109. 親愛なる人へ
――そして翌日。
簡素な食事を済ませると、それぞれはここへ来るまでに得た情報の共有をしていく。
火竜の国でサラマンドラを負かし、今は組織の総帥の一人であるフィレが玉座の主になっている事。
そのフィレに敗北したルリフィーネやサラマンドラが過酷な修行の果てに、さらなる力を手に入れた事。
ハーベスタがセーラを救出し、ミズカとマリネはユキが救おうとしていた使用人のココを見つけて匿っている事。
水神の国を凍土に変えてしまったのは、組織の総帥の一人ネーヴェである事。
そしてそのネーヴェは、ユキと同一人物であるというミズカの仮説。
どの情報も、得てない側が驚くには十分すぎる内容だった。
「――というわけだ」
話が一通り終わると、これからの身の振り方を考える。
室内は重々しい雰囲気に包まれ、各々は深く考え込んでしまう。
「こちらの戦力も随分揃った。今ならいろいろと動けるが……」
「やはり新たな王女が気になりますね」
水神の国の新たな姫君に関しては新世界の人ら全員が気になっていたが、一番最初に話題を振ったのはルリフィーネだった。
「そうだな」
欲望の白魔姫ネーヴェ。
かつてのユキと同じ地位でありながら、正反対の立ち位置に居る存在。
彼女はどこから来たのか、何が目的で全土氷漬けという凶行に及んだのか。
「ふん、面倒だな。そこまで気になるなら直接行けばいいだろう?」
「私もサラマンドラの意見に賛成ー」
サラマンドラは腕を組み、真っ直ぐ見据えながらそう言うと、ミズカも利き手を上へ伸ばしながら自身の考えを伝えた。
「正直、俺もその手が妥当かと思っている」
いつもなら、他のメンバーが意見しても慎重論や反対の意見を出しているハーベスタが、今回は何故かサラマンドラの意見に対して前向きだった。
「意外ね。あなたがそんな大胆な案に出るなんて」
この時、ハーベスタがサラマンドラと昔ながらの縁があるから、そういう考えに至ったとも捉えられなくはなかった。
しかし、彼の真っ直ぐな眼差しを見た他メンバーは、彼が自分で考えた事なのだという事を理解して、マリネ以外は何も言わなかった。
「だんちょ――サラマンドラ元国王の力は計り知れないし、悪魔の力を得たホタルも居る。多少強気に出てもわがままのきく戦力がある」
「私も解りやすい作戦の方がいいかな」
究極の格闘術を極めたサラマンドラ、ルリフィーネ、そしてその師匠であるシウバ。
悪魔の力を持ち、刻印術を操れるホタル。
生体ベースの魔術兵器セーラ。
新世界の人々の多くは去っていったが、幹部は健在だ。
この短い間で、戦力は大幅に上がった。
今なら組織に正面からぶつかっても、ただ飲み込まれ流されるだけとはならないだろう。
勿論それを全員が解っていたため、ハーベスタの作戦に対して誰も否定的な意見は出さず、一つだけ頷いた。
「くろとマリネ、ロカはどうする?」
「私達は残るのが正解でしょうね。私は実際の戦闘じゃ足手まといだし、くろとロカはいざと言う時にここを守ってもらいたいもの」
「そうだな、なら行く人員は俺、ミズカ、専属メイド、人体兵器、悪魔娘、サラマンドラの六名……。くろ、マリネ、ロカ、シウバ老師、他非戦闘員は残留だな?」
ハーベスタの人事に誰も異論を出す事もなく、順調に行われていく。
「決行は明日の朝にする、それまでに準備を終わらせておいてくれ」
そしてそれらが終わると各々は立ち上がって去っていき、来るべき時に備えて準備を始めた。
その日の夜。
今日の夕食の片付けを終えたルリフィーネは、遠征の準備を済ませると、自身の迷いを抱きながらユキとの親交の深い仲間達の下へと向かう。
「ホタルさん」
「ん? どうしたのルリさん」
まず一番最初に向かったのは、ホタルが居る部屋だった。
ホタルも準備を終えたらしく、ベッドの上で横になりながら天井を呆然と見つめていた。
「先ほどお話がありました、ミズカさんの仮説……」
「ああ、ネーヴェ姫が組織の手に落ちたユキ本人って話?」
情報共有の時、ミズカが話した事。
ユキが組織の手によってネーヴェ姫になってしまったという仮説。
あくまで仮説であり、確証はない。
だがルリフィーネは主君の身に関わる事なだけに、見てみぬ振りを出来ずにいた。
「……大丈夫だよ。たとえそうだったとしても、ユキを取り戻すから」
ホタルはそれに関しては何か打つ手があるらしいが、いつもの砕けた雰囲気がほんの少しも感じられなかったため、ルリフィーネは理由を聞く事は出来なかった。
そして、ホタルもユキの事を考えてくれていると知り、ルリフィーネの胸中が温かくなった。
「ちょっと一人にしてくれないかな? いろいろ考えたい事あってね。ごめん」
「かしこまりました。こちらこそお邪魔しました」
そう言うと、目を閉じて手の甲を額に当てて再び深く考え出す。
ルリフィーネはこれ以上は邪魔になると察し、一つだけ頭を下げてホタルの側から離れていった。
「セーラさん」
次にルリフィーネが話しかけた相手はセーラだった。
セーラは見張りの最中だったのか、薄暗い出入り口を真っ直ぐと見据えたまま微動だにしない。
顔だけはルリフィーネの方を向くが、表情は一切変わらないままだ。
「ユキ様は好きですか?」
「うん」
魔術兵器として改造されてしまい、人間の感情はほぼ無いと言われていた。
しかし、この少女はユキの事を慕ってくれている。
それは、とても人間らしい感情と言えるだろう。
「ユキ様が……、ユキ様じゃなくなってもお気持ちは変わりませんか?」
だが、ユキ自身が変わってしまった場合はどうなるのか?
ルリフィーネは自らが予想する最悪のシナリオだった場合、セーラはどういう考えを持って行動するのかが気になっていた。
「どういう意味?」
それは、ユキが絶対に変わらないという自信の表れなのか。
それとも、本当に言葉の意味が解らないだけなのかを、ルリフィーネは理解出来なかった。
だからこそ、無表情のまま返事をしたセーラに対して、どう言葉を返せば良いか解らず困っていた。
「私はユキが好き。私の大切な人」
ほんの少しだけ静かな時間が過ぎるとセーラはそう言い、再び出入り口に方へ視点を戻した。
「ありがとうございます」
結局、ルリフィーネはセーラの真意が解らなかった。
でも、自身の主君がこんなにも好かれていると知ったルリフィーネは、セーラに対して頭を下げて感謝の意を伝えた。
「ココさん」
「あ、ルリフィーネさん。こんにちは」
最後にルリフィーネが訪れた人。
それは、組織の研究施設に軟禁されていた、ユキの友人であり悲劇の少女ココだった。
ちょうど絵を描いている最中だったココは、片手に下書き用の木炭を持ったままルリフィーネと会話をする。
「おや、ユキ様を描いているのですか?」
亜麻色の革が張られた木製のキャンバスに描かれた少女。
それは、ルリフィーネの主君であり今はここに居ない水神の国の元姫ユキだった。
絵の中はユキは、とても穏やかで優しい笑みをしている。
「うん。前の絵は旦那様の館に置いてきたから、もう一度描き直そうと思って」
ルリフィーネは、ユキからココがどうなったかをあらかじめ聞いていた。
たった一度聞いただけとはいえ、あまりにも凄惨で衝撃的な事実だった為、ルリフィーネの頭から離れる事はなかった。
だからこそ疑問があった。
実はルリフィーネや新世界の人々をだまし討ちするために、無力な少女を演じているだけかとも考えた。
「ありがとうございます」
「えっ、お礼なんていらないですよ!? あたし、ユキの事好きだから」
しかし、その可能性は否定された。
マリネやミズカが言うには、魔術兵器と普通の人では周囲を取り巻くエーテルの量が違うらしい。
そしてココの周囲には、人並みのエーテル量しか無いという事が解っている。
「あの、ルリフィーネさん」
「はい」
「あたしは元気ってちゃんと伝えたい。そうすればきっとユキだって元気になるはずだから。だからお願いします! ユキを連れ帰ってきてください!」
そもそも、ユキや仲間を傷つけた兵器がこんな言葉をかけるわけがない。
こんな素敵な絵を描ける人が、誰かを痛めつけるなんてありえない。
ココの純粋な思いは、ルリフィーネの思考を自然と明るい方へと向けていった。
「はい、必ず連れて帰ります」
ルリフィーネは、敢えて強い口調でココの願いを叶える約束をする。
それは迷いを払い、自身の揺らいだ決意を再び固めようと、無意識にした行為なのかもしれない。




