181. サクヤとユキの旅 ~桜散る黒い過去~
「私の父親だった人は、東方の国と水神の国の品物を扱う行商人で、女王だった母親に気に入られて婿入りした」
今まで無言だったサクヤが、頬杖をついたままユキの方を向いて語りだした。
ユキは突然の事に少し戸惑いながら、サクヤの方を見て彼女の話を聞く。
「やがて父と母の間に私が生まれて、花の国はずっと安寧の日々が送れると思っていた」
サクヤが生まれた花の国は、気候が穏やかで過ごしやすく、国の名前に相応しく花と緑に溢れた自然豊かな地域である事はユキも知っていた。
土地にも、跡継ぎとなる子宝にも恵まれた。
そんな理想の環境下で生まれ育ったサクヤが、何故裏社会の組織に身を落としたのか?
やはり……。
「でも、現実はそうはならなかった」
「世界大戦の影響?」
「そうよ。外はずっと戦争の只中だった。花の国は中立を決めていたけど、戦争終結間近に隣国の水神の国が攻めてきた」
ユキの予想通りの答えを、サクヤは冷たく言った。
「花の国に、大国と渡り合えるだけの武力は無かったわ。民に犠牲を強いる事を許さなかった父と母は、無条件降伏を宣言した」
戦争時の大国には、それぞれ強みがあった。
魔術と科学に長け、最新かつ強力な魔術を惜しみなく振るった風精の国。
武力に長け、肉弾戦において無類の強さを誇った火竜の国。
一つの宗教を要として団結し、強靭な精神力で粘り強く戦い抜いた土霊の国。
だが、水神の国は戦争に対しての強みが一切無かった。
平和な時代ならば観光資源にもなる芸術も、剣や魔術の前では無意味だったのだ。
そこで水神の国は、巧みな外交術によって他の大国との争いを極力避けつつ、自国より武力が劣る他の国を吸収していったのである。
「花の国という名前は消え、水神の国の一領地となってしまう。誰もが祖国を奪われる屈辱に耐えなければいけないと思っていた」
吸収された国の一つに花の国もあったのは、ユキも歴史も勉強をしていく過程で解っていた。
ユキはこの戦争に関して、一切の責任が無い。
それでも、自分の国が平和な人々の生活を踏み躙った事に、胸を痛めた。
「でも、現実はもっと悲惨だったわ」
ここまではユキも知っていた。
そしてこれだけでも無情な現実を思い知るには十分だった。
これ以上に酷い事なんてあるわけがない、あってはならない。
そう信じて止まなかったユキだったが、サクヤの表情は険しいままだった。
「戦争が終結してからしばらく経った後、水神の国から領主としてある男が来た。そいつの名前はフランティーノ。水神の国を建国したノア一族の遠い親戚の者よ」
ユキが知っている歴史では、その領主とサクヤが結ばれる事になっている。
けれども、その詳細な経緯までは解らなかった。
サクヤは悲惨と言っていた。
という事は、私とコンフィ公爵の縁談と同じ、本人の意思や気持ちを無視した政治的な理由で夫婦となるのを強制されたのか?
ユキはそう思いながら、話の続きを静かに待った。
「フランティーノは花の国へ来て早々、父を事故に見せかけて殺害し、未亡人となった母を無理矢理娶ったわ」
「ひどい……」
だが、サクヤから語られた歴史の闇に埋もれた真相は、予想以上に生臭いものだった。
ユキはその領主に対して憤りと、サクヤに対して不憫さを感じてしまう。
「そこから私たちの地獄が始まった」
でも、婚約したのはサクヤではなくサクヤの母親だ。
その事が引っかかったユキは、胸の内をどろどろとさせながらも、こみ上げてくる何かをぐっと堪えて再び話に集中する。
「あいつは、母に夜伽を強要してきたの」
今まで冷静に話していたサクヤの口調が、少し強くなっていく。
「あの気持ち悪いケダモノの欲望は底なしだった。夜伽は連日連夜続いたわ。当時無力な子供だった私は、扉の隙間から母が辱めを受けている場面を見る事しか出来なかった……」
サクヤの握り締めた手が震え、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
普段から感情をあまり表に出さないサクヤが、誰の目からも解るほどに辛く苦しそうだ。
「母は最初は拒絶していた。でもだんだん変わっていって、父を忘れてケダモノのフランティーノに夢中になるまで大した日にちはかからなかった」
ユキはそんなサクヤを見つつも、かつてアレフィがしてきた仕打ちを思い出すと、胸の中の悪いものをどうにか抑えようと、意識的に口に手を当てた。
「私は母を軽蔑したわ。あんな男のいい玩具になり下がった女を、徹底的に見下した」
二人の空気が底なしに悪くなっていく。
両者とも船酔いは無かった。
だが、まるで泥酔したような感覚に見舞われていた。
「でもね、現実は非情なものよね。私はさらなる地獄へ叩き落されるのだから」
「ううっ、もうやめて……」
サクヤの身に起こったさらなる悲劇。
ユキは彼女の今までの話と習った歴史を振り返り、内容の大よそを理解した瞬間、顔を手で覆った。




