25. その少女。不敵で無敵で圧倒的
「ぐ、ぐぐぐ……、馬鹿な!」
なんと、ルリフィーネを握っている手がじわじわと開いていくではないか。
あの雄牛に変身し、周囲の環境を変えるほど腕力を持った審問官を、ルリフィーネはさらに上回る力でこじ開けようとしていた。
「今確信しました。はっきりと申し上げます。あなた様では私には勝てません。このまま投了していただければ追いませんし、あなたのここでの行いも公には致しません。どうかお考えくださいませ」
ルリフィーネが両手両腕をゆっくりと開いていくと同時に、審問官の大きな手は開いていき、そしてルリフィーネは審問官の拘束から難なく脱してしまう。
「馬鹿にしおって……!」
それでも審問官は、自身の震える手を見つめながらルリフィーネへの怒りと憤りを膨らませていき、彼女が放った言葉を断固拒絶し、肩をいからせて全身で突進してきた。
「必殺! 千脚万雷!」
流石に受け流しきれないと悟ったのだろうか。
ルリフィーネは地面を強く蹴ると、急接近する審問官へ近寄りふわりと浮いて間合いに入った僅かな瞬間に長いスカートをたくし上げ、無数の蹴りを審問官の肩へと叩き込んだ。
その様子はまさに一瞬であり、ユキには光の線が数本見えるだけだったが、審問官の肩に生えていた黄金の毛がまるで稲妻に撃ちつけられたの如く黒くこげ、無数の痣が出来ていることから叫んだ技の名前の通り、数千の攻撃を繰り出したのだと察した。
「ぐうぅうう! こ、この程度……! この程度で、……我が信仰は揺るがぬわ!」
数多の攻撃を受けた審問官はその場で倒れうずくまり、負傷した肩をもう片方の手で押さえながら、再び立ち上がる。
あれだけボロボロなのに、ルリの方が勝っているのに。
それでも立ち上がるなんて……!
審問官の執念は、自身のメイドが必ず勝ってくれるであろうと信じていたユキの心と背筋を酷く寒くさせてしまう。
「もう一度お伝えします。私には絶対に勝てません。どうか投了のご再考を」
ルリフィーネはたくし上げていたスカートを元に戻すと、僅かにずれたカチューシャを直した後に丁寧な口調で再び審問官に降参する事を勧めた。
「私はひく気など無い! これ以上の情けは無礼に値するぞ!」
審問官は苦しそうな表情をしながらも、ルリフィーネの情けを受け取る事はしなかった。
そんなに私の命を欲しいの?
私を殺して何になるの……?
審問官のあまりに強烈な執念は、ユキの胸中に様々な疑問を生み出させる。
「それは大変失礼しました。では、ほんの少しだけ本気を出させていただきます」
審問官の絶対に逃げたりはしない、倒れるまで戦い続ける決意を感じたルリフィーネはそう言うと、大きく一呼吸した後に垂直に高く飛び上がる。
「ちょっとお熱いかもしれませんが、どうぞお食らい下さい」
恐らくは最後の攻撃だろう、審問官に引導を渡した瞬間だった。
ルリフィーネの全身が燃え出し、凄まじい勢いの火炎が彼女の周囲を吹き荒れると、まるで自らに意思があるかのようにルリフィーネの全身にまとわりついていく。
「奥義、火懲風月!」
炎を纏ったルリフィーネが技の名前を叫び、そのまま審問官へと急降下していく。
その様子はまるで、神話やおとぎ話に出てくる不死鳥のようだ。
審問官はルリフィーネの攻撃を逃げずに真っ向から受け止めようと試みたのか、両手をクロスさせその場で踏ん張る。
ルリフィーネと審問官が激突した瞬間、光と高熱がドーム状に広がり、小規模だが絶大な破壊空間を生み出す。
「始末完了。潔く、燃えてくださいませ」
その空間の中から一人飛び出したルリフィーネがそう言い、着ているメイド服についた煤を払って再びずれたカチューシャを戻した後にドーム状の破壊空間は轟音と共に爆裂し、火柱となって天を焦がした。
「す、すごい……」
「お怪我はございませんか、スノーフィリア様」
戦いの幕は下り、脅威が去った事を確認したルリフィーネは、後方で戦いを見ていたユキへと歩み寄って主の身を心配する。
「ルリー!」
「民の前でそんなに抱きついては、はしたないですよ?」
私は諦めない心をココから教えてもらった。
けれども、世の中にはそれでもどうしようもならない事がある。
ルリの強さは知っていたけれど、もう二度と会えないと思っていた。
それが……、それが……。
「生きていたんだ! 良かった……、良かった……!」
ルリは生きていた!
そして私に会いに来てくれた!
こんなに嬉しい事は無い……!
「私は水神の国の王宮のハウスキーパーであり、スノーフィリア王女殿下の専属使用人です。そう簡単には命を落としたりはいたしません」
ルリフィーネは抱きつくユキを優しく引き離すと、片手を胸にあてて多少得意げに伝える。
ユキは涙を流して再会を喜びつつ、改めてルリフィーネの強さに感動し、ただ頷き続けた。
「それにしても……」
ルリフィーネは、ユキの全身を二度三度見た後……。
「随分素敵な修道服ですね」
「う、うん。いろいろあってね」
ホタルに仕立てて貰った、胸と腰を強調させ深いスリットのはいった修道服について話すと、泣きやんだユキは多少恥ずかしそうに顔を赤らめてそう言った。
「神父様、ホタルお姉さま、これでもう大丈夫です」
「……まずはお礼をしましょう。助かりました、ありがとうございます」
危機とはいえ、正教本部より派遣されてきたであろう審問官を倒しても良かったのだろうか?
そんな表情をしながらも、自身もしばらくの安全が保証された事に対し、神父はルリフィーネにお礼の言葉を告げた。
「ユキの使用人とか言ってたな……、ちょっと人間離れしすぎてない?」
「ルリはすっごく強いんです。何でも火竜の国王と同じ流派とか……」
「げ、あの化け物トカゲと同じかよ! そりゃ強いわけだ……あはは……」
四大大国の一つである火竜の国は、年に一度の武術大会の優勝者が国王になるという習わしがある。
ルリと同じ流派を使う火竜の国の現王はその大会に長年勝ち続けており、ユキが聞いた風説では過去の世界大戦で伝説となった傭兵団の長を務めていたとも言われている程の人だ。
有名人なだけに、一介の修道女であるホタルが知っていてもおかしくは無いのだろう。
「この騒ぎに加え、ユキさんがスノーフィリア王女殿下と解ったせいか人が戻って来ております。まずは私の修道院に戻ってからお話の続きをするとしましょう」
「はい」
騒ぎにひと段落がつき、再び村人たちが外へ出てきて生きていたスノーフィリア姫の姿を見ようとしている。
これ以上ここに留まれば、また騒ぎになるかもしれないと察した神父は、とりあえず修道院に戻ってから話をまとめる事を提案して全員はそれに無言で頷くと、一行は帰路を急いだ。
イラスト:ささかげ
イラスト衣装参考:milky ange
シスタードレス・レティシア Noble White
エプロン ドナ




