158. パラレル・ディストピア ~ルリフィーネの秘密編④~
「まずはこれを見て欲しい」
初老の男はそう言うと、子供の指先程度の大きさしかないビーズのような物を、着ていた服のポケットから取り出す。
そしてそれは自ら光を発すると、何も無い空間に一枚の地図を映し出した。
「ここが今居る場所。ここがマザーの部屋だ」
その地図を見ながら、今居る場所とこれから目指すべき場所を指差しながら説明する。
「マザーの部屋はアクセス制限がかかっており、一部の保守用機械しか入れない」
「アクセス制限?」
「鍵みたいなもの……かしら」
「ほおほお」
この世界の固有名詞に慣れたのか、マリネは鼻を鳴らして少し得意げな表情で、男の言った言葉の意味をユキへ伝えた。
「前回はマザーをハックして進入できたが、今回はプログラム側で修正がかかっており、同じ方法は不可能だろう」
「その言い方だと、今回もそのマザーってのを書き換える作戦なの?」
「そうだ。それしかない」
「あのさ、書き換えるって事は、そのマザーっていう機械をあなた達の思い通りにしちゃうってわけだよね?」
「そうだ。古い世代を処分しないよう書き換えるのだ」
「そんなめんどくさい事しなくても、壊しちゃえばいいんじゃないの? そんであなた達がそのマザーってのに取って代わればいいじゃない」
今までマリネと男のやり取りを黙って見ていたミズカが、手をけだるそうに振りながら話に割って入った。
「マザーを壊せば、我々以外の全ての機械が無秩序な状態になってしまう。そうなった場合、この街の存在すら危うい」
「ひええ、そりゃ駄目だね……」
この時ユキは、先ほど見せられた人類が引き起こした戦争の風景を思い出してしまい、何も言わずルリフィーネへとくっついてしまった。
「前と同じ方法が無理なら、他に手立てはあるの?」
前回と同じ方法での進入は不可能だ。
そうなれば、他の方法を探すしかない。
特別な機械しか入れない場所に、そうじゃない機械や人が入る方法……。
「そちらの世界には、未知の力で様々な事象を引き起こせると聞いている。その力でどうにか出来るか?」
どんな綿密な作戦かと思いきや、意外にもお粗末で他力本願な手段に一行は驚いてしまう。
そして他の世界の力を借りるしか方法が無い、手詰まりの状態であるという真意に気づき、全員が声を唸らせて考え込んでしまった。
「魔術の事? 申し訳ないけれど、無理よ」
「何故だ?」
「この世界には、その魔術を発動させるのに必要なエーテルが無いの」
さらに、この機械達の世界では魔術が使えない事が、ユキらをより苦悩させてしまった。
仮に使えたとして、ここまで技術が発達した世界で通じるかも疑問だが……。
「エーテル? 有機化合物の事か?」
「いいえ、空気中に存在している精神伝達物質よ」
「まさか、古代の哲学者が提唱した元素の事か……?」
「その人の事は解らないけれども、まあともかくこの世界で魔術を使えないわ。あてが外れて残念だったわね」
マリネはため息まじりに、初老の男性を真っ直ぐ見据えると、自身らが力になれない事を率直に告げる。
「あの……」
「ユキちゃん、どうしたの?」
「魔術が使えないのに……、じゃあどうして私は召喚術が使えるの?」
ここで一つ、ユキの頭の中に引っかかる事があった。
それは、エーテルが限りなく少なく魔術を使うのは不可能な状況であるにも関わらず、自身はいつも通り変身し召喚術を使う事が出来たのかという事だった。
「ユキちゃん、あなたの変身や召喚術は魔術の形態とか異なる、別の術法である可能性が高いの。だから、エーテルが皆無なこの世界でも、あなただけは普段と同じ様に力を使う事が出来る」
魔術とは異なる別の力……。
確かに魔術以外にも、精霊と交信して不思議な現象を引き起こす術がある。
私は自分でも知らない、何か別の術を無意識のうちに使っていたのかもしれない。
そうユキは思ながら、今までルリフィーネのエプロンを握り締めていた手を解くと、その手を開いたり閉じたりしてまじまじと見つめた。
「ならばユキに頼みたい」
この世界で、唯一力を使う事が出来る存在であるユキに対して、初老の男と頭を軽く下げて協力を仰いだ。
「ユキ様、私からもお願いします」
ルリフィーネも抱きついていたユキから少し離れると、自身の主人に対して深々と頭を下げた。
「私は力を貸したいけれど、具体的にどうすればいいの?」
ここで見過ごせば、彼らの待つ運命は消滅のみ。
ユキには、そんな無情な現実が待っている物達を見てみぬ振りなんて出来るわけもなく、一切迷うことなく彼らの願いに対して快諾した。
「ちょっと待って」
だが女王の決断に対して、マリネは厳しい表情のまま彼らの話に割って入る。
「今は身分を偽るために敢えてこういう格好だけど、この子は私達の国では女王様なのよ。あまり危険な事をさせられないわね」
ユキは水神の国の女王である。
当然、その身に何かあれば只事では済まされない。
”勝手に連れ出した”マリネの責任問題にもなるし、”勝手に外へ出歩いた”ユキに対しても非難が浴びせられるのは、火を見るより明らかだった。
「ちょっと考えたいから、少し時間をくれないかしら?」
「解った」
「マリネ……」
「とりあえずは引きましょう。少しは自重してね?」
「うん……」
それぞれの人たちにはそれぞれの事情があり、看過する事は出来ないのを解っていた初老の男は、マリネの半ば強引な要求を一切拒む事無く受け入れた。
それに対してマリネは、初老の男に対し笑顔を見せて一度だけウインクした。
「そうそう、あなたの名前を聞かなきゃ」
「我々には、”ルリフィーネ”のような固有名称は無い」
「でも、仲間達と呼び合うのに不便でしょ?」
機械同士ならば、人とは違って名前が無くても問題が無いかもしれない。
しかし、これから人とやり取りするにあたっては呼び名が無いと不便になるのは解っていた。
「普段はどうしてるの?」
「話せば解る。別に不自由な事はない」
だが、無い物はどうしようもなく、初老の男性は真顔のままマリネの質問に答える。
「うーん」
「それでも不便と言うならば、私の事はアイザックと呼ぶがいい」
「解ったわ」
「あと、ルリフィーネも連れて行くとよい。ここには長くは居れないからな」
マリネがどうしても必要だという事を察したのか?
初老の男は自身の呼び名を告げると、ユキが探して止まなかった者と共に、一行は元いた世界への帰路についた。




