魔法少女
「多重空間っていうのはさ」
中庭に三人集まって軽く挨拶や昨日の話を済ませて後、早速質問と解説が始まった。
私は何から切り出したか迷った挙句、先輩が口にしていた言葉について尋ねた。
「モンスターが私たち魔法少女へ都合よく襲い掛かるために作るエリアなんだよ。あいつらは日中は見えない形で潜んでいて、放課後学校から人が少なくなると現れるみたい」
「なんで学校に現れるんでしょうか?」
「インシグニア症になるのは中高生でしょ? 学校に現れるのは当然っていえば当然だよ、あいつらはインシグニア症の子を狙うから。そしてモンスターの居る場所にインシグニア症で覚醒基準を満たしている子が入ると多重空間を作る。多重空間っていうのは名前の通り一定のエリアを重ねて作った別の空間なんだよ。ここまでの説明もそうだけど、これから説明する事はもう卒業した三和先輩の先輩が教えてくれた事だから、完全に理解してるとは言えないんだけど、三和先輩の先輩はこの多重空間を、現実空間をコピーしてテンポラリに入ってる空間だって言ってた。そのテンポラリは現実とは切り離された一時的な場所で、外からはそこに居る事が認識出来なくて、モンスターが居なくなると、テンポラリは一時的な空間だから消えちゃうんだって。消えると元の空間へ戻るんだよ」
当然だが三和先輩の先輩という人物も魔法少女だったのだろう。にしても何の事やらよく分からない。
分かる? と視線で外海さんに尋ねると、彼女は曖昧な表情をした。手には美術の教科書を持っている。ここでの話が終わったらそのまま美術室へ向かうのだろう。
「私が初めてモンスターに襲われた時、モンスターは壁を爪で壊したんです。でも翌日確認したら痕跡は無くなってて。それが昨日の事で、ちょうどそれが先輩が声をかけて来た時です」
「そうなんだ。声掛けて良かったよ。グローブしてるのが見えたから、お仲間だと思って。もし隠すアイテムが必要のない場所にインシグニアが出てたら声掛けなかったかもだから良かったよ。壁がそのままだったのは、壊れているのが多重空間の壁だからだよ。現実の壁を壊した訳じゃないんだ」
「破壊されたのはコピーされた壁だから現実では何も起こってない……」
自分でも意外にあっさりと突飛もない話を受け入れる。ここ二日の体験から考えると信じざるを得ないのが実情だが、物心付いてから十年以上過ごしてきた当たり前の現実をこうもすんなり置き換える事が出来るものなのか。
私がモンスターに斬られた髪の毛がそのままだったのは私自身はコピーされた存在じゃないからという事だろうか。だとしたら。
「私、モンスターに頬っぺたを斬られたんです。それでその時は逃げ出したんですけど、家に付いたら治ってて。あれはどういう事なんですか?」
「怪我しちゃったの? 多重空間の中でなら身体能力が凄くアップするんだよ。のぼざきさんみたいに覚醒前だとしても。ものすっごく早く走れたり、力持ちになったり。怪我してもすぐに治っちゃうよ。三和先輩が戦闘中にミスって骨折した時、空間を出る頃には治ってたし」
そういえば最初にあのモンスターから逃げた時、今思えばよく逃げ出せたものだけど、一瞬で目の前に移動してきたあのモンスターから逃れられるほどに私の身体能力が強化されていたのか。転ばなければもしかしたら逃げ切る事が出来たのだろうか。もしそうなら……高来がスカウトする訳だ。
「ただ、限度はあるんだよ。修復不能なダメージを受けると治らないし、空間が消滅すると身体能力も元に戻るから、もし逃げ出すときに深手を負ってたら危険だったよ。これはモンスターも同じなんだよ。昨日のモンスターのダメージだったら多分今日には完治してるかな」
その言葉にはっとしたように身を震わせて外海さんが声を上げる。
「昨日は先輩に絶好のチャンスを作ってもらったのに、生かせなくすみません。モンスターの脅威を取り除くには完全に倒さないといけないのに」
「大丈夫大丈夫、三和先輩は一人じゃなくなったし協力していればきっと勝てるよ! そういうもんでしょ。それでね、多重空間は特殊な場所で、身体能力の強化の他に覚醒したインシグニアの力が解放される場所でもあるんだよ」
「それが魔法少女ですか?」
「そうそう」
ふふん、と得意げな先輩。
「あの空間ではインシグニアの力を覚醒させて魔法少女に変身出来るのだ! あの空間に入れるという事は魔法少女として覚醒する力があるって事なんだよ! そとめちゃんも多重空間で困っていたから三和先輩が助けたのさ」
「はい。私はいつも図書室に居て。図書室、殆ど人がいないから、静かで気に入っていたんですけど、だから異変に気付かなくて。そしたらモンスターが……」
「それをぱぱぱーっと追い払って、暫くはそとめちゃんを守りながら放課後過ごしてたんだけど、つい二か月ほど前に遂にそとめちゃんは魔法少女として覚醒したんだよ! そして二人でそとめちゃんを襲って来たモンスターを倒したのだ!」
「私の望んだような力とは違うけど、そう、魔法少女に……。あのね、野母崎さん。インシグニアには意味があるみたいで、そのインシグニアが象徴する言葉の力が使えるようになるの。先輩は魔法の力……」
「そう、三和先輩のこのインシグニアが象徴するのはそのものズバリ『魔法』なんだよ! 呪文を唱えるとマジカルステッキから色んな魔法を使えるのさ! まあ、使う魔法はファンシーでもプリティーでもないけど魔法使いの魔法少女なのだ!」
胸を張って両手を腰に当てる先輩。
この人は本当に先輩なのか。やたら可愛らしい仕草をする。
「そうだ、疑問はまだいっぱいあります。魔法少女やモンスターにインシグニア症が関わっているなら、インシグニア症で言われている事にも関係しているんですよね? 原因不明の自殺や失踪はやっぱり」
「そうだね。まずは失踪だけど。多重空間の中で死ぬと泡や光の破片みたいになってやがて消えて無くなってしまうんだよ。モンスターも。……私たちも。三和先輩は、覚醒前の子がモンスターに殺されて消えるのを見た事があるんだ」
「消えてしまう……消えて無くなるんですか。だから見つからない……」
「そして自殺だけど。もちろん自殺じゃない。例外的にモンスターの存在や襲撃を恐れて、って言うのはあるかもしれないよ。実際は致命傷を受けたまま多重空間が無くなってそのまま死んでしまったり……。後自滅する場合もあるよ。色々あるんだけど、凄く分かり易い例を言うと空を自由に飛んでる時に多重空間が終わると落ちて死んだりすると思う。これは三和先輩が風の魔法で空を飛んでた時に言われた事だけど」
「それとね。インシグニア症の不可解な死は自殺って報道される様になってるみたい。最初の頃は通り魔だとか言われてたらしいんだけど、全く手掛かりが無くて、時に身体を二つに引き裂かれたり、握り潰されて圧死したり、異常な死に方が多かったから、インシグニア症患者の異常死は全て表向きは自殺と報道されるみたい。……高島さんもそう。聞いた話だけど、彼女は頭が酷く潰れていたって」
「それは、私も聞いた。先輩は去年の一年の高島さんは知ってますか?」
「去年、自殺者として処理されたのが三人だったのは知ってるけど、三人とも面識は無いんだよ。三和先輩は先輩に倣って放課後はパトロールしてるから、学校に残ってるインシグニア症の子はチェックしてるんだ。多分その三人は外から見えない場所にインシグニアが有ったんじゃないかな。そとめちゃんは右肩だけど、体育で体育館に入れ違いになる時間割があって、何時も包帯巻いてたから気になってたんだ」
高島さんのアザは鎖骨の上。彼女は取り立てて誰かに見られないように気を使ってはいなかったが、外からは分からない。しゃがんだ状態で上からなら確認できたかもしれないが、そうそう見えるもんじゃない。
「二人とも、そのたかしまさんとお友達だったの?」
「高島さんと野母崎さんと私は、一年の時に同じクラスで……。高島さんは私が友達と呼べる唯一の人でした。インシグニア症になったのは私が先。でも覚醒基準を満たしたのは多分彼女が先。何時頃から多重空間に侵入してしまう様になったのかは分かりません。魔法少女に覚醒できたのかどうかも」
外海さんは俯いて足元へ視線を落とした。
そんな外海さんの頭を先輩は背伸びをして撫でる。
「……友達、亡くしちゃって辛かったよね。でもそとめちゃんは魔法少女になって戦う力を手に入れたんだよ。もう誰もそんな風に友達を失わないで済むようにモンスターと戦おう!」
先輩は私と外海さんの手を握ると二人の手を合わせて、自分の両手を上から被せる。
「のぼざきさんは、そとめちゃんが助けたんだよ。インシグニア症の子はまだ見つかるかもしれない。皆を助けられるのは覚醒出来た私たちだけ。怖い事、いっぱいあるだろうけど、二人なら出来ると思うんだよ」
「はい、先輩」
「覚醒するまで私たちが守るから、のぼざきさんも一緒に戦って欲しいんだ!」
先輩が被せた手をにぎにぎしながら期待の籠った笑顔を向ける。
戦う、戦うのか……。
昨日の戦闘を思い出す。先輩の魔法に外海さんの圧倒的一撃。炎の直撃を食らっても突撃し、叩きつけの衝撃だけで床にクレーターが出来るほどのパンチを受けても生きており、今日には回復しているというモンスター。とても付いて行けそうに無い。それとも魔法少女として覚醒したら変わるのだろうか。
なんにせよ、今のところ私はただインシグニア症のアザがでかいだけで魔法少女とは程遠い。二人の庇護下に入らなければ危険なのは間違いない。そして借りを作ってしまったらいざ本当に覚醒したら手伝わない訳には行かなくなるだろう。下手したら命を落とす戦いにだ。
それに。
その覚醒というのをしてしまったら、私も魔法少女になるという事で。
(あの服装は二人が自分で考えたのかな)
頭の中でウェディングドレスやらバレリーナやらファッションショーの前衛芸術やらが入り乱れる。
自分が羽に動物の耳と尻尾が生えてセーラー服のレオタードを着ている姿を想像して寒気が走った。
似合わない。
いや仮に似合うとしても、だからOKではない。可不可で言ったら不可なのだ。
この時、まだモンスターから逃げるという事にしか実感を得ていない私は、戦う事によって起こる損害については深くは考えられなかった。
と、予鈴が鳴り響く。
「おっとー、そろそろ戻らなきゃだよ! また放課後ね」
「はい先輩。またここで良いですよね?」
おっけーおっけー。
走り出した先輩は止まらずに返事をしてぴょんぴょん跳ねる。
「それじゃあ野母崎さん、また」
「うん、またね」
外海さんとも別れて中庭から渡り廊下へ戻る。
何人かとすれ違いながら、今の話を反芻する。
魔法少女と覚醒。
多重空間とモンスター。
インシグニア症の自殺と失踪者、そして高島さん。
失踪者にならなかった私は幸せな方だろう。
それにしても改めて考えても魔法少女とは……。
──魔法少女、ね。
「うん!?」
通り過ぎた誰かが嘲る様にそう呟いた。
ここ数日の内に聞いた、新しい声音の一つ。
咄嗟に振り返っても誰が口にしたのか分からない。
そうだ。
訊いていない事がある。
(三和先輩はあのポニーテールのミステリアス少女を知ってるんだろうか)