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発症

 お母さんはすぐに私を病院へ連れて行った。

 私が自分自身発症した事に気が付いたのは三日ほど前の事で、私の場合は左手の甲だった。

 もちろん最初は手袋をする事を考えたけれど、時期的にあまりにも不自然だし室内でもずっと手袋をし続けるなんて現実的じゃなかった。

 気が付くと私は意識的に左手の甲をかばう様に振る舞っていた。

 娘の不自然な行動を見過ごすほど私のお母さんは子育てに無関心ではない。

 すぐに怪しい動きは問い質され、渋々と自分の手の甲を見せる事になった。

 お母さんは繁々と私の左手を見つめると、次に手を握って左手の甲のそれを何度か撫でた。そうした後に、


 痛くないの? と彼女が聞いてきた。


 痛みとかは全然ないよ。多分三日ぐらい前から。体育でバレーやってる時に気づいたんだけど、流行りのあれだって思わなかったから。


 大体そんな事を言った。お母さんは夕食の支度を手早く済ませるとすぐに車を出す事に決めたらしい。

 そんな訳で今はお母さんの運転する車の助手席で、どうかといえばただ単純に面倒臭いとだけ感じながら外の景色を眺めていた。

 車を走らせてからしばらくは、お母さんは普段と変わらない様子で学校の事やなんて事のない世間話を振ってきたので、のらりくらりと返していたけれど、病院が近くなるに連れて口数が減っていた。

 不安なんだな、と。当事者ながら酷く他人事のように考える。

 それも仕方のない。すでにお母さんに伝えた通り、私自身は発症したからと言って痛みも不便も無い。

 ただ、そう、この左手の甲のこれだけが不満だった。

 日が暮れかけた今、それはより一層存在感を増して見える。

 私の今後の学校生活に間違いなく暗い影を落とすであろう、この印。



 病院へ着くとお母さんはいそいそと車を降り、私に早くするよう促した。

 学校から帰ってすぐにこの事がお母さんにバレて隠し事をしようとしたのを看破された精神的疲労と、車で連れまわされての肉体的疲労からやや緩慢になっていた動きを機敏にするよう気にしながら院内へと向かっていく。

 この市立の病院は大きいけどボロっちいというのが利用者の共通認識だろう。それもなんだか気分を嫌な方へと寄せていく。

 受付でお母さんがいくつかのやり取りを行った後、こっちだって、と言うと小児科の待合室へ向かっていった。

 薬品臭いリノリウム張りの廊下には様々な色のテープが張ってあり、その上を辿れば何科に着くのか表示があった。小児科へと繋がる黄色いテープの上からはみ出ないように歩いた。

 幸い今日は患者があまりいないらしく、すぐに私の名前が呼ばれた。診察室の扉を開けるとお医者さんのいるであろう机や診察用のベッドのある場所を区切るように白いカーテンが掛かっている。それが、なんだろう、なんだかとても嫌だった。この、扉を開けた後もまた一段身構える必要がある感じ。


 お医者さんは中年のおじさんだった。メガネをしていて、目が細い。話し方が優しかったのはきっと小児科の先生に必要な技術なんだろう、なんて捻くれた見方をしてしまった。

 私の左手の甲を見せるとお医者さんはあ~、うんうんと頷いて見せた。

「これは結構大きいねえ、いつぐらいから?」

「多分三日前からです。その時は全然大きくなかったから気にならなくて。そのまま忘れてしまってたんですけど、今日になってこんな風になってました」

「痛みや変な感覚がありますか? 痺れるとか感覚が鈍いとか」

「いいえ。特に普段の生活で困ってる事は特に無いです」

 なるほどなるほど、と彼はカルテに文字を書き込んでいく。私にはそれが、如何にもんどり打った線を引けるか試しているに見えた。

「最近流行ってる病気なんだよねえ、これね。最近って言っても三年くらい前から多く見られるようになった病気。インシグニア病って知ってる?」

「はい。あの……アザが出来る病気ですよね。おっきな」

「うん、うん。身体的にはそういう影響しかないみたいだね。大きな問題はそこじゃあないんだけど……女の子だとね、そういうの特に気になっちゃうからそうも言ってられないか」

 なんて言って首筋を掻いた。その通り、明日の登校から気が重い。

「この病気は思春期の子が掛かる、はしかみたいなものでね、その痣も思春期が終わって大人になる頃には綺麗に無くなっちゃうから。一生残ったりしたいのでそれは安心してね。どうしても気になるなら学校に相談すれば、人目に付かないように、あなたの場合だと手袋とか着用しても良いって言われるだろうから。先生にお話ししてください」

「あの」

 私が返事する前にお母さんが割って入ってきた。

「はい、お母さんの方から心配な事があると思います。何でも聞いておいて下さいね」

 その言葉によってお母さんは堰を切ったように急にお医者さんへ質問攻めを開始した。


 病状を抑える薬はないんですか、完治はどれくらいかかるものなのでしょうか、日頃娘と接する時に気を付ける事は何かありますか、この病気に罹る人には何か共通点とか特徴とかがあるんでしょうか、痣が今以上広がらないようにする薬はありますか、食べさせないほうが良い食材があったりするんでしょうか、この子が病気になった原因が何かあるんでしょうか……

 私に関する事についてお母さんがとても必死になってくれているのが嬉しい……というよりはちょっと面倒臭く感じてしまった。

 彼女は幾つもの質問を投げかけた。それは彼女が対応出来るもの、そうでないものが混ざっており、とにかく自身の疑問を吐き出して不安を減らしたいというのが分かる。


 お医者さんはインシグニア症の子を持つ親のこの手の質問攻めには慣れているのか、なだめ落ち着かせるように一つ一つ丁寧に回答しているようだった。

 私は以前にクラスでもインシグニア症になった子を見た事があるし、その子に幾つか質問をしたので、改めて聞く事は無いかな。

 でもお医者さんは言うまでもなく専門職な訳だから、疑問があったら聞いておいたほうが良いのは間違いない。だけど、こう、いざ質問はありませんかと言われると咄嗟に何も出てこなくなる。

 そのインシグニア症の子は一年の時の同級生だし、特別に親しかったわけではない。そして新たな疑問が思いついたとしてもその子に学校で聞く事は出来ない。二年になってクラス替えがあったし、それに。

「それとですね、それと……あの」

「はい、大丈夫ですよ。何でも仰って下さい」

 矢継ぎ早の質問を止めてお母さんは言い淀んだ。

「薬、なんですけど」

「はい」

「……精神安定剤とか必要なんでしょうか」

「要らないよそんなの」

 私はお医者さんが答える前に口を開いた。


 それに。

 その子は自殺した。


 うちの学校だと、インシグニア症の自殺者としてはその子で三人目だった。

 お母さんが私の手をぎゅっと握りしめた。

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