39. 誕生、魔術師ユキ
「さてと、これでスノーフィリア王女殿下の悩みも解決したみたいだし」
手に余る自らの力を自在に扱えるようになったユキは、新しい玩具を与えられて喜ぶ年相応の少女の様な純粋な喜びを見せており、それを見守る三人も自然と笑顔になっていた。
「まずはここでの生活について話しましょうか」
ユキの悩みが解決したのをきっかけにラプラタは、室内にある自分の椅子にゆっくりと腰掛けると、ユキ達の今後について話し始める。
「さっきも言ったとおり、スノーフィリア王女殿下にはここで魔術師として過ごして貰うわ」
「はい」
自分の意志で、自由に変身が出来た。
それでもユキは、完全に安心はしていなかった。
本当に魔術師としてやっていけるのか、他の人の足手まといにならないか。
失敗をした時に、ルリやホタルお姉さまや他の風精の国の人達に迷惑はかからないか。
そう考えれば考えるほど、ユキの心中に不安が募っていく。
使用人の時や修道女の時もちゃんと出来るか不安だったけれど、今回はその比ではない。
「名前は……、そういえばさっきユキって言われていたよね?」
「はい」
「可愛いじゃない。じゃあ私もユキちゃんって呼んでもいいかしら?」
「は、はい」
そんなユキの不安を払拭しようとしたのか、ただ単純に”ユキ”と言う追われた姫君の仮名が気に入ったのか、ラプラタは頬杖をつきつつも濃い紫色の瞳を輝かせながら話す。
「さてと、可愛い呼び名も決まったし――」
「あ、あの、服装とか髪形とか変えなくてもいいんです?」
ラプラタの心使いのお陰か、ユキは自分の気持ちが多少軽くなった事を実感しつつも、この場所での見た目に対する懸念点を打ち明ける。
「ああ、それなら大丈夫よ。魔術であなたが水神の国のお姫様っていう事を隠してあげる。そうすれば今の格好のまま自由に行動出来るわ」
「えっ、そんな事が出来るのですか!?」
ユキにとって、全く想像もしていなかった答えが返ってきてしまい、思わず驚いてしまう。
「魔術に不可欠なエーテルは普段から一定量空気中に存在している。無味無臭だし、余程濃くない限りは無害で誰も気づかない」
「は、はぁ」
「魔術の原理は脳内のイメージを伝達物質であるエーテルを介して現実世界で実現させる。その結果として様々な事象を引き起こさせるのだけれども――」
魔術の勉強も多少だがしてきた。
しかしそれでも到底理解出来ない話に、ユキはただ唖然としながらもとりあえず頭の中に入れようとするが……。
「コホン、悪い癖出ちゃった。置いてきぼりにしてしまったわね、ごめんなさい」
それを察したラプラタは夢中になってた話を止めて咳払いを一つだけすると、内容についてこれなかったユキに対して謝り。
「つまり、魔術によって周りの人がユキちゃんは水神の国の姫ではないと錯覚させればいいから、そう難しい事ではないの。直接髪型や服装を変えるほうが余程難しいのよ?」
そしてなるべくユキにも伝わるよう言葉を選びながら簡潔に伝えた。
「しかも魔術は半永久的に解けないから、私が離れていても問題は無いわ」
「おお……、見事です」
「うふふ、可愛い子に褒められると嬉しいわ」
内容を理解したユキは、まるでショーをしている大道芸人のように目新しい事を次々と出すラプラタに対して感嘆し、これからは隠れて過ごさなくてもいい事を喜んだ。
「さあ、こっちへおいでなさい。錯覚の魔術をかけてあげる」
「はい」
ラプラタはユキに魔術をかけるべく、手招きしてユキを呼び寄せる。
「じっとしているのよ? そして私の目を見ていなさい」
それから吐息をはくように甘くて抜けた声でユキへそう囁きながら、口づけが出来そうな程に顔と顔を近づけると、ユキの頬を両手で優しく撫でた。
「さあ、息をゆっくりと吸って……、吐いて……。体を楽にして」
「……」
「目線を逸らさないで。それとも緊張しているのかしら? うふふ、可愛い子」
妙に冷たい手と近すぎる距離に、ユキは動揺しながらも思わず目を逸らしてしまうが、ラプラタが再び呼びかけるとユキは恐る恐る彼女と目を合わせる。
夜空を内に秘めたような濃い紫色の瞳。
香水のせいか、ほのかに香るいい匂い。
赤い口紅はどこか大人っぽさを感じる。
……あれ、なんだろうこの気持ち。
私、どきどきしている……?
「そう、その調子。もっと、もっと深く私を見つめなさい」
ラプラタの声が、まるで頭の中を反響しているかのように何度も何度も聞えてくる。
視界が狭くなって、思考がだんだんまとまらなくなっていって……。
「ふふ、ようやくその気になってくれたみたいね」
「はぁっ……、はぁっ……」
体を動かしたわけでもないのに顔は熱いし、胸も息苦しい。
水晶に触れている時よりも胸がどきどきしている。
頭もぼうっとしてきてたし、この人と目を合わせていたら何だか変な気持ちになっちゃった。
これも魔術の力なの……?
「本当はこのまま楽しいことをしたいのだけども残念。もうユキちゃん自身にかける魔術はおしまいなの。次はそのペンダント借りてもいいかしら?」
いたずら好きな悪魔が、純粋無垢な少女を魅了し誘い込むかのようなひと時の後にラプラタはユキから離れると、今度はユキが旅の途中でルリフィーネから受け取った雪宝石のペンダントを要求する。
ユキはまるで操られているかのように頬を赤らめ瞳を潤ませて口を僅かに開きながら、ペンダントをラプラタへと手渡す。
「これでよしっと……。貸してくれてありがとう」
ペンダントを受け取ったラプラタは、先端についている雪宝石を両手でぎゅっと包み込んで小声で魔術の詠唱を僅かな時間した後に、元の持ち主であるユキの首にかけなおして指をぱちんとならす。
「はっ、あ、あれ? もう終わりですか?」
今までの甘いひと時の夢が突然醒めたのだろうか、ユキは我に返り周囲を何度か見回す。
この時、目線を合わせただけでユキを操ってしまうラプラタの力を目の当たりにしたホタルは、唖然としながらルリフィーネの方を見たが、ルリフィーネは笑顔でただ二度頷くだけだった。
「雪宝石は魔術の世界では水の精霊石と言って、優れた媒介になるのよ。それだけ高純度の精霊石なら、ペンダントを取らない限りは錯覚の魔術が解けることは無いわ」
何だかよく解らないけれども、これで隠れずに日々を過ごす事が出来るようになったみたい。
ようやく、人目に気をしながらも生活しなくてもいい。
「錯覚の魔術は、ユキちゃんが認めた人には効かないようにしてあるから安心して。でもね、どんな術も万能では無いわ。錯覚の魔術もそう。ひとつだけ気をつけて欲しい事があるの」
「なんでしょう?」
「錯覚の魔術は、ユキちゃん自らが強い力を発している間は解けてしまうわ」
「強い力……?」
「そうね、さっきのような変身とかかしら」
自由に変身出来ると思った矢先だっただけに、ユキは落ち込んでしまう。
「でも、そんなに心配しなくてもいいわ。あの変身はとっておきなのでしょう? 変身しなければいけない状況は、すなわちユキちゃんが形振りかまっていられないって事だからね」
「うーん、そういわれればそうかも……」
ユキは今までを振り返る。
確かに変身する時は自らの身が危なくて、かつ誰かを救いたいと思う気持ちが強くなる時だった。
「それとも、あの姿でずっといるつもりだったの? ”お姫様”」
「い、いえ! そんな事はないです、ないんです!」
心の中では、まだ姫でありたいと願っている?
ううん、今はそれどころじゃない。
ルリやホタルお姉さまにも迷惑かけっぱなしだし、今だってラプラタの呼びかけが無ければどうなっていたか……。
ユキはそう思いながら、ラプラタの冷静な一言を顔を真っ赤にして返す。
ラプラタはそんなユキの態度を見ると、ユキの頭を撫でながら何も言わずに二度ほど頷いた。
「さてと、ユキちゃんは良いとして、ルリちゃんとホタルちゃんはどうしようかしら。二人ともどうしたい?」
話は切り替わり、ここでのルリフィーネとホタルの過ごし方について、ラプラタは当事者に意見を尋ねる。
「ラプラタ様、この風精の国では魔術師と騎士がペアになって任務をこなすと聞いた事があります」
「ええそうね。一人よりも二人の方が知恵や意見の出し合いが出来るし、大規模な戦闘になれば必ず集団での動きが重要になるから、普段から複数人での行動に慣らすのが目的なの」
「私をユキ様の騎士役にしていただきたいのです」
「安心なさい、元々そのつもりよ。ルリちゃんは魔術より体術の方が出来るし、そっちの方が都合がいいからね。騎士団長には話をしておいてあるから、近い内に会っておきなさい」
ルリフィーネは率先してユキのパートナー役を買って出た。
今までずっと主従の関係で、最も親密な二人であったのはラプラタも十分承知していたため、ルリフィーネの提案に対して何ら異論はないらしく、むしろこうなる事を予見していたラプラタは予め二人がパートナーになるよう取り計らう旨を伝えた。
「じゃあ、あとはホタルちゃんだけども……」
「わ、私は魔術も出来ないし、ルリさんみたいに強くないから……。ど、どうしようかな! あはは!」
元々、ユキとルリフィーネの二人しか来ないはずだったので、ホタルがういてしまうのは仕方が無い事である。
それを十分承知していたため、笑いながらも半ば途方に暮れてしまう。
「……そうねえ。異例だけど、とりあえずは二人の補佐をしなさい」
「ほいさ」
かといって、”ユキのお姉さま”をこのまま無碍にする事も出来ないので、ラプラタは特例として二人に同行するよう伝える。
とりあえず自分の居場所が確保されたホタルは、どこかほっとした表情をした。
「さて、みんな到着したばかりだし、今日はこのくらいにしておきましょう。部屋は用意してあるから、そのままここを出てすぐに控えている兵士の人が案内してくれるわ」
全員の今後の身の振り方が決まると、ラプラタは手を一回だけ合わせる。
ルリフィーネは入り口の扉を率先して開けると、ユキは頭を軽く一度だけ下げ、ホタルは大きなあくびしながら出て行き、ルリフィーネはそんな二人の後を追う様に部屋から去る。
ラプラタは、三人に対してまるで友達の様に気楽に手を振り笑顔で見送った。
こうして、ラプラタとの奇妙で必然とも言える出会いを終えた一行は、兵士たちの官舎内に予め用意されていた部屋に案内される。
部屋割りは各自一人ずつで、ユキはルリフィーネやホタルと一旦離れた。
ユキは荷物を片付けるとベッドの上に体を横にしながら、久しぶりの一人の時間を満喫しようとしたが、これからどうなってしまうのかを考え出すと、その事が頭から離れなくなってしまう。
そして、年不相応の長旅のせいか、ユキはしばらくたった後に規則正しい寝息をたて始めた。
翌朝。
「失礼します」
「はい、どうぞ」
「おはようございますユキさん、宮廷魔術師長ラプラタ様がお呼びです。至急執務室まで起こし下さい」
旅の疲れかぐっすりと眠れたユキは、心地の良い目覚めの後に”出かける支度”を済ませて、いざ召集がかかるとラプラタが待っている執務室へと赴く。
魔術の効果なのか、部屋に来た兵士の人にも正体がばれなかった。
道中は髪型を隠してきたけれど、今は何も隠していない。
魔術師や騎士の人といった他の兵士の人達や、城内で働く給仕の人ともすれ違っているけれども、一切疑われている様子も無い。
錯覚の魔術って凄い……。
そう思いながら、ユキはラプラタが待つ執務室へと向かう。




