177. ルリフィーネの旅 ~輝きだす純粋な瑠璃~
このまま立ち上がらず、寝ていればいい。
そうすれば、あのイカれた元国王に嬲られず済む。
元国王は圧倒的だが、きっと国や他の戦士達がどうにかしてくれる。
なのに一介の使用人風情が、何故そこまでするのか?
お前も国王と同じ狂った人間なのか?
観客は思った。
だが、ルリフィーネは違った。
「どうしたッ! 俺を倒したくはないのかッ!」
「わ、私はあなたを倒すわけじゃない。救いたいんです」
彼女は心の底から、人の道を踏み外した兄弟子であり、かつての主君を救おうと考えていた。
「そして女王陛下の下に――」
サラマンドラを救い、生きて主の下へ帰る。
それだけを願い、震える膝を押さえて立ち上がろうとした。
だが……。
「グゥワアァァァッッ!!!」
ルリフィーネが立った途端、サラマンドラは赤黒い波動を無秩序のばらまきながら、再び襲い掛かる!
「死ねぇぇぇッッッ!」
彼女には、もう彼の攻撃をどうにかする力は無い。
無抵抗のルリフィーネは顔を鷲掴みにされると、そのままコロシアムの壁面へと叩きつけられてしまった。
「……」
サラマンドラ最後の一撃は、ルリフィーネに残された僅かな体力と気力を潰した。
半開きの目は不純な瑠璃色が満ちており、手と足はまるで宙吊りの人形のように、ぶらりぶらりとしている。
そして、戦えなくなった使用人を雑にその場へ投げ捨てると、その場で吼えた。
「やれやれ……、もう見てられんよ」
ルリフィーネに引導を渡したと同時にシウバは、とても老齢の男性とは思えない程の軽やかさと跳躍力で、コロシアム中央の石畳の上へ降り立つ。
「今度は、……お前かッ!」
「散々癇癪おこしおって……、これじゃ小童と同じだと思わんかね?」
シウバは弟子であり、息子である男を酷く哀れんだ。
人を捨てて、獣と成り果てたサラマンドラに対して純粋な愁いの念を抱いた。
「グルァァァッッッ!!!!」
だがサラマンドラには、師匠の気持ちは届かなかった。
暴走した今の彼は、たとえ親代わりな存在を目の前にしても、”新たな生贄が出てきた。狩りとらなければならない”という程度でしか無かった。
故にシウバへ何ら躊躇いも無く、両手を広げて襲いかかった。
「やれやれ、話も通じんか」
老師シウバは目を閉じたまま首を横に何度か振った後に、腰の後ろに回していた腕を解いて構えを取る。
「じゃあの、息子」
そして、サラマンドラへ決別の言葉を告げると、今まで閉じていた目をカッと開き、襲い掛かる彼を強く見据る。
シウバから生じる圧倒的な気迫と殺気は、逃げている観客の足を止めると共に、ある確信じみた予感をさせてしまう。
それは、”この老人ならば、あの暴走した元国王を止められる”という内容だった。
だが、サラマンドラはシウバの気迫に対して一切怯えず、怖気ずく事もない。
二人の距離がみるみると縮まり、この血に塗れた戦いが終結しようとした瞬間。
「な、なんだあれは!」
「お、おい、どうなってるんだ!?」
観客の一人がルリフィーネの倒れた場所を指で示すと、他の観客も全員もその場所を注目し格闘会場はざわめきだす。
シウバはサラマンドラの攻勢を容易く受け流し、暴走した弟子を蹴って間合いを空けた後にそちらを振り向くと、そこには事切れて動かなくなったルリフィーネが、再び立ち上がっていた。
「お前さん……」
「……」
ルリフィーネには、ある異変が起きていた。
本来ならば立つこそすら不可能な程に傷つき、疲労しているはずの体。
なんと、その体の傷がみるみると塞がっていき、それどころか衣装の綻びや解れも直っていったのだ。
その様子を見たシウバは、ただ愕然とし、格闘術を極めた者とは思えない程に隙を露にしてしまう。
「あいつは人間じゃないのか?」
「なんだあれは!?」
彼女は、機械の世界で生まれた人間だ。
観客がその答えに辿りつくのはまず不可能だが、それでも史上最強の使用人が人外じみた能力の持ち主であると事がばれてしまった。
しかし、今のルリフィーネにはそんな事は取るに足らない事だった。
存在を不審がられても、正体がばれて民衆から忌み嫌われたとしても、彼女には主君さえ居ればいい。
そんな彼女が考えている事はただ一つ。
「うおおおおおお!!!!!!」
サラマンドラを救い、ルリフィーネが信頼している少女の下へ帰るという思い。
もはや魂の叫びとも言える使用人の願いが、光となってサラマンドラの赤黒い波動を退け、周囲を白く染めてゆく。
「……な、なんじゃ!」
やがて光がおさまると、そこには誰も予想していなかった光景が広がっていた。
傷だらけだった使用人の少女の怪我は完治し、疲労は回復し、瞳には輝きが充実している。
そして何よりも他者の目を見張ったのが、ルリフィーネの背には本来無かった銀色に輝く金属質の翼だった。
「う、うそやろ……」
観客も、シウバも、サラマンドラすらも。
この場に居る全員が一部例外も無く、目の前の光景を疑い、ありえない現実に呆然、愕然としている。
「お前は……何だ? 何を……信じて、そう……なった……?」
今まで力のまま、気持ちのままただ壊し続けていたサラマンドラは、構えたままそう問いかける。
壮絶な戦いを経てきたせいなのか、彼の話す言葉は、どこかたどたどしい。
「私が信じるのは、私を信じてくれているスノーフィリア様であり、主君に尽くすという使用人の魂だッ!!!」
ルリフィーネは、拳を強く握りサラマンドラの質問に答えると、翼を広げて白銀色の輝きを身に纏いながら、一直線に彼へと突撃していった。
獣すら圧倒するほどの気迫と熱量と、そして意思を伴って。




