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ゆきひめ ~六花天成譚詩曲~  作者: いのれん
Third Part. 修道女から魔術師へ
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35. 影が蠢く。流血の夜が幕を開ける

 風精の国。

 それはユキが生まれ育った水神の国より西方にある四大大国の一つである。

 穏やかな気候と恵まれた大地に住む人々は、豊かな感情と感性を育み、その結果四大大国で最も科学が進歩した国となったのだ。

 かつての世界戦争から立ち直り、安寧と平和が戻りつつある最中。


 この町は鮮血の洗礼を受ける事となる。


 それはユキ達が修道女として日々を過ごしている、ある夜のこと。


「見回りお疲れさん。交代だ」

 一人の兵士が都内の見回りを終え、詰所へと戻る。

 そこには控えていた他の兵士達が、カードや読書で暇を潰したりしていた。


「異常はあったか?」

「そんなもんあるわけないだろう? 戦争中や辺境の村ならまだしも、ここは風精の国の王都だ。ここで悪さをしようなんて酔狂な奴はいねえよ」

 戦時中や終戦直後は治安が悪く、たとえ人々が多く集まる都であっても危険とされる程だった。

 しかし復興を遂げて見事に立ち直った町では、夜間の店舗営業や外出すら認められるくらいに安全な場所となったのだ。


「違いない。じゃあ行ってくる」

 故に兵士達は暇を持て余す事が多く、特に治安の良い都ではそれが顕著に出ている。


「気をつけろよ」

「何にだ?」

「眠気」

「ははっ、そりゃ強敵だな」

 稀に不届き者が出るか出ないか。

 そんな状況では士気の低下も著しい。

 兵士達は今日もまた退屈な時間を消化するべく、大口を開けてあくびをしながら何もないであろう夜の町へと繰り出していった。



「今日も異常なし異常なしっと。さっさと終わらせて家に帰りたいな」

 兵士は無意味な独り言をつぶやきながら、風精の国の王都内を見回る。

 いつも通りの街並み、いつも通りの風景に人々……のはずだったが。


「そういえば、今日は人が少ないな」

 今日は不思議と夜中を出歩く町人が居ない事に気づく。

 家や店からは明かりが漏れているが、どこかおぼろげな寂しさを兵士は察知する。


「ふむ、気のせいか」

 しかし、たまたまそういう時もあるのだろうと思いつつも兵士は周囲を二度ほど注意深く見回し、再び歩いていく。


 この時、見回りをしている兵士に緩みが全く無いわけではなかった。

 戦争を経験していない、兵士としての経験年数も浅いという理由もあった。

 しかし、それでも専門の訓練を受けてきたプロである事に間違いはなかった。

 そんな彼に、悲劇は音も無く訪れる。


「おっ……」

 急に兵士はその場に体勢を崩して倒れてしまう。

 顔から落ちるところだったが、ぎりぎりのところで地面に手をついて擦り傷程度で済む、はずだったが……。


 兵士は何度か立ち上がろうとするが、生まれたての動物のように上手く立てず、その場で何度も倒れてしまう。

 それと同時に、足のふくらはぎに妙な感覚がする事に気づいた兵士が何気なくそこに触れると……。


「ひぃ! な、なんだこれ!?」

 妙に手が濡れている事に気づき、その手を見つめる。

 手は真っ赤に染まっており、自ら負った傷を知覚した瞬間に足の違和感は激痛へと変化していく。


「だ、誰がやった! 出て来い!」

 兵士は痛みを堪えながらも、腰に下げていた長剣を抜き警戒する。


「はぁっ……、はぁっ……。 ……くそっ! どこへ行きやがった!」

 動けないなりに何度も周囲を見回す。

 避ける事は無理でも攻撃を防いだり致命傷を免れるため、可能な限り兵士は周りに目をむけ集中し続ける。


「出て来い! 俺はまだ生きているぞ!」

 見えない攻撃を繰り出した見えない敵に対し、兵士は決して物怖じしなかった。

 ぐっと歯を食いしばり、恐怖と激痛に耐え続けた。

 それはとても経験年数の浅い兵士とは思えない剛毅さで、この兵士の才能の片鱗でもあったかもしれない。


 しかし、夜の風景は静かなままだった。


「くそっ、どうなっているんだ……」

 何故足を切られたのか、どうして足を切っただけで済んだのか。

 姿も形も見えず、敵の情報の手がかりを何一つ得られるわけもなく。

 しかし、兵士は一命を取り留めた。


「いかん、止血して手当てしないと……」

 自分を傷つけたであろう見えない相手がもう居ないだろうと予想した兵士は構えを解き、足を手持ちの布で縛ってとりあえずの止血した後に、兵舎へ戻る事が出来た。



 兵士が夜の町で襲われた事件は、平和を享受していた兵士達を震えさせるのに十分であった。

 不思議と死者は出なかったが、事件が起こる間隔は次第に短くなっていき、被害者数が二桁を超えるのに日数を必要としなかった。

 事態を重く見た国の機関は真夜中の見回りを増員したり、他の兵団にも応援を要請して高位魔術師や上位の騎士が事件の解決に当たったが、明るい結果は返ってこなかった。


 被害者の供述は、どれも共通して”夜の影が襲ってくる”であった。

 犯人の正体すら解らず、犯行内容も体の一部を切られてその結果大量に出血する。

 しかし命までは奪われない。

 そんなあまりにも理不尽で不気味な内容に、国の関係者は恐怖しそして頭を悩ませた。


 やがて一般人にも被害が及んでこの事件が知られると、住人や商人達も自主的に外出を控えるようになっていった。

 夜でも平和で活気のあった風精の国の首都は、謎の通り魔によって戦時中の暗黒時代のような閑散さへ逆戻りしていったのである。

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