33. 報い
「そこまでです」
ホタルの体に、無情な刃が襲い掛かろうとした時だった。
シュプリー神父の背後から、彼の凶行を制止する声が聞えてくる。
ユキとホタルは声のした方を向き、シュプリー神父は振り返ると……。
「お前……!」
「ルリ!」
そこにはユキ専属のメイドであるルリフィーネが立っていた。
「スノーフィリア様、遅くなってしまい大変申し訳ございません」
「う、うそだろ。ルリさんの食事にも薬を盛ったぞ……?」
確かにホタルお姉さまの言うとおり、料理には睡眠薬が盛られていた。
私は食欲が無くて事前に用意されていたパンしか食べていないから大丈夫だったけれども、ルリは料理を食べていた。
それなのにどうして?
そうユキが疑問に思っていた時。
「ええ、ランピリダエさんの料理がおいしかったので、満足して思わず居眠りをしてしまいました。ですからもうスッキリですよ」
「ば、化け物だ……」
ユキはルリフィーネの常人超えした体を、声にはしなくても驚嘆しており、薬を盛ったホタル当人に至っては半ば呆れ顔でこの最強のメイドを人外呼ばわりしてしまう。
当のルリフィーネはそれを褒め言葉と捉えたのか、二人に対して笑顔で軽く会釈した。
「それだけではありません。皆様来てくださいませ」
「君らまで……! 何故だ!?」
ルリフィーネは自らの主に対して笑顔で答えた後に号令を出す。
すると、今まで物陰に隠れていた他の修道女達も次々と登場してくる。
「魔術が使えず、専門の技術も無い私では高度な医療は不可能ですが、万が一姫様が病気やけがをした時の応急処置くらいならば私も心得ております。睡眠薬を無効化するくらいは可能なのですよ」
「くそっ……!」
自らの計画が全て台無しにされてしまったのか、いつも笑顔だった神父の顔が酷くひきつり、目元が痙攣している。
憎しみと怨みの視線をルリフィーネへと向けるが、当の本人は何事も無かったかのように穏やかだ。
「あの、ランピリダエの父親の事は本当なのですか……?」
今までのやりとりをどこまで聞いていたかは、ユキもホタルも知らなかった。
しかし少なくとも、ホタルの半生がシュプリーによって台無しにされてしまったことは聞いていたらしく、修道女達はただ不安そうな眼差しを向けたまま真偽を確かめようとする。
「ああそうだよ! この野良猫の面倒見てた悪党は僕が始末した!」
遂に隠し切れないと悟ったのだろうか。
神父は荒々しく、修道女の質問にもっともな理由を添えて答える。
「奴らは数多くの悪さをしてきた。そいつらをクズ共を処分して何が悪い? あぁん!?」
自分は悪くない事を主張してこの逆境を打開しようと画策する神父であったが、彼が下劣な言葉で話せば話すほど、他の修道女達が離れていくのは誰の目から見ても疑いようが無かった。
「しかも僕は、あいつが組織に捨てられて廃人同然だったのをわざわざ拾って今まで面倒を見たのだぞ? そんな恩人の命を奪うあいつの方が悪党だという言うのに――」
「……悪党なのはあなたよ! よく私達を騙してくれたわね!」
修道女たちの不信感が頂点に達した時だった。
まるで彼女らを代表するかのように、シュプリーの言葉を遮ってセルマが神父を非難する。
「騙してなぞいない! 何度も言うがこいつは正真正銘の悪党だ! 何故ならば組織に売られて後は娼婦としてそして――」
「もうあなたからは何も聞きたくない。ルリ、この人がおかしい真似をしないようにお願い」
「かしこまりました」
「くそぉぉおおおお!!!!!」
ユキは神父のわがままで理不尽で身勝手な自己主張を遮り、取り押さえるようルリフィーネに”命令”する。
その動作はとても十代前半の女の子とは思えないくらいに冷たく、誰も間を割ろうとしない程にその場が凍てついてしまった……。
こうして、一連の事件は決着した。
神父への認識が改められ、ホタルの半生が明らかになったせいか、他の修道女とホタルのわだかまりも消えた……ような気がした。
そして、さらに数日が経ち。
「では、身柄は引き取ります」
シュプリー神父は新たに派遣された正教の関係者によって本部へと連れられていった。
審問官についていろいろ聞かれると懸念していたユキ達であったが、その件に関しては全くと言っていい程触れられず、何か特別なことが起きることも無かった。
もしかして、何も知らない……?
それとも……。
様々な考えを、ユキはめぐらそうとするが……。
「あの……、スノーフィリア王女殿下」
「ユキでいいですよ。どうしたのセルマさん?」
シュプリー神父が居なくなった事を確認したセルマが、申し訳なさそうにしながらユキに対して本名で呼びかけたが、”ここでは修道女のユキなのだから、別に今まで通りでいいのに”という思いをこめてそう伝えた。
「ごめんなさい、じゃあユキちゃん。出来ればこの院に残っていて欲しいの」
それでもセルマは申し訳なさそうな雰囲気を崩さす、この修道院に残って欲しい事をユキへ告げた。
「確かに神父は悪い人よ。……でもね、みんなあの人に頼りっきりだったから、いざ居なくなると心細くってね……」
過去や結末はどうであれ、神父としては間違いなくいい人だった。
ユキもその事を解っていたので、セルマに強くは言えずにいたが……。
「ごめんなさい。ここにはこれ以上入れないの」
「そうよね……」
ユキがスノーフィリア・アクアクラウン姫である事がばれてしまった今、ここに留まるのは自身だけではなく、大切な修道院の人達も危険な目にあわせてしまうかもしれない。
そう考えてしまうと、長居するどころかいち早くここから出て行く事が賢明であるのは、まだ幼さ残るユキでも十分承知していた。
そんなユキのやり取りを離れて無言で見ていたホタルは、ついに二人の会話に割って入る。
「なに弱気になってるの? 私と言い合ってた時みたいな強気はどうしちゃったの?」
「そんな事言われても……」
「あんだけ娼婦あがりだ、股が緩いだ、悪女だ、死ねばいいだとか言ってたくせにー」
「そ、そこまで言っていないけど……」
意外な事にいつものやり取りとは逆で、ホタルがセルマをまくし立てていた。
本人にとって気にしていたところを突かれてしまい、セルマはますます萎縮してしまう。
「それとも、弱いものいじめしか出来ないわけ? はっ、それじゃあ神父と同じじゃん」
しかし、ホタルのその言葉でセルマの表情に若干の変化が生まれる。
よくよく見たら、手は修道服のスカートをぐっと強く握り締めていた。
「ちょ、ちょっとホタルお姉さま。それは言いすぎ……」
「良いのですよ姫様。見守りましょう」
流石にそれ以上言い続ければ、取り返しがつかなくなると察したユキは、ホタルの会話をやめさせようとするが、ルリフィーネによって止められてしまう。
「あーあ、ここには神に純潔を誓うとか言っておきながら、自分の都合しか考えない汚い大人しかいないんだなー! しかも子供まで利用しようとしてるなんて! あーあいけないんだー!」
「……さい」
ホタルの発言はどんどんエスカレートしていき、セルマを罵りだした頃、ずっとうつむきながらホタルの言葉に耐えていたセルマの口が僅かに動き、声が漏れる。
「んん? なんかいった~?」
「うるさい!」
その声の正体を探ろうと、敢えてセルマの神経を逆撫でするような口ぶりで言うと、今まで耐えていたセルマは激昂し、ホタルへとその感情をぶつけてしまう。
彼女らのやりとりを聞いていたほかの修道女はただおろおろとするだけで、ユキも同様に助けを求めるが、ルリフィーネは首を横に振ってこの状況を静観するよう促すだけだった。
「解ったわよ! そこまで言うならばこの修道院は私が預かります!」
ホタルの挑発行為にも似た言葉攻めに対して、セルマが遂に怒りを爆発させる。
今までのもやもやと不確かな雰囲気ではなく、いつもホタルを責めている時のセルマがそこには居た。
「まずはランピリダエ、あなたのそのみっともない格好を正すところからです。さあついてきなさい」
セルマの怒りは、普段から気にしていた服装や態度に対しての不満へと転嫁され、ホタルの不埒な修道服を正そうと修道院の中へと手を引こうとする。
「ああ、私はユキについて行く事にしたから」
しかしホタルは、セルマの手を寸でのところでかわして、自らは修道院を抜けてユキへ着いて行く事を宣言した。
「ええっ!?」
「やっぱ修道女って柄じゃないからね。神父の居なくなっちゃってそもそも院に居る理由もないし」
セルマはそんなホタルの発言が意外だったのか、目を丸くして驚いてしまう。
「それに、私が居なければセルマさんも気が楽でしょう?」
「そ、そんなこと……」
確かに、ホタルお姉さまは元々神父に対して復讐したくてここへ居たわけだから、もうこの場所に居る必要が無いのは解る。
「ユキ、そういうわけだからよろしくね!」
「えっ!? う、うん」
「ふっふん。お姉さまが一緒で嬉しいだろー?」
それに大切な人だから、離れなくてもいいのは嬉しいんだども……。
まさか本当についてくるなんて!
ユキはそう思いながら、新たな仲間が加わった事に驚きを隠せずにいた。




