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発症

 翌日、雲が多くて薄暗いけどその切れ目から強い日差しの差し込むはっきりしない天気の中、暗澹たる面持ちで私は通学路を歩いていた。

 昨日病院から帰る時にお母さんは薄手の指貫グローブを買ってくれた。こういうものを身に着けるのは初めてで、なんだか気恥ずかしい。

 鞄の中には診断書が入っている。先生にこれを見せれば私が学校生活でこのグローブを着用する事を認めてくれるだろう。

 片方の手だけグローブをするわけだから、自分からインシグニア症を告白するようなものだけど、割りと露骨な対策をしている子は居る。私もスルーされるだろう、多分。


 昨日お医者さんが言った通り、インシグニア症は三年ほど前から急増した病気で、十二歳くらいからの思春期の子供が疾患する。

 症状は一貫して身体の一部に青黒いアザが浮かび上がるというもので、違うのはそのアザの場所と大きさ位なものだ。怪我をすると自然に身体に発生する痣や打ち身打撲の怪我によって出来るものとは違う。壊死したように黒く、それをかたどるように青い。人によっては青が強かったり真っ黒だったり、大きさにも個人差がある。この病気が今ほどメジャーになっていなかったなら私は見た瞬間卒倒しただろう。私のアザはかなり大きい。

 これは大体、十五歳から遅くとも十八歳までには完全に消えてしまう。インシグニア症の『インシグニア』とは思春期の『バッジ』みたいなものという意味で、このアザ以外には何ら人体に悪影響を及ぼさない、というのが医学的見解であるらしい。

 よって無害な病気、ニキビやはしかのようなものと言われてきた。

 アザが出来るだけなのだ。健康をなんら阻害しない。


 だけどこの病気が社会浸透していく上で見過ごせないデータが挙げられた。

 インシグニア症を疾患した中高生は半分近くが自殺するか行方不明になるというのだ。

 近年学生の自殺もよく報道されるようになってきたけれど、行動には理由がある。

 学生の自殺で一番思いつくのはイジメだろう。あるいは受験に失敗したり、家庭内の不和などが原因になったというのも聞いた事がある。

 だけどインシグニア症の自殺者は殆どが理由なき死や失踪を選んでいる。イジメなどを受けている形跡はなく、大抵の患者は一般的な仲が良い者同士のグループを形成しており学校生活に問題はなく、また家庭環境もしっかりしてい者が多い。むしろ家族はこうしたインシグニア症の背景を知っているか、発症後に深く学ぶ事が多く、細心の注意を我が子に払うようになる。

 さらにはインシグニア症である事を切っ掛けとして、患者同士のコミュニティが形成されて、発症前より明るく活発になった子供も多くいるという。にも拘らず──そういう子供がある日突然自殺する。いなくなる。


(その典型が高島さんだった)


 高島さんは一年の時の同級生。二年になるときに別のクラスになった。

 一年生の三学期になると彼女は自分がインシグニア症である事を告白した。

 彼女とは席替えで何度か近くの席になったというくらいで、授業で班単位の活動を先生から要求されたときに一緒に活動するくらいの仲だった。プライベートで一緒に遊んだ記憶はない。完全に学校内、クラス内の付き合いという奴。

 高島さんの性格は大人しく、特別親しい友人が居るようにも見えなかった。だからと言ってクラスから爪弾きにされていたわけではない。彼女がクラスメイトと交流を望んで行動していたなら相応に友人は増えていっただろう。


「私、鎖骨の上にあるんだ、インシグニア」


 どうして彼女が突然私にその事を話したのか。その時のなんて事の無い話の流れがそうだったからだろうか。前後にどういう話題で会話していたのか覚えていない。それ以前に何故会話していたのかさえ。なにせ特に意識してないただのクラスメイトとの会話だったから。

 こっそりと彼女が見せてくれたそのアザは細長くて独特の形をしていた。面積で言ったら今の私の物よりも小さいが長さでは彼女だ。今の私と同じ、青黒いアザ。


「他にもこのクラスに居るんだよ、知ってる? 知らないならバラしたりはしないけど」


 その時の彼女はなんだか嬉しそうだった。まるでそのアザを誇らしいように。

 彼女がクラス内で特別誰かと親しくしているのは見た事が無かったので、つまりインシグニア症の秘密の友達を作っていたんだと思う。 


「ごめんね、もしかしたら……

 ……もしかしたら、貴女にもあるんじゃないかって思って」


 高島さんは笑顔だった。彼女がはっきりと、自分の感情を乗せた笑顔を作っているのを見たのは初めてな気がした。


「でももし何時かインシグニアが身体に現れたら、私に教えてね。きっと力になれると思うから。もし今、何か気になる事があるなら答えてあげるよ。

 ──野母崎さん」


 高島さんの事を思い出しながら歩いていると、既に下駄箱前までやってきていた。

 二年二組の私の名前のラベルが張ってある下駄箱から上履きを出すと、靴を履き替えて教室へと向かった。二年の教室は二階にある。

(高島さんは、二年になったら別のクラスになるはずだった)

 でも実際は、彼女は二年にはならなかった。

 進級を目前にして彼女は自殺した。それは私が彼女とインシグニア症について話をした日の翌日。放課後彼女と会話して、別れた後。

(学校で最後に会話したのは私だ、多分)

 冷たい手すりを撫でる。

 高島さんはどうして最後にあんな事を言ったんだろう。

 結果として私はインシグニア症を発症したのだから、あの時の彼女との話は為になった。力になってくれたと言える。でももし今彼女が生きていたら? 力になるというのはどういう事だろう。彼女は『私がインシグニア症を発症したら』と言っていた。私に『インシグニア』があったらどんな話をするつもりだったんだろうか。それとも。

(理由不明の自殺を実行するに際しての心持ちでも教えてくれたのかな)

 酷く悪趣味な考えが浮かんだ。


 彼女は学校の窓から飛び降りて死んだ。

 インシグニア症の学生の死因の常として、理由は不明。死因は頭を強く打って即死。

 三階から飛び降りて、下は花壇だった。土は柔らかく花だって咲いていた。頭から落ちたって死ぬものだろうか。

 だが実際彼女は死んだ。

 それも、聞いた話だと頭部はかなり損傷していたらしい。

 かなりの損傷という言い回しが具体的にどういう状態であったかは考えない方が良いだろう。


 昼休み。

 病院からの診断書は自分の席に鞄を置いた後すぐに先生に見せて、グローブ着用の許可を貰った。

 私がグローブを付けている事について、多くのクラスメイトは察してくれて触れられなかった。一部の男子にはカッコいいな、それ! と冷やかされた。あんたもこれが必要になるといいよ、と軽くあしらった。最初に変に絡まれなかったのはむしろ僥倖で、この程度のいじくりで話題にされれば後からわざわざ蒸し返して穿り返されないだろう。

「カミナリげっちゅー!」

 言いながら私の机にパンがぽん、と放られる。

 何時もの様に高来が購買部から昼食を幾つか買って来た。

「凄くなーい? 今日は授業終わるの遅かったのに余ってたわ!」

 高来が子供っぽく口を開けて笑いながら言う。

 小学校からの付き合いであるこの高来とは所謂腐れ縁の仲である。小学五年から以降ずっと同じクラスだ。

 高来は短めの癖っ毛に小柄で人懐っこく、よく喋りよく笑う。でも人を笑ったりはしない。私はこの点、高来の事を手放しで尊敬している。

 去年私は教室の床に捨ててあったビニール袋を踏んで足を滑らせずっこけた事があるのだが、その時、周りにいたクラスメイト(主に男子)は只管爆笑していたが、高来は直ぐに駆け寄って起こしてくれた。私は思った。あぁ、こいつ多分一生物の友達だわ、と。

 さて、その高来がはしゃいで見せたカミナリというのは人気の菓子パンで、菓子パンというか菓子そのものである。校内で合法的に入手できる甘味という事で人気がある。

 購買部に並ぶ数が少ないため、基本的にチャイム通りに授業が終了させる事が出来る一部の限られた有能な教師が四時間目の担当であった時にのみ買う事が出来るのだ。

「パン三つも食べるんだ。よく入るね」

 私は高来の戦利品を軽く一瞥すると自分の弁当の包みを解きながら言った。

 高来は前の席の椅子を引くと、椅子の背もたれを挟んで私と向き合うように座る。

「カミナリ売ってたら買っちゃうよお! いーじゃん何時も手に入るわけじゃないし! 希少性っていうのはあれだよ、本来の魅力を数段高めてくれるよね!」

「それはそうかも……ん?」

「おーすげー! ノモ弁凄いね! みっちりじゃん!」

 私の弁当の中にはハンバーグだのフライだのスパゲッティだの、小学生が好きな食べ物ランキングで上位を占めそうなものが沢山詰まっていた。病気の娘に向けて、喜びそうな物をガンガン詰め込んだのだろう。風邪ひいたらアイスやらプリンやらいっぱい用意するみたいな。食事云々の事を昨日聞いていたような気がするが、恐らく病気を理由とした食事の制限は何も無いのだろう。

「栄養バランスとか考えてないわ家のお母さん」

「えー、いーじゃん。でも確かに何時ものノモの弁当と違うね。んー、あ、そういうアレだからか?」

 ちら、と私の左手に視線を向ける高来。

「だろうね、気にしないでいいんだけど」

「いやー、まったく気にされないのよりずっといいってばぁ、だってここだけの話さ、私もなんだ」

「へえ、高来も病気? どこに?」

「横っ腹だよ、道理で気が付かない筈だよ!」

「見せてみ」

 高来はしゃーないなあ、ちょっとだけだぞ、と総菜パンを咀嚼しながら椅子に跨るように起立してスカートからブラウスを引っ張り出して脇腹を見せた。

 私は微苦笑交じりの嘆息を漏らすと

「それちょっと大きなホクロだわ」

 と、そのホクロを突いた。

「えー! でかいよこれー! 大人になっても消えないのこれー!?」

「別にいいでしょ。健康が一番、でしょ」

 私とは似ていないこの能天気な高来の態度は結構私を救ってくれた。


 私が危惧したインシグニア症に関するクラスの反応はその程度のほんの些細なもので済んだ。

 だから結局は自分自身の問題だ。

 顔じゃなくてよかったね? そんな訳ないじゃない。どこがどうとかそうではなくて、こんなアザが出てきた事自体が嫌なんだってば。

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