171. ルリフィーネの旅 ~再び出会う時①~
二人が異国へ向かおうとしていた少し前。
水神の国内、女王の執務室にて。
「ねえルリ」
「はい、何でしょうか?」
スノーフィリアは一枚の文書を眺め、首をかしげながら近くで資料の整理を手伝っていたルリフィーネへ話しかける。
「組織の長の一人だったフィレは、もう居ないんだよね?」
「はい、サラマンドラさんが倒したそうです」
それは数年前、逃避行の最中にあったスノーフィリアが秘密結社トリニティ・アークの手に落ち、白魔の欲望姫ネーヴェとして玉座の主となっていた時の事だった。
ルリフィーネを打ち負かした、最強の使用人の宿敵ともいえるフィレは、修行しさらなる高みへ到達したサラマンドラによって破られた。
「これ、火竜の国の王はフィレのままなんだけども……」
スノーフィリアを解放した後、倒されたフィレの死体を回収しようとした。
だが、どんなに探しても亡骸は見つからなかった。
組織が運びこんだのか、あるいはフィレ自身が何らかの手段で水神の国から脱出して火竜の国へ戻り、治療を受けて今も国王として君臨しているのか。
「うーん。組織の力が働いているから……でしょうか?」
だが、あの暴虐な力を操るサラマンドラの攻撃を受け、無事で済まされているとも思えない。
命があったとしても、同じ極竜の闘法を身に付けていたとしても。
五体満足とは言い難い状態になっているのは、直接見ていなくても解っていた。
だからこそ、未だ国王の名前がフィレ・テンダーロインである事に、スノーフィリアは疑問を感じたのだ。
「そういえば、そろそろ国王を決める格闘大会ですね」
「うん」
「……大会は、どちらが勝つのでしょうか?」
同門の兄弟子とも言える二人の行く末を、ルリフィーネは気にしていた。
この疑問を解消するには、直接見に行くしかない。
二人は共通の思いを抱き、お互い目と目を合わせる。
「ルリ、見に行こう」
「よろしいのですか?」
「うん」
「招待状は……、持っておりませんよ?」
「大丈夫だよ。私もお世話になった人だし、それに国で一番偉い人を決める行事なら、招待されていなくても見に行くのは変じゃないと思うの」
この一大行事は、東方の国へ向かうスノーフィリアにとっても都合のいい口実だった。
「ありがとうございます。陛下も気をつけて下さいませ」
「うん、解った」
勿論ルリフィーネは、女王の事情を全て理解していたため、一つ頭を下げて主君に礼をした。
そして今。
ルリフィーネは女王から離れて、一人火竜の国へ向かう船の甲板の上にいる。
遠くに見える国の大地を見ながら、かつての主君が王に返り咲く瞬間を想像する。
「……サラマンドラさん」
だが、ルリフィーネは胸に手を当てると、彼の名前を一つだけ漏らした。
それがどういう意味なのかは、当人もまだ解らない。
数日後。
船旅を終えたルリフィーネは、火竜の国の大地を踏みしめる。
高温多湿な港町は、すっかりお祭り気分一色だ。
「この雰囲気、懐かしいですね」
ルリフィーネは、過去にサラマンドラに仕えていた時、国王を決める大会がどういうものかを直接見た事があった。
その時は王の圧倒的な力の前に、挑戦者はなす術無く屈してしまい、とても勝負とは言えないものだった。
しかし、今回は違う。
もしもフィレが生きており、傷も完全に癒えていたならば。
恐らくは今までないほどの衝撃で、稀に類を見ない程激しく、これからの歴史の一ページに残るであろう戦いになる。
究極の格闘術を極めた者同士の戦いなのだから。
そう思いながら、周囲の浮かれている人らとはまるで逆に、真剣な表情のまま街へと向かって行った。
翌日。
格闘大会の会場である、王城内の円形闘技場へ向かう雑踏に紛れてルリフィーネは居た。
「やはり凄い人ですね。着替えておいて良かったです」
蒸し暑い気候かつ、たくさんの人々の熱気。
普段着ているロング丈のメイド服では厳しいと感じたルリフィーネは、サラマンドラ国王に仕えていた頃に着ていた、小ぶりなパフスリーブの白いブラウスに同じ色のコルセット風カマーベルトを組み合わせて身に着け、大きく広がったスカートと燕尾状の光沢ある裏地のオーバースカートを穿いた、とても清楚で愛らしく、かつ動きやすい格好へと着替えなおしたのだ。
「あれ? あなたはルリフィーネさん?」
雑踏に紛れて会場へ向かう最中、背後からルリフィーネの名前を呼ぶ声に気づいて振り返ると、そこには黒く焼けた肌と先がくるりと丸まった髭が特徴的な中年男性と目が合う。
「どなたでしょうか?」
出会った瞬間は誰なのかを思い出せず、失礼を承知の上で名前を聞く。
「私ですよ、サラマンドラ国王時代、財務官を努めていた」
「ああー、リラさんですね。お久しぶりです」
役職を聞いた瞬間、ルリフィーネの記憶の奥底にあった人物の名前と姿が一致すると、大きく頭を下げて挨拶をした。
「今日は出場なされるのですか?」
「いいえ、私は大会を見に来ただけです。リラさんは参加されるのですか?」
「いやいや、元国王が出られる今大会、私では万に一つの勝ち目もないでしょう」
一見知的なイメージの強いリラではあるが、火竜の国は武を重んずる国である。
そういった国柄なのか、彼もまた武術の達人だ。
だからこそ、サラマンドラがどれだけ強靭で圧倒的なのかを解っており、ルリフィーネの言葉に対して笑いながら返事した。
「そのせいでしょうか。観客はいつも通りみたいですが、参加者は随分減ってるみたいですね」
”元国王サラマンドラが修行を積み、現国王のリベンジを果たす”という劇的で歴史的な瞬間を直接見たいという考えだろうとルリフィーネは思いながら、リラの話を聞いた。
「リラさん、一つお聞きしたい事が」
「はい、なんでしょう?」
「現国王フィレ・テンダーロインについて、何か解る事があれば教えて下さい」
「うーん……」
彼がまだ高官として働いているかは不明ではあったが、それでも情報が欲しかったルリフィーネは、現在の国王について問いかけると、リラは目線だけ動かして周囲を確認した後……。
「ここだけの話、彼女は組織の人間である可能性が高いそうです」
「ほおほお」
現国王が組織と繋がっているという、ルリフィーネが既に知っている情報をそっと耳打ちした。
「政治運用はもっぱら他の高官に任せて、自身は別の事をしているみたいですが……。それ以上は解りません。サラマンドラ元国王が失脚すると同時に、私も職を追われてしまいまして……。今じゃ家業の手伝いをしているのですよ」
「そうでしたか」
その言葉は、リラは組織とは無関係の人間である事を証明しつつ、フィレに関する情報は何も得ていない事を裏付けるには十分だった。
「いろいろありがとうございました。では私は失礼しますね」
「はい、共にこの祭事を楽しみましょう」
これ以上の情報を得る事も出来ず、またこのまま行動しては、本来同行しているはずのスノーフィリアの不在がばれてしまうと考えたルリフィーネは、早々に会話を切り上げて急ぎ足で会場へと向かった。
リラは、そんな言動を不思議に感じつつも、彼女を笑顔で見送った。




