86. 変心、そして姫へ
からだがかるくて、なんだかじぶんじゃないみたい。
ここは、どこだろう?
わたしは、なにをしているのだろう?
わたし?
あれ?
わたしって……、だれ?
「あなたには知って貰わなければならない。目覚めるために、そして世界のために」
わたしにはなしかけてくる、このひとはだれ?
なにをしるの?
めざめるってどういうことなの?
せかいのためって、どういういみ?
謎の声が聞こえると、眩んでしまうくらいに目の前が真っ白になっていき……。
「はっ! ここは……?」
”結局、私は何も出来なかった”
次に我に返ると、ユキはかつて使用人時代、アレフィに蹂躙されそうだった状態に戻る。
「な、あなたはっ!」
「フヒヒヒッ、ユキたん……、ユキたん……」
”私に良くしてくれたココが傷ついて、そして私も傷つけられてしまう”
”それでも……、もう……、何も出来ない”
これは、ホタルお姉さまの時と同じように過去を追体験している?
でもどうしてこの場面なの?
「ようやく諦めて僕を受け入れてくれるみたいだね?」
”私、頑張ったよね?”
”目の前でお父様とお母様が殺されて、十分に悲しむ時間も無いまま訳の解らないうちに使用人になって、日々の酷い仕打ちにもずっと耐えてきた”
この場面を再現させる事に、何か意味はあるの?
誰がこんな事をしたの?
私はサクヤに殺されてしまったはずなのに、どうして?
”でももう、頑張るのはいいや”
”疲れちゃった”
それでも、何故こんな場面を見せる意味があるのか、再び体験させようとしているのかがまるで理解出来ない。
「大丈夫だよユキたん。痛くてつらいのは最初だけだから、すぐ君は僕の虜になる」
”そうだよね、この人の言うとおりにすればいいんだよね”
”ココだってそうなったんだから、私だって”
”私は、ご主人様の……”
何だかよく解らないけれど、考えるのは後だ。
とりあえず、今はこの状況を脱するしかない。
追体験ならば、この後私は変身する力に目覚めるはずだけども。
追体験……。
仮にホタルお姉さまの時のような現象が起きているなら、私はまだ生きている?
サクヤに撃たれたはずなのに?
でも原因は解らないけれども、もしも私が動けるのならば……!
ユキの思考がみるみると覚醒してゆく。
そして、自身がまだ生きているという事実が希望を呼び寄せる。
ユキの心の中に蘇った光は、自然と気持ちは明るい方向へともっていく。
そうだ、ルリやセーラちゃんがあんな簡単に倒されるわけがない。
たとえ倒されたとしても、私には力がある。
今度こそ私が二人を、新世界のみんなを救ってみせる。
今ならできる、私ならどんな苦境だって乗り越えられる、間違った道を歩むサクヤだってきっとどうにかなる、だから!
「私は負けない! 必ず乗り越えてみんなと再会するんだ!」
サクヤの言葉より、自分の思いに正直になるんだ。
だから諦めない、この幻想を打ち破って必ず二人を助ける!
「解放する白雪姫の真髄!」
変身してアレフィを改心させ、そしてこのまやかしを打ち破って私は全てを取り返すんだ!
ユキは襲われながらもみんなの為、そして明日の為に解放の言葉を言い放つ。
「え、うそ。変身できない……?」
「ユキたんは何を言っているんだい? さあ、僕と一緒に……」
しかし、ユキはアレフィが贈ったピナフォアを着た姿から一切変化せず、解放の言葉は虚しく部屋内を響くだけだった。
何の脈略も無い突然のユキの発言にアレフィは多少困惑はしたが、ユキを襲う手は緩めない。
な、なぜ変身しないの?
言葉は間違っていない、教えてもらった感覚を思い出してやった。
過去の追体験中には変身は不可能なの?
「解放する白雪姫の真髄! 解放する白雪姫の……ひぃっ!」
それでもユキは襲われながら、何度も何度も解放の言葉を連呼し続ける。
しかし、一向にスノーフィリアへとならない。
最初はユキの奇怪な発言に戸惑っていたアレフィも、やがてはユキの言葉を無視し手を進める。
変身出来なければ、私はアレフィに滅茶苦茶にされてしまう。
早く変身しなきゃ、力を使わなきゃいけないのに!
お願い変身して、お願いだから!
ユキの心中にあった希望が焦燥へ、焦燥から絶望へ、そして恐怖に変わるのにそう時間はかからなかった。
「どうして……、どうして変身できないの?」
このままではココと同じ様に私も酷い目にあってしまう……!
駄目、そんなの絶対にいけない!
過去の追体験なのに、どうして過去とは違うの!?
なんで、解らないよ!
「いやあ、やめてお願い!」
「いいよその表情、ゾクゾクしちゃうねえ」
ユキはなりふり構わず暴れたが、アレフィの体でしっかりと押さえ込まれており、抜け出す事が出来ない。
嫌だ、私は……、私は……!
襲われるのは嫌、酷い目に遭いたくない。
許して、これ以上はもう止めて、誰か助けて!!
「いやああああ!!!!!!」
結局ユキの願いも虚しく、アレフィによる強引な契りを、ユキは退ける事が出来なかった。
――それから数日後。
「最高の気分だよ。ユキたんには感謝もしきれない」
「あ……、ああ……」
そこには、自らの欲望を吐き出して満足げなアレフィと、それらを無理矢理受け入れ続けて壊れてしまったユキが居た。
何で……、どうしてこうなっちゃったの?
本当だったら、こんなはずじゃないのに……。
こんなはずじゃ……。
希望の光を失った青い瞳からは涙が静かに流れ、体を僅かに震わせながらうわ言をつぶやき続ける。
「これが現実なんだよ。ユキたんはもう立派な僕の家性婦さ」
そうだ、私はあの時何も出来なかった。
ご主人様の玩具としての生を、受け入れるしかなかった。
そっか、今までのは私が勝手に妄想した理想、都合のいい未来だった。
修道女や魔術師や新世界のメンバーとして生きてきたのは全部嘘だったんだ。
全ては壊れた私が描いた理想、現実を逃避するためのかりそめ。
出会い、仲間、夢、希望。
元々、そんなものは無かった。
何にも無かった。
私には、何も無かった。
なにも……、なかった……?
あれ。
ぜんぶこわれちゃったのに。
なんにもないはずのに、なんだろう、このきもち。
ユキの心には、アレフィの相手を続けているうちに、今までには無い新たな感情が沸きあがっていた。
なンダか、とッてモきモチヨクて、ここロガトッテモいッパイデ。
その感覚は、ラプラタがユキの変身を促した時と同じであり、変身を多用した時に起きていたものと同じだった。
過去のユキは実際にその感情を持て余しており、ただ漠然とよく解らないが委ねないように自分を強く意識してきた。
『何も我慢する必要なんてありません。さあ、自らの心の赴くままに求めなさい』
しかし、どこからか聞こえる声が、今までそんな感情を堪えていたユキの壊れてしまった心にとどめをさす。
もット、モットしタイ……。
抑えていた感情の波が、怒涛のように押し寄せてユキを瞬く間に飲み込む。
ユキもそんな感情を一切拒む事も無く、むしろ身を委ねてゆく。
「フフ、ご主人様……」
そしてユキはふらつきながら静かに立ち上がると、満足げなアレフィへ妖しげな笑みを見せながら抱きつき、自らの感情のままに動き、ご主人様の寵愛をとこしえに求め続けた。
――ユキが妄想と虚実の世界へ耽っている最中、秘密結社トリニティ・アークが管理している研究所にて。
「仕上がりましたね、まさかサクヤ様の言うとおりになるとは」
研究員である魔術師とサクヤは、無数の管が這う寝台の上に拘束されたユキの墜ちてゆく様子を魔術のかかった水晶玉越しから見守り、そして予想通りの成果に満足していた。
この時ユキは、変身中のように眩い光に包まれている。
しかし、その光は今までとは比べ物にならない程に強くて危うかった。
「変身とは、感情の高揚と深い繋がりがありますからね」
「心を大きく揺らす要因の一つである、欲望を刺激したと?」
「ええ、”溺れる事を”彼女は知ってしまいましたから。これからもずっと求め続けるでしょう」
サクヤは変身のメカニズムについて、ユキより詳しかった。
それゆえに、ユキをどうすれば変えられるか解ってきた。
「ジョーカードール・アーテスタの経験が生きましたね」
「そうですね。彼女の経験が無ければ、こうなる確証は得られなかったですし」
敢えて逆境へ追い込みユキの心を壊してから、信頼や仲間といった接着剤を用いて修復させ、そこから裏切りや傷つく仲間を見せて再び壊す。
「いよいよ誕生ですね。欲望の白魔姫様の……」
「はい、欲望の白魔姫ネーヴェ。それがユキの真実であり、私が迎え入れたかったユキの本当の姿」
心をもう二度と戻らない状態へ追い込んだ後に、欲望の虜にさせて心そのものを作り変えさせる。
新たな価値観を植え付け、今までにない信念を与えて組織の新たな仲間として迎え入れる。
本当のサクヤの作戦は、この瞬間成就した。
「お気分はどうですか?」
やがて光がおさまり、変身を終えて生まれ変わったユキはゆっくりと目を開け、実験台から起き上がる。
ユキの姿は、今までとはまるで違っていた。
体はふくらみとくびれがはっきりとしている成熟した女性のものとなり、それを胸から腹部まで開けた局部以外はほぼ素肌が見える群青のロングドレスで覆い、自身の青い瞳には暗い闇を湛え、臀部のあたりまで伸びきった銀髪は毛先へいけばいくほど水色のグラデーションがかかっている。
その妖しくも淫靡な姿はかつてのユキのような素朴さや純真さを残しておらず、またスノーフィリアのような可憐で清廉さの欠片もない。
「はぁーっ、はぁーっ……」
「欲情が抑えられないみたいですね。ですがすぐに慣れます」
ネーヴェは頬を赤らめて息づかいが荒くしながら立ち上がると、その場で自分自身を強く抱きしめる。
その異様な様子をサクヤは満足そうに見守った。
「フフ、フフフ……。最高の気分、ほらね」
「素敵です」
そして何の迷いも無く、スカートをたくし上げて中をサクヤに見せる。
ユキだった頃からは想像もしなかったであろう恍惚な表情と雰囲気。
スノーフィリアだった頃では絶対にありえない艶かしい言動。
サクヤは、ネーヴェが来た事を確信した。
「それでは改めて……。ネーヴェ、共に私達の”新世界”を作りましょう」
サクヤはネーヴェへと手を差し出し、ネーヴェもそれを迷うことなく取る。
この瞬間、組織の総帥三人が揃い、彼女らの本当の計画がいよいよ実行される。




