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ゆきひめ ~六花天成譚詩曲~  作者: いのれん
First Part. 姫から使用人へ
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4. 姫は新たな生の祝福を受ける

「そんな! 使用人だなんて……。 それに私はユキなんて名前じゃない!」

「さあ、こっちへ来なさい」

 名前を知った女使用人は、スノーフィリアに部屋から出るように促す。

 しかし”ユキと命名された元姫君”は、自らを否定された事が許せないまま、また気持ちの整理もつかないままコンフィに強い口調で問いかけ始める。


「私は……、私は水神の国の王女、スノーフィ――」

 自らの地位と存在を必死に訴えようとしたが、本当の名前を伝えようとした瞬間、女使用人にスノーフィリアは頬を勢いよく叩かれて声も遮られ倒れてしまった。


「旦那様、お騒がせ致しました」

「ああ、かまわないよ。私はもう休む、後は任せる」

「かしこまりました」

 その行為は、普通ならば例外なく民衆から糾弾されるべき出来事だった。

 女使用人は遠縁の親類まで断頭台に上らなければならないだろう。

 王族に手をあげるなんて何人たりとも許されるわけがない。

 少なくとも、スノーフィリアはそう思っていたしそうあるべきと信じて疑わなかった。

 だが去り際にこの非常識な状況を見ていたコンフィ公爵は、この行為を一切全くこれっぽっちも否定しようとしなかったのだ。


「いつまで座っているの? 付いてきなさい、少しでも遅れたらまた叩くけれどもいいの?」

 叩かれた事による頬の痛みと、こんな不遇な境遇に落ちてしまった現実を受け入れなければならない苦痛と、自身を否定された事による心の痛み、それら三つの苦痛に対して、スノーフィリアはただ歯を食いしばり床に敷かれた絨毯を強く握る事しか出来ずにいた。


「あぅっ!」

「聞えないの? さあ早く立ちなさい!」

 女使用人は、立つことをしなかったスノーフィリアの頭を勢いよく叩き、その手で伏せったままの少女の髪を鷲掴みにして持ち上げる。

 髪が引っ張られる事で頭部に激痛が走って痛みに堪えきれずたまらなく立つと、女使用人は言う事を聞かない少女を見下したまま手を離して、部屋を出て行った。


 館の中を仕方なく付いていく。

 女使用人とスノーフィリアの二人の足音しか無い。

 夜で他の人達は寝静まっているせいか、別邸だからそもそも人が少ないせいか。

 そんな静寂と今までされてきた仕打ちのせいで、心中は形容しがたい負の感情で満たされていた。


「あなた、魔術は使えるの?」

「……はい」

 この世界における魔術はそこまで珍しいものではなく、適正の有無はあれど身分や年齢に問わず扱う事が出来る。

 スノーフィリアもその適正があり、かつ王族や貴族の間では魔術が使える事がひとつのステータスにもなっている事から、手から小さな炎を出すといった日常生活で使えそうな簡単な魔術は他の学問と同様に習っていた。


「なら、仕事に支障はなさそうね」

 もっとも、王族であるスノーフィリアがそれを行使する事は稀だが、これからはそれを使わなければならないようだ。


 そんな話をしながら屋敷の廊下を抜け、階段を下りていった先の部屋へ到着する。

 部屋の中は蝋燭のともし火しかないせいか、使用人が着ているピナフォアと呼ばれる襟と袖以外は黒色のワンピースと、白のフリルをあしらったホワイトブリムと呼ばれるヘッドドレスが複数かけられたクローゼットくらいしか見えなかったが、スノーフィリアはここが屋敷で働く給仕達の部屋である事を理解する。


「その”みっともなくて小便臭い”格好では仕事も出来ないから、まずはこれに着替えなさい」

 まだ残る頭の痛みと掴まれた事でさらに乱れてしまった髪形を気にしていると、女使用人はクローゼットからスノーフィリアの体格に合いそうなショート丈のピナフォアを雑に渡す。


「みっともなくなんかない! これは――」

 今はくしゃくしゃになってしまった花嫁衣裳を貶されたスノーフィリアは、女使用人の考えを改めて貰うべく説明を始めようとしたが。


「どうしたらこんな反抗的な娘に育つの? 余程親の教育や環境が悪かったみたいね」

「うぅ……」

 再び頭を叩かれてしまい、スノーフィリアは説明を止めてしまう。

 それと同時に女使用人は、彼女自身だけではなく両親や今まで面倒を見てくれた人達全てをも汚い口調で罵った。


「次に口答えをしたら鞭を振るうから覚悟なさい」

 女使用人の一言は、スノーフィリアの心に悲しみと困惑だけではなく、怒りと憎しみという新たな影を差し込ませた。


 私はどうしてこんな酷い目に、あわなければならないの?

 私やお母様やお父様を、悪く言うこいつが許せない!


 今まで他の誰かをここまで憎んだ事は、スノーフィリアには無かった。

 そんな純粋無垢な少女が今、体の芯まで怒りの炎で焼かれ飲み込まれてしまう。


「ああっ……!」

「返事をしない場合も同様よ」

 そんな心情を意も介さず、女使用人は表情を変えないまま部屋の机の上においてあった短鞭を振るう。

 短鞭がスノーフィリアの背中に当たると、叩かれた音と弱弱しい悲鳴だけが薄暗い部屋内にこだました。


「だいたい、その髪も使用人として不便ね」

 物心ついた時からずっと伸ばしてきた。

 この屋敷に来る前まで髪だけは、お父様、お母様、ルリ以外には触らせていない。

 そんなスノーフィリアにとって聖域ともいえる場所を、グレッダは強引に無理矢理掴みながら、引き出しを開けて中からハサミを取り出す。


「な、何を……」

 スノーフィリアの中で嫌な予感がよぎった。

 まさか、この人……?

 それだけは絶対に嫌!


「邪魔だから切ってあげるっていうのが解らないの!?」

「いやああ! やめてえ!」

 スノーフィリアは懇願し、グレッダの手から逃れようともがいた。

 しかし、暴れれば暴れるほど強く髪はひっぱられ、さらには鞭で何度も背中を叩かれてしまい、痛みで動けなくなってしまう。


「ああっ……」

 頭と背中の激しい痛みに耐えきれず泣きじゃくる中、スノーフィリアの視界には自らの綺麗な水色の髪がはらはらと落ちていった。

 彼女は泣き叫び続けたが、グレッダの手が休まる事は無い。 


「これで見た目だけは使用人らしくなったかしら」

「うう……」

 そして次に目を開けた時は、自らの髪が無残な姿で散乱している床が見える。

 その瞬間、スノーフィリアの心の大切な何かが、音も無く確実に崩れ去った……。


「さっさと着替えなさい!」

「は、はい……」

 スノーフィリアは激痛と今まで伸ばしていた髪を切られたショックのあまり、あれだけ泣いたにも関わらず体を震わせて涙を流し続ける。

 心の中に燃え滾っていた炎は、暴力と恐怖という名の雨によって鎮火させられてしまっていた。


 そして絶望と悲しみにうちひしがれながらも、スノーフィリアは女使用人から手渡されたピナフォアに着替えなおすと、詰所のさらに奥にある部屋へと通される。

 詰所と同様に心許無い蝋燭の明かりしかない部屋には朽ちた木材で組まれたベッドが複数台あり、その上で自分と同じ格好をした同年代か、あるいは二つか三つ程上の少女らが読書をしたり絵を描いたり各々自由な時間を過ごしていた。


「みんな注目して。今日からここで働く新しい使用人です。さあ、名前くらい名乗りなさい」

 女使用人がスノーフィリアの紹介を淡々と済ませようとする。

 もう鞭で叩かれるのは嫌だ、ここは大人しく従わないと。

 そう思いつつ、自身の名前を名乗ろうと口を開く。


「す、スノーフィ……あぅっ!」

 不便で煩わしいと斬り捨てられた”姫君の本名”を言おうとした瞬間、スノーフィリアは鞭で背中を叩かれてしまい、呼吸が止まるくらいの激痛を堪えながらその場でうずくまってしまう。


「……ユキと申します」

「はーい、ユキさんよろしくお願いしまーす」

 遂に、ここで言われた通りにしなければ、また酷い目にあってしまう事を理解させられた。

 彼女は、不本意ながらもコンフィ公爵がつけた”平民出身の少女の名前”を、他の使用人達へ伝える。

 他の使用人達は新しく入ってきた使用人に対して興味がないのか、各々が好きなことをしながら一切心が篭ってない適当な返答をした。


「彼女達の名前は、一番左奥のベッドに居るのはスウィーティ、その隣はリメッタ、本を読んでいるのはクレメンティン、絵を描いているのはココよ」

「はい」

 女使用人は淡々と他の仕事仲間を紹介していくが、薄暗くていまいち顔が解らなかったせいか、はたまた今までの惨烈な出来事が続いたせいか、スノーフィリアの頭の中には入らずにただ耳から耳へ素通りしてゆくだけだった。


「そして私はグレッダ。この屋敷のハウスキーパーよ」

「はい」

 それはスノーフィリアを散々酷い目にあわせてきた張本人が名乗った時も同じだった。


「日が昇ると同時に仕事が始まるわ、それまでに起きて着替えと食事を済ませなさい。くれぐれもみっともない格好で来ない事。寝坊も許さない。解った?」

「……はい」

「それでは今日はもう休みなさい」

 スノーフィリアは、自身の恐怖の象徴である女使用人グレッダが部屋から出て行ったのを確認すると、空いていたベッドにシーツも敷かずそのまま横たわる。


 今から私は、水神の国の姫スノーフィリア・アクアクラウンではない。

 平民出身の少女ユキとして過ごさなければならない。


 そう思いながらユキは、恐れと絶望を少しでも忘れようとするべく、何とか眠ろうと目を閉じる。

 しかし、父親や母親を目の前で失った衝撃以上に、グレッダに鞭で叩かれた背中の痛みのせいでなかなか寝付けず、ユキが残酷な現実を一時的に忘れるまでには多くの時間を要した。

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