中
猫を追ってプリンが着いた場所は、大きな建物の側の木の上だった。
「ここは、小学校という場所では?」
木の中、枝の上で猫の隣に座ったプリンが訊くと、猫は頷いた。猫は尻尾で、ある方向を示すとゆっくり口を開く。
「にゃ……。あそこに座ってる白いスカートの女の子、アンタにはどう見えるにゃ?」
プリンがその女の子を見ると強い違和感を覚えた。
「あの子……眠っている?」
プリンと猫の視線の先にいるその女の子は一見、普通の女の子だ。しかし視線はぼんやりとしており、時々まばたきするだけで体は動かさない。
「にゃ、あの子……夢の中で生きてるにゃ。ご飯も食べるし、学校にも行くし、お風呂も入るけど、ずっと眠り続けているんだにゃ」
プリンは猫の言葉を聞きながら、慎重に女の子から漂ってくる気配を調べている。妖精、しかも知っている気配を感じ取ってしまったからだ。
(たくさんいると錯覚するくらい強い気配。本当はたった一人なんだけど……これは、まさかキャラメルちゃん? え……なんでっ?)
プリンは顔が青ざめるのを感じつつ、猫の言葉を聞く。
「……にゃー。あの子のお父さんがあの店の店長にゃ。妖精が急に見えるようになったり妖精と話せるようになったのは、多分あの子から漏れた妖精の力みたいなものがお父さんに行ったんだと思うにゃ」
プリンは頷く。
「……それで合ってると思います」
プリンがもう一度女の子から感じる気配を調べる。
(やっぱり、キャラメルちゃんの気配。妖精病は本来妖精しかかからないはずの病気を妖精以外が発症する病、もしくは妖精と接触することで発症する……だったよね。あの子とキャラメルちゃん……知り合いなの?)
プリンはその時ハッとした。
(待って。店長さんがあの子のお父さんってことは、店長さんは伴侶がいるってことよね? キャラメルちゃんはそれを知っているの? ううん、知っていれば羽を抜くなんてしない。……もし、あの時……)
急に黙りこくり、体を震わせ始めてしまったプリンの体をほんのり温かい何かが包み込んだ。
「にゃ~」
それは猫の尻尾だった。
「あ……」
プリンが見上げると猫は笑っていた。見たことがある笑みに、プリンは感謝の言葉を飲み込む。
「にゃーにゃ。何を考えたかは知らないけど、分かってること教えて欲しいーにゃっ」
猫の尻尾に心なしか力が篭る。
プリンは羽ごと包まれているので飛べないが、逃げるつもりはなかった。
(はっきりとは聞いてないけど、多分ケットシーさんはあの子の、そして店長さんの飼い猫なんだろうな。そうじゃなきゃ、こんなに必死にならない)
プリンと猫の視線が合う。猫はプリンの言葉を待っているようだった。
「妖精病ってご存知ですか?」
プリンは猫に知っていることを話し始めた。
その日の夜、プリンはキャラメルの家を訪ねていた。
「いらっしゃ~い、プリンちゃん!」
満面の笑みでキャラメルはプリンを迎え入れてくれる。この後にキャラメルの笑顔を曇らせてしまうことが、プリンは心苦しく感じた。
(でも……ちゃんと聞かないと。そのために今日ここにいるんだから!)
膝の上に置いた手を握りしめていると、プリンの目の前にコップが置かれる。
「ごめんね~、ハイビスカスティーは飲み切っちゃったから、蜂蜜ソーダで。で、今日はどうしたの~?」
プリンは唾を飲み込んでから口を開いた。
「キャラメルちゃんに聞きたいことがあって」
「なぁに?」
プリンはキャラメルが作ってくれた蜂蜜ソーダを一口飲む。
「キャラメルちゃんは店長さんが『親』なの知ってる?」
「……え?」
「今日店長さんの飼い猫さんに会ったんだけど、店長さんには奥さんと娘さんがいてね。その店長さんの娘さん、妖精病にかかってるみたいで……。なんの病気かは分からないんだけど、その子からキャラメルちゃんの気配が感じ取れて……。キャラメルちゃんは何か知らない?」
プリンはまた蜂蜜ソーダを飲もうとコップに手を伸ばす。その時、キャラメルの顔が目に入った。
「キャラメル……ちゃん?」
キャラメルの目から涙が流れている。
「……ひどいよ、プリンちゃん……」
キャラメルの声は小さかったが、プリンには聞こえていた。
「私、店長さんのこと真剣に想ってるのに! そんな嘘を付くなんて! プリンちゃんなんか嫌い! 信じないから! そんな嘘信じないからっ!」
キャラメルの手から平べったい紐のような太い糸が伸び、プリンをぐるぐると巻いていく。
「出てって!」
悲鳴のようなキャラメルの声を聞きながら、あっという間にプリンは外に放り出された。
「……キャラメルちゃん……」
プリンがキャラメルの糸の中で呆然としていると、聞き覚えのある声が聞こえた。それと同時にサクリと糸が裂かれる。
「にゃー」
外の風がプリンに瞼の熱と頬の違和感を伝える。指で頬を撫でると、指には水滴が付いていた。そこで初めてプリンは自分が泣いていることに気付く。
「あ……私……」
何回瞬きしても涙は落ちていく。
なんとか涙を止めようとしていて、プリンは背後から猫の尻尾が近付いてくるのに気が付かなかった。
突然、プリンの視界が暗くなる。
「えっ?」
パニックになりかけたプリンの頭上から全く聞いたことのない優しい声が降りてきた。
「にゃ~、大丈夫にゃ。にゃーにゃ、にゃーにゃ」
いつの間に回されたのか、背中に感じる猫の尻尾の暖かさが、プリンの心にじわりと染み込む。同時に涙を止めようとする気持ちが消えた。
「……ぅ、ふ、わぁぁあああんっ!」
プリンは猫に泣き付いた。
猫の尻尾は背中とプリンの頭をゆっくりと優しくポンポンと叩いている。その動作がまたプリンの涙を誘った。
十分ほど経って、プリンの声は聞こえなくなった。
「……すみませんでした」
しばらくすると、プリンは恥ずかしそうに猫から体を離した。目元だけでなく頬も赤くなっている。
「もう大丈夫です。お恥ずかしい所を見せてしまいました、ごめんなさい」
プリンが頭を下げると、猫の尻尾がプリンの頭を優しく撫でた。
「にゃ、気にすることないにゃ。でも話し合いは上手くいかなかったんだにゃ?」
プリンは頷く。
「……嫌い、て言われてしまいました……」
泣いた後だというのに、プリンはまた涙がじわりと出てくるのを感じた。
(……我慢。後で一人で泣こう。我慢我慢)
プリンが顔を上げると、猫と視線が合う。
「にゃ。分かったにゃ。オイラは帰るにゃ。おやすみーにゃ」
プリンが何かを言う前に猫は走り去っていった。
「……。……あ、はい。おやすみなさい、ケットシーさん。……もう見えない。速いなぁ」
プリンは小さく笑った。羽を広げて空中へ上がり、ゆっくり自宅を目指す。
(気を使ってくれたのかな? 尻尾でポンポンしてくれるとか、結構優しい所もあるんだ。意外な一面だったな。あのケットシーさんにはそういうのないと思ってたよ。……そういえばあのケットシーさん、名前なんていうんだろう?)
ぼんやり考え事をしながら飛んでいると、プリンは自宅に着いた。
プリンは家に入るとまっすぐベッドへと向かい、布団の中へと入り込む。そしてもう一度泣いた。
プリンはしばらくクレープ屋に行く気になれず、今日は老婦人の元にいた。
「プリンちゃん、何かあったの? なんだか元気がないわ」
プリンの目に老婦人の姿が映される。老婦人は心配そうにしている。
(……優しいな、杏子さん。私を気遣って心配してくれてる。聞いてもらおうかな……。……でも、言ったらまた泣いちゃいそうだし。だけどこの心の重いの……吐き出したい……)
悩むプリンの目の前に大きな手が差し出された。老婦人の手である。
プリンが考えるより先に体が動いた。
老婦人の手に乗るとプリンは思い切って話し始めた。キャラメルのこと、店長さんのこと、妖精病のこと、そして何故か猫のことも話す。話しているうちに、プリンの重い心も整理され重くなくなってきた。
話し終えると、プリンは老婦人の手から飛び降りる。
すっかりぬるくなってしまったお茶を飲みながら、プリンは考えていた。
(キャラメルちゃんとあの女の子はどこで出会ったんだろう? どう出会ったんだろう? 店長さんに関連して会っていた、なら店長さんとあの女の子が一緒にいるところとか見てるだろうし。あれ? そもそも店長さんとキャラメルちゃんはいつ出会ったんだろう?)
プリンがまたぬるいお茶を飲もうと口を付けると声がかけられる。
「お茶ぬるくなっちゃったでしょ? 新しいのを淹れてあげるわね。あと眉間にしわが寄っているわ。ダメよ、女の子がそんな顔しちゃ」
老婦人が苦笑して眉間を指す。プリンは小さくだって……、と呟きつつ、自分の眉間を揉みほぐす。
「その女の子の症状、心当たりがあるわ」
プリンは驚いて老婦人を見ると老婦人もプリンを見ていた。
「昔、プリンちゃんもかかったことがある、夢遊病よ。人間にも同じ病名の病気があるけど、少し違うわ」
「え?」
プリンは首をかしげた。言われた意味が分からなかったのだ。
「人間の夢遊病と妖精の夢遊病の違いは一つ、目覚めないことね。人間の夢遊病は必ず目覚めることがあるけど、妖精の夢遊病は病気が完治するまで目覚めない。そして進行すると眠ったまま死んでまうの。危険な病気だけど、妖精病の夢遊病は薬と妖精の贈り物二つで完治するわ。知人に妖精や精霊を相手にしている薬師がいるから、薬が出来たら知らせるわね」
プリンは自分の顔から血の気が引いているのを感じていた。
「そ、そんな……。キャラメルちゃん、は……」
老婦人はその先は声が出ないでいるプリンの頭を撫でる。
「その女の子は偶然妖精病にかかってしまったんでしょう。もし意図的であれば、薬と妖精の贈り物二つで完治する夢遊病は向かないわ」
プリンは老婦人の言葉が耳に入らない。頭の中に響く悲しみに満ちた猫の声。プリンは立ち上がり、羽を広げた。
「プリンちゃん、落ち着いて。妖精病の夢遊病は死に至るまでに三十年かかるわ。それにね、妖精病は誰だってかかる可能性のある病気なの。逆に人間の病気がプリンちゃんにかかることだってあるわ。その親友の子が一番悪いわけじゃないのよ」
プリンは真っ青な顔のまま老婦人を見つめる。
「私は妖精病にかからないけど、どの種族にも言えると思うの。異種族になんの苦労も制限も影響もなく近付ける存在はいないんじゃないかって」
老婦人はどこか遠くを見つめながら口を開いた。
「神様でさえきつい制限があるんだもの。種族が違っても想ったり共に生きたいと願うことは悪いことじゃないわ。そこは絶対に責めちゃダメよ。ね?」
プリンは俯いた。
「……でも……キャラメルちゃんが店長さんに、あの子に近付かなければ……夢遊病なんて危険な病気には……」
もしも、がプリンの頭の中で暴れまわる。
「起きてしまったことに対して、もしも、は意味が無いわ。それよりも薬と一緒に渡す妖精の贈り物は妖精病の原因となった妖精の物が効果的なの。なんとかその親友ちゃんにも助力願いたいわね」
プリンはきつく目を閉じる。
(まだあの女の子は猶予がある。治せる。最悪じゃないんだ。もしもを想像するのは後からでも出来るんだから、今は切り替えなきゃ!)
悪い想像を強引に頭の隅へと追いやる。プリンは目を開けた。
プリンの目に心配そうな老婦人の顔が映る。
「大丈夫?」
プリンは頷いた。
「そう。あぁ、そうだわ、プリンちゃん。今日は泊まっていかない?」
プリンは断わろうとしたが、不意に思いとどまった。
(今はキャラメルちゃんに会いたくないし、会ったらきっと色んなことを言っちゃう。私を見張ってもらう意味でも、泊まらせてもらおうかな……)
プリンは笑顔を作り、頷く。
「あ、はい。泊まっていきます」
老婦人の顔が少し泣きそうになるが、すぐに笑顔に変わった。
「それじゃ、今日の夕食の買い物に行きましょう。寒いといけないから、軽く上に羽織るといいわ」
プリンに差し出されたのはリボンの付いたカーディガンだ。ちゃんと妖精サイズで、プリンが試着してみるとぴったりだった。
「ふわあぁっ、えっ、あの、杏子さん、これは?」
プリンが驚いていると、老婦人はにっこり笑う。
「サイズがぴったりで良かったわ。プリンちゃんに、って作ってみたんだけど、どうかしら?」
プリンは老婦人の前でくるっと一回転してみせた。
「ありがとうございます! 嬉しいですっ!」
先程までの暗い顔は吹き飛んで、今は目がキラキラと輝いている。そんなプリンの様子を見て、老婦人はにっこりしたまま口を開いた。
「やっぱりプリンちゃんには笑顔が似合うわ。さぁさ、お買い物に行きましょ」
プリンはハッとした。
(元気付けてくれたんだ……。敵わないなぁ、杏子さん)
プリンはカーディガンを見る。カーディガンには自分への優しさがたっぷり詰まっているように思えた。
「プリンちゃん、行きますよー」
「はいっ!」
老婦人の自分を呼ぶ声に、プリンは元気よく応える。
プリンと老婦人は仲良く買い物へと出掛けた。




