19. 孤独な蛍は雪に導かれて
ユキの着替えが終わって見た目は修道女となった時に、神父が部屋を訪ねてくる。
神父はベールで髪型がしっかりと隠れ、水神の国の姫である事がばれにくい状態であると認識した後、礼拝堂へ連れて行く。
道中、ユキはかつての使用人時代を思い出して多少の不安と憂鬱さを感じたが、修道院内部は穏やかにゆらめく蝋燭の赤く温かい灯火のせいか、それとも神父の対応のせいか、心の中の影はそれ以上の広がりを見せなかった。
「これから私達と生活し、共に主の為に身を捧げるユキです」
「ユキです。よろしくお願いします」
そして礼拝堂に到着し、他の修道女達が集まっている中で神父と共に自己紹介を簡素に済ませる。
ユキはベールが脱げないよう気を使いつつ、頭をゆっくりかつ深く下げた。
「まだ小さいのに感心だねえ……」
「可愛らしい女の子ー」
「解らない事があったらどんどん聞いてね」
年齢にして三十代から四十代であろう修道女達が、ユキの謙虚さと健気な態度を気に入ったのだろう。
とても好意的に接そうとするのが、誰の目からも解るほどだった。
それに対しユキも使用人とは比べものにならないくらい良い環境なのだと実感し、ココと一緒に居る時のような心の温かさを感じつつも、かつての友を思い出して切なくなってしまったが、何とか顔には出さないよう努めた。
「ユキはランピリダエと一緒の部屋ですが、皆様はよろしいでしょうか?」
神父もその様子に安心と満足したのか、笑顔で修道女たちを一通り見回した後に話を再開し、部屋の割りあてについて話す。
そんな何気ないやり取りを、和気藹々とした雰囲気の中で進めようとした時。
「神父! 神父!」
「はい、何でしょうか?」
ランピリダエという修道女の名前が出た瞬間、大柄な修道女が声高に神父を呼びかけて話を遮る。
顔つきやしわの深さから、年齢も修道女の中では一番上なのだろう。
「ユキちゃんは、見たところまだ成人にもなっていない。それなのに、こんな修道女と一緒の部屋なんてかわいそうだと思いませんか!?」
ランピリダエ……、そういえばホタルと呼んで欲しいと言っていたかな?
彼女は、他の修道女とは違う雰囲気を醸し出している。
スリットの入ったスカートに胴体部が妙に絞ってあるせいか、体のラインがぴっちり出ている破廉恥な修道服を身につけているし、口調や態度もとても修道女とは思えないくらいに、砕けている感じがする。
「ユキちゃん、あなたもそう思うよね? こんな格好した素行の悪い女の近くなんて嫌よね?」
「え、えっと……、私は……」
出会って一日も経っていなくて、まだホタルがどんな人かが解らないから、何とも言えずどう返事をしたら困ってしまう。
それでも、ここまで言われるのはどうして?
この人の言うとおりなのかな……?
「だいたい、娼婦あがりの汚れきった女なんて――」
「それ以上はおやめなさい」
ふとましい修道女がさらに口汚くホタルを罵ろうとした瞬間、神父は笑顔を崩さず強い口調で彼女を制止する。
この時、ユキはホタルが部屋で言っていた、”訳アリ者同士”という言葉をふと思い出す。
「ランピリダエの部屋しか空いていなかったのです。それに彼女は更正し、毎日を粛々と過ごしています」
「じゃあ何故、こんな男を誘うような格好をしているのですか!?」
ふとましい修道女は神父が発したホタルを擁護する言葉に対して、燃える炎のような勢いで再び問いかけると……。
「折角私が新しく縫ったというのに……、なんて人なの!?」
「……別に頼んでなんかいない。あのままじゃ動きにくい」
今度はホタルの身に炎のような怒りの声をぶつけるが、ぶつけられた当人はいつもの気だるい感じを一切崩さず、必要最低限の言葉だけで返事をした。
「肌を見せるという事がどんなに不埒な事か解るでしょう!?」
「いや、だから長靴下穿いて……」
「そういう問題じゃありません!」
しかし、そんな対応がふとましい修道女をますます焚きつけてしまう。
このままじゃ何を言っても埒があかない、何を言ってもまともに聞かないと悟ったホタルは、ただ何も言わず苦笑いをした。
「もう良いでしょう。今は志を共にする者を新たに迎える時です。言い争う時ではありません」
そんな様子を見かねた神父は、助け舟を出すかのように話題の転換を勧める。
その言葉でホタルは笑顔となり、ふとましい修道女は苦い表情をした。
「それでは皆様、夕食にしましょう。各自準備をお願いします。私はその間に近隣の村へお祈りに行ってきます。何名か随伴お願いできますか?」
ユキの自己紹介……、と言う名目のホタルと別の修道女の言い争いが終わり、各自は夕食の準備と神父のお供をする人らで分かれていく。
ユキは夕食の準備を手伝うべく、礼拝堂の扉の奥の修道女たちの生活区域へ行こうとした時。
「ねえユキちゃん」
「はい」
先程、ホタルを一方的に怒鳴っていたふとましい修道女がユキへ話しかける。
ホタルに対してのみああ言う態度なのか、ユキにはまるで自分の娘に接するかのような笑顔を見せてきた。
「変な事されたり、言われたらちゃんと言うんだよ? あたしはセルマ、ユキちゃんの味方だからね?」
セルマはそう言うと、ユキの頬を軽く撫でて肩にぽんと手を置いた後に、神父のお供をするべく修道院の外へいそいそと向かっていった。
夕食の支度は、ホタルとセルマが別々の場所に居たせいか何の衝突も無く平和に進んでいき、神父と共に出かけていた一行が戻ってくると同時に支度が終わる。
修道女と神父達は特別言葉を返しあう事も無く食事をしていき、食後の夜の祈りを済ませた修道女達は、自分の部屋へと戻っていく。
「ねえホタルさん」
「んー?」
ユキとホタルは同じ部屋のため、夜の憩いの時間は一緒の空間で過ごす事になっていた。
窓を開けて海の香りを楽しんでいるホタルに、ユキは気になっていた事を聞いてみる事にした。
「ホタルさんってここで何か悪い事したの?」
服装のことだけで、あれだけセルマに言われているのは不思議で仕方が無かった。
やっぱり過去の事が気に入らないのかな?
でも、過ちを正すべく修道女になるのは珍しい事ではないって、姫だった頃に聞いたことがあるし……。
「ああ、もしかしてセルマの事?」
「うん」
「どうやら、私は嫌われているみたいだ」
普段の気だるい感じから、急に真剣な表情をしながら自分が嫌われている事を告げたホタルだったが、堪えきれずに声を抑えつつ顔を伏せながら笑ってしまう。
やっぱりホタルさんって、見た目とか性格とかちょっと変わっているけれど実は良い人なのかもしれないと、ユキは思い始めていた。
「セルマは古株だからねー。皆そっちに習えって感じかな?」
「じゃあ何もしてないの?」
「んー、お供え用のパンを盗み食いしたり、ばれない範囲で寄付金の一部を使ってカードギャンブルしたり、後は礼拝者と関係を持ったりしたくらいだよ? 大した事無い」
「だめだこりゃ……」
しかし、実際の悪行の限りを聞いてしまったユキは、思わず肩をがくりと落としてしまう。
「まあセルマの言うとおり私は元娼婦で、貧民街生まれだったから生きていくためなら売れるものは体でも売ってきた。今だって素行は悪いし」
「どうして娼婦をやめたの?」
「んー、病気で商品価値無くなって飼い主に捨てられた。今は治ったけどね」
「じゃあ行く場所が無くてここに?」
「そう。途方にくれてたところを神父に拾ってもらったんだ。十六くらいの時だったかなー?」
ホタルはへらへらと崩した態度は一切変えずに自分の半生を語る。
本当なら笑うとこなのかもしれない。
けれどもユキにとっては今までのホタルに無かった、寂しくて刹那い印象が強かった。
「だから言われても仕方ないと思う。……嫌いになった?」
風が海の香りを運んでくる。
その時、ホタルの後ろに結った髪が僅かに揺れた。
ずぼらでだらしなくて、何事にも真剣になれなくて、その日を適当に生きている人。
ユキの第一印象は間違いなくそうだった。
けれども……。
この感じは、使用人になったばかりの私と同じだ。
あの時はココが私を救ってくれた。
だから、今度は私がこの人を救うんだ!
「あの! ホタルさん!」
「なんだい? 改まっちゃってどうしたの」
今の私は何にも無いけれど、あなたの荒んだ心が少しでも豊かになってくれれば。
そうするためにはどうすればいいか考え、そして咄嗟に思いついた答えは。
「わ、私の修道服もおそろいにしてください!」
ホタルさんの味方が居ないから、私がそうなればいい。
まず出来る事は、彼女と同じになる事だと信じたユキは、自分の修道服の仕立て直しをお願いする事だった。
「いいの? ユキも文句言われるよ?」
ホタルは珍しく驚いていた。
その様は、ユキの目からも解るくらいだ。
「いいんです」
それでもユキは満面の笑みで首を縦に振った。
「だから……。もう何も悪さしちゃ駄目ですよ?」
「ふっふふ、そういう事」
ユキの真意に気がついたのだろうか。
窓辺に居たホタルは突然真剣な顔つきになり、そのまま自分のベッドへ横になってしまう。
顔を伏せっていて表情が見えず、声のトーンが一段階ほど低かったので、ユキは思わず不安になった。
「あはははは、ユキみたいな子がいるなんてね」
少し言いすぎたのかなと思い、謝ろうとした矢先。
ホタルは急に体を震わせ、ゴロゴロと転がりながら大笑いする。
そんな様子に、ユキはどう言葉を返せば良いか解らず戸惑うが……。
「いーよ、盗み食いもギャンブルも男漁りも、ユキが仲良くしてくれる間は止める!」
そんなユキの様子を横目で少しだけ見たホタルは笑うのを止め、自分の寝るベッドに座りなおすと、ユキの方を真っ直ぐ見ながらユキの願いを承諾した。
「でもその代わり、ずっと私と同じ格好でいるんだよ? あと私の事はホタルお姉さまって呼ぶ。いいね?」
「はい。ホタル……、お、お姉さま」
「まだ硬いなあー。でもいい気分だね、こんな可愛い子にお姉さまって呼ばれるの。うふふ」
変な約束事まで追加されたが、まずは思惑通りにきっかけを作る事に成功したユキは、多少おぼつかない様子でホタルに”お姉さま”とつけて呼んだ。
”お姉さま”だなんて、今まで生きてきて呼んだ事が無かったユキは、妙に恥ずかしく照れくさく感じてしまい、思わず顔が赤くなってしまう。
「さあて、今日はもう寝るよ。服は近いうちに作ってあげる、それじゃおやすみ!」
「はい。おやすみなさい、ホタル……お姉さま」
切り替えの早いホタルはそう言うと、部屋を照らしていたランタンの火を消して眠りにつく。
ユキもベッドの上へ体を横にして目を閉じ、変わった友人が出来た喜びを感じていた。
外から聞える微かな風と波の音と、心地よい気温のおかげが、割と短い時間でユキは夢の世界へ入る事が出来た。




