20. 穏やかなひと時
ユキが修道女としての生活を始めてから、しばらくの時が経った。
家事や掃除に関しては使用人時代に散々しごかれたお陰か、ここではそつなくこなす事が出来ている。
周りの人達も優しくて温かい人ばかり。
食べ物もおいしいし、環境だってとてもいい。
ホタルお姉さまは相変わらずだけど、私と約束してからは悪い事していないみたい。
セルマさんと度々衝突する場面に巻き込まれるけども、それすらも笑い飛ばせるくらいに前向きになれたし、気持ちに余裕があるのも実感出来ているくらい。
だけども……。
本当にこのままでいいのかな?
何も無ければ、私はこのままシスターとして終わってしまう。
もう姫として本当の名前を語る事も無く、アレフィに酷い目にあわされたココやクレメンティンや他の人らがどうなったかも知らないまま。
結局何も出来ないまま、何も知らないまま大人になっていくの……?
ユキは、現状に満足しながらも胸に漠然とした寂しさと儚さを抱いていた。
そんなある日のこと。
「ユキちゃん、どうしたのその格好は!?」
「ホタルお姉さまとおそろいにしたんです」
ホタルが仕立て直してくれた修道服が出来たので、私はそれを着替えていつも通り花壇の水やりをしていた最中だった。
神父と一緒に近隣の村へお祈りをして修道院に帰ってきたセルマが、血相を変えてこちらへと詰め寄りながら、ホタル特製の修道服を身につけたユキの体を触る。
手が僅かだけど震えているのは、ユキがそういう格好をする事がセルマにとって想像のつかない事だったというのを、ユキは容易に感じとった。
「きっとランピリダエに強制されたのね。こんな恥ずかしい格好にするなんて、あの股の緩い女以外ありえないもの!」
セルマは、近くでいつも通り気だるそうに何度もあくびをしながら掃き掃除をしていたホタルの方を、わざと向きながら言い放つ。
「セルマさん怒らないで。私からお願いしたの」
「そうだそうだー、ユキは私のだぞー?」
ユキは、セルマの誤解を解こうと何とか説明をするが……。
「ああ、きっと同じ部屋で過ごしたから悪い影響を受けてしまったのね……。かわいそうに」
セルマの妄想は膨らみ、どんどん悪い方向へと進んでゆく。
ユキの懸命な弁明も、偏見と憶測の殻に閉じこもっているセルマにはもはや聞えていないようだ。
「ランピリダエ! あなたって人は……!」
いよいよセルマがホタルへ詰め寄り、いつもの一方的な口論が始まろうとした時。
「そ、それに胸の部分とかお尻の部分とかきついしちょっと恥ずかしいけど、思ってたよりも動きやすいですよ?」
「そういう問題じゃありません!」
ユキは何とかホタルお姉さまへ助け舟を出そうとするが、言ってからまるでお門違いな回答をしてしまったと思い、セルマが怒鳴った時に思わず目を閉じてしまう。
「ちょっと神父を呼んできます! 二人ともそのまま待っていなさい!」
激怒しながらセルマは修道院の中へと入っていく。
取り残された二人は思わず顔を合わせると、ホタルはユキの肩を二度ほど軽く叩いた後に、仕事を再開する。
ユキもどうしたらいいか考えつつも、その場で水が殆ど入っていない桶を持って遠くの景色を見ながら待った。
「どうしたのですかセルマさん、朝から騒々しいですよ」
「見てください神父! ユキちゃんの格好を!」
大した時間を置かずして、激怒のセルマがいつも笑顔の神父を半ば強引に連れてきた。
半ば無理矢理に連れられてきた神父は、ユキの方を見る。
「ああ、ランピリダエと同じにしたのですか。仲が良いですね」
「でしょー?」
ユキの服装を見た神父は、”特に変わった事ではないとか”、”ユキがこの場所で上手くやっていけて良かった”くらいにしか思っていないであろう反応をする。
それを予想していたのか、ホタルは得意げにセルマの方を見ながらユキへ抱きついた。
「まあ! 神父までそんな事を!」
神父の返答が自分の思い通りにならなかった腹立たしさと、ホタルの挑発が気に入らなかったのだろう。
セルマの声のトーンが一段階上がり、表情はますます険しくなっていく。
「別に良いではありませんか、我らが主はこの程度の服装の自由を認めないほど、心の狭い存在ではないでしょうし……」
「ですか……! 他の礼拝者の目の毒になりますし、ユキちゃんのような小さな女の子がこんな格好をするなんて、何か間違いが起こるかもしれませんですし、それに――」
「セルマさん、それ以上はおやめなさい。あまりに不都合なら、ランピリダエと共に私からその格好を禁じます。それまでは彼女らの好きにさせてあげてください」
「……解りました。神父がそこまで言うならあたしはもう何もいいません」
何かあったらホタルとユキの格好を元に戻す事を条件に、自らの感情を一切の手加減をせずに放つセルマを、神父はなんとかなだめることに成功する。
セルマは苦い表情で、まだ何か言い足りなさそうな雰囲気を出しつつもこちらを一度振り返ると、修道院の中へと入っていった。
「ユキ、ランピリダエ、セルマさんを責めないでください。彼女は彼女なりに、あなた方を思いやってああ言う行動にでたのですから」
「解ってますよ。私は大丈夫です」
「可愛いユキと同じで、私も気にしてませーん」
確かにセルマさんのいう事だ。
でも、こうなる事はホタルお姉さまと同じ格好をすると、決めた時点で解っていた。
ホタルもそう思っているのか、はたまた本当に気にしていないのか。
ユキと同じ意見を神父に告げた。
「それなら良かった、安心しましたよ。それでは私は朝のお祈りがありますのでこれにて。お二人は仕事の続きをお願いします」
神父もユキとホタルの思いを理解したのだろう。
心の底から気にしており、それが解決した旨を伝えると、一つ頭を軽く下げて修道院の中へと入っていった。
「ホタルお姉さま」
「なんだいユキ」
「神父様ってとても良い方ですね。私たちの事も理解してくれてる」
「……ああ、そうだね」
この修道院を仕切る神父シュプリーは、院内外問わず評判の良い人だ。
修道女の間でも彼に関する悪い話は一切聞かないし、礼拝者の人達も口をそろえて出来た人と言う。
王族だった頃は、私の周りの大人の考えが良く解らなかったし、使用人だった頃は悪口を言われる事なんて日常茶飯事だった。
「昔、私がここへ来るちょっと前だっけかな。元々は有名な音楽家だったらしいんだけど……」
「そんな人がどうしてこの道に?」
「なんでだろうね。それはよく解らん」
だからこそ、神父のような”一切の悪い噂を聞かない人”が、何だか新鮮に感じられてしまう。
ホタルお姉さまだって認めている人なのだから、余程凄い人なのだろう。
「さあユキ、朝の仕事の続きを始めよう」
「はい、解りましたお姉さま」
神父に感心しながらもユキはホタルお姉さまに促されるまま、手を止めていた花の水やりを再開する。
今日は天候もいいし、気温も程よく温かい。




