10. 破局への足音
「はいユキ、これに着替えて」
ココは泣きそうなユキに対して、いつもの笑顔で買った服を手渡した。
「えっ、私が着るの?」
「うん、だってユキはピナフォアしか無いからね」
「でも悪いよ。ココのお金なくなっちゃう……」
「大丈夫だよ気にしないで! その代わりにお願いしたい事があるから。ささ、早く着替えて!」
「う、うん」
お願いしたい事って何だろう?
ユキは涙を拭きながらココの願いの内容を考えながら、店内にある布のカーテンで仕切られた試着室へと入り、促されるままにココが渡してくれた服へ着がえていく。
「わー、やっぱり似合う! さっすがユキだね!」
ココが手渡してくれた衣装は、大きなパフスリーブの白いブラウスの上に黒色の編み上げのコルセット型ベストと深い青色のロングスカートがセットになった服だ。
ユキの色白な肌と水色の髪色に良く似合っているせいか、目を輝かせて感動している。
「本当にいいの?」
「大丈夫だよ。その代わりにお願い聞いてもらうもの」
さっきもココが言っていた、お願いってなんだろう?
もう姫じゃないのに、何も無いのに願いをかなえる事なんて、出来るのかな?
ユキはそう思いながら、申し訳無さそうにココへ話しかける。
「じゃあこれで」
「お買い上げ、ありがとうございます」
「さあ、こっちに来てー」
「うん」
ユキに話しかけながらココはユキへのプレゼントの会計を済ませると、ユキの手を再び引いて別の場所へ誘った。
ユキは今まで着ていたピナフォアを抱えながら、ココと一緒に店を出ていき、ココの言うままに着いていくことにする。
そして、村はずれの人気の少ない林道に到着すると、真剣な眼差しでおもむろにココはユキの方を振り返り、ゆっくりと口を開く。
「あたし、ユキを描こうと思っているの。だから絵のモデルになって欲しい」
ふと、初めて使用人の部屋に入った時、ココが絵を黙々と描いていた光景が思い浮かぶ。
画家を目指すと言っていたけれども、私を描きたいのかな……?
「私なんかで良ければいいよ。可愛いお洋服貰ったし、それ以外にもココにはいっぱい助けて貰っているから少しはココに恩返しがしたいの」
使用人になってからは水浴びも二日おきに一度しかしていないし、髪も最低限手くしでとく程度で、私自身がとても綺麗な状態とは思えない。
ユキはそう答えつつ思いながらも、本当に私なんかでいいのだろうかと改めて確認する。
「”私なんか”じゃないよ。”ユキじゃなきゃ駄目”なんだよ?」
ココにとって特別な存在である事を本人の口から直接告げられたユキは、胸の中がとても温かくなっていき、うっすらと涙を浮かべてココへと微笑んだ。
「それじゃあ早速かこう! まず下書きね、ユキそこに座って!」
「う、うん」
ココはユキの了承を貰うと今までの少し抜けた明るい少女の目から、真剣で鋭い職人の目へと急変しユキに指示をだす。
あまりのかわりっぷりにユキは多少圧倒されながらも、近くにあった適当な石へと座った。
「しばらく動かないでね」
「うん」
ユキは座って動かないまま、使用人としての生活を思い出す。
大して日数は経っていないけれど、王宮に居た頃からは想像もつかないほどに悪い環境で生きなければいけない。
他の女使用人にいじめられた時も、お父様やお母様が殺された夜を思い出して心細かった時も、ココはずっと傍にいてくれた。
この子だけは私に優しく接してくれた。
でも私は、ココが画家志望だと言うのに、描いた絵を見た事すら無い。
ココは私を見ていてくれたけれども、私はココに頼る事しかしていなかった。
思い返せば返すほど、絵のモデルになるくらいでは到底足らないくらい、ココから温かいものをいっぱい貰ってきた。
ユキは思いを巡らせ、”大好きな人は私に優しくしてくれるのに、私は何もしていない事”がとたんに恥ずかしくなってしまう。
私だって、ココが喜ぶような事や彼女の為になる事がしたい。
「んー、こんなもんかな? もう動いてもいいよ」
そう考えていた最中、ココは黙々と走らせていた筆を止めてユキに話しかける。
ユキは立ち上がり、ココへ近寄って描いてくれた自分の絵を見た。
「うわあすごい! とっても上手いよ!」
「えへへ、そんなに感動されたら照れちゃうね」
ココのプレゼントした衣装を身に纏うユキの姿が、亜麻色のキャンバス上に木炭で薄く表現されている。
絵画の中のユキはどこか優しくて温かくて、そして神秘的な雰囲気が出ていた。
それはココの腕がなせる業か、ユキ自身も知らない側面を映した結果か。
ユキはその未完成の絵を見て感動していた。
姫だった頃に絵画鑑賞をしてきて様々な名画を見てきたはずなのに、今まで見たどの名画よりも美しいと感じていた。
「色もつけたいから、もうちょっとかかりそう。出来たら一番に見せるからね」
「うん!」
下書きの時点でここまで心を動かされるのなら、完成したらどんな凄い絵になるんだろう!
ユキは絵の完成が、心の底から楽しみで仕方ない。
その思いがココにも伝わったのか、二人は朗らかな表情で笑いあった。
そして日も暮れ始め、二人は楽しかった時間に名残惜しさを感じつつも館へと戻る。
その帰り道にて。
「何だかあっという間だったね。楽しかったー」
「そうね。こんなに笑ったの久しぶり」
楽しかった日々は終わろうとしている。
心の通い合う二人の少女達は、何ら躊躇いも不自然さも無くお互いに手を繋ぎ、いつもの日常へ帰ろうとしていた。
「あれ、あの馬車って朝にも通ってたような?」
そんな中、ユキは自分が朝見た時と同じ馬車を、邸宅の隣にある屋敷から出て行くのを見る。
「ねえココ、あっちの方って何があるの?」
「う、うん……。えっと……」
基本的に、使用人としての仕事は邸宅の敷地内で行われる。
買出しや庭掃除、旦那様のお迎え、それら仕事で外へ出るような仕事は、ハウスキーパーが率先して受け持っていて自分は数える程しかしていない事を、ユキはふと思い出す。
故に敷地以外のこのあたりの地理は殆ど知らない。
「まだ日没まで時間あるし、ちょっと見に行ってみよう?」
「ああっ、待ってユキー!」
ユキは好奇心の赴くままに本来帰る場所であるコンフィ公の館ではなく、その隣にひっそりと佇む屋敷の敷地へ向かう。
ココはユキを制止しようとするが失敗してしまい、後を追った。
「なんだろ、この建物……」
過去の夫であり、現在の主人であるコンフィ公爵の別邸と、建物の外観や見た目の広さは似たような感じである。
しかし、窓から見える屋敷内の景色は全て暗色のカーテンで覆われており、人気がないせいか寂しさが漂っていた。
「ね、ねえユキ。もうなんにも無いの解ったし早く戻ろう? ね?」
「そうだね。ココの絵の題材になりそうなものがあったらいいなーって思ったんだけども残念」
人気の無さが原因で、感じていた寂しさが大きくなったせいだろうか?
ユキの心中に麦粒程あった、形容しがたい不安感と恐怖が大きく膨らもうとした時、恐らくは同じ心境であろうココの言葉を聞くと、二人はこの場をいそいそと去っていった。
――そしてその日の夜。
「ココ、私についてきなさい」
「……はい」
穏やかな日々が終わって明日の仕事へ向ける者、今日の楽しかった出来事を頭の中で反芻する者、各々が自由の時間をすごしていた時だった。
グレッダが部屋へと入り、ココを呼び出す。
それは、いつもなら何気ない日常なはずだった。
しかしユキは違っていた。
「あ、あのハウスキーパー、ココだけ呼び出すなんて何かあったのです?」
ユキは、グレッダの明らかに”何かいつもと違う”雰囲気を察し、その理由をはっきりとするべく、叩かれるのを覚悟で理由を聞く。
「あなたはもう寝なさい。さあ行くわよ」
「はい、解りました」
いつもならば、”相変わらず可愛くない子!”とぶたれるはずだった。
しかし、グレッダはいつもの冷たい眼差しにどこか寂しさと儚さを混ぜた目でユキを見ながら、ユキの質問に対して答えを濁し、ココを連れて行ってしまう。
ハウスキーパー、いつもと違うけど何でだろう?
ユキは何も解らないまま、すぐに帰ってくるだろうと思いながらピナフォアへ着がえなおして床についた。