74. 動く時
新世界一行が、中央精霊区にある世界メイド協会の本部へ到着してから、さらに日にちが過ぎていく。
全員は怪しまれないように、各自の協会における役割をこなしている。
マリネは客員講師として魔術や魔術に使う道具の知識をメイド達に教え、くろはそのサポートをしている。
ルリフィーネは迷える後輩達を導くべく他の講師の手伝いをしながら、ユキの日々の世話をしており、ユキは他の生徒に混じって勉強をしている。
何事も無い穏やかな日々が続き、ユキのメイド協会の生徒が身に着ける黒色のワンピースとエプロン姿が、すっかり馴染んでしまった頃だった。
「今日はパイ包み焼きの作り方と、魔術の勉強をしたんだよ」
「ほおほお、ユキ様も随分レパートリーが増えましたね」
日も暮れ、今日の講義が終了して各自が自分達の部屋へ戻る。
ユキはルリフィーネは部屋に戻る道中で合流し、自然と新世界のメンバーが借りている会議場に集まっていく。今日習った事を嬉々と話す。
「うん、今度ルリに作ってみせるね」
「楽しみにしております」
ルリフィーネはいつもの温和な笑顔で、ユキの話に対して頷きながら答えていた。
「あ、マリネさん。お疲れ様です」
そんな中、仕事を終えたマリネが部屋へと入ってくる。
いつもなら陽気なムードメーカーの彼女であったが、今日はその明るい表情が無く、難しい顔をしたままだった。
「どうかされたのですか?」
普段とは違う様子を察したルリフィーネは、マリネに何があったかを聞く。
ルリフィーネの気遣いに対してマリネは、机にゆっくりと座り手を組み、少しの間沈黙した後。
「……動く時かしら」
マリネはいつもの甲高いトーンではなく、本来の男性の声域で一言だけそうつぶやく。
「え?」
それがどういう意味か解らなかったユキは、思わず声を出してしまう。
「大主教ブカレスが世界メイド協会長の任務から離れるの、元々高齢だから後任を探していたみたい」
「それで、後任が見つかったと言うわけですか?」
「そう、だからブカレスは近い内にここから出て行ってしまう」
いつかは訪れる事だけど、今このタイミングで来るなんて。
「大主教の地位はそのままらしいから、正教の仕事に専念するみたいだけども……」
「そうなると今以上に近寄りがたくなってしまいますね」
「そうなのよ」
大主教として正教の本部がある水神の国に居る時以外は、基本的に世界メイド協会に滞在している。
だからここでマリネさんが客員講師を続けていれば、いつでも接触する機会はあった。
しかしそれが出来なくなってしまうと、ここより警備が厳重な正教本部へ赴かなければならない。
ルリやロカさんが居るとしても、正教本部の兵力と直接ぶつかったらひとたまりも無い。
「そこで提案だけれど、大主教ブカレスが船でここを出て行く時、私達も同じ船に乗って、船内で彼に組織の事を聞くのはどうかしら?」
だから、これが最後のチャンスになるかもしれない。
「船上なら、海の上だしもしも何かあっても周りへの被害は無いから、丁度いいと思ったのだけれど」
「ですが、我々も万が一の時に逃げれません」
「そこが問題なのよね。だから決定ではなく提案なの」
ルリの言うとおり、船の上でもしも宰相オルクスのような出来事にあってしまったら……。
私の召喚術でも危ないかもしれない、全員海に投げ出されてしまう事だってありえる。
でも、マリネさんのいう事だって解る。
だから、決めきれず皆に意見を求めているんだ。
「大丈夫ですよ! ルリやくろさんだって居ますし、ハーベスタさんの予想通りだったら、組織の人事に関する事を聞かなければオルクスのような事にならないかと思います」
ユキはそんなマリネの迷いを少しでも減らそうと、精一杯考えた励ましの言葉を送る。
「私達を高く評価してくれるのは嬉しいわ。ありがとうユキちゃん」
マリネはユキの気持ちを察して、笑顔で手を振ってユキの言葉に対して感謝の意を示す。
しかし、迷いが消えた様子は無かった。
「……少しだけ考えさせて、明日には結論を出すから」
そしてマリネは椅子から立ち上がってそう一言だけ言い残し、自身の部屋へと戻ってしまう。
力になれなかったユキは、目の涙をうっすらとさせてうつむいてしまうが、ルリフィーネが優しく抱きしめてくれたお陰か、号泣するには至らなかった。
翌日の朝。
「やるわよ。良いかしら?」
全員がマリネによって会議場へと集められると、作戦の決行を宣言する。
「はい」
「ええ」
場内に緊張が走る。
新世界の全員の表情は強張りだす。
「大主教ブカレスは、三日後の水神の国行きの定期船でここから出立するわ。それまでに細かい作戦の段取りを決めておくわよ」
会場内の空気は張り詰め、各自は真剣かつ真摯に現状を見据えて計画を立てていく。
――そして三日後。
中央精霊区発、水神の国行きの船の中。
特に地位の高い者や貴族達が使う、スイートルーム内にて。
「それにしても、ルリやマリネ殿も同じ船とは奇遇ですね」
同じ船に乗り合わせた事を知った大主教ブカレスは、自身のみが利用するはずだったスイートルームへ新世界の一行も招いて共に長い船旅を過ごそうと提案した。
ブカレスは、まさか自身がこれからはめられてしまうとも知らずに……。
勿論。この誘いを断る理由はないため一行はブカレスの誘いを快諾し、今は新世界のメンバー全員がスイートルームに居り、かつブカレスは気を使ったのか自身の従者は部屋の外へ出してしまった。
まるで、別の何か。
例えるならば、ブカレス側がマリネの作戦を全て看過しており、その上で誘って一網打尽にするような辛辣な事を考えている。
マリネ達がそう思うくらいに、物事は順調に推移していた。
「少し、年寄りの身の上話に付き合って貰ってもよいですかね?」
「はい」
「私にはかつて人生を共にした伴侶と、その間に出来た娘が居ました」
正教では地位がある一定以上になった場合、永遠を誓った伴侶と離れて正教の教えに身を捧げる事を義務づけられる。
ユキは信者ではないにしろ、一国の姫として正教とはどういう思想や教義を掲げているか教えられていたため、その事を聞いても何ら特別な感情を持たなかったし、ブカレスの行いは正当なものだと思った。
「ですが、今彼女らはこの世にはおりません」
「どうしたのですか?」
「ちょっとした事故に巻き込まれてしまいまして……」
もしかして組織のせい?
そうユキは考えたが、それでは組織に手を貸している理由にならないと思い、自身の予想を方向修正した。
「だからでしょうか、メイド協会の生徒達は、皆平等に私の子供だと思ってしまうのですよ」
たとえこの人が組織に所属して水神の国の王族を陥れた……。
でも本当にそうなの?
ルリや他のメイド協会に所属している、またはしてきた人たちを大切にしている。
こんな人が、あんな組織に心から臣従している?
「私も老齢ですし、後任を定めないといけないとは思って決めたのですが、やはりそんな子供達と離れるのは名残惜しいですね」
でも、サクヤの情報ではブカレスは組織と関係があると言っていた。
じゃあ良い人を演じているだけなの?
ブカレスの人となりは、ユキの気持ちに迷いを作らせてしまう。




