聞きました。
「これ、幾らぐらいすんの?」
「さー?俺も詳しくは知らないけどなー……まあ、これ、絵とかの装飾がある訳でもないし、諭吉2人居れば余裕なんじゃない?」
「ゆきち!」
……諭吉2人、つまり、20000円、ですか。高校生にとっては、大金です。
つまり。
このガラスのフルートが、割れてここに在るという状況。
「まあ、要はさー……うっかりここにこのガラス片があると、俺達が諭吉2人分の罪を擦り付けられる可能性があるよねー、っていう……うん」
成程、解決を急いだ方がいい訳ですね。
「まあ、考えられるとしたら、多分これ、持ち主以外の誰か、吹奏楽部員が割ったんだと思う」
ガラスのフルートですから、当然、落とすなりぶつけるなりすれば割れるでしょう。いくら丈夫に作ってあったとしても、ガラスはガラスですし、現に今、割れていますから。
「ま、油の事も考えると、金管楽器の子が割っちゃったんじゃないかなー?って思わんでもないけど、フルートの子がホルンとかチューバから油だけ借りるなり盗むなりした可能性もあるし、これ以上の犯人の特定は難しいかもね」
「明確な特定はできなくてもいいんじゃないでしょうか。俺達は降りかかる火の粉さえ払えればいいわけですから」
或いは、特定できなくても向こうから来る可能性が高いですからね。今考えなくてもいいと思います。
「オーケー。俺としては割と詳細まで気になっちゃうけど、それは置いとこう。……で、まあ、割っちゃった、と。でも割っちゃったと知れたら弁償モノだし、ガラスどころか友情にも罅が入りかねない!ということで、ガラスのフルートを割っちゃった犯人は考えたわけだ。どうやって罪を逃れるか、と!」
「その結果がここに放置、なのかー」
「すりガラスの名前は油で隠して、更にその上に何の罪も無いビーカーを割って乗せてカモフラージュ……可哀相なビーカー……」
犯行のカモフラージュの為だけに割られたとすれば、確かに今回の一番の被害者はビーカーですね。イミテーションのビーカーだとはいえ、あまり気分はよくありません。
「何もこんなカモフラージュなんてしなくても、普通にゴミ捨て場に捨てるんじゃ駄目だったのかなあ」
「ん。ゴミ捨て場に置いてあったらさ、罪を誰かに擦り付けることができないんだなー。今回のケースだと『誰にも気づかれずに』処理されちゃ駄目だったわけよ」
……誰かに気付かれなければならなかった?
それは一体、どういうことでしょうか。
殺人事件なら、アリバイ工作よりも何よりも先に、死体を隠す、否、死体を消す方法を考えるのがセオリーです。
死体が無ければ、犯罪が露見することも無いのですから。
だから、今回も、誰にも気づかれない内にゴミに紛れさせて捨ててしまった方がよかったのではないか、と思うのですが。
「フルートの存在はまあ、持ち主も周りも知ってる訳だから。フルートが消えたら、割れたかどうかより先に盗難が疑われる。盗難が起こるとしたら、吹奏楽部内ぐらいでしかありえない。犯人捜しは真っ先に吹奏楽部内で起こるだろうね。だから、『部外に犯人を作らなきゃいけなかった』」
……ああ、成程。
自分や、自分達……吹奏楽部員を犯人にしないためには、外部に犯人が居る必要がある。
だから、『死体を隠す』方法は取れず、むしろ、『死体を残す』為の方法を選んだ、というわけですね。
「ま、つまり多分!その内吹奏楽部の人が誰かここに来て、このガラス片発見していくと思うよ」
「あー、そっか。ここにガラス片があるってことで、やっと吹奏楽部以外に犯人が居るっていう可能性が……」
そこで俺達は、思い出しました。
鳥海の『じゃないと俺達が一番の被害者になる』という台詞を。
「……で、その、犯人が罪を擦り付けようとしている相手、って、いうのが……うん」
「そう!計画通りに事が運べば、俺らが犯人候補になるっていう寸法です!」
「い、いやでも、そうとは限らないよね?だってここに捨ててあるだけだし」
「うーん、でも俺達もうパズルとかやっちゃってるしなー?傍から見たら怪しいよねコレ」
そうですね。どう見ても怪しいです。
犯人が割ってしまったガラスのフルートを復元しようと試みた図、といった具合になってしまっています。
「いやいやいや!でも私達本当に何もしてないし!証拠もない以上は私達を犯人にすることはできない!」
「でも明らかに疑わしいよねえ、これ……」
はい。明らかに疑わしいですね。さて、どうしたものですかね。
「……で、名探偵鳥海様!対策は如何様に!」
舞戸さんが慌てる中、鳥海は慌てず騒がず、紙袋を持ってきました。
「ん?これでいいんでない?」
鳥海はガラス片をザラザラと紙袋に流し込むと。
「せんせー!失礼しまーす!」
……化学準備室へ入っていき、そのまま突き抜けて反対側の扉から化学研究室へと入っていきました。
「成程」
「そうだよなあ、僕らが犯人だったら、先生にわざわざ言わないよなあ……」
俺達は特に何も知らず、『よく分からないが間違いなく実験器具じゃないガラス片』を見つけて先生に報告すればいいのです。
ついでにイミテーションのビーカー片も添えれば、俺達が何故これらガラス片が実験器具ではないと気づいたのかの理由の説明も完璧ですからね。
「ただいま!あとは吹部の人が来てもしらばっくれとけば完璧なんでない?」
やがて、先生方への説明とガラス片の受け渡しを終えた鳥海が戻ってきました。
とりあえず、対策はこれで大丈夫でしょう。あとはひたすら、しらばっくれるだけですから。
やがて、化学部には残りの部員も揃い、一応、全員に説明がなされ、全員でしらばっくれる準備ができました。
大丈夫です。大根役者も居ますが、それ以上に嘘を吐くのが上手すぎる連中が揃っているのがこの化学部ですから。
……そうして俺達は合宿のメニューを楽しく決め、楽しく大富豪に興じ、そこへ『何故か』やってきた吹奏楽部員には目もくれず、『何故か』割れガラス鍋が空になっているのを見て驚いている吹奏楽部員など気にせず、『何故か』困っている様子の彼らが実験室を出ていくのをそっと見送りました。
「ま、なべて世はことも無し、って奴?」
こうして俺達は名探偵の推理力と行動力により、窮地を救われたのです。
ちなみに合宿の夕飯は鍋になりました。
楽しみですね。
+本日の記録+
鳥海のおかげで、なべて世はことも無し、です。
*追記*
少し、その後が分かりました。
結局、吹奏楽部の顧問の先生から『ガラスのフルートが盗難された』という旨の連絡が他の先生方に回り、そこから化学実験室にあったガラス片の存在が露見しました。勿論、俺達が犯人だということにはなりませんでした。こちらがそうなるようにしたとはいえ、化学の先生方に守って頂いた部分もあるようなので、先生方には感謝したいと思います。ありがとうございます。
そうしてガラスのフルートが割られていることが判明し、冬休み中、吹奏楽部は少々荒れたようです。
結局、犯人は分からないまま、ということになりました。学校内で起きた事ですから、あまり犯人探しに躍起になる訳にもいきませんし。
ですが吹奏楽部内では『やはり化学部が怪しい』ということになったのだそうです。
吹奏楽部はコンクールに向けて熱心に活動している部活です。部内の結束は必要不可欠でしょう。
ですが、犯人がフルートを割った事で、友情ないしは団結力に罅が入ることは間違いありません。楽器は高価である以前に、愛着があるはずですから。
だから彼らは、自分達以外の誰かを憎んで、団結しようとしたのかもしれません。共通の敵の存在は団結力を高めます。排他とは最高の絆になり得るのです。
たとえ、結局フルートを割った犯人が有耶無耶になって分からなかったとしても。俺達が犯人だという証拠がどこにも無くても。むしろ、俺達よりも吹奏楽部内に犯人が居ると考えた方が余程自然であったとしても。
吹奏楽部の部員が俺達を『犯人だったのではないか』と思えたならば(或いはそう思い込めたなら、とも言えるでしょうか)犯人の目的は達成できる、ということなのでしょう。
嫌な考えですが。
恐らく、吹奏楽部の人達からすれば、これは正しい行いなのです。彼らなりの正義に則った行動なのでしょう。仲間を守る、団結を保つ、という、彼らなりの正義なんだと思います。
勿論、それが間違っていることも、破綻していることも彼らは分かっているとは思います。そして罅が入った正義感の行使によって、他者を傷つけているということも自覚しているとは思います。
今のところ俺への実害は碌にありませんし(正直吹奏楽部の人との交流は俺は無いので)これについて俺は文句を言うつもりはありません。藪蛇にもなりそうですし。
ですが、彼らの正義の有り方について、個人的には異を唱えたいと思います。
*追記2*
俺は文句を言うつもりはありませんでしたが、鳥海は第三者への根回し目的であちこちにそれとなく文句言ってました。強かですね。こういうところ、尊敬します。




