16. 夜明けが誘うは、傷(トラウマ)と別れか
「僕の部屋に吊るしてあった女の人がいただろう? 彼女がそうさ……」
アレフィがぼろぼろになりながらも自らの過去を語り終える。
喋り疲れたのか、話がひと段落するとそのまま目を閉じ荒々しい呼吸を始めた。
なんて身勝手な人なの……。
こんな人の憂さ晴らしのために、部屋に居た女の人やココが犠牲に……。
ユキはそう思いながら、露骨に嫌悪感を見せつつため息を大きく一つついてしまう。
「じゃあ、あなたが私を襲ったあれは何?」
「知らない……、怒りで我を忘れて、気がついたらこんな状態になっていた」
一時的にスノーフィリア姫として対峙し、そして退治したアレフィのあの力はとても普通の人間が成せる業ではない。
それを体感したユキは、この凶行の背景には彼の邪な気持ち以外の何かがあるのではないかという、晴れた日の霞にも似た薄い考察を抱いていた。
しかし、それも彼の口からは聞くことは出来なかった。
怒りであんな姿になれるわけない。
必ず何か理由があるはずなのに、それを知らないなんて……。
嘘をついているの?
それとも……。
「さあ気が済んだだろう? 殺しなよ。僕のやった事は罪深すぎてこのままじゃ駄目なんだ」
アレフィは全てを諦めており、そして満足そうな表情でユキの方を見る。
そんな全てを諦めて達観した態度が、心中に燃えさかる憎悪の炎へさらに油を注ぐ行為となってしまう。
自らの中に今まで感じた事のない感情を何とか抑えていたユキだったが、彼のそんな態度に加えてもう有用な話は何も聞けないと解ると同時に、どす黒い感情はとめどなくあふれ出し、自分でも気がつかない内に寝ている彼の上へ乗り、虫すらまだ殺した事も無い手でアレフィの首を絞めようとする。
この人を許す事ができない。
ココのかたき、みんなのかたき……!
ユキの手が震え、視界が曇る。
アレフィの体温が、手から伝わっていく。
私がこいつを殺さなければいけないんだっ……!!!!
自らの気持ちの赴くままに。
少女は、今罪人に死の制裁を与えようとする。
しかし……。
「ううっ……、あああっ……」
ユキはその場で声をあげ、涙を何粒もこぼしながら泣きじゃくった。
「なんで、どうして私は……」
本当にこいつを殺したいの?
こいつを殺して……、それで終わりなの?
そう思った瞬間、ユキの頭の中にはココとの思い出の景色が連続して流れる。
初めて優しくしてくれたとき。
私の正体を打ち明けても、拒まず受け入れてくれたとき。
一緒に買い物に行き、私の絵を描いてくれたとき。
そんなかけがえの無いひとが、苦しみ自らの命を絶とうとしたとき……。
「違うよ、こんなの違うよ……」
だめ、こいつを殺すだけじゃ終われない。
そうユキは思い、首にかけていた手をゆっくりと解いてゆくと、ただ弱るアレフィの頬をひっぱたく。
甲高い音が、夜の屋敷に響いた。
「……部屋に居た女の子を治して、昔のココを返して! そうじゃなきゃあなたを許さない!」
結局ユキは、アレフィの命を奪えなかった……。
決断を下した少女はゆっくりと立ち上がってそう強くアレフィに伝えると、流れる涙を腕で雑に何度も拭う。
「一人じゃ駄目なら、私も手伝うから……」
私に優しくしてくれた。
私の事を描いてくれた。
私はこれからもずっとココと居たい。
だから、ココを治さないといけない。
治すためには私だけじゃ駄目だから。
……この人は、死んだらいけない。
「ううううっ……」
ココは教えてくれた。
”希望を持っていればいつか道は開かれる”
それって”未来の為に今を諦めず生きること”だと思うから。
「解ったよユキたん。必ずココたんを治す方法見つける。僕の命にかけてでも……」
アレフィは泣きながらユキに対し、してきた行いの責任を取る事を誓う。
「あと、そのユキ”たん”ってのもやめて欲しいかな……。なんだか背中がそわそわしちゃって……」
「う、うん。可愛い子には”たん”って付けたくて。ごめんなさいスノーフィリア様」
「別にユキでいいよ。今は姫じゃないから」
そこにいたのは、自身を侮辱された結果生まれた欲望を発散するべく異性を蹂躙したいと願う狂気に全てを委ねた貴族ではなく、ただ一人の男だった。
「さあ、立てるかな?」
ユキは手を差し伸べる。
アレフィは何度も目を擦りつつ、何度かよろめきながらその手を取った。
「明るい……。ちょうど朝が来たみたいだね」
二人は屋敷を出ると、外は朝の日差しで満ちていた。
太陽の明るさは、呪縛から解放されて洗われたアレフィの心と、この屋敷に巣食う問題を解決したユキのこれからの未来を表しているようにも見えた。
「どうしたの?」
「ううっ、久しぶりにお日様を拝んだからね……、どうも目が慣れなくて」
アレフィは今まで外に出ていなかったせいか、日の光が顔に当たると思わず目を閉じ手で遮ろうとする。
それに対しユキは体を伸ばし深く大きく呼吸をしたが、腕を空へを大きく伸ばした瞬間に下着が見えてしまう事に気づき、すかさずスカートに手を当てる。
「ありがとう、ユキ」
「どうしてお礼を言うの?」
「こんな僕を救ってくれたんだ、感謝して当然だろう?」
「……お礼を言うのはまだ早いかな。ココや囚われていた女の人を治してからだよ」
「ああ、必ず治してみせるよ」
そう、これで終わりじゃない。
私の大切な人はまだ生きているもの。
ココを必ず元に戻す、戻してみせる。
だから待っててね。
ユキとアレフィ、二人は同じ思いと決意をこの晴れ晴れとした空を見ながら自らに誓う。
気のせいだろうか、いつもよりも青く澄んでいてとても遠く、広く見えたような気がした。
「あっそうだ! 思い出したぞ。パーティが終わって何日か後に、珍しい人がここを訪ねてきたんだ」
「うん?」
新たな決意を胸に、二人は明るい贖罪の道を進もうとした時。
アレフィは突如、自身が凶行に及ぶ前のことを思い出したような口ぶりを見せる。
「あんな事があったばかりだったから、とても会う気は無かったんだけども、どうしてもって言われたし昔から親交があった家だから会ったんだ」
「どんな人なの?」
ユキが、ココを治すという最も重要な目的の次に知りたかった事。
それはアレフィが何故あのような能力、とても人とは思えない姿と力に変身出来る能力を身に付けたかという事だ。
「確か――」
もしもあの力が誰かから他の誰かから貰ったものなら、アレフィがパーティから凶行に及ぶ間の数日間に出会った人物が、真犯人である可能性が高い。
だからこそ、誰にあったかを知りたく、そして今まさにユキの知りたかった確信をアレフィが話そうする。
その時。
「ぐあぁっ!」
火薬の爆ぜる音がすると同時にアレフィは自身の胸を血の赤で染め、僅かな声をあげてその場で倒れてしまう。
アレフィはそれ以降、喋る事も動く事もしなかった。
まさにそれは、ユキが記憶の奥底で封印していた”父親と母親を殺害された地獄の夜のはじまり”の再現だった。
「い、いやああああ!!」
ユキの脳裏にあの風景が恐ろしい勢いで蘇ると、顔を青くしその場で絶叫した。
「どうしたの!?」
その叫びを聞いたであろうグレッダが駆けつけ、血を流して倒れているアレフィを見る。
「ひぃぃいいいい! アレフィ! アレフィ!」
私に散々な仕打ちをしてきても、ココが酷い目にあってもただ冷静さを保っていた。
血の通っていない人形かと思われていてもおかしくないくらいな彼女が、金切り声をあげると命尽きたご主人様の名前を何度も叫び続けている。
その意外な光景に、ユキは自らのトラウマも吹き飛ぶほどの衝撃を受けていた。
「お前……、お前か! よくも……、よくも……!」
「ち、違う。私じゃない! 私はこんな事――」
「うるさい黙れ! 大人しく息子に犯されていればよかったものを!」
過去の再現は完全にユキの心を固めていた。
そんな中、ユキが気力を振り絞って言う反論すら跳ね除ける程の、グレッダの理不尽な罵倒。
そして死んでしまったアレフィが、この屋敷のハウスキーパーであるグレッダとコンフィ公爵の息子である事実。
暴風が吹き荒れて無秩序に周囲を吹き飛ばしていくかのような衝撃によって、ユキの気持ちは完全に飛ばされてしまい、ただ乱雑に困惑した。
「衛兵! 衛兵!」
グレッダは高い声のまま、衛兵を呼びつける。
「アレフィを殺したこの悪魔を退治してお願い!」
「……はっ!」
駆けつけた衛兵がこの場に到着すると、即座に只ならぬ状況だと察したのか携帯していた武器を即座に抜けるよう構えながら、ユキとグレッダを交互に見た。
”ご主人様の母親”のあまりのヒステリーに、衛兵は多少戸惑いながらも腰に下げていた剣を鞘から抜き、”主人殺めたであろう使用人”を断罪しようとする。
剣の刃が朝日に反射に冷たく光る。
何とか誤解を解こうと説明するが、もうその時間は無い。
衛兵の抜いた剣がユキの体を切り裂こうと振り下ろされた瞬間――。
「やめたまえ!」
聡明な男性の声が混乱していた空気を一瞬で切り裂く。
ユキの命を奪おうとしていた衛兵の刃は動きを止める。
「だ、旦那様……。何故ここに……」
その場に居た全員は、声がする方を向く。
そこには、この屋敷の主であり死んだアレフィの父親でもあるコンフィ公爵が立っていた。
凛とした面持ちは相変わらずだが、どこかやつれているようにも見えるのは、目の前で息子の果てている姿を見た為だろうか?
「ちょっと用事があってな……。グレッダよ。お前の息子の命が奪われた思い、痛いほど解る。私も同じだ。衛兵、お前はさがってよい」
「……はっ!」
「何故!? それならどうして止めるの!? 教えてよ”あなた”!」
自分の本当の名前を奪った張本人が、アレフィの死をグレッダと共に糾弾し処断するかと思っていたユキにとって、それは意外な回答だった。
コンフィ公の指示によって衛兵は慌てて剣をしまい、目線で合図を何度か交わすとその場から去ってしまった。
「ふむ、この傷口……、国王陛下と同じか……? あやつらめ……」
コンフィ公は、息絶えた息子の元へゆっくりと近寄り、そして傷口を観察してため息を吐くかのように言った。
「……ユキは潔白だ。むしろアレフィを救ってくれたのだろう?」
その問いかけに、ユキは敢えて何も答えなかった。
それは今のコンフィ公の面持ちから、実際に見ていなくても大よその出来事は解っていると悟ったからだ。
「だがそなたをもうこの屋敷に置いておく事は出来ん。よって今日この時をもってして使用人の職から解雇させてもらう。今日中にはこの屋敷から出て行くように」
「そ、そんな! それじゃあココは? アレフィの手にかかった人達はそのままなの!?」
「その代わり、彼女らは私が責任を持つ。家の名前にかけて誓おう。散々放置しておいて今更虫がいいかもしれんが……、信じてくれ」
コンフィ公の真剣な眼差しは、とても嘘をついているとも思えなかった。
それに今のユキにはココを治す術も無いが、国家の重鎮であり大貴族であるコンフィ公だったら良い手があるのかもしれない。
それらを察して、意見を述べずにただ視線を下に落とした。
「さあこれで憂いは無いはずだ」
「……解りました。準備出来次第ここから出て行きます」
ユキはこの屋敷を出て行く事を決める。
結局、大好きな人であるココには何も出来ないままに……。




